不動産屋のラノベ読み

不動産売買営業だけどガチガチの賃貸派の人のブログ

WEBと世間


↓一読して、「意味のないたとえだ」と感じました。そのようにブクマもしたのですが、ちょっと思い直したのでエントリを書きます。

街を歩いていて、別に普通に友達となんか話しながら歩いていたら、突然遠くから知らない人がつかつかと近づいてきて「お前、ひどい奴だな。人格を疑うね」とか一言浴びせられて、またその人はさっさと去ってしまった。言われた方はびっくりするやら、腹が立つやら、怖いやらで涙目だけど、だいたいあの人誰よ? 全然知らない人だよ、なんで関係ない人にあんなこと言われなきゃなんないんだ、みたいな。

ネガティブコメントってこんな感じ? - 深く考えないで捨てるように書く


 私は、これは文化的衝突の問題だと思っています。
 確かに、私も街を歩いていて「これはひどい」とつっこむことはしません。それでは、ちょっと危ない人です。しかし、WEBでは(今、実行しているように)つっこみをいれますし、自分に対するつっこみも受け入れているつもりです。
 それはなぜか。
 
 

WEB常識とリアル常識

 私は、リアルの常識感覚とWEB上での常識感覚を、違うものと考えています。ですから、リアルでは「非常識」な知らない人へのつっこみも、WEBでは特に違和感がありません。
 逆に、あの比喩が「しっくり来る」人たちは、リアル常識とWEB常識がそれ程違わないのでしょう。故に、知らない人からつっこみコメントが入ると「失礼」に感じるのでしょう。
 誤解される前に大急ぎで断っておきますが、「リアル常識とWEB常識は違う」ことが正しいという事を主張したいわけではありません。ただ、そういう文化は確実にあり、「リアル常識とWEB常識は同じ」文化と摩擦を起こしているのは間違いないでしょう。
 
 

世間が狭ければつっこまれる

 さて。
 引用の比喩なのですが、例えば、通りかかったのが全く知らない人ではなく親ならどうなるでしょう。
 たぶん、つっこまれるでしょうね。兄弟あたりでもそうでしょう。友達とかにも、つっこまれそうですね。
 では、ご近所さんはどうですか?
 田舎ならつっこまれそうですが、都会ではありえないでしょうね。なぜ、都会と田舎では違うのでしょうか。地域意識の強弱でしょう。地域意識の強い田舎では「ご近所さんは身内」と考え、つっこむかもしれません。
 つまり、世間が狭ければ、街で歩いていてもつっこみが入るのです。

WEBが世間を狭くする

 ところで以前、宮台が「価値の多様化を原因とした世間の消失」みたいな事を書いていたような覚えがあります。うろ覚えなので間違っている可能性大なのですが、「友達以外は全て背景」とかいう表現を使っていたような気もします。
 そうしてみると、ネガコメにびっくりする問題というのは、「世間を背景として認識していた」人間が「背景につっこまれてびっくりする」という話では、と感じています。
 WEBというものは、物理的な距離を越えて、同じ価値観を持った人間同士を強く結びつける力があります。そうした言わば「引力」が世間を再び狭くし、世間を再認識した「WEB常識」とでも呼ぶべき新常識を生み出すのかもしれません。