質問

http://q.hatena.ne.jp/1142631055
に関連する質問です。「哲学に希望はあるのか?」です。たとえば渋沢竜彦氏は、労働とは、美徳でもなんでもない。マゾヒストの自己満足であると、そのような意味の事を語っております。自分にキツク、厳しくというのはある意味、マゾヒスティックな快楽であり、ランナーズ・ハイ、と同じ様なものである、という事です。私の見解では、労働は美しい、という一般的見解があるように思われますが、テクノロジーの発達というのは、労働を楽にさせようとするものです。さらには、これによって、人間はどんどんテクノロジーに頼ってしか生きていけないようになっています。これらの事からすると、労働は美徳という価値観は無理があると思うのです。人間、楽をしたいから、テクノロジーを発展させていく、このテクノロジーの開発という労働は、人間の労力のコストを下げるもので、身近な例で言えば、自動改札口による、人員削減ですよね。人間より機械の方がコストが安い、という事です。とすると、労働者というのは、行き場所がなくなってはこないでしょうか?支離滅裂で、起承転結のない、文法もめちゃくちゃな質問ですが、きょうみがあれば、書き込んでください。