自壊する帝国

佐藤優(新潮社)

自壊する帝国

国家の罠』を読みましたよ、すごくおもしろかったです、と、佐藤優さんを紹介してくれたデザイナー氏に報告したところ、「では、次はこれを」と『自壊する帝国』を貸してくれてた。あとがきで佐藤優さんも書かれていたが、『国家の罠』発行後、読者から「佐藤優さんがモスクワでどのように外交官として仕事をしていたかを知りたい」という要望が多く寄せられ、それに応えて書かれたものだ。同志社大学大学院神学研究科を卒業後、外務省の専門職員(ノンキャリア)として入省し、イギリスへの語学留学を皮切りにさまざまな人脈をつくり、初めはお茶組みやコピー取り、新聞のスクラッピングのような雑用をしながら、独自に築いた人脈から得られる情報によってキャリア官僚から重用され、インテリジェンスを扱う外交官として頭角を現していく様が描かれている。そして、『国家の罠』の冒頭、逮捕当日に2杯目のコーヒーを入れたところで終わっている。


とてもおもしろい本だ。


国家の罠』の読後にも感じたことだが、佐藤優さんというのは本当にすごい。この本で、私は外務官僚に対する見方が変わった。官僚というのは、いわゆる「勉強のできる」頭のいいエリート集団というイメージ。組織としての仕組みがうまく作られているので、出世と将来保証という、いまや民間企業では失われてしまった日本的相互依存関係がいまだに保たれており、そのために上意下達は徹底され、粛々と確実に業務が遂行される機構にとって優れた人材がそろっていると思っていた。よって、先見性のあるよいリーダーが指示を出せば官僚はよい仕事をするが、逆にまったく国益に沿わない命令であっても官僚はその命令には背かず、同じように確実に仕事をする。結果、国益が損なわれることになっても自分の責任ではない、という考えをする人種。官僚なんてそんなものだろうと思っていた。


佐藤優さんの外交官としての仕事ぶりはまったくこれとは異なるが、佐藤優さんも給与をもらいながら語学研修ができ、いずれ希望の任務地(佐藤優さんの場合はチェコスロバキア)に任官できるのなら渡りに船、と思い入省したのが、寝食を忘れて情熱的に仕事に取り組む先輩官僚たちを見て、外交官と言う仕事に魅了されたということだった。


佐藤優さんは、同志社大学神学部で得た専門的な知識と見識によりモスクワ大学の知識層との交流を持つことができた。また、自らの政治的信念、外交官として国益を守ろう、得ようとする職業的本分に徹した意識も非常に強かった。そして、本気でつきあう相手には信念を持って本当の考えを伝えるといったような人間的信頼関係をもっとも重視した人付き合いを行い、そうしたブレない姿勢がロシア人たちから「あいつは信用できる奴だ」という評価につながったという。これも意外なことだったが、ロシア人というのは約束を守らないのではなく、約束はしないのだそうだ。本当に信頼できる人間としか約束はしない。だが、一度した約束は必ず守る。そうしたステロタイプなロシア人のイメージとは違う、ロシア人たちの本当の姿(本の中でそれは「内在的心理」と呼ばれている)を知ることで、より深く入り込んでいったようだ。


こうした人間関係を基にして、ロシア人政治家や運動家、党幹部、編集者などと交流を深めていく様子が紹介されており、このひとつひとつがとてもおもしろい。特におもしろいのはモスクワ大学でであった、サーシャ(カザコフ)というラトビア人の青年との交流だ。この本は、外交官佐藤優の仕事の記録ともいえるが、サーシャとの友情の話でもあると私は思う。佐藤優さんが逮捕される直前に、サーシャから佐藤優さんの身を案じるメールが届いた。佐藤優さんはサーシャに危害が及ぶことを恐れメールをデリートした。2人には何の腹案もない。感動して涙が出た。このようなタイプの本でこんなに感動するとは思わなかった。「外交」というのは、国と国との交渉だ。双方が上げたこぶしを下ろすことができる「落としどころ」が見つかるまで話し合いを続ける。答えが出ないということはありえない。答えを出すことを放棄すれば現代であっても戦争につながる危険性だってある。そうした「大きな」外交交渉につながるものとして、佐藤優さんとサーシャのような個人と個人の信頼関係がある。いや、こうした関係性なくしては成り立たないのだということを知ることができた。これは非常に興味深かった。


この本を読んで知ったのは、物事は、表面的にではなく深層を求めることで新しい発見につながるということ。私は官僚に対するネガティブな印象を持っていたが、そういう尊敬に値しない人もいるだろうし、そうじゃない人もいる。それは官僚社会だけではなくどの世界でも同じだということを知った。そしてこの本は、佐藤優さんのような気概を持って働く人たちを勇気付けると思う。そういう官僚が多いことを願っている。それにしても、おもしろい人だ。もうしばらく、佐藤優さんの本に嵌ることになると思う。