2011-01-30 「海つばめ」ダイジェスト 第7号
橋下、河村らの派手な振る舞い――「改革派」僭称し、個人的専制体制を狙う
統一地方選を目前にしてタレント上がりの首長等が派手な振る舞いをしている。橋下、東国原、河村、森田など枚挙にいとまない。彼らはただテレビなどで名を売って首長になり上がったのだが、たまたま手にした権力を維持するには、ただ「大衆」の味方を装った派手なパフォーマンスで、「改革派」の名前を僣称し、極端な――つまり極めて反動的な――政策や主張を持ち出すしかない。
彼らが目指すのは、“地方”における個人的な専制体制であって、それを悪用して、ますます自らの権力を強大化しようと策動するのである、というのは彼らの目的は権力、しかもより大きな権力だけだからである。橋下も河村も、議会が邪魔と思うと、自らの“地方政党”なる、完全な“私党”まででっちあげて、議会をも自分の完全支配下におこうとするのだが、しかし大阪や名古屋を自らの専制体制のもとに置くための「地方政党」といったものは茶番であって、腐敗した、ばかげたもの――さもなければ、超反動的な、ファシズム組織の卵(すでに「維新の会」といった名前からしてそうである)――にしかならないのは一つの必然であろう。
ファシズム的政治が、その前期的兆候が、“地方政治”を舞台にして始まり、はびこって来ている。資本主義の矛盾と解体の深化が根底にあるとはいえ、既成政党の腐敗と無力、共産党など公称の“左翼政党”のブルジョア的堕落、そして議会制民主主義の頽廃、衰退が、こうした政治的賭博師、詐欺師たちがはびこる豊かな地盤となっている。統一地方選においても、労働者は鋭く目を光らせて行かなくてはならない。
(鵬)
与謝野、枝野を“抜擢”――菅“改造”内閣の本性を暴露する“人事”
菅内閣が「改造」されたが、その“人事”には、菅内閣の本質的なものが見えている。
与謝野を野党から引き抜いてきて、内閣の要の一つ、経済財政担当相に据えたことや、単なる口舌の徒の枝野を官房長官に“抜擢”したことなど、その象徴である。
マニフェストを放棄し、また消費税増税を強行したり、年金政策も転換させるために与謝野を引きずり込んだのだろうが、それに加えて、与謝野が内閣に入ることは、自民党などとの協調のために有益だと計算するのだから、菅の愚昧さはひどすぎる。
与謝野はこれまで民主党を最も先鋭に、断固として批判してきた自民党員の一人であって、自民党を出てからも、その舌鋒は弱まることはなかったのである。
菅は、マニフェスト順守から、その放棄に転向するに比例して、つまり民主党のこれまでの立場を裏切ることに決意するに比例して、与謝野の批判の意義を認め、それに屈服した。与謝野が、国の総予算を「組み替える」ことによって、17兆円出てくるなどというのはナンセンスだ、組み替えても、どこかで削らなければ出てくるはずもない(削る意思もなく安易なことを言うな)、と言ったことの真実も承認したのである。
まずムダ使いや天下りを一掃し、それから財政健全化だ、経済成長だといったのに、そんな“段階論”で何ができると嘲笑したことも正当だったというのである。年金制度も、現行の保険料方式を根底に進めるという与謝野のやり方を受け入れるというのだ。子育て支援をバラまきであって、親がそのカネを子供のために支出するとは限らない、という批判もその通りというのである。
しかし菅は大転換のために、なぜ与謝野といった、無節操な人間を呼び込まねばならないのか。
与謝野が自民党を抜けたのも、自民党ではもはや浮かばれないと読んだからであった。しかし菅が突然に消費税増税を持ち出したこともあって、自民党は参院選で思いもかけず“善戦”し、また渡辺の「みんなの党」だけが漁夫の利を占めることになり、ただ政党助成金ほしさに野合しただけの「たちあがれ日本」は見捨てられた小政党の地位に転落した。当てが外れて孤立した与謝野は、転向する民主党を見て、それを好機と民主党に乗り移るしか、政治家として生き延びるすべを知らなかったのである。
だから与謝野の動機も、菅が政権にしがみつく動機と同様に、純粋に個人的なものである(もちろん、プライドの塊の菅が政権にしがみつくのは、安倍、麻生や鳩山と同じように、支持率が低いからといって、みじめな形でやめるわけには行かないといったメンツの問題であるが)。
彼は小選挙区で民主党の海江田と争い、一敗地にまみれ、自民党の比例区候補として何とか“救済”されてようやく議員として生き残ったのである。比例区の自民党候補として名簿に載せてもらえなければ議員の地位を失っていたのである、つまり彼はただ自民党の一員として議員に選ばれたのである。小選挙区で、個人の名で闘った場合と――自民党から「公認」されたとしても――、事情は決して同じではない。自民党員であるが故に議員として残りえたそんな人間が、議員の地位のまま、「たちあがれ日本」に移り、さらには民主政権の大臣の地位にまで就くというのだから、無節操そのものである。沈没する船から大急ぎで逃げ出した与謝野は、もう一隻の沈没する船に乗り換えるというのだから、この男も大した人間ではない。
さらに、枝野を仙谷の後をついで官房長官に据えたのも、菅の愚昧さを象徴している、というより、いかにも菅内閣にふさわしい人事であろう。政治家としての枝野の無能は、すでに幹事長として指揮を取った参院選の大敗でも暴露されているのに、今なお彼を重用するというのだから、菅に「人を見る目がない」ことは明らかだ。
枝野が単なる口舌の徒であり、ただごまかしのおしゃべりや奇弁で、つまり「舌先三寸」でその場その場をごまかし、乗り切ろうとする軽薄な才子にすぎないことは、すでに昨年の春、事業仕分けの担当者として、高級官僚の天下り禁止に、卑しいへ理屈を持ち出して反対したときに、完璧に暴露されてしまったのである。
このとき、彼は天下りの“法的な”厳しい規制や禁止に向きになって反対し、天下りは、独立法人や公益法人が実際上は国家機関だが、形式的に民間の組織になっているのが原因だ、民主党はそれらを“名実ともに”国家機関にしようとしている、そしてそうなれば、自ずと天下りもなくなる、もう少し待て、といった奇妙で、愚劣な詭弁を“ぺらぺらと”しゃべりまくり、“国民”を煙にまき、結局は天下りの断固たる規制や禁止という緊急の課題をどこかへ追いやってしまったのである(詳しくは、「まさに『民主党らしさ』そのものだった」369頁以下参照)。
こんな卑劣な人間が党の幹事長になり、さらには内閣の「要」の官房長官になるのだというのだから、民主党もその政権もますます無能、無力と混沌をさらけ出して行くしかないのである。実際、誠意の持ち合わせが全くなく、人をまるめ込もうとするだけの舌先三寸の男が、内閣の「要」の地位に就いたということ以上に、菅内閣を象徴するものはない、つまり菅内閣そのものが「舌先三寸」に終始するということである。
すでに事実上引退しているような藤井とか江田といったロートルを大臣に据えて、菅内閣はいったいどこに行こうとしているのか。“国民”の方から顔をそらし、自民党との協調にのみ救いを見ているとするなら、菅内閣ののたれ死にや、不名誉な解体、崩壊は不可避であろう。
□■□■□─────────────────────────────
■この「『海つばめ』ダイジェスト」は毎日曜日発行で無料です。
「海つばめ」の記事の抜粋版です。
■「海つばめ」は隔週刊で有料メールマガジン(全編テキスト版)
でも購読可能です。料金は6ヶ月分2700円です。
webmaster@mcg-j.orgまでお申し込みください。
■「海つばめ」本紙は隔週刊で送料込みで半年3300円です。
メールマガジンとのセット購読の場合は半年4600円です。
webmaster@mcg-j.orgまで送付先を添えてお申し込みください。
─────────────────────────────□■□■□
