映画『学校の悪魔』に見る、“いじめ問題”の現時点における個人的見解 by パン友

どうもこんばんは。
春の嵐”酷かったですね〜。。みなさん大丈夫だったでしょうか?パン友です。


今日はちょっと珍しく、真面目に考えてみたことがあるので書いてみます。
まぁ普段ならツイッターとかで呟いてしまう程度の映画感想でしかないのですが、140字だとちょっと伝えきれないし、丁度先日レポした3月のライオンのいじめ問題とかとも被るかな〜とか思い、ブログでの更新とします。


今回見た映画はこちら。


学校の悪魔 [DVD]

学校の悪魔 [DVD]


以下はAmazonの紹介記事です。

――社会の病“いじめ”を安易な心理学的説明は交えず、リアルなエピソードを重ねてスリリングに描き出すソーシャル・スリラー。父を亡くし、母とバルセロナに引っ越してきた心優しいジョルディは、転校した高校でいじめにあう。学校生活は地獄と化すが、精神的に不安定な母親には打ち明けられない。やがて、いじめは暴力、恐喝へとエスカレートしていく…。憤りや悲嘆、同情だけでなく、自らへの問いを改めて喚起する必見の秀作!




あまり内容に突っ込んだ話はしませんので、気になった方は是非ご覧いただければと。
ここでは僕がただ個人的に思ったことを書くのみに留めさせていただきます。


さて、いじめをテーマにした、2009年のスペイン映画である本作品。
所謂学園物に良くある、恋愛を基調とした抒情的描写や、それこそタイトルから想像されるようなホラー・サスペンス的盛り上がりなどは一切なく、ただ淡々と繰り返される暴行非道によって受ける少年の悲痛を描いています。


ただただ胸糞悪い、最悪のラストでした。
本当に最後まで救いがなかった。


でも、些細な取っ掛かりからこうした結末になる危険性も十分にあるのだと知らしめる意味では、非常にメッセージ性の強い作品であるように感じました。


ただこういった作品を一番見てもらいたい、実際にいじめをしている子どもや、(家の子は大丈夫)なんて慢心して構えている保護者の方には届きづらいようにも感じます。
(そもそも恒常的にいじめをする人間は、仮に学校などで道徳教育などをしても、ハナから真面目に考えようとしないことが多いでしょうし…)


劇中でもあったように、いじめ問題における被害者側の心理面に良くある、“大人にバラしたことで更に酷い仕打ちをされるのが怖い”という恐怖心から、訴えかけることをしない子どもは確かに多いと思います。


真剣にその問題と向かい合ってくれる大人が見つかるまで、被害者の子どもにはとにかく吠えてもらいたいが、背後の人間関係や、それこそ描写されていたような、個人情報をネットで流出されることなんかを気にして言えなくなる気持ちは、痛いほどにわかります。


ですが、教師にしろ親にしろ、気づかないまま子どもを壊してしまうのは本当に悲しいこと
だから、一緒に闘いたいと思っている大人も少なからずいるということだけは、忘れないでいてほしい


なんだかんだ言って、被害者にとってもSOSを見せることは寧ろこれ以上にない、最良の問題解決への近道であると信じています。
いじめを一時的に耐え忍ぶより、恥ずかしくても怖くても、誰かに相談する勇気が欲しい。(勿論、大人は常にそういった話をいつでも受け入れる姿勢を見せていなければなりません。


それから映画の最後に取ってつけたように表記された、EU内調査によるいじめ認知件数のパーセンテージの報告は、はっきり言って無意味だと感じました。(イギリスで39%、スペインでは25%で、今もなお増加中、ね…


その調査に答えた子が全て、本音を明かしていると考えるのは甘いです。
いじめは、私たちが気づいていないところでも、いつどんなところでも起こりうる。


現時点において自分の周りの環境がその割合から外れているからといって安心し、この問題と向き合おうとしない大人が出てしまうのなら、こんなもの改めて言い直す必要はない。ナンセンスです。


子を守る大人としては、いじめの早期発見のために日々の十分な観察と、なにより“いじめは誰にだって起こりうるものだ”という心掛けを忘れないことが、一番大事であるように思います。
(具体的解決策については、いじめの状況によって様々であり、何より私自身まだ経験値が足りないためここでは深く書きませんが、あくまでこの問題へ取り組む心構え的な意味で。


教育に携わっている身としてだけでなく、大人として、また一人の人間としても、今後もより注意深く、この問題を考えていきたいものです。