リベラル再勉強(後編)

昨日のまとめ。

  1.リベラルと自称している政治家のほとんどがクズ

  2.リベラリズムとは簡単に言うと「人は自由に生きるのが素晴らしい。しかし平等も大事である」

  3.これは政治的立場。政治的立場とは「どうやって国民を幸せにするか」の基本方針

  4.党の指針や言動がもっともリベラリズムに近いのは自民党

最後は意外に思うかもしれないが昨日の記事に書いたリベラリズムの特徴を読めば納得してもらえると思う。良い意味でも悪い意味でもリベラリズムだ。国内では「安倍政権打倒!」と叫んでいる人がリベラルを名乗っているのが、こんな記事がある*1

  首相の政策は世界的にみると左派で、アイケンベリーはこう書いている。

  「リベラルな国際秩序を存続させるには、この秩序をいまも支持する世界の指導者と有権者たちが、

   その試みを強化する必要があり、その多くは、日本の安倍晋三とドイツのアンゲラ・メルケルという、

   リベラルな戦後秩序を支持する2人の指導者の肩にかかっている」

真っ当なリベラリズムの定義に照らし合わせると安倍首相はリベラルな政治家なのだ。ではなぜ日本国内ではリベラリズムがおかしなことになっているのか。自称リベラリストのほとんどが偽物なのか。ここから先は、昨日の参考文献から離れて私の考察になるので異論はあるかもしれない。いや、異論しかないかもしれない。昨日のまとめを図にした。
     
1970年代から80年代前半、社会党が150議席近くを持っていたころにさかのぼる。当時の自民党は(いまでも大きく変わってないが)この図で言うと共同体主義。一にも二にも地元の利益。割りを食うのは都市部のサラリーマンであり、その受け皿になっていたのが社会党。実際に東京都知事大阪府知事社会党や社会・共産の時代があった。その図式は

  自民党共同体主義 ←対立→ 社会党リベラリズム

反政府、反自民だからリベラリズムなのではなく、リベラリズムなので結果的に反政府、反自民になるわけだ。図の右が保守、左が革新。右派と左派。非常にわかりやすい。ところが自民党リベラリズムの政党になってしまったのが現在。本来なら社会党の残党、またはその流れを汲む人は大枠での対立はないはずなのだが、この構造だけが頭にあって、なおかつ「リベラリズムとは自民党ごときが語れない高尚な政治思想」だと思っているので

  自民党=(実はリベラリズムだが、そんなことは関係ない) ←対立→ 自称リベラリスト

と、反自民・反政府=リベラリズムなっているのではないかと推測する。だが立脚している地点は同じなので「反対ばっかりしないで対案を出せ」と言われても対案なんか出せるわけがない。同じ案になっちゃうもん。総論は賛成、ただし各論で物言いをつける。同じリベラルならこれしかないし、この態度で国会に臨めば解党なんてことにはならなかったももの。いまの状態を図示してみた。
     
黄色の部分が安倍政権。それと対立している人たち−名称がないので「リベラル系」としてみた−の立ち位置は3次元的に書くしかない。4つの政治的立場(図の青い平面)は先ほども書いたように目的はどれも「国民の幸福」である。だがリベラル系の人たちの口からは「安倍政権打倒」しか出てこない。本来は国民の幸福の姿として安倍政権とは別のゴールがあって、その手段として目の前の邪魔者を倒すならわかる。だがリベラル系の人たちが描くこの国の未来はなんなのか、そこへどのようなアプローチを取るのか、聞いたことがない。きょうのニュースを見ると民進党から希望の党に入る人の中にはリベラル系(リベラル風味、リベラルモドキのが良かったかな)の人がけっこう混ざっている。立憲民主党にはそのブログがBLOGOSではネタ扱いされている菅元総理が入った。なんだか混沌としてきたが、どうなる1022!