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2009-06-30

さわちゃん先生は眼で語る


けいおん!』の第11話なんですけどね、これ、最初見たときは気付かなかったんですけど、2回目見たときに気付いてビックリしました。

律と澪がすれ違うようになって、律が部活に来なくなったところ(まだ風邪ひいてることが判明する前)。

ここは非常に停滞しています。澪は「(律なしで)練習しよう」と言い、梓は(そして恐らく唯・ムギの心情も)「律先輩、呼びに行かなくていいんですか…」と言う。みんなの意見や考えは一つに纏まったり定まったりせず、軽音部のみんなが今の律に対しどういう態度を取るか、律は軽音部にとって何なのかは、なにも決まらず、この内部においても非常に停滞しています。

そこでさわちゃんが述べる一言。

さわ子「もしくは代わりを探すとかね。まあ、万一のことを考えとくってことだけど」

これに対しムギは、珍しく大声を張り上げて「律っちゃんの代わりはいません!」と叫びます。まあねえ、そりゃ簡単に代わりとかできるわけないじゃん、さわちゃんもデリカシーないんだかなんなんだか、滅多なことを言うなぁ……と、最初に観たときは思ってしまったのですが。

ムギが「律っちゃんの代わりはいません!」と叫んだ直後のさわちゃん先生のこの眼つき、この表情を見て、考えがまるっと変わってしまいました。

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なんだこの優しそうな眼つきは……。ここには、自分の提案(律っちゃんの代わりを探す)が受け入れられなかったことに対する落胆や失意などは全くない。むしろその受け入れられなかったことに対して優しい眼でいる。提案が受け入れられなかったことを表すこのムギの発言に対し、ただ優しげなまなざしを浮かべている。

ということは、あの提案は本心ではなかった、あの提案をさわちゃんも望んでいたわけじゃなかったということではないでしょうか。つまり、この表情が物語っていることは、「律っちゃんの代わりを探す」というさわちゃん先生のあの言葉は、むしろ、誰かに「律っちゃんの代わりはいません!」と言わせるためのものだったのではないだろうか? という疑問。律を呼びに行く、律を無視する、律を待つ、そのいずれにもつかないこの停滞した状況を打破する為に、さわちゃん先生は敢えてこんなことを言い出したんじゃないだろうか? そもそも「代わりを探す」というのは一番危険な発案だ。いま律を無視して練習しても、いずれ再度仲間に加えることはできるけれど、代わりを見つけてしまったら、そう簡単に「再度」に辿り着けなくなる。もしも、澪や梓たちの議論の中で・議論の末に、あるいはこの気まずい感じに疲れ果てて、「律の代わりを探す」なんて案が彼女たちから自主的に浮かんできたら、それを回避することはできるのだろうか。もう疲れた、考えるのもメンドクサイ、じゃあそれでいいやって”諦めて”しまうかもしれない。しかし、敢えてさわちゃんがここで口にしたことで、それを抑止できているのではないだろうか。

いずれにせよ、さわちゃんが口を出したことで、はじめて、この停滞していた状況が動いた。そしてその言葉が、「律っちゃんの代わりを探す」という、この状況の行き着くところだったから、いま”本当に”律を失いかけているんだってことが、軽音部のみんなに切実に知れた。それはこの発言に続くムギの言葉、さらにそれをきっかけにみんなの意思が「律ちゃんを待つ」ことで固まったこと、そして澪の変化からも見て取れるでしょう。

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この眼つきが語るように、さわちゃん先生は、適当に、思ったことを口にした的に「律っちゃんの代わりを探す」と述べたのではなく、彼女たちの現状を見て、必要な言葉を探し出し、「律っちゃんの代わりを探す」と述べたのかもしれません。


だいたい、さわちゃん先生って、『軽音部』においては「大人」で「先生」なんですよね。パッと見だと、この人、なんか好き勝手やってるだけのように見えるけれど、実際好き勝手やってる部分も多々あるけれど、でも、全てがそうではなくて、大人で先生だからできる機微を持って、軽音部に接している。

この部室での会話も、よく見ると(よくさわちゃん先生の表情、特に「眼」を見ると)、思いついたことをポンポン口に出しているのではなく、”考えている”ことが分かります。

梓「律先輩、きませんね……」

梓「昨日の放課後も、今日も」

唯「どうしたんだろう……」

さわ子「そりゃあやっぱり、澪ちゃんが冷たいからじゃない?」

この部分、セリフだけを抜き出すと、やっぱさわちゃん思いついたこと言ってるだけじゃねえかって字面ですが、しかし、唯の「どうしたんだろう……」とさわちゃんのセリフの間、

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これをよく見ると、そうではないかもしれないと思わせる部分もあります。

梓の言葉、唯の言葉を受けても、黙っている澪。その澪を、横目でチラッと見るムギ。そして、その情景をしっかりと観察しているさわちゃん。これだけ確認していれば、もしさわちゃんが事情を知らなかったとしても、澪に関わりあることだと知ってしまうでしょう。

そしてまず、澪が失われることを、自分の過去と絡めた「ネタ」で語る。ここは敢えて自分を絡めたネタで語っています。「それ、失恋した時のさわちゃん先生だよね」と唯が述べますが、それを待っていたかのよう。ここもまた、眼で語られています。

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唯「それ、失恋した時のさわちゃん先生だよね」

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(ワンクッション)

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さわ子「はいぃ?」

もし、本気で「はいぃ?」だったら――誰が失恋した時のさわちゃん先生じゃー!みたいに怒っているなら――このワンクッションはいらないし、この眼つきではありえないでしょう。いつものメタル系さわちゃんへの豹変のように、一瞬で変わるはず。しかしそうではない。ここでは彼女たちに見えない場所で、そうではないということを示す眼つきが挿入されている。つまり、彼女の冷静な眼つきがワンクッションとして含まれているということは、これは、唯の台詞に対し、特に深く考えていない自然な「反応」ではなく、分かった上でやってる「反応」ではないかということ――それは同時に、さわちゃんの自身を用いた喩えが”敢えて”だということを表している。軽音部メンバーがいまいち自覚していない、”このままでは律が本当にいなくなってしまうかもしれない”ということを、敢えて自分をネタにした例え話でもって意識させようとしている。

で、その後、それでもまだどこにも踏ん切り付かない彼女達に対して、前述した「もしくは代わりを探すとかね」に続くわけです。

これらは字面だけみると、さわちゃん先生相変らず好き勝手やってるなー、思いついたことポンポン口に出してんなーって感じもしますが、そこにおける表情、特に眼を見ると、この人実はちゃんと考えてんじゃないか、大人で先生な自分ができること/やるべきことをちゃんとやってんじゃないか、とも思うのです。

別に本心をそのまま言ってるわけではない。言いたいことを言いたいだけ喋ってるわけじゃない。もちろんそういう時もある、若い子たちに混じって自分も若返ってる時も多々あるけれど、自分の立場と、それ故にできることをわきまえている。ここでは、「先生」「大人」、つまり導く立場としての誘導(自分で決定的な解決はしない)。コスプレ大好きの姿みたく、そういうのは「常に」じゃないですけどね。常に、導く立場ではない、けれど、常に、好き勝手やってるわけでもない。


「眼」に注視すると、そこのところがなかなか面白いのではないでしょうか。言動のパフォーマンス性/非パフォーマンス性が、少しばかり、滲み出ているように見える。

たとえば第12話、さわちゃんが部室を訪れる箇所。「空気読んでない」とダメだしされた「ちょりーっす」の挨拶で軽く入ってくるさわちゃんだけど、唯がちゃんと来ているということを知ってて、なおかつ軽音部のみんな的には唯がまだ来てないということも知ってるさわちゃんからすれば、ここで「ちょりーす」とか言って軽く入ってくるのは「空気読めてない」ということは当然分かっているわけで、ということは逆説的に、これは空気読めてないと分かっていてわざと、空気読めてない行動をしているということになる。それを補足するのがここでの「眼」です。普段のように開いてるわけでもない、ニコニコしてるわけでもない、メタル時のような眼でもない、なんか糸目で、どことなくふざけたような感じの眼。ここにおける「眼」は、これは素ではなく、ふざけた感じ・イタズラな感じ・あるいは和ませようとした感じとか、そういうものを物語っているように思えるわけです。

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他にも第6話、学園祭でのライブ演奏後に拍手を送るのですが、笑顔でも微笑みでもなく完全に素の表情であったり(直前の、衣装への会場のウケっぷりに対しては「わたしグッジョブ!」としてやったりの表情でにやけたのに)、その後の澪のパンツ見せたことでの再起不能っぷりは笑顔で見守ったり。

たとえば第8話、新歓ライブ直前で「制服も意外とイイ!」と叫び、みんなには「早く舞台袖に下がってください」と無視されてスルーされて腫れ物扱いされるのですが、そんな扱いを受けても少しも不平な顔を見せずに笑顔のままでいるところ=つまり、その扱いを不満に思っていないところに、逆に、これはわざとやってる、みんなを落ち着かせるためにやってるんじゃないかというふうにも思えてきます。

第5話では、ウソをつくとき(先生もギターをやってたんですか?という唯の問いを否定する時)には、完璧な笑顔で答える。


そもそもさわちゃん先生で最初に強調されたのは、その「多面性」でした。第5話で明らかになったのは、普段のおしとやかで優しいさわ子先生が、さわ子先生の「常に」の姿ではなく、メタルに豹変するもう一つの姿がある。これはどっちが本性とかいう話ではありません。だいたい凶暴的なさわちゃんは、元々「素」ではありませんでした。彼女の昔語りが表すように、それは「ワイルドな女の子」になるために、彼女が獲得した変化なわけで、(喩えていうならば)生まれ持った本性みたいなのとは違う。ただ、ワイルドな女の子を誰にも求められていない今でも自然とそうなってしまうということは、それは完全に「作られたモノ」というワケではなく、今や彼女が獲得した性格の一面でもあるでしょう。つまり、あれはあれで一つの「素」である。

その変化が外見的にはどういうものなのかは、第5話で、はじめてさわちゃんのメタルモード(ギター弾いたとき)を見た軽音部メンバーが、ズバリ台詞として述べています。

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軽音部みんな「眼つき変わった!」

この直後、さわちゃんは素に戻るように、メタルモードから教師モードへと戻るわけですが、その変化も「眼つき」で表されていました。

ここでは、さわちゃんの二つのモード(モードという言い方は便宜的なものですが)の、文字通り目に見える境界線として「眼」があった。

また唯が今のさわちゃんと昔のさわちゃんを同定した写真(アルバムから抜き取られていた写真)も、あの中で唯一、眼が写っているものでした。

メタルモード、教師モード、あるいはお茶飲んでまったりモードなどと、いくつかの「モード」で、人間は単純に弁別できるものではありませんし、仮に大ざっぱにそこに区切りを入れるとしても、それらを意識的/無意識的にさわちゃん自身が使い分けている以上、「モード」あるいは「素」などを別けることは便宜的なものにしかなりませんが、しかしその便宜性を生み出す程度の境界の表現として、ここでは「眼」がある。そして(かつ、だからこそ)、「眼」は、場合によっては、言動のパフォーマンス性/非パフォーマンス性を見分ける(あるいは分別する)最も大きなコンテクストとなる。さわちゃんの眼は、結構色々と語っているかもしれません。

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