音楽から脱線するようですが・・・小松 英雄著『徒然草抜書』

小松英雄著『徒然草抜書』(講談社学術文庫)のAmazonの商品頁を開く今回音楽の話と脱線するようなのですが、きっと興味を持たれる方も多かろうと、こちらの書籍をご紹介です。

講談社学術文庫の一冊、小松英雄著『徒然草抜書』。

さてこの本について著者が意図するところは、著者自らの言葉をお借りして紹介しますと・・・

 『徒然草』から、従来の解釈では理解しにくい五つの短い章段を選んで文献学的方法に基づく解釈の手段を踏みながら表現の解析を試み、導かれた帰結を従来の解釈と比較することによって、古典文学作品の文章を解釈する方法について、基本から考えなおしてみようというのが小冊の主たる目的です。

〜p.19〜
 この小冊では、解釈における文献学的方法の必要性と、その有効性とを一貫して強調し、また実践を試みてきました。その趣旨をくだいて言いなおすなら、既成の解釈に依存せずに、伝本を重んじながら最初から自分で読んで、作品と対話してみよう、ということにほかなりません。

 自分の判断で読めと言われても、専門家以上の読みかたができるわけがないと信じこんでいる読者がいたとしたら、この小冊を執筆したわたくしの目的は残念ながら達成されていないということになります。この小冊のどの部分をとってみても、そこに述べられているのは常識的な考えかたばかりだということを再認識してみてください。むしろ、われわれにとって肝要なのは、いかにして常識の軌道を踏みはずさないかということです。もちろん、その常識とは世間常識ではなく、考え方の筋道についての常識ということです。それを難しく言いなおして方法とよぶだけのことです。

〜p.401〜

それこそ「あやしうこそものぐるほしけれ」のあの冒頭から俎上に挙げて、世間の解釈を批判検討。いくつもの資料をきちんと示し、推論もはっきり書き表して、自らの考えを述べる・・・この冒頭の解釈だけでも、全体400頁のこの書籍の1/3以上にあたる150頁が割かれますが、退屈することなどなくて、なにかのミステリーの謎を解き明かしているような面白さです。

冒頭の ものぐるほし が「気違いじみて」などと現代語訳されているのにびっくりした方、「天才の孤独と狂気」といった月並みで解釈したエッセイなどを読んで、煙にまかれた方には、ぜひぜひとオススメしたい一冊。

主眼が、解釈するに当たっての方法を示すことにある・・・これが良書と思う所以です。著者小松氏の狙いは、私が見つけた正しい解釈を知って欲しいというよりも、みなみながより正しく解釈する方法に意識的になって、自分で尽力することにある。*1

小松氏の方法は、例えば、こんな風に一般化できましょうか・・・なんだかうまくいきませんが・・・

  • 自分で虚心に原文を読んで、「これこれはこういう意味だろう」と自分が素直に感ずることを大切に。そして、その正しさを検討して確かめよう。
  • (解釈本でも辞書でも)世間に流通している解釈を無批判に受け入れないこと。
  • 原書・原文も、多種の異本があるので、さまざま検討しましょう。
  • いま検討している部分だけに囚われないこと。例えば、とある言葉も、その書籍の中、その著者の他の書籍、同時代の文章などに用例を探して、それらと共に意味を考えることが重要です。

その他、漢字の当てられ方、濁音の処理等々で、細かい事はいろいろありますが、上の四つをひとまず根っことしてよいかな、と。

・・・さて、この段に至ると、皆様もそれぞれご専門の分野を考慮して、「これはなんについても一緒のことでは・・・」とお感じになったのではないでしょうか? ここで無理矢理音楽に話をつなげると、私自身が音楽的無教養にもかかわらず背伸びして読んでみた下の本など、小松英雄先生とやることは一緒だなぁと身近に感じられました。*2

ニコラウス・アーノンクール著『古楽とは何か - 言語としての音楽』(音楽之友社) の商品写真『古楽とは何か - 言語としての音楽』
ニコラウス・アーノンクール著

音楽之友社 326頁

パウル・バドゥラ=スコダ著『バッハ 演奏法と解釈 ピアニストのためのバッハ』の商品写真『バッハ 演奏法と解釈 ピアニストのためのバッハ』
パウル・バドゥラ=スコダ著

全音楽譜出版社 687頁

古典のテキスト解釈も楽譜の解釈も、どのみち、文章・記号の解釈だから、似て当然と言えば当然でしょうか。

では、こういうものは専門家にまかせておけばいいのか?

それは、小松氏の意図 - 「自分の判断で読めと言われても、専門家以上の読みかたができるわけがないと信じこんでいる読者がいたとしたら、この小冊を執筆したわたくしの目的は残念ながら達成されていないということになります。」- に反します。

私のような音楽的に無教養な聞くだけの物好きにも改善のヒントになりうるのではないか?

一般に音楽の善し悪しは、蓼食う虫も好きずきと相対論でただただごまかされたり、「数々苦難を乗り越えて・・・情熱が云々」といった人生人情ドラマ化の価値評価になったり、「○○には本質が、精神がどうこう」などと大仰な単語だけが飛び交うナンセンスだったり、自分の趣味が世間の評判に流されているとも気づかぬ浮き草等々、そんなもので終わることが多いのではないでしょうか?

そこを乗り越えようと素直に本音を言ってみると、ずいぶん丁寧に書いたつもりでも、狂信者が食って掛かってきたり・・・。狂信的なファンとなると、それしか聞いていなかったりするもので・・・。そのジャンルが好きなのか、曲が好きなのか、演奏者が好きなのかも多分ろくに感じていなかったり・・・。*3

そんなこんなも、上述の本など読んでみると、改善することになるのでは?それが今回、ご紹介した理由です。

自分の趣味が、どういう条件・判断のもとで成立しているか?それを検討し、表現し、今後変化させることにもなれば、それはやはり豊かになる可能性が多いことではないか?

少なくとも、自分の判断を自覚し、それを説明することに慣れていたら、意見の違う人とのコミュニケーションも随分ましなものになるものでしょう。

*1:先日のhttp://d.hatena.ne.jp/Look4Wieck/20091124/1259057193の記事にも関連しますが、パッケージ商品を誰かから買って、楽しみを得るという方法も実は新しいもので、各人が各人で楽しみを作る方法・その質を上げる方法を教える・・・これがちょっと昔までは主流でありました。そうやって自分自身の日常の運用を改善しなければなんにもならないのではないか、、、そんなことを思います。

*2:実は先日、この文章とまったく同じ事を某所で話してみた所、とある演奏者の方が「音楽もおなじことが言えますね」と仰って、面白いなと感じました。ブログに書いてもいいかなと思った由であります。

*3:勿論、金銭がらみの風評操作もありましょう。