「若者病〜地域造りのオリジナリティを問う」 小白龍新書館 第六號

各地で大学のセンセあたりが企業や行政と一緒に地域造りを手がける例をよく見ます。
菜の花を植えたり風力発電を手がけたり学生に農業体験させたりカフェーを経営させベロタクシーなども走らせてド派手にやっている所もあり、地方マスコミの恰好の暇ネタ供給源となっております。
そんな産・官・学協同の潤沢な予算の事業でなくとも、任意団体やNPOが旗を振って、たかだか高度経済成長期あたりの民家や仕舞屋や廃校舎を改装して囲炉裏を造ったり古道具や民具や薪ストーブを並べ安易なレトロ風に雰囲気を作り上げ、適当に雑誌で見たオーガニックな料理レシピを盗んで「地産地消のオーガニックな創作料理」をデッチあげカフェーやワインバーやコンドミニアムを営業してヘンプや竹炭売って変な号外配ってとかの事例が最近各地で大量発生しています。
そういった動きを取材したTVドキュメンタリー番組では地域の年寄りと若者との心暖まる交流が感動的に描かれ、それを見た他の地域の人たちが「わが街に村に島に若者を!!」と、もう全国どこの過疎地や離島でも「若者」がひっぱりだこです。
日本全国少子高齢化で若者の絶対数が減っているはずなのに、とにかく「若者を我が地域に!」と人集めに予算とマンパワーをつぎ込んでいますが、何か悪い病気が伝染しているみたいな気持ち悪さです。
「若者病」と仮に言ってみますが、そしてそんな病膏肓の国中で、それぞれ成功している所・尻すぼみになっている所・中には失敗してトラブルまで発生して訴訟沙汰になっている所や、ひどい場合は単なる詐欺だったケース等といろいろありますが、そのどれもが結局は全部同じルーツに見えて来るのはどういう事でしょうか。
バブルの頃の、誰でもどこでも「バンドやろうぜ!」「住民投票!政治に参加しようぜ!」で盛り上がっていた時代の情熱のベクトルが、時代が変わって他の方向に行っただけという気もしますが、症例から見えてくるオリジナリティの無さでは一貫性があります。

下り坂を行く国家や落ち目の集団では残り少なくなった若者を変に持ち上げる症例はよくある話で、前の戦争でも腐った年寄り共が自分は安全な場所で旗を振って命令するだけで、使い捨ての若者の力を当てにして急造の「肉弾兵器」を粗製濫造し圧倒的な敵にカチ込ませた後に「英霊」と持ち上げたもっとダメダメな「若者病」の症例もありましたが、70年近く経っても全く何も学ばないし創造しようとしない現状で、同じ轍を踏まないか先行きトテモ不安です。



変にレトロな演出をして無理しなくとも江戸時代からの素晴らしい街並みが残り若者も自ずと集まる鞆の浦はトテモ健康的(09/6/13)



家は焼かれ畑はコルホーズでも夢はおされなワインバーと地産地消の創作料理、ううっ「若者」ウィルスが・・・(2010/4/11)

★福島菊次郎「若者と子供を大切にしない国に明日はない」
今も昔もこの国や社会は、若者や子供を大切にするふりして実際は「消耗品」か「商材」としてしか考えてないです。
明日はあるんですか?
過去に本当に学ぶ気あるんですか?