藤澤健一編『移行する沖縄の教員世界』(不二出版)

移行する沖縄の教員世界―戦時体制から米軍占領下へ

移行する沖縄の教員世界―戦時体制から米軍占領下へ

移行する沖縄の教員世界――戦時体制から米軍占領下へ

教員世界から見る沖縄の戦前・戦後。
沖縄に「戦後」はあるのか?
「平和国家」日本と同時代の沖縄。
関係史料調査の成果を踏まえ、教員世界の変容から
「戦前」と「戦後」の連続と断絶を縦横に描き出す、
沖縄教育史研究の最前線。

◆編著=藤澤 健一
◆著者=近藤 健一郎、櫻澤 誠、高橋 順子、田中 萌葵、戸邉 秀明
◆体裁=A5判・348頁・並製本
◆刊行=2016年10月刊行
◆定価=本体4,000円+税 ISBN978-4-8350-8019-2 C3037


目次
I 構想
一 沖縄教員史を構築する−課題と方法
二 到達点−研究史
三 史料群
四 用語説明−いくつかの概念

II 数量
一 分析の前提
沖縄戦から戦後期へ−前期移行期
三 一九五〇年代−後期移行期
四 教員構成の数量的特徴

III 組織
一 戦時体制下の沖縄県教育会と沖縄県
沖縄群島における教員団体−地区教育会と沖縄教育連合会
宮古群島における教員団体−宮古郡部会から宮古教職員会へ
八重山群島における教員団体−八重山郡部会から八重山教職員会へ
五 沖縄教職員会
六 組織における変容過程

補論 移行期を生きた個性たち
一 新里清篤(一九〇九−一九九五年)−教員団体の要として
二 砂川フユ(一九〇二−一九八六年)−沖縄初の女性校長
三 桃原用永(一九〇四−二〇〇二年)−八重山民主化をめざして
沖縄の教員世界における連続と断絶−まとめと展望

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■よくもわるくも、琉球列島史(言語史もそうだが)は、県外出身者が続々参入することで開拓されていく。

『新社会学研究』創刊

新社会学研究 2016年 第1号

新社会学研究 2016年 第1号

http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/978-4-7885-1503-1.htm
好井裕明・三浦耕吉郎・小川博司・樫田美雄・栗田宣義

社会学研究 2016年 1号
――



A5判並製180頁

定価:本体1800円+税

発売日 16.11.1

ISBN 978-4-7885-1503-1

cover




社会学の革新にむけて
 社会学の知的営為の更なる発展を目指し新たな学術雑誌が誕生しました。代表的な学術雑誌(『社会学評論』等)の編集委員を経験した練熟の社会学者が編者となり、文化、ジェンダー、親密圏、教育、エスニシティ、宗教、法律、政治、経済と現代日本の各所に潜む矛盾と課題を解決する力をもった社会学の知を求めて、毎号を編みあげます。創刊号では特集テーマとして「〈いのち〉の社会学」、公募テーマとして「生きづらさとはいったい何なのかを設定し、六篇の力作研究と、編者による映画・ファッション・査読・ビデオ調査等の論考を集めました。社会学の新たな〈場〉を目指した挑戦にご期待ください。

社会学研究 2016年 1号 目次

社会学研究 2016年 1号 巻頭言

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社会学研究 2016年 1号 目次
巻頭言

巻頭エッセイ 社会学と芸術 小川博司

[特集] 
〈いのち〉の社会学
特集〈いのち〉の社会学によせて 三浦耕吉郎
〈尊厳ある生〉のなかでの看取りとは? ─極私的社会学・序 三浦耕吉郎
〈生〉と〈身〉をゆだね、あずけること 出口泰靖
    ─「認知症」とされる人と私の〈かわし合い〉のフィールドワークから
いのちとおうち ─野宿者支援・運動の現場への手紙 山北輝裕
死に支えられた幸福の国と「曖昧な死」への意味づけ 金菱 清
    ─ブータンから東日本大震災への応答

[連載]
くまじろーのシネマ社会学
 「ふりかえるべき」戦争と「かつてあった」戦争 好井裕明
音楽する映画①
 『アーティスト』─映画と音楽の蜜月はトーキー映画によって始まったのか 小川博司
論文投稿と査読のホントのところ①
 点法と減点法の齟齬問題の周辺 査読ア太郎
ネコタロウに聞け! 社会学者スーパースター列伝①
 ラザースフェルド 栗田宣義
 
[公募特集]
生きづらさとはいったい何なのか
公募特集によせて 好井裕明
「性的冒険主義」を生きる 大島 岳
    ─若年ゲイ男性のライフストーリーにみる男らしさ規範と性
「カツラ」から「ウィッグ」へ 吉村さやか
    ─パッシングの意味転換によって解消される「生きづらさ」
子づれシングル女性の生きづらさ 神原文子
    ─奈良市ひとり親家庭等実態調査より

[連載]
ビデオで調査をする方法①
ビデオで調査することのメリットとデメリット 樫田美雄
    ─「リアリティ喚起力の大きさ」と「常識に汚染されるリスク」
ファッション&パッション①『non-no』から始めよう 栗田宣義
同人書評
ネコタロウに聞け! 外伝篇① ディストピア 栗田宣義

編集後記

装幀=新曜社デザイン室
社会学研究 2016年 1号 巻頭言
  『新社会学研究』は、「創刊の言葉」で記したとおり、社会学の技術と精神の、普及、告知、称揚、涵養、発展、革新を図る学術誌たることを、その使命とする。この理念に共鳴、賛同していただいた併せて六篇の珠玉の研究成果を核として、同人による文章を加え、ここに首尾良く、新雑誌創刊号を上梓することが出来た。頗る有り難く、幸運なことだ。

 われわれ同人は、『社会学評論』の編集委員会同期メンバーであったが、会議後の居酒屋談義では、日本社会学会を愛して已まないが故に、『社会学評論』に伴走し、なおかつ挑戦する新雑誌の夢が語られた。新曜社の強力な扶けを得ることで、見果てぬ夢に終わることなく、われわれの構想は、昨年の同人創設に結実することになった。幾度もの同人会議と七百通近くにも及ぶメール交換を経た果実が本誌である。

 この果実は甘いのか苦いのか、『新社会学研究』の意義と内容の評価は、読者諸氏ならびに、マンハイムユートピアの定義で記したように、後世の歴史家にお任せすることにしよう。ただ、われわれ、同人は、社会学という愛すべきディシプリンを、世過ぎの糧と誹ることはしたくない。自身の威信や功名を得るための手立てに貶めることもしたくはない。かつまた、偏狭な理念や運動の囚人として縛ることにも抗いたい。デュルケムが宣べたように、僥倖にも人類が到達した知的最終地平に位置する社会学、という思索・実践・批判・内省からなる集合行為を介して、この世に生を受けた全ての魂と共に、聴き、感じ、想い、読み、語り、書き、作り、歌い、憤り、闘い、許し、請い、泣き、笑い、愉しみ、喜び、祝い、与え、捧げ、そして、祈りたい。心の底から欲し、それを望む。

 無機質な形式主義に陥ること無く(faithfulness)、万人に公正な姿勢を貫き(fair)、自由(freedom)かつ友愛(fraternity)に満ちた、豊かな世界の再生もしくは新たなる創造に向けて、われわれの社会学の知的営為が、些かなりとも資することができれば、これに勝る喜びはない。

  内海の彼方、淡路、讃岐、和泉を望む『新社会学雑誌』事務局、
              神戸六甲摩耶山麓にて

      好井裕明・三浦耕吉郎・小川博司・樫田美雄・栗田宣義
(C)新曜社

ためしよみ

高橋誠一郎『ゴジラの哀しみ』


目次

はじめに ゴジラの咆哮と悲劇の誕生

第一部 冷戦の時代とゴジラの変貌

   ――映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》へ

序章 ゴジラの誕生まで

一、「不敗神話」と「放射能の隠蔽」

二、「新たな神話」と「核エネルギーの批判」

第一章 「水爆大怪獣」ゴジラの誕生とその死

一,ゴジラの出現と「情報の隠蔽」

二、逃げ回る群衆と放射能の視覚化

三、ゴジラの死と「道義心」の勝利

四、映画《怪獣王ゴジラ》と「ゴジラ」の変貌

五、映画《ゴジラ》から《生きものの記録》へ

第二章 映画《モスラ》から映画《ゴジラ対ヘドラ》へ

一、映画《モスラ》と核実験場とされた島

二、経済至上主義の思想と「生命」の守護神モスラ

三、植民地統治の記憶と「日米地位協定」の影

四、映画《ゴジラ対ヘドラ》とテレビアニメ《宇宙戦艦ヤマト

五、「原子力ムラ」の成立と使用済み核燃料の問題

第三章 映画《日本沈没》から一九八四年版・映画《ゴジラ》へ

一、大自然の脅威と映画《日本沈没

二、一九八四年版・映画《ゴジラ》と冷戦構造の反映

三、映画《惑星ソラリス》からチェルノブイリの悲劇へ

四、ソ連の崩壊と「情報の隠蔽」

終章 映画《ゴジラvsビオランテ》から《シン・ゴジラ》へ

一、「凶悪な敵」との戦争と核兵器の使用

二、日本の「非核三原則」と映画《シン・ゴジラ

第二部 ナショナリズムの台頭と「報復の連鎖」

  ――『永遠の0(ゼロ)』の構造と隠された「日本会議」の思想

序章 「約束」か「詐欺」か

一、「言葉も命も、現代(いま)よりずっと軽かった時代の物語」

二、義理の祖父・大石賢一郎の謎

第一章 孫が書き記す祖父の世代の戦争の物語――「オレオレ詐欺」的な小説の構造

一、取材者としての佐伯健太郎と姉の慶子

二、祖父・宮部久蔵の「命は大切という思想」

三、もう一つの祖父と孫の物語

四、巧妙に配置された証言者たちの順番

第二章 「徹底した人命軽視の思想」の批判と戦後の「道徳」批判

一、「使い捨てられた兵と下士官」と「情報の隠蔽」

二、学徒出陣の記述と司馬遼太郎の体験

三、映画《少年H》と戦時中の内地

四、戦後の「道徳」批判と隠された「日本会議」の思想

五、「エリート官僚」の批判と隠された「自由主義史観」

第三章 「巧みな『物語』制作者」徳富蘇峰と「忠君愛国」の思想

一、「テロ」と「特攻」の考察と新聞報道の問題

二、「自殺戦術」の正当化と徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』

三、沖縄戦の正当化とナチズムの考察の欠如

四、「国家滅亡の危機」と大石の「一億玉砕」の思想

終章 ナショナリズムの台頭と「報復の連鎖」

一、「英雄」の創出と「ゼロ」の神話化

二、「正義」の戦争と「報復の連鎖」の危険性

第三部 「人類滅亡の悪夢」の克服と自然の輝き

   ――映画《夢》と映画《風立ちぬ》を中心に

序章 水車と風車のある光景

一、《モスラ》から《風の谷のナウシカ》へ

二、「王蟲」の子供が殺される夢と「やせ馬が殺される夢」

第一章 映画《七人の侍》からアニメ映画《もののけ姫》へ

一、《七人の侍》における「水車小屋」のシーン

二、「大地主義」の理念と農民像への違和感

三、《もののけ姫》と映画《夢》の自然観

四、 映画《夢》第四話「トンネル」と「亡霊」としてのゴジラ

第二章 第二次世界大戦とアニメ映画《風立ちぬ

序 『永遠の0(ゼロ)』の映画化と映画《風立ちぬ

一、第一次世界大戦後のイタリアと映画《紅の豚

二、映画《風立ちぬ》のカプローニおじさんと「夢の精」ルポイ

三、大地の激震と「轟々と」吹く風

四、『魔の山』とヒトラーの影

五、ノモンハンの「風」と司馬遼太郎の志

終章 「自然支配の思想」の克服と「聖なる大地」の回復

一、映画《ゴジラ》から映画《夢》の第六話「赤富士」へ

二、第七話「鬼哭」と「日本会議」の戦争観

三、最終話「水車のある村」と映画《風立ちぬ

本書関連年表

『ゴジラの哀しみ』関連年表(1936〜2016)
あとがき