原因と責任の狭間に

よくわからないニュースがこれだ*1。朝にニュースではこの准教授*2を断罪していたが、そうなのだろうか。もちろん、この記事に書かれてない部分で、学生の自殺に照らし合わせて懲戒免職に値することを教授が行なっているのなら別である。それを私が知る術はないので、この記事だけで考えてみる。
【課題を提出しない学生を留年させてはいけない】この教授は課題の内容を問うてはいない。出さないのを問題視しているのである。課題を出さないと単位がもらえない。もしこの科目が進級のための必須科目であるなら留年になる。これは大学なら普通のことである。もし、この科目の単位が取れなくても進級できるのであれば、留年をさせる権利を教授は持っていないわけであり、気にする必要はない。心配なら学生課に相談すれば良いのである。逆に、課題を出さない学生にも単位を与えなければならないなら、教授は学生に課題をやらせる強制力を失うことになる。また提出した学生に対して不当な扱いをしたとも言える。
【課題が厳しすぎる】前述したように提出したかどうかで質は問われていない。しかも他の学生は提出している。「アダム・スミス重商主義批判の論点」はわからないが、新聞の社説10本はこれだけの期間があればできる。私は中学生のとき、毎週、新聞の社説2本をノートに貼って要約とコメントを書くのを1年間やらされた。100本である。
【暴言やセクハラ発言があった】これと自殺の因果関係がわからないので何とも言えない。とくにセクハラについては別の問題として裁かれるべきであり、今回の自殺問題の要因として論じるべきではない。
【自殺予告に対して適切な処置をしなかった】これは朝のニュースから。自殺の直前に「これから死にます」と教授にメールを出したそうである。それに対して教授からそっけない返事しか来なかった。キャスターは「これが教育者のすることでしょうか」と言っていた。だが、相手は小学生ではない。大人である。小学校の先生ではない。大学の教授である。学生のどこまで面倒を見ればよいのか。
【人が死ぬのは悲しいことであり理由はどうであれ原因を作った教授は悪い】私が問題にしたいのはこれだ。留年はたしかに自殺の原因だ。だが、原因を作ったからと言って責任があると断定してはいけない。たとえば希望の大学に不合格だったのが原因で自殺をした子がいたとしよう。この子の自殺の原因を作ったのは合格をした学生全員である。だが、これはあくまでも原因であって責任ではない。原因と責任は別なのである。この教授に責任があるかないか、この記事だけではわからない。だが、原因と責任を混同し、原因にはなっているが責任は無い人を憎む風潮がないか?責任は無いのに原因を作ったというだけでニュースや週刊誌で軽々しく糾弾をしていないか?私はこの点に疑問を投げかけているのである。

*1:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070409-00000014-yom-soci

*2:めんどくさいので、以降は「教授」とする