松永さんから反論が来たのでご返事

倫敦橋の人への反論

彼のプロパガンダは簡単に言うと「eshekは松永」「泉あいは松永にコントロールされていた」であろうが(もちろんそうは言っていないという逃げ道は作ってある)、いずれも事実ではない。誤りであることを明言する。

プロパガンダならば、もう少し煽るようなことを、私は書くと思う。
たとえば「泉あいの変態サイト運営の黒幕は松永。収益の行方は教団の裏口座」とか書いて、「出会い系サイトはどうやって稼いでいるのか」
を貼るとか。


泉さんが松永さんを知った時期についての疑問は「修行とか紀宮とか馬とか」の件ではありません。

「GripBlog」「GripForum」とは、結局なんなんだったのだろう?(3)
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/103/

これはURLを貼ってあったのだが、読まれなかったのでしょうか?
再掲

GripBlogの第2弾は1月10日から始まる『新潟中越地震に見るマスコミの教訓』です。
天漢日乗」さんのtエントリーがきっかけと言うことになっています。


しかし、この「マスゴミ」ネタは
『週刊!木村剛:これが新潟県中越地震の真実だ!』 http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2004/10/blog_of_the_wee_2.html
で取り上げられて、かなり反響があった話である。
そして【絵文録ことのは】で松永秀明氏が批判している話でもある。
木村剛の「マスメディアへの対抗意識」は時代錯誤。中越地震マスゴミ批判記事を検証する』
http://kotonoha.main.jp/2004/11/03anti-media.html


このエントリーは2004年11月03日に書かれています。木村氏へのトラックバックも同日です。 
木村剛氏批判として、まっとうなものですし、松永氏のジャーナリズム論・blogジャーナリズム論としても興味深い記事です。
この記事を泉氏は読んでいないのだろうか? 

この松永さんのエントリーをGripBlogが読んでいないと言うのは不自然ではないか、という疑問です。


「例のコーナーを閉鎖しました。(正確には「グループの停止」)」の件は、了解しました。
私は閉鎖すべきではなかったと思いますし、再開を期待しております。

 id:eshekさんへ

では、すこし対話しましょうか。

「思考実験」であると同時に倫敦橋氏への検証への批判でもある。その内容について対話することは互いにとっての思考実験ではないのか。お互いに実りのある結果を得たいと思って「思考実験」と書いたのだが、それはご理解いただけなかったようである。

あなたの「思考実験」という言葉の使い方は、やはり理解に苦しみます。
松永さんの「思考実験」とも違う使われかたです。
普通に「批判」「削除依頼」とだけ書き、議論・説得・恫喝・罵倒でもされればいいのではないですか。

wikipediaの思考実験
実際に実験器具を用いて測定を行うことなく、ある状況で理論から導かれるはずの現象を思考のみによって演繹すること。

「対話」を「思考実験」と表現するセンスから、「eshek」というのは生身の人間ではなく、理論のみで作られた仮想人格という印象を持った、ということは一応書いておきます。


そもそもの対話の発端は、あなたが2chで書いたという「仮説」の削除依頼でした。
仮説を積み上げて、あれこれ議論していくことは「思考実験」と似たような行為ではないでしょうか。
前提が間違っていたり、事実関係や論理に誤りがあったり、現実と違う結果になって、最後には「トンデモ」という事になるかもしれません。


拙blogを「意欲的なブログである。」との評価、ありがとうございます。
そういう評価であればあるほど、「あのblogの原点は、2ちゃんねるのトンデモ仮説だった」ということを明らかにしておくべきだと考えています。
結果的にblogでの考察が「トンデモ」になったとしたら、やはり原点が「トンデモ」だからだったと、読者から検証されていくことでしょう。

っていうか、あんな糞みたいな2ちゃんねるの書き込みをあなたのブログの出発点にしてて恥ずかしくないのか。

これは、事実そうだから、しょうがないですね。 偽装したり、隠すほうがblog読者に不誠実だと思っております。
「詩を愛好する元文学少女」というキャラでやろうとしても、書き続けているうちにボロが出るだろうし。


「人間は糞と小便の間から生まれる」というのは、誰の言葉だったろうか?


「適当に」という言葉にお怒りのようです。

てきとう ―たう 0 【適当】

(名・形動)スル[文]ナリ
(1)ある状態・目的・要求などにぴったり合っていること。ふさわしいこと。また、そのさま。相当。
「―な例」「―な結婚相手を世話する」「君主政治なる者は殊に大国に―するの理を/民約論(徳)」
(2)その場を何とかつくろう程度であること。いい加減なこと。また、そのさま。
「―にはぐらかす」「―なことを言う」


三省堂提供「大辞林 第二版」より

(1)の方の意味で、身の丈にあった方法で検証を続けていきたい、という気持ちのつもりでしたが、適切な言葉じゃなかったかもしれませんね。

せっかく意義のあるエントリなのだから、検証をやるならこうした恐れのあるやり方ではなく、もっと広がりのあるやり方ができると思う。オウム信者の証言を、2件だけではなく、少なくとも10件は集めれば、もっと深い考察ができるだろう。でなかったら、件の元オウム信者バモーチャナ氏にロングインタビューするのも興味深い考察が引き出せるだろう。彼はブログを持っているので、コメント欄でのやり取り、あるいはメールでそれなりに引き出せるものはある。

あなたが書いたというトンデモ仮説の弱点のひとつは「サンプルが2件しかない」ということでした。 つまり「適当な例ではない」。
たしかに、それで一般化するのには問題があります。 
もう少し、資料等を読まなければいけないと思っております。


インタビューは、苦手です。 前述のように身の丈にあった方法で、つまり活字やネットの情報中心に考察を続けるつもりです。


インタビューはなぁ… ベテラン敏腕記者でも苦労しているようだし。
http://incidents.cocolog-nifty.com/the_incidents/2007/01/7part_1_1745.html
ここまで書きながら、なんとなくこの鳥越氏の言い分を連想してしまった。
「適当な例」では無いかもしれないが。


私の感じる「かわいそうな文章」というのは、2ちゃんねるで流れて消えていくスレとか、簡単に削除されるblogなどですね。
匿名で気ままに発信でき、消すのも簡単、時間が経てば消えていくスレが有るからこそ、無名人が気ままに発言できるようになりました。
でも、流れて消えていくままというのも、はかない。


blog凍結の原因になったエントリーも、非公開にすることは一瞬でできたけれど、せっかくの労作がもったいない、「かわいそう」と思ってたなぁ。