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  映像研究

静かな

 

・静かなる図書館に到着した201709061002。今日は早く始められる。図書館も恐ろしく静かである。高校大学と学校の中にある図書館は「寝るために行くところ」だと思っていたが、今では図書館がかなりの時間を過ごす場所になっている。今自分は来ている(通っている)図書館が「いいな〜」と思うのは、広いことだ。広いことは良い。家はだいたい狭いからスクリーンからふと目を離しても、すぐそばの本棚にピントがあってしまう。そうするとその本に手を伸ばし・・・しばらく読んで・・・また別の本を手にとって・・・インターネット・・・というサイクルを繰り返すことになる。それで作業が進むこともあるが、図書館だとまた違った感じになる。スクリーンから目を離すと5mくらい離れたおじさんとかにピントが合う。あるいは大きなガラスを突き抜けて、500mくらい先の団地とかにピントが合う。なぜそのことに幸福を感じるのか。ここには何かの(たとえば住まいについての)ヒントがあると思うが、そのことについてはこの作業がひと段落してから考えようと思う。だからこれはメモである。


・人生で初めて「ノンアルコールビール」と真剣に向き合うことになった。そんなものを飲む意味がわからない。わからないと言い続けてきたけれども、そういうものが必要とされることもある。それはソフトな中毒から一度離れてみる、という実験でもある。「ヴェリタスブロイ」というドイツのノンアルコールビールが優秀だった。成分表を見た感じ、変なものが入ってないことも良い。冷やせばうまい。夕食の後も作業ができる。時々はアルコールを飲む。しかしこの研究をしばらく続けてみようと思う。


・「小沢健二SEKAI NO OWARI」と聞いて、全然わからない、全然繋がらない感じを得た自分はむしろ広告的にはぴたりとターゲットにはまっているのだろうか。SEKAI NO OWARI紅白歌合戦でしか見たことがなかったので、少し見てなるほどと思ったり思わなかったりする。そういえば『流動体について』で小沢健二がテレビ番組に出たときに見ていたtwitterのタイムラインでしっくりきたコメントに「准教授っぽい」というのがあって、それはおそらく眼鏡とかシャツとか話し方とかの色んなニュアンスを込めての「准教授」なのだと思うけれども(坂本龍一の「教授」の今やストレートに教授っぽさに対して、ということもあるのか?)、小沢健二SEKAI NO OWARIがテーブルを囲んでいる様子は、准教授と大学院生のゼミのようだと思った。それをある種の教育とも見ることができる。「教える/教わる」という一方向ではない教育としての共同制作。自分はそのどちらでもありえるからこそ、そのことの難しさと面白さを思う。