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2007-01-14

[]宗教ニセ科学は峻別できる。


So-net blog:Chromeplated Rat:科学と宗教(試論)

http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2007-01-07-2


もちろん自然科学のスコープにおいては実在を証明することはできないけれど、だったらすなわち「ない」ことだ、としてしまうのは、別の意味での思考停止に他ならない。


 宗教については一家言があります。


 私の言いたい事は以下の3点です。


  1. 反証可能な事は科学の領域。宗教はそこに立ち入ってはいけない。
  2. 宗教の教義は、反証不能(=証明不能)なことでなければならない。故に、根拠がなく、信じるか信じないかの選択にならざるを得ない。
  3. ニセ科学は、科学的手法を用いず反証可能な事を主張する。故に宗教ではない。

 まず、1について。

 これは、議論の余地がないところであると思います。「祈れば病気が治る」とか「空飛ぶスパゲッティモンスターが人類を創造した」とかいう主張は、慎重に観察を行えば正しいかどうかが判明します。宗教はこういう非論理的な事を言ってはいけない。


 2は、1と同じことです。

 少し補足をすると、宗教とは「証明不能な定義を元に、論理的な思考を積み上げて行動すること」です。よく「宗教は非論理的」という誤解がありますが、そうではありません。非観察的なだけで、論理的であると思います。少なくともそのように努力すべきなのが宗教です。

 例えば、仏教では輪廻転生を教義の一部とすることが多いです。これは反証不能で、非観察的です*1。そこからの結論として「殺生はいけない」という戒を作り出している宗派もあります。これは「すべての生命は輪廻を通してつながっているのだから、殺生をしてはいけない」という論理的な思考によるものです。


 3は、1や2より明らかですね。

 「水からの伝言」の主張は、追試が可能です。反証可能ですので、宗教ではありません。

 ニセ科学と言われていて、実は宗教であるものに、ゴスの「オムファロス仮説」があると思います。


忘却からの帰還: "Appearance of Age"あるいはオムファロス

http://transact.seesaa.net/article/9780710.html


「世界が創造されたときには、アダムとイブには母体から生まれていないのにへそがあった。楽園の木には年輪があったに違いない。であるならば、化石や地層やその他の考古学的証拠ごと、神が創造したとしても何ら奇妙なことではない」

 大雑把に言うと、上記のような主張です。

 これは、反証不能です。「昨日、世界は創られました」と言われても、反論する方法がない。そして、科学のあらゆる成果と矛盾する事がありません。故にこれは宗教と呼んだ方が良いと思います。


 逆に宗教と言われていて、実はニセ科学な例は、……たくさんありますね。

その意味では「水からの伝言」や数多のニセ科学宗教と呼ぶのは、宗教と云うものに対しても侮蔑的なのではないかなぁ。

「一部の宗教」を宗教と呼ぶのも、実に宗教に失礼な話なんですよね。

*1:「前世の記憶が云々」とかのは例外として

poohpooh 2007/01/14 22:49 Chromeplated Ratのpoohです。はじめまして。

実は科学と対比するものとして宗教を定義するのは難しいと感じています。もともと宗教は全的なものだったはずなので。

ニセ科学関連の議論を進めようと思えばどうしても宗教を回避できなくなってしまうんですが、どうしても慎重にならざるを得なくて歯切れが悪くなってしまうところがあります。

> 「一部の宗教」を宗教と呼ぶのも、実に宗教に失礼な話なんですよね。

この感覚、非常によく分かる気がします。

Lhankor_MhyLhankor_Mhy 2007/01/15 19:37 はじめまして。コメントありがとうございます。

>実は科学と対比するものとして宗教を定義するのは難しいと感じています。もともと宗教は全的なものだったはずなので。

半分賛成、半分反対です。もともと科学は哲学の下にありましたが、今はそうではないと考える人が多いと思います。
同じように、宗教もその分野や定義を変えていくことが、宗教自身の為だと考えています。

反証可能なモノを扱うツールとして、昔は宗教も優秀であったと思いますが、現在は科学のほうが明らかに優れています。
ですから、反証可能な世界から撤退する事は、未来において宗教が生き残る為の必須条件だと考えています(その辺り、カソリックは非常に賢明ですよね)。


ちなみに、私は創価学会にいる人ですので、宗教に対する考えはバイアスがかかっていると思います。おかしな点があれば、指摘していただけますと助かります。

bluesy-kbluesy-k 2007/01/15 21:32 はじめまして。一度サブアカでコメントを描いて消したものです。

水からの伝言に関してですが、水からの伝言の主張は反証不可能だと思います。それは言葉の美しさにしろ結晶の美しさにしろ恣意的で、自らの伝言の主張を客観的な形で表現することはできません。それゆえ反証不可能です。

ですが、論理的な命題が合って反証不可能というよりはそもそも論理的な命題で表現できないというところが、Lhankor_Mhyが定義する宗教の「論理的だけど反証不能」という性質と異なるところなんだと思います。

bluesy-kbluesy-k 2007/01/15 21:32 すいません上の「Lhankor_Mhyが定義する」のところ「Lhankor_Mhy さんが定義する」がの下記間違いです。失礼しました。

Lhankor_MhyLhankor_Mhy 2007/01/16 23:42 はじめまして。コメントありがとうございます。


>それは言葉の美しさにしろ結晶の美しさにしろ恣意的で、自らの伝言の主張を客観的な形で表現することはできません。それゆえ反証不可能です。


1. 江本先生を呼んできて、「美しい言葉」と「汚い言葉」を書かせる。
2. 江本先生に目をつぶっていただき、二つの水にそれぞれ言葉を見せた後、結晶化させる。
3. 江本先生に、どちらの結晶が美しいか判断していただく。
4. 1から3を十分な数繰り返し、有意な結果が出るかどうかを確認する。


以上の方法では反証できませんか。



コメントの後半については完全同意です。

bluesy-kbluesy-k 2007/01/18 02:01 本の中に書かれている「美しい」を「江本先生の価値観で美しい」に置き換えるという限定をつければば確かに論理的に判別可能ですが、本においては価値観によらない一般的な「美しさ」というものが存在するかのような形で一般論として主張なさっているようですのでそれに関しては反証不可能だと思います。

Lhankor_MhyLhankor_Mhy 2007/01/18 18:41 あ、なるほど。納得しました。それは確かに宗教ですねぇ(w


当該書籍を未読なまま、批判するようなことはしてはいけませんでしたね。反省します。ありがとうございました。

うまうま 2007/02/23 12:50 簡単なまとめを(老婆心ながら)書いておきます。私の主旨は
 
例えば、具体的には 
 
オノ・ヨーコからのクリスマス・メッセージ
http://www.dreampower-jp.com/peace/xmas_messege.html
 
については「科学にはなりようもないものを科学として紹介している」という点では明らかに批判されて然るべきでしょう。
しかし、必ずしも『考えることを放棄するように勧めている』と読める文章でなく、そのような批判は当たらないと私は強く思います。ですから、そこまで踏み込んで批判しているかのような印象を与える書き方は避けた方がいい、という主旨です。
 
つまり、『水伝について肯定的に書いていれば(…略…)である』と断定的に主張したり、考えたりすべきではないのではなかろうか、と私は思う訳です。豊富なご経験に基づいて「水伝について肯定的に書いていれば、(…略…)である場合が多い」という確率的な推察を否定するのものではありませんが…。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1171275645#CID1172140829

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>「ニセ科学」と呼ぶのは、文脈によっては「疑似科学」という言葉が褒め言葉になるからである。
>具体的にはSF小説やファンタジー小説の批評などで”よくできた疑似科学的説明”などという
>表現が使われる。「疑似」という言葉には価値判断が含まれないということであろう。「ニセ」と
>いう言葉は否定的な意味合いを強く含む

同じ非科学の中で、ニセ科学(真っ黒)と疑似科学(真っ白)の間には、
『グレーゾーン』が広がっている、ということも、もっと強調されていい
ように思っています

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1137495527#CID1172144165

Lhankor_MhyLhankor_Mhy 2007/02/24 17:29 はじめまして。

何が仰りたいのか全く分かりません。

ま、とりあえず、コピペだけのカキコミは不快である、というのが私の主旨です。

竹さん:竹さん: 2007/04/30 12:32 心理学的次元に持っていけば、実験は可能でしょうね。良い言葉/悪い言葉も、綺麗/汚い結晶も、操作的に定義してしまえば、それなりのものは、可能かな、と。「良い言葉/悪い言葉」は、辞書的な定義に従って、共通了解を得られている語句を用い、「綺麗/汚い結晶」は、多数の人に評定をさせるなりして、統計解析をすれば、一応、可能でしょうか。
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_f20d.html

Lhankor_MhyLhankor_Mhy 2007/05/01 20:23 なるほど。
確かに実験としては面白いですが、しかし、江本先生を追い詰めるための道具にはならなそうですね(w
まさに「一応、可能」という実験ですね。

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