出発まで。。

単なる記録です。

奄美に旅行。。
4月に奥さんのお父さんが企画して下さって、わたしも是非いきたいと、話をしてから、その準備をお父さんが着々として下さった。

奄美のきれいな海、透き通る青空を見せてあげたいと思って下さり、その時期は7月に決定。

私が9日に奈良で研究発表の予定だったので、それ以降ということ、お父さんの仕事の都合で11日(月曜)からということになった。

何泊するかというはなし。。

私が、15日(金曜日)に学生さんへのレクチャーが入っていたので、それまでには帰ってこないといけないということで、14日までの3泊4日の旅程となった。

さて、問題はにゃんこちゃん達。。

ちょうど、私の実家のほうも、両親と妹は、8日から3泊の予定で北海道に旅行中。。ということは、家においておくわけにもいかない、、といって、ペットホテルに預けるかというと、まめぞうさんはいままで預けたことがないので分からないが、ももたろうは、以前預けたことがあるらしく、数泊したのちに迎えにいった際、その泣き声が枯れ果てて、いかにその数日間心細かったか、そのときのことを思い出すと、もうニ度と預けたくないという奥さんの気持ちもよく分かるし、気丈なももたろうでさえそうなんだから、気弱なまめぞうさんは、きっとストレスで下血するんじゃないかということで、一緒に連れていくことにしました。

今回の旅行を誰よりも楽しみにしていたのは、川崎で単身、事業をしている奥さんのお父さんで、殊に7月に入ると、毎日のように、心花の様子や心花の笑い声を聞きがてら、旅行のことを楽しみにしていると電話をして下さっていたようでした。

1月に心花が生まれて、その時と、4月と、今回、なかなか頻繁に会えない分だけ、心花に会いたいという思いが募るようです。(以前は、娘である奥さんの心配をしておられたようですが、心花が生まれてからはもっぱら心花のことしか話題にしないと、奥さんがちょっと拗ねてます)


ともあれ、心花の旅行の準備は、5月に名古屋に旅行経験もあるので、ちょっとなれたものです。
今回は、にゃんこちゃんたちも一緒なので、荷物が多くなるであろうこと、日焼けのことを考えて、ベビーカーは持っていかないことに決定。。(というか、お父さんがだっこして、離さないだろうと予測。。)

おむつに関しては、暑さのことを考えると、布おむつにしようかとも考えたけれど、干すスペースが確保できないかも。。ということで、紙おむつで心花には我慢してもらうことにしました。

食事については、ミルクはスティックタイプの粉ミルクがあるので、これを準備、それと、最近離乳食が始まっているので、これも考慮。。普段は、お店で出来合いのものは与えないようにしているのですが、今回は心花に我慢してもらって、ドラッグストアで離乳食を購入。。(便利なんですね、、種類も豊富です。でも、缶詰めにしてあって、保存もきくということは、保存料が入っているんでしょうね。。やっぱり、本当はあんまり食べさせたくないものです。。)今回は我慢してね。。

そして、出発数日前より食べはじめた野菜せんべい。。(結果的には、すごく助かりました。。これを渡すと御機嫌になってくれましたから。。)

今回の旅行で、心花について誤算だったのは、よだれ掛け。。
最近の食事の仕方を考えると、かなり洋服を汚すのではないかとおもって、よだれ掛けをたくさん持参したんですが、とても上手にもぐもぐしていました。結果的にほとんど汚さなかったんじゃないかなあ。。

子供は旅行すると、とっても成長するといわれますが、(言われないかな。。)上手に食事ができるようになったことと、寝返りが両方向に上手にできるようになったこと、ずりずりのスピードが格段に早くなったこと、だっこされていて、相手をみて、自分から『だっこして』って身を乗り出すようになりました。

話がはずれました。
心花の準備は、万端。。
はにゃんこちゃん達の準備。。

っと、ここで、一旦休憩。。食事をして参ります。。

まめぞうさんの気弱さ、闘わない姿勢、処世術については以前に書き残した記憶があります。

これは、今の住まいに引っ越してきてから、約10ヶ月が経ちましたが、ほとんど変わりません。

猫には、近所の猫同士で、順番があるんでしょうけど、とんとそんなものには執着していない猫です。

そんなまめぞうさんを飛行機にのせねばなりません。

その前に車にのせねばなりません。

まめぞうさんが、私達の目の前に現れ出したのは、去年の5月か6月ころ。。

そのうちなついてしまって、奥さんが『放っておけない。。ほっといたら、周りのにゃんこにやられてしまう。。飼いたい。。名前も決めてるの。。まめぞう。。っていうの。。』とメールで送ってきたのが7月31日。

今のお家に引っ越してきたのが9月上旬。。その際に初めてキャリーケージに入り、車に乗っけられ、やってきました。そのときは、本当に大騒動で、そのケージの中で大暴れ。そのケージは壊れて使えなくなってしまいました。

そのときも、猫は家につくからねえ。。という言葉もあり、新しい家に馴染むか心配していたんですが、案ずるより産むがやすしといいますか、初めに出会った時に、犬みたいにしつけたせいか、全く抵抗なく『ここは自分んち。。』って感じで馴染んでくれました。

そんなまめぞうさんなので、無事に車に乗ってくれるか、興奮してケージを壊して、飛び出さないかを心配していました。

対して、ももたろうは車が大好きです。ときどき、奥さんの車でドライブをせがむくらいです。ただ、30分以上の長いドライブをしたことがないというのが、心配の種でした。

なにはともあれ、まめぞうさんが壊したケージは使えないので、ももたろう用とまめぞうさん用のケージを購入。。
ももたろうはどんなのでもいいとして、まめぞうさんは、プラスティックのケージだと、また、とんでもないところから手やしっぽを出すかもしれないということで、高級感溢れる布製にしました。(ちなみに犬用の赤いやつです。。男の子ですけど。。)

そして、もう一つの問題は、ホテル。。

ニャンコをとめてくれるところがあるか。。

奥さんがネットで一生懸命さがしてくれて、見つけてくれました。
おしっこや爪とぎについて、十分に注意するということで、了解してもらいました。

できることとしては、なれたトイレを持っていくこと、旅行前に爪切りをすること。。

できるだけ、日常と同じものをもっていって興奮させないこと。。ということで、プラスティックのトイレと、いつも食事を入れる食器、愛用の『懐石』というキャットフードを持っていくことにしました。

そして、やっとこさっとこ、われわれの準備は、とるものも取りあえず、、というか、奥さんの尽力のおかげで、出発することが出来ました。

奄美大島へは宮崎からは飛行機が飛んでいないんです。
(宮崎は、宮崎市街から飛行場まで約20分と本当に近いところにあり、その点ではとっても便利なところです。)

どこで飛行機に乗ったかというと、鹿児島空港。。

そこまで、車で約2時間。

ちゃんとケージに入ってくれるかなあ、、と心配していましたが、いつものように、手足をなめなめしているところを捕獲。。そのままケージにいれても、やっぱりなめなめ。ファスナーを閉めても気付かないようで、そのまま車中にいれました。

動き始めて、気がついたようで、みゃおみゃお泣き始めてしまいました。そのたびに、わたしと奥さんと、お義母さんは、『まめ〜、、大丈夫よぉ。』と声をかけていました。なので、逆に、眠気がくるとか、退屈さはありませんでした。

飛行場についたら、あきらめたのか、疲れたのか、なれたのか、大人しく、横たわっていました。

出発直前まで、近くに置いておき、ぎりぎりの時間に預けることにしました。

にゃんこちゃん、、片道3000円、往復で6000円。
まめぞうさんと一緒に過ごす前は、お金を出してまで、ペットと旅行させるって、お金持ちの道楽だなあとか、そんなことにまでお金を使って、もったいないなあって思っていましたが、実際、預ける立場になってみると、これで一緒に旅行できるって安い、、もし、安全に、そして、ストレスなく、冷房や照明もちゃんとつけてくれるのなら、もっと出しても惜しくない。。という気持ちになりますね。(決してお金持ちではないけれど、自分達の贅沢をすこし我慢してでも、そうしてあげたいと思っちゃいます。)

行きの飛行機はプロペラ機。。生まれて初めて乗りました。
乗客は33名、キャビンアテンダントはお一人。
さながら、プライベートジェットという感じでした。

機体が小さい分だけ、まめぞうさんとももたろうが近い気がしたのはよかったのですが、音がうるさくはないかと、それが心配でした。

奥さんの心くばりで、私が窓際に座って、心花を抱き、離陸。。
初めは少々揺れましたが、快適なフライトでした。約1時間、心花は泣くこともなく、途中ですやすやと眠り、島がみえてきました。
奄美大島です。

沖縄には何度かいったことがあり、空からのエメラルドグリーンの海の色に感動した覚えがありますが、それ以上に感動、興奮しました。

エメラルドグリーンの海といえば、同じ表現でしかないのですが、そのエメラルドグリーンも、海岸ごとに違うんです、そして、沖縄と違って、大きい町がなく、すぐそばが山なんです。それも手付かずの山。。

そんな原生林そのものの山のふもとに真っ白な砂浜があり、その先にエメラルドグリーンの海、すこし深くなると、青を通り越して藍色の海。。もうすぐ、着陸という時に、海面に近付くと、その海水の透明度の為に、海底の珊瑚がすぐそこにみえていました。
もっと空中から眺めていたい気持ちと早く降り立ちたい気持ちを楽しみながら、着陸。

改めて、そのプロペラを見ると、本当にこれだけで飛んできたのかなあと不思議に思うくらい、シンプルなんです。

なので、降り際にキャビンアテンダントさんに、『これって、プロペラだけですか?ジェットエンジンなんかはついていないんですか?』って聞いたら、『プロペラだけなんですよ。。すごいですよね』と笑顔で答えて下さいました。

33名のうち、一番最後に飛行機より降り、奄美に降り立った第一歩をカメラでぱちり。。

降り立った瞬間、日射しの強さを実感しました。

一時間乗っている間も、かなり南に飛んでるなあという印象でしたが、日射しの強さ、雰囲気から、本当に、南国という感じがしました。

荷物をまっている間に、やってきました。。まめともも。。

私達の姿と声を聞いた瞬間、みゃおみゃおと泣き始めました。やっぱり不安で寂しかったんでしょうね。でも、仲良し二人組で一緒にいれてよかったな。。

それにしても、フライトのストレスで死んでしまうこともあるんですね。
無事でよかった。。ありがとう、無事でいてくれて。。

本当は、同じくらいの時間にお義父さんも、東京から到着する予定だったのですが、首都高で事故があって、予定していた飛行機に乗れそうにないとの連絡があり、ひとあし先に中心地である名瀬市に向かうことにしました。

奥さんの同級生が空港前でレンタカー屋さんで勤めておられるようで、格安で手配してもらって、移動することにしました。

海岸線を走りながら、その海のきれいさ、空気の美味しさに心奪われていたんですが(車中ではクーラー全開なので、暑さはあまり感じませんでした、、ただ、全開にしておかないと、途端に暑くなりました)、奥さんと、お義母さんいわく、『なんか、もやみたいだねえ。。』

あとで分かったんですが、時期外れの黄砂が飛んできていたようですね。それでも、きれいな海と青空にニコニコしながら、名瀬市街に向かいました。

今回の旅行の大きな目的は、奥さんの親戚に御挨拶させて頂くことでした。
本当は、先にホテルに入って、ももとまめをその環境になれさせようと思っていたのですが、あいにく、到着したこの日はそのホテルが一杯で、泊れなくなっていて、おばあちゃんちに泊まる予定でした。

その前に、通り沿いにある、車の修理やバッテリー関係の工場をやっているおじさんところに挨拶に立ち寄ることにしました。

奄美の気候のおかげでしょうか、みんな本当に開放的です。みんな心を開いてくれます。

笑顔で迎えてくださり、心花も人見知りなんかちっともせず、自然にその空気に馴染み、自分からだっこされにいっていました。

そのおじさんが、宿泊のことを心配して下さっていて、自分の知り合いに頼めば、なんとかなるから。。といって、この日から3泊分を話をつけて下さいました。本来はねこはダメだけれども、特例ということでした。

おじさんいわく『日頃から、人間としての付き合いをしてるから、困った時は助けてくれるんよ』

4日間通して、確かにそういう島だなあと感じました。

なにはともあれ、翌日から予約していたホテルに丁重にお断りの連絡をし、新たにとって頂いた、海沿いの(というか、どこも海に面しているといってもいいかも知れませんね)繁華街に近いホテルの、コテージにチェックインしました。

まめもももも、ケージからでると、場所の確認をしていました。
ちなみに、ももは、なにの匂いがするのか、興味津々。。
対してまめは、隠れる場所を探していました。

素早く、押し入れの中の、さらにふとんの奥の方に潜り込んでしまい、ももは、部屋の中の散策がおわると、押し入れのふとんの上で毛作ろい。。猫でもこうも性格が違うものですね。。

その間、私とおくさんは、近くの大浜海水浴場にトイレ用の砂をとりに出かけました。

この大浜海水浴場は夕陽が沈む場所だそうで、奥さんが高校生だったころ、みんなでよく遊びに来ていた思い出の場所だそうです。
本当に海水が透き通っているんですね、まわりには子供連れの家族がたくさん遊んでいました。どうも、浅瀬に色とりどり熱帯魚が泳いでいるらしいですね、目をキラキラさせて子供達が遊んでいました。

私はというと、砂を取りに来ただけだったんですが、居ても立ってもいられずに、水の中に入っていきました。ズボンを脱いで、パンツで泳ぐといったんですが、『それだけは勘弁して下さい』と奥さんにいわれて、泣く泣くあきらめることにしました。

いや、本当に透き通ってました。

ホテルを代えて下さったのにはもう一つ理由がありました。
初めに予約したホテルは、飛行場の近くの笠利町というところで、中心地の名瀬市からは約一時間近くかかるところだったんです。

親戚のみなさんは、みんな名瀬市。。

みんなと御飯を食べるには、車で移動しないといけない、その時間や手間が大変だろうと心配して下さっていたんです。

そんな訳で、初めは、3日目にみんなで集まる予定にして下さっていたらしいのですが、街中にホテルが代わったことで、急きょ、初日にみんな集まってビアガーデンにいこうということになりました。

お義父さんの兄弟は8人兄弟、そのうちで奄美に住んでおられる方はお兄さん2人、妹さん2人。。

みんな集まって下さいました。それも家族みんなで。。

長男さん御夫婦、次男さん御夫婦、次男さんの息子さん御夫婦と4才になる女の子、妹さん御夫婦、妹さんと小学2年生の娘さん。。。

80歳を越えてなお元気なおばあちゃんは、たまたま、先日結婚式をあげた神戸のお孫さんところにいらっしゃるということで、今回は会えませんでしたが、本当にファミリーという感じの雰囲気です。

自己紹介をさせて頂いて、郷土料理を食べながら、黒糖焼酎を酌み交わす。お酒が入って、いろいろ話をさせて頂きました。

昔は、名前を忘れましたが、初対面のときは、相手をみて、その人のことを誉めて、お酒を飲む、そして、その盃をその相手に渡して飲んでもらう。その挨拶が悪ければ、もう一杯、よければ、誉めてもらってもう一杯。。それを、人数分だけくり返していたそうです。

そんな儀式は、いまはあまりしないようで、(というか、そんなことをしたら、死んじゃいます。。)普通に、自分のペースで飲ませて頂きました。

島料理もおいしかった。鶏飯もあり、豚足もあり、(塩茹ではちょっとビジュアル的にきつかったな。。)ゴーヤサラダあり、とても美味しく頂けました。

そして、やっぱり温かい。そして、長男を中心にした、家長制度がいい感じで残っているんですね。

奥さんにとってのおじいさんは他界されているので、長男が一番偉い、長男をたてる。。もちろん、自分の意見はしっかりありますが、そういう暗黙の了解はしっかり守る、という空気が漂っていました。

今回の旅の目的のひとつは、日本古来の人間関係が奄美でどうなっているのか、宮崎でも壊れてきた、そういう人間関係がどのように残っているのか、もしかしたら、そこに戻っていくんじゃないか、という思いもあって、それを確かめたかったのもありました。

ほかに、西郷隆盛奄美島流しにされた時期があります。
このことについて奄美の人たちがどう捉えているのか、奄美の視点から日本の将来を見てみたい、あるいは、奄美の文化を通して、日本の文化を見てみたいとちょっと思っていました。

そんな話もさせてもらいました。

正直驚いたのですが、長男の方に限らず、みんな、奄美の歴史、文化、言い伝えをよく御存知なんですよね。そして、見ている方向がおもしろいんですね。

鹿児島や日本の行く末や将来を見ているようでもあり、沖縄の方をむいている感じでもあり、大和も沖縄も関係なく、島は島だ。。という感じでもあり。。

かといって、思いつめているわけでもないんです。

まあ、なんとかなるわな、人間があくせくしたって、しょうがない。。って感じです。

4日間島で空気をすっていて、その自然、気候がそうさせているのかもしれないなあと思いました。

なにはともあれ、約4時間、食べたり、飲んだりして、気分は盛り上がって、一本締で終わりかと思いきや、『みんなで部屋にいこう。。』と焼酎を片手に、みんなで再結集。。

誰ひとり、『先に失礼。。』という人はいないんですね。。

すごい団結力です。

都会では、相手が嫌がるかもとか、妙に気を使うこともあるんですが、気を使わせない雰囲気がありますね。とても気持ちがいい団結力でした。

とはいえ、災難だったのは、まめともも、4歳の女の子と2年生の女の子にたくさん可愛がってもらってました。

そんなこんなで一日目は幕を閉じたのでした。