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  映像研究

言葉を扱うこと

 
・201810131825。調布の猿田彦コーヒーに来た。業務の帰りに少し寄って読書とともに言葉を記す練習を。書くことをしない日があることが不安あるいは勿体無いと思うことがある。どんな些細な、伝言のような言葉でもよいから、言葉を書いて残しておくことを続けた方が良い。そして時には集中して文章を書くことも必要である。写経のように文章を書き写すことも何かに気がつくきっかけになる。


ボードリヤール『象徴交換と死』を読み直していて、ああこんなことが書いてあったのだなと今更ながらに気がつくことが多い。それは過去には全然よく読めていなかったということでもあるのだけれども。「われわれの社会では」と繰り返されるが、それは「限定された」「特殊な」「かりそめの」条件なのかもしれないことを、考えずにはいられない。ルールの中での最適な解を探すことは重要であるものの、そうではなく、根本的な疑いを形にすることは、いかにして可能なのか。


・翻って、日本の、東京の、2018年の終わりに生活をしている。見えない、と思ってしまうのは、視野が限定されているからなのであって、全然別の条件のもとで、考えの領域を設定し直すことはできるはずなのだった。新しい表現は、その新しさにおいて、見晴らしをよくしてくれる。一方で、それはあっという間に、陳腐なものへ、文法に取り込まれたものに、滑っていく。これは今だけの問題ではない。だけれども、その滑っていく動きだけを見続けていると、少しの興奮と異様な不信を感じる。根本的な不信。


・「通路のようなものを見出すこと」、清野賀子が写真に添えた言葉はいつでも自分の口元にある。それを、ふいに誰かと共有したいと思う一方で、その言葉もまた一瞬で滑っていってしまうことが怖い。しかし怖がっているのならば、怖がっているだけでなく、言葉を残し、また写真を撮るしかないのだろうなと思う。そしてそれを表した状態にしておくこと。誰かが読み、見ること。誰かが読み、見る可能性があること。その可能性の方に、一歩ずつでも進むべきだと、素朴に思えた。あまりにも時間がかかった。


・しかし「時間がかかった」のは、自分の気のせいかもしれない。2018年の現在、Twitterは「さんがひさしぶりにツイートしました」と教えてくれる。ありがとうございます。でも、私の「ひさしぶり」は、私が決めることだ。と素朴につっこみたい。毎日書くことをしながら、10年後にそっとツイートするかもしれないのだ。そのツイートは真夜中の盛り場で爆音で音楽で流れている中で、隣の人の耳元で大声で叫ばれるかもしれないし、その言葉が印刷された紙を束にして抱えて新宿西口に立っているかもしれない。その方法も、タイミングも、全て自分で決める。他者から影響を受けまくりながらも、自分で決める。そういう心のあり方について考えさせられることが、最近多い。つまり「影響を受けまくり」ながら暮らしている。


・演劇についてのインターネットの記事で「言葉」と「抵抗」の問題が書かれていた。それを読んだことも影響ではある。気持ちが悪いことには抵抗するしかない。観察と抵抗。