倫敦橋の番外地 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-01-30

雪、無音、窓辺にて。

j_m_w_t さんからTBもらった。

リップ・スリップ・バッドトリップ


「対話とは呼べない。」とのこと。

まだ始まったばかりなので、もしeshekさんが「思考実験」を続けるつもりが有るならば、そのうち対話になってくるかもしれません。


eshekさんは、私の「反応」が想定外すぎたため、実験方法を改めて練り直しているのだろうかなぁ?


ブログを始めたばかりで、管理人が消すとも何とも言っていないうちにどうして消すと思うのか。「思考実験」からそこまで発想が飛躍するのは少し危ないと思う。

http://d.hatena.ne.jp/eshek/20070127

と書く人が、エントリーやblogそのものを消さないままで、本人が消えてしまうならば、ちょっと洒落にならないかも。



念の為松永氏からの批判にも論点ずらしがされているので記録しておく。

この件は、泉さんについての疑問であり、松永さんが答えるべき問題でもないのだがなぁ。

リンク先を読まれなかったのか、「修行とか紀宮とか馬とか」と書かれたことに対して、改めて指摘しなおしたものです。

私は、あんまりエントリーの削除はしないと思うけれど、記録ご苦労様です。



私がeshekさんに聞きたいのは、なぜ以下のように思うにいたったのか、ということです。

おそらく。今一番望まれているのは「対抗言論」という形だろうけども。


それは「今」の形にそぐわない気がする。


おそらく。今求められているのは追求側であった人間の、当事者としてのある種のことばだろうけども。




それに「今」注目がなされるべきではないような気がする。

なぜ「そぐわない」「なされるべきではない」のかが、よくわからない。


eshekさんが「連邦軍」の隊員と書いておられるid:BigBang さんを、id:requiem7さんが「追求」だか「糾弾」「告発」のようなことをしているけれど、これについてはどう考えているのかな?

これも「そぐわない」「なされるべきではない」と考えておられるのでしょうか?

それとも、正当な理由による行為なのだからと、支持なされるのでしょうか。


id:eshekさん

ご返事待ってます。


D

思い出話

以前書いた

最近のオウム研究本の事実関係論争

http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/236/

の後半の「パソコン通信時代の思い出」の補足みたいなこと


90年代初め、パソコン通信にもオウムが進出しはじめた。

筆が速いし、知識はあるし、論理も達者だったが、それゆえに嫌われていたと思う。

書評のための掲示板をオウム関係で埋め尽くしたり、会議室も「乗っ取られた」という雰囲気に。 しかし、なんちゅうか…それなりの腰の低い書き込みだったりするから、皆苦労していたのじゃぁないだろうか。

「信教の自由」「言論の自由」ということで、フォーラムや会議室の棲み分けで、それなりに共存しよう、という感じだった。

当時私は、「あんまり叩くのも、なんだかなぁ」みたいなことを、書いたような気がする。


1990年代後半、河上イチローは知っていた。 私のカテゴリー分けでは「阿修羅」と同類という感じかな。 存在は知ってはいたが、それほどサイトは読んではいない。

当時、普通(?)の掲示板でも、河上イチローの影響を受け、そして衝撃をうけた人がけっこういたな。


サイバースペースからの挑戦状

最近100円で入手。 当時は、ネットで読めることを本まで買って読む気がしなかった、という感じかなぁ。


2ちゃんねるを知ったのは東芝事件がきっかけ。 Beyond 氏、御堂岡啓昭などもこの事件で知った。

なぜ、また今頃この問題に、この話題に絡んでくるのか…という軽い驚きがある。


ことのは問題については、去年5月末頃から参加。 佐々木氏・R30氏・泉氏とのインタビューと歌田氏の記事が大きなきっかけだった。

歌田氏の仮想報道は長年愛読していただけに、がっかりしたな。

不毛な構造、病理とまで書きますか…

東芝事件の時も、同じようなことをしていた人がいたなぁ、と思い出す。

2ちゃんねるでは「東芝問題」という隔離板を設置して対処していた。

ある時期から、板がものすごく重くなった。 書き込み・閲覧をかなり困難な状態にし、時間の経過に任せて事態を収拾の方向に持って行った。

id:requiem7氏は当時のままの感覚なのだろうかなぁ。 あの時はうまくいったという「成功体験」という捉え方なのだろうか。

鳥越氏などは、化石のような実名匿名論を言っているが、それに近いものを感じる。

法整備もされつつあり、弁護士もあれこれ研究しているのにお気楽だなぁと思う。




ただ、それは、「連邦軍」という言葉をなくしても批判はやまないだろう。「追求側」であれ、「検証側」であれ、松永氏(id:matsunaga)を追及するという漠然とした意志のもとになされた行動が存在していることには変わりないからだ。


いわゆる公人論争、そして不毛な構造 より

「漠然とした意志」というのには、連邦軍各人いろいろ反論がありそうだけど。


私が、この問題に関わったきっかけは、佐々木・歌田両氏の言説と、BigBang氏がの 『GripBlog報道メディア設立企画書について思うこと』シリーズです。 

そういう意味ではBigBang氏が追求を続けていたからこそ、私はこの問題に関わることになったとは言える。


…「思考実験」…

BigBang氏が脱落?とか「大人の解決」をしていたらどうなったろうか?

私は、オーマイニュース批判は やっていただろうとは思うが、2ちゃんねるの名なしさんのままだったかも。 2ちゃんねるが閉鎖されてから、やっとblogを書き始めたりするのかな?


松永氏の存在が、GripBlogにとどめを刺すことにはなった。 しかし、この事件の発覚以前に、すでにGripBlogの限界は見えて始めていた。 

オウムということが発覚しなかったら、「ことのは問題」ではなくて「GripBlog挫折スキャンダル」というような事態なったのじゃないかな。


『「GripBlog挫折スキャンダル」を総括しない、DJ研が主導する「blogジャーナリズム」は糞!』


などと、スレを立てていたかもしれない。