大月隆寛はアタマがわるい
ここ数年の活動は、2ちゃんねるでウケルことを目的にしてるんじゃないか?
この本は2002年かぁ。
- 作者: 大月隆寛
- 出版社/メーカー: 鹿砦社
- 発売日: 2002/10
- メディア: 単行本
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2004年の「イラン人質騒動」でも「人質自作自演説」を展開し、帰国した人質の自宅に押しかけ、写真をさらし、玄関先で「バカヤロー」と怒鳴った経緯を【サイバッチ!】に載せたりしてる。
- 「バカ拉致でプロ市民が情報操作!!」:某暴走メルマガが人質とその関係者への集中攻撃をエスカレート http://www.asyura.com/0403/bd34/msg/961.html
sk-44 さんが、妙に詳しく大月隆寛(と「宝島30」的な「サブカル保守」とか、90年代的な人たち)を論じている。 これは2006年のエントリーから。
そして「サブカル保守」とそのユーザー達の「敵」とは「戦後民主主義」であり「人権真理教」であり、そして何よりも「市民社会」であった。
93〜94年当時、それらの「敵」はまだ安泰だった。小林の「ゴー宣」は「SPA!」というアナーキーな価値紊乱を気取るナンパ雑誌で「世の中の通念を撃つ」ことができた。
しかし悲しいかな、95年にオウム事件が勃発したとき、彼らは彼らが撃ち批判してきた「市民社会」の側に立ち、徹底して論陣を張ったのだ。もはや彼らが「安泰」を信じていた「公共圏としての市民社会」など、どこにもなかった。それどころか「大衆」によって支えられる「世俗」すらも、その基盤が怪しくなっていた。ブルセラ。援助交際。宮台真司らの台頭である。
小林は価値紊乱雑誌を出て、大小学館の反動雑誌で、もともと体質的にそうだったのだろうが、露骨にマッチョな「頑固オヤジ」を演じ始める。
そして彼らは、気が付けば時代遅れの「反動」となる、否、あえて「反動」として振舞い続けるしかなくなるのだ。「リベラルな知性」に支えられていたはずの「市民社会」が瓦解したいま「世俗的感性」はもはや、守るべき最後の砦であり「負け組」「弱者」達が乗り込むべき最後の「価値観の箱舟」であったから。しかしそれは泥舟だった。
- 曳かれ者達のレジスタンス - 地を這う難破船 http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20060428/1146259864
(太字は引用者)
大月は、「世俗的感性」を乗り込むべき最後の「価値観の箱舟」としている、ということらしい。
2ちゃんねるでウケルように書くのは確信犯、ということなのだろう。
2ちゃんねるスレではこんなカキコも。
大月隆寛3
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/zassi/1122636825/103103 名前:匿名希望さん[] 投稿日:2007/11/27(火) 17:36:52
大月が言う、小林の「上へ向かっての堕落」とは、つまり当初のゴー宣の強みは、
一介の漫画家としてプロ論壇人に庶民大衆の本音をぶつけて見せた点だが、今や
小林自身がプロ論壇人化しすぎて庶民大衆から解離している、ということなのか
で、民俗学者の自分はいまも庶民大衆の本音をつかんでいる、と言いたいのか?
だが、その大月の拠って立つ「庶民大衆の本音」とやらが、2ちゃんねる中心の
嫌韓ネトウヨ世論、というところで既に、小林と50歩百歩でないのかw
『大月の「狂犬」的な八方罵倒』について、sk-44 さんは、いろいろと深読みされているけれど…
大月の「狂犬」的な八方罵倒の動機って、近親憎悪なのではないか、といつも思う。
もっと言えば、自らの「知識人」的欺瞞性・偽善性に対する憎悪と「知識人(というより真正学者・学問)」の純粋性への理想・憧憬と。言うまでもないが、両ファクターは相円環している。メビウスの輪のように。
- 難儀な人の無茶修行 - 地を這う難破船 http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20060426/1146077100
このエントリーは 「全身民俗学者」 出版の裏話を巡る騒動から稿を起こしているわけだが、そのきっかけとなった雑誌掲載評論のことをを finalventさんがblogに書いていた。
- 極東ブログ: [書評]「偏差値秀才クンたちの歪みきった自画像」大月隆寛・「諸君」12 http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2003/11/12.html
どこか「偏差値秀才クンへの罵倒は、共通一世代世代への反感?」みたいなニオイを感じているみたいだ。
で、最近の産経新聞コラムのことだが…
- 【断 大月隆寛】国籍法「改正」のもたらす未来 - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081205/acd0812050331002-n1.htm
- 【断 大月隆寛】なんでも「幻想」ですか? - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081217/acd0812170302002-n1.htm
大月は、自身を批判する人たちを、こんな風に想定している。
この手の御仁は、そういうことで自分のアタマのよさ「だけ」をほのめかしたいのが多数派で、ならばあんたはどうしたいのよ、ってのが見えないか、見えても脳内お花畑全開の「地球市民」的妄想か、「多民族共生」的な逆縁のグローバリズム丸出し。かの「九条教」の「反戦平和」「非武装中立」とよく似ているのは、さて、何か理由があるんでしょうか。
アタマだけでなく、敵を見分ける目が不自由な人の文章だ。
そもそも12月5日のコラムは「学者、評論家、文化人」には相手にされていない。 政治家も参考にしているか、怪しい。
12月17日のコラムは、「仲間」や「同士」には歓迎されるモノなのかなぁ?
「わたくし大月隆寛は、アタマがわるい人の側に立っています」宣言みたいなものだから、国籍法改悪といっている人も反感を持つように思えるが、どうだろうかな?*1
大月自身は「アタマのわるい人」に寄り添っているつもりかもしれないが、このままだとただの八方罵倒する「アタマのわるい人」だ。
無駄に自分の「アタマのわるさ」をさらし続け、敵を作りまくって、いったい何処に行くのかな?
罵倒芸人のままで逝くのだろうか?