AndroidタブレットがiPadに勝てないシンプルな理由

 Twitter に書こうと思ったら、中途半端に長くなったので、こっちに。
 Android タブレットがパッとしないのは、そのネーミングにも原因があるように思う。iOS の場合、「電話= iPhone」「タブレットiPad」とてもスッキリと棲み分け出来ている。
 ところが、Android の場合は、Android と聞いて連想されるのは電話であってタブレットではない。
 こういったガジェットに興味のあるユーザーならともかく、まったく普通の一般消費者にとっては「Android = 電話」 の構図が成立している現在、iPad の対抗馬として Android タブレットという物をイメージするのは難しいのではないだろうか。
 結果として、電話では「iPhone vs Android」の構図が成立するが、タブレットにおいては「iPad vs その他大勢の烏合の衆」という状況になってしまい、これはマーケティング上とてもよろしくない。

 よって、この状況を打開するためには、Google は、タブレット用の OS に Android と全く別個のキャッチーなネーミングを与えるとよいかもしれない。電話用、タブレット用、中身はまったく同じ OS であっても、マーケティング上の施策として別ブランドを与え、iPad への対抗軸とするのである。
 もっとも、この案にしても現実に製品を販売する個々のメーカーの都合があるし、そもそも、今から始めても遅きに失した話ではないか、といった意見も当然あるとは思う。それに、自分個人の好みとしても、中身が同じ Android OS なのに商売の都合で別の顔をする、というのは気持ち悪くはある。

1つの永久運動装置

 自分の体感では、2000年くらいのまでのネット界隈では、主に部落の話題を中心にした、日本内部を敵として想定した差別書き込みが多かったように思う。全国部落リストみたいなコピペが、2ちゃんねるのあちこちのスレッドにあった。この時代は、そもそも韓国とか、中国とか、そういった国外の対象が、ターゲットとして視野に入っていなかったように見える。

 それが2001〜2年くらいから、一気に韓国叩きにシフトしていった。
 部落叩きをしていた頃は、竹島のたの字も知らなかった人々が、一気にネット国士様に鞍替えした時期とでもいうのだろうか。同じ叩くなら、やはり国内を相手にするより、都合が良いからだろう。

 これの同類は、ここ数年でよく見かけるようになった、外国人が日本を絶賛する(胡散臭い)コピペを集めて嬉々としている方々。文化や生活習慣の違いに目を向け、そのギャップを楽しむ、といった物では無く、ただひたすら「日本」と自己を同一化して、絶賛される自分に酔いしれる自慰行為に夢中の面々。気付いていない人もいるのかもしれないが、それ「愛国」じゃなくて、ただの「日本オナニー」ですから。

 結局、誇りとか、自己承認の欲求のアウトソーシングなのだろう。
 そのために、自分は日本と一体だという、腐汁を煮詰めて作った自己陶酔に、頭から浸って生きてく。
 端から見たら、自分の吐いたゲロをまた食って、無限に生きているだけの奴なのだが。

え? 警察が変態を捕まえたら、やり過ぎなの?

“変態”という単語を使うと、意味する範囲が広すぎて語弊がある。
自分という人間の中の一部分も、確実に変態なわけだし。
この場合、より正確には“変質者”だろう。
以下、本文。

上記、リンク先エントリを読んでの感想。
一番、大きかった違和感。

警察はやりすぎだ、

やりすぎ? 警察が彼を捕まえる事が?
このご時世に、全裸になって、外で騒いでいる人間が居たら、逮捕されて当然ではないだろうか? 特に今回のケースでは、報道された逮捕時の状況から推測する限り、現場に居た警官は、薬物中毒の可能性も考慮したはずだ。別に、件の彼は起訴されたわけでもなければ、警察から暴行を受けたわけでもない。逮捕後の彼に対する、マスコミや大臣の対応については、それぞれ考え方もあるとは思う。しかし、逮捕という警察の対応そのものがやりすぎだ、とはとても思えない。

むしろ、全裸目撃の被害者が居るとか、居ないとかに関わらず、屋外で裸になって奇行を行う人物を見つけた警察が、それに対処しない方が、自分はずっと恐ろしい。家宅捜索に至っては、事件を聞いて誰しもが連想した、薬物疑惑を払拭するための格好のパフォーマンスになったのだから、事務所側からすれば、むしろ大歓迎だっただろう。

おそらく、今回の警察の対応に疑問を感じている人達は、この全裸公然猥褻男が、仮に無名の一般人だったとしても、当然、今回と同様に、警察の対応に強い疑問を抱かれていたのだろう。また数ヶ月もすれば、今度は無名一般人が、似たような事件が起こすだろうから、その時は是非、皆様のリアクションを注視していきたい。

上記とは別に、リンク先の“なぜ世間が彼に対して寛容”に見えるのか、という部分については、逮捕直後の鳩山総務大臣の批判発言が、過激すぎたが故の反動も大きいのではないだろうか。

彼は、世間的には人気者である。
そんなポジションの人間に対して、大臣の肩書きを持つ者が「最低の人間だ」とまで言って噛み付いてしまえば、逆に、その部分のみが別件としてクローズアップされてしまう。結果として、おそらく大臣が珍しく本音で語ったであろう批判発言が、変質者を擁護したかった人々に、その格好の機会を与える事になったのは、なんとも皮肉な構図に思えて興味深い。

もちろん、商業的な理由から、スマップやジャニーズを敵に回したくないマスコミの思惑も、作用しての事だろうと、邪推もしての事だけど。

ネットに現れた新種の大道芸人

 今回のかんなぎ非処女騒動、その一部での盛り上がりの中心にあったのは、単行本を切り裂いて画像として公開するなどした、パフォーマーの存在だろう。自分が知るかぎり、こういった事例を初めて目撃したのは、エルフの「下級生2」ヒロイン非処女騒動だった。それ以来、人気イラストレーターが「エースコンバット6」のゲームディスクを叩き割ったり、昨年の人気声優枕営業疑惑の際の音楽CD叩き割だったり、こういった騒ぎに際しては、定番で出現する基本フォーマットの1つとして確立した感がある。

 そして常々思うのは、もしネットという媒体が存在しなかったとしても、彼等は同じ行動に出ただろうか、という疑問である。繰り返すが、仮にネットが無かったとしても、やはり彼等は単行本を切り裂く、ディスクを叩き割る、という行動に出たのだろうか? それを思う時、自分には彼等が純粋に怒りを爆発させる以上に、観客からのリアクションに期待する、新手のパフォーマーに見えてくるのである。そしてまた、労せず注目を集めたいニワカ大道芸人を支えるのが、ノリの良い観客の存在である事は言うまでもない。

一般人から見たiPhone

 7月の末頃、法事があったので田舎にいってきた。
 ここでいう田舎には、自分の出身地といった意味合いもあるが、それ以上に物理的な意味で田舎なのである。過疎の山村というほどではないが、それでも町の人口は数千人、主要産業は農業、少なくとも自家用車がなければ日常生活にも支障をきたし、4人家族なら車は4台必要、という程度には田舎である。

 そんな田舎で、小一時間ばかり自分とは世代の異なる親戚と話す機会があって、そこで一瞬だけ話題にあがったのがiPhone。PCやネットといった物には、一切関心のない一般人のiPhoneに対する見解を垣間見れたように思ったので、メモも兼ねて。ちなみに、自分自身はiPhoneは購入していない。

 会話の相手は、50代後半。民間企業勤務の管理職。いわゆる普通のサラリーマンで、おそらく会社ではPCも使っているだろうが、プライベートでネットに繋ぐような事は一切無し。自分のように、PCとネットがないと日常生活に窒息感を覚えるような人間とは、縁遠い世界に住んでいる人ともいえる。

 親戚のiPhoneに関する開口一番は、「なんかタッチで操作する携帯電話だね?」という反応。そして次に「音楽とかが聞ける」、最後は「アメリカの会社が作った機械」、その程度の印象でおしまいある。面白かったのは、ネットでは盛んに語られている“iPhoneの可能性”に関する話題が、一切登場しなかったこと。後から自由に機能(アプリ)か追加できるとか、機能(アプリ)の開発環境も公開されている、なんて事は全く知らないようだったし、そもそもそれ以前の段階として、iPhoneが“ネット端末”である、という認識そのものが存在しないのである。

 新聞やテレビといった一般メディアが、iPhoneをどう報道したのか自分は知らないのだが、その親戚の中に構築されているiPhone像というのは、「タッチパネルで操作する、音楽も聴ける携帯」という認識が全てであり、言ってみれば子供の玩具の延長線上にある携帯、程度の存在に過ぎないのである。親戚は月額約8000円の利用料金が必要な事を聞かされると、なぜそんな高額な利用料金を請求されるのか理解できない、といった雰囲気さえ漂わせていた*1。どちらかというとiPhoneそのものよりも、事前予約の禁止や原宿店での先行販売といった、発売当日のソフトバンクモバイルの販売手法に関する部分の方が、話題としては盛り上がったくらいだった。

 繰り返すが、この親戚は普通の民間企業に勤務するサラリーマンで管理職(ホワイトカラー)であり、別に経済的に困窮しているわけでもない(どちらかと言えば、裕福な部類である)。ただ年齢は50代後半、地理的にかなりの田舎に住んでいる、というだけでここまで感覚が違う。そして、いわゆるPCにもネットにも、それほど縁の無い世間一般と言われる人達のiPhoneに対する認識、さらに言えば“ネット”という媒体に関する認識も、この程度の物なのではないか、と自分が思ったのも事実である。散々言及されていることではあるが、毎日ネットを巡回し、ブログや掲示板を使って様々な情報を発信したり、Youtubeニコニコ動画を楽しみ、ソーシャルブックマークを使いこなす、なんていう人間の方が、実際はかなり限られた特殊な層に属しているのである。

 この話題、そのうち“一般人から見たネット”として続きを書くつもり。

*1:ただし、あくまでも雑談の流れの中で偶然iPhoneの話題が登場しただけであり、自分がそういった事について、敢えて詳しく説明するような場でもなかった、という部分も大きい。

「予告.in」は終わっていない

 上記リンク先エントリで、気になった部分を。

国が数億円の税金を投入しようが、結局は同じことになっただろう。

と過去形で書かれているが、国が進めているプロジェクトは現在も推進中(予算獲得中)であり、停止していないのではないでだろうか。

 ありがちな妄想だが、自分個人としては、国が進めるこの「国営予告検知システム」が、結局は役人の利権獲得のための無意味な公共事業に終わるのではないかと思っている。

 そういった視点からは、いかに「予告.in」によって、予告検知が無理のあるシステムだったと実証されたとしても、そういった現実は、国や役人にとっては眼中に無い事実であり(むしろ予算獲得の邪魔になる煙たいエピソード)、今後も、無意味な国営予告検知システムの構築は、続く(始まる)のではないだろうか。

 そして数年後に、莫大な予算をかけてマヌケでヘッポコなシステムが稼働し始めても、(公共事業の常として)国の内部には誰も、その費用対効果を正当に評価する者はおらず、むしろ自分達の「成果」を誇らしげに強調するばかりだろう。そして、またも行われた膨大な予算の無駄遣いに、辟易するばかりの納税者が残されるだけである。

それでも作るなら、先行する市民が作ったシステムを越えなきゃいけない。できあがったものが市民が数日で作ったシステムよりしょぼかったりたいして変わらなかったりしたら、誰も納得しないだろう。

 そう。そして誰も納得していなくても、それが平然と金を食って動き続けるのが、国のやる事だと自分は思っている。

 「予告.in」によって予告検知システムの無意味さが、一部のネットユーザーには伝わっても、本当にそれが伝わらなくてはならない人々に無視され続けるなら、「予告.in」にまつわる騒動は「終わった話」でもなければ「解決した話題」でもない。

 とりあえず自分たちにできることは、たとえ無駄だと思いつつも、こうやってブログなりパブリックコメント*1なりで、ギャーギャーと騒ぎ続けることしかないのだろう。(もちろん選挙にも投票するけど、こういう時って不便だよね)

追伸
もっとも、こういう案件って別に今回に限った話でもなく、この国に無限に存在する日常だから、その全てに対応できるわけもなく、気が狂いそうになるよね!

*1:この件では、パブリックコメントの募集は無いだろうけど

“アリゾナ老人シリーズ”は、やっぱり多分偽物

 ITmediaでフォローされたが、これを読んでの自分の感想は、前回のエントリとあまり変わっていない。すなわち、やっぱり多分偽物だろうと思っている。

 理由としては、主に2点。まず前回のエントリで挙げたような疑問点が解明されていない事。次に、このインタビューがメールで行われていとしたら、本人以外の別人であっても回答可能である、という点からである。

 もちろん、この老人が本当に実在するアニメオタクであれば非常に面白いと思うし、自分にもいろいろと聞いてみたい事がある。だが残念ながら、「ITmediaが記事として取り上げた」という1点のみを根拠に、この老人の実在を信じる事は自分には出来ない。記事の内容を見る限りでは、この老人の実在を保証するような情報性はなく、信憑性は不明のままだ。

 また個人的に、海外翻訳記事以外のITmedia内製記事には、いささかおふざけ色の多い物もあり、(話題性しては面白いと思うが、ニュースとしては)あまりアテにしていない部分もある(特に岡田記者の記事は警戒している)。そもそも、海外翻訳記事がなければ、ニュースメディアとしての価値は、それほど無いサイトなのではないかとさえ思ってしまう事も、たまにあったりする。(本当に、たまにね)

 「ITmediaだから嘘だ」と決めつけたりはしないが、眉に唾をつけて読んでみた結果として、今回のフォロー記事に関しては、どこまで信頼に足る物なのか、大いに疑問だと思っている。