MNB’s Dialy

2017-08-03 アジリティとは

最近特に勉強させてもらっている,ストレングス&コンディショニングコーチの河森直紀氏のブログ

http://kawamorinaoki.jp/?p=175794111


アジティについて大変興味深い.というかかねてからMNBが授業で説明していた内容と同義のことが書かれていた.

ちょっと興奮した.イキオイでブログを書く.




本学における体力トレーニング論というオムニバス授業で,MNBはアジリティの能力について実技を行っている.

そこでは「優れたアジリティを発揮するために大切なこと」と「アジリティを生かすための前提条件」というテーマで授業を進めている.



まず「優れたアジリティを発揮するために大切なこと」は

1.適度な摩擦係数(それぞれの競技種目に求められる最適値があると考えている)

2.それなりのパワー(当然)

3.身体の使い方(先取り動作など)

4.方向転換動作について習熟していること

の4つを挙げる.



そして,これらを満たし,優れたアジリティ能力を有してたとしても,その使い方が間違ってしまっては,プレーヤーとして優れていないとしている.

そこで重要なのが「アジリティを生かすための前提条件」つまり,認知判断である.



ものすごく素早いターンができたとしても,その方向が間違っては意味がない.

つまり,優れたアジリティは,優れた判断能力の上に成立するものである.




そして,この判断能力を発揮するために必要なのが認知する能力である.

一般的に,アジリティが求められるのは球技などのように相手(というか対象)が存在するスポーツであり,その相手(対象)の状況変化に応じて,発揮する能力でもある.

よって,まず相手(対象)を認知,認識できなければ,判断すらできない.

どんなタックルでも避けられる能力があったとしても,タックルを認識できていなければ回避行動はとれない.ということ.



一流サッカー選手なかには,視覚でとらえた立体的な映像から,俯瞰映像を構築することができるという.

これも認知能力の一種と考える.




優れたアジリティは優れた判断能力,そしてそれを支える認知能力があってはじめて役に立つ.






と,授業ではいっていたが,,,河森氏のブログからすれば,MNBが説明していたアジリティは「方向転換能力」であり,認知と判断を含めて「アジリティ」ということになる.

来年の授業からは言い換えよう.



用語定義は大切だ.

2017-07-26 トレーニング上級者ほどバーベルの重量を軽くできる

トレーニングが上手になるほど,というか上手な人ほど,バーベルの重量を軽くできる.逆説的のように感じるかもしれないが,事実です.

一般的に初級者がトレーニングを開始すると,たとえばスクワットを始めると挙上できる重量はどんどん重くなります.筋が鍛えられて大きな力を発揮できるようになると,従来の重さでは筋肉に対する負荷が相対的に低下するからです.よって,今まで以上の負荷が必要となり,バーベルの重量も重くなる.

これを続けていくと,どんどん扱える重量が重くなるので,うれしくなっちゃってwwwwww

いつしか,重いバーベルを挙上することが目的となり,本来の目的から逸脱してしまう.



競技者あるあるですね.



で,何か違うなと.センスある人は思い直して,大切なのは身体にかかる負荷だと気づく.

スクワットやるにも,ターゲットマッスルを明確にし,できるだけフルレンジで「筋が強くなるのに最も効率良い負荷(←ココ重要)」をかけられるような工夫をする.



トレーニングにとって重要なのは重さじゃないんです.

言い方を変えれば「しかたなく重い重量を扱わざるを得ない」だけであって,できるならばより軽い重量でしっかり負荷をかけたほうが,手っ取り早いし効率良いのです.

・・・準備や片付けの手間はぶけるしね.




トレーニング上級者は軽い重量でも負荷を大きくできるから,わざわざ重い重量を扱う必要が無くなってくる...と考えます.


もちろん,限度はありますし,1RMでのトレーニングを否定しているわけではないんです.大きなメカニカルストレスを肉体にかけることも,時には必要でしょう.


ただ,闇雲に重い重りを挙上できることが偉いわけじゃないんですよ.それではたとえ競技力は高くとも「トレーニングの上級者」とはいえないんですよね.

2017-07-13 筋力トレーニングに過剰な期待を抱いている人がいる

トレーニングに関する記事文章執筆中で,さらにゼミ生らや大学院生とトレーニングについてケンケンガクガクしてて感じたこと.



それは「筋力トレーニングに過剰な期待を抱いている人がいる」ということ.



スクワットをすれば筋力つくしダイエットにもなるし,体幹も強くなるし,足も速くなるし,遠くに跳べるようになるし,遠くに投げられるようになるし,,,,etc.


で,「そうだ! だったらもっと競技動作に近づければ,トレーニングの効果が競技力向上に直結するジャン!」となって,不思議ちゃんトレーニングを開始.

たとえば「野球ピッチングは片脚立ちから踏み込んで投げるから,片脚から踏み込む動作にゴムチューブや重りで負荷をかければいいね」とか.

たとえば「ゴルフスイングスピードを高めたいから,重いクラブを振ることでスイングに使う筋力をアップさせよう」とか.

たとえば「ただの腕立て伏せよりも,メディシンボールを手の下に置いた状態で腕立てしたほうが不安定になるから,たくさんの筋に負荷をかけられるジャン」とか.



こうしたトレーニングを全否定するわけではありません.あくまで「筋力アップを目標とするならば,もっと効率の良い方法がありますよ」ということです.

そもそも,筋力トレーニングの動作は,実際の競技動作からかけ離れているからこそ意味があると思います.ターゲットとした筋に負荷をかけることに特化していることが重要なので.それを,わざわざ競技動作に近づけて実施してしまうのは,,,ね.

もちろん「重いクラブ」を振ることで生じる「感覚的な何か」をスキル向上につなげた結果,競技パフォーマンスが向上するという例もあります.ただし,この場合はあくまで「スキルトレーニングとして重いクラブを振る」と捉えるべきです.




「スクワットが強くなったのに足が速くならないんです」という言葉も,スクワットに対して期待しすぎていることが原因ではないかと.

足が速くなるためには,様々な「材料」が必要で,脚の伸展パワーというのは,あくまで材料のひとつに過ぎない.たまたま,その材料が足が速くならないことの限定要因だった場合,スクワットをすれば足が速くなるかもしれませんが,それは人それぞれ.


自身の競技パフォーマンス向上に必要な材料は何かを見極め,その材料を最も効率良く強化できる方法を見極め,そしてそろった材料を上手く調理するスキルを向上させることが必要.たかだかスクワットをしただけで足は速くならんてw


つのトレーニングに過度な期待を抱くのはやめましょう.

2017-06-21 大学での学びとは

大学におけるゼミで,以下のような話をする.



諸君がこれまでに学んできた【先生】という存在英語で何と呼ぶ?」

———多くの学生がTeacherと答える.

正解.



「では,大学の先生を英語で表現すると?」

———多くの学生が沈黙する.多分,Teacherではないんだなと勘ぐる.中にはボソっと正解を言っている学生もいる.

答えは,Professorと教える.



では,TeacherとProfessorの違いは何だろう?

———ほぼ全ての学生が沈黙する.発言しなかったら単位でないよw



Teacherとは,文字通りティーチする人.教える人.その大前提に,教える内容は「正しい」と一般的保証されているものなので,基本的に教わる内容に対して疑いの目を向ける必要はない.

1+1は2であり,F=maなのだ



では,Professorとは,何をする人なのか.


それは,Professする人なのだ.


Professとは,「公言する,明言する」という意味であり,転じて「【我々はこのように考える】と公言する」ということと理解している.


つまり,Professorが言っていることは,議論対象なのだ.そもそも絶対に正しい」という保証がないわけなので,最初から疑ってかかるべきである.


大学の先生だから偉いとか,大学の先生だから正しい とかではないのだ.そもそも,大学の先生が専門としてあつかう分野や研究内容は複雑多岐にわたるものなので,そこに「絶対的に正しいこと」という事象は少ない...と思われる.


研究や教育実践を通して「真実」と思われるものを議論して探していく.そういうものが大学での学びであり,いわば論理的思考を持って議論を進めることこそが,大学で勉強するということである.



名著「知的複眼思考法」の著者である苅谷剛彦氏(現オックスフォード大学教授)は,そのなかで下記のように述べている.


以下,引用-----------

ですが,こうして必死に勉強してこれだけの「知識」を獲得したはずなのに,正直に告白すると,今の私にはいったい何をどれだけ読んだのかわからなくなっています.今でも,あのころに読んだ本は研究室本棚におさまっています.読んだ論文コピーも残してあります.それらを積み上げたら相当な高さになるほどの量です.しかし,どんな文献を読んだのか,そこにどんな知識が書かれていたのか,今ではもう詳しく思い出せなくなっているのです.

(中略)

それでは,あれだけの文献を読んだことは役に立たなかったのか.何も残らなかったのかというと,そうではない.知識に代わる「何か」が,身についたといえるのです.

それは,考える力——あるいは,考えかたの様々なパターンを身につけたということです.的確に,批判的に,情報を読み取る能力問題を探し出す能力.素朴な疑問からスタートして,それを明確な問いとして表現する方法.問いの立てかたと展開のしかた.論理的自分の考えを展開する力.そして何よりも問いをずらしていくことで隠された問題を探っていく方法.

(中略)

いろいろな人の研究を読み,それを自分の研究に生かしていく過程で,複眼思考のポイントとなる,こうした方法の様々なパターンを,自分なりに身につけていったのです.

(苅谷剛彦,2002,複眼的思考法)

以上,引用-----------


専門的知識を積み上げることも必要.いわゆる実践的な武器として人生において活躍させる為.

しかし,それ以上に重要となるのは,こうした知識を身につけようとし,工夫しようとし,表現しようとしてもがいている過程で身につくであろう力,それは教養と呼ばれたり,複眼的思考法とよばれたり様々であるが,そうした力を磨くことが,大学で学ぶということであると確信している.




もちろん,トレーニングも同じね.


絶対正しいというものは存在せず,今の自分にとっての最適解を,時には自ら,時には指導者の助けをかりて探り,実践していくというのが,学生アスリートたるべき姿かと.

もちろん,引き出しの少ない段階で「自分で考えろ」というのはいささか無理かつ無責任.だからProfessorには導く努力も必要.ただ,その先に新しい学びがあるという共通理解を持って,問題の解決に臨むべきである.




長らくブログ放置してすいません.

こんなことを考えたり,実践したりしていくうちに,更新するのが面倒になってましたw

今後もよろしくお願いします.

2017-05-24 関東インカレ

明日からいよいよ関東インカレです.

今年の武大は1部にて総勢40名の選手で挑みます.

今年のチームは大佐田主将筒井主務を中心に「一致団結・武想全進」の気持ちで戦います.

数ある伝統校が相手ですが,横浜の地で大暴れして勝利をつかみ取ってやります!