Hatena::ブログ(Diary)

鞭打苦行のThrasher

2009-07-10

Catcher in the Sewer(下水道探索者たち)【その1】

| 00:37

このところの蒸し暑さで【狂気点】が額の汗粒のようにたまりまして、妄想ストーリーをひとつ仕上げました。カルロブルクを舞台にした死霊術師狩りでして、『死』にまつわる同業他社であるモール教団と紫水晶の学府が一時的に協力して下水道から敵のアジトを目指す、というものです。

原稿用紙64枚にもなってしまいまして、コラム風小説どころか普通の短編と変わらない長さになってしまいましたし、はっきり言ってへたくそです。しかしまあこれが自分なりの【狂気点】解消の方法ということで、ご容赦願えればと思います。

ちなみにカルロブルクというのはアルトドルフからライク河を少しくだったところにある古都でして、距離の近さと川で結ばれている点から京都大阪をなんとなくイメージしないでもありません。

カルロブルクはドラクヴァルト朝時代の帝都で、現在ではミドンランド第二の都市であるわけですが、そのあたりの歴史や地理については、『シグマーの継承者』に詳しく記されています。

しかも何と、歴史解説の部分は無料サンプルのPDFで読むことができます。HJ社の皆さん、太っ腹なご対応をありがとうございます。

では、以下が本文です。もとよりオフィシャルの設定とは何の関係もない狂人の妄言、【狂気点】の賜物ですので、どうかひらにスルーをお願いいたします。



 Catcher in the Sewer(下水道探索者たち)

  『お針子(Sewer)が下水(Sewer)でちゃぷちゃぷ隠れんぼ。どんなに上手に隠れても、ちゅうちゅう司厨長(Sewer)にゃ見つかるよ』

        ――エンパイアの童謡

 カルロブルクはライク河にめんした歴史ある都市だ。往古にチュートゲン族によって築かれたこの街は、ドラクヴァルド朝諸帝の統治下では帝都だった。それは黒死病の大流行をへてエンパイアが衰退の坂道を転がりはじめた時期にあたり、やがて帝都がナルンに遷り、僭称女帝オッティリアが独立を宣言したことによって、三皇帝が覇を競う大分裂時代が長くつづくことになる。

 敬虔帝マグナスが渾沌の軍勢を撃退しエンパイアが昔日の国威を盛り返してから二世紀半がたったいま、帝国首都は初代皇帝シグマー以来二千数百年をへてアルトドルフへと戻り、当代皇帝カール・フランツの善政の恵みが国土の端々にまで行きわたりつつあった。いまやカルロブルクはミドンランド領に組み入れられ、冬と狼の神ウルリックの聖都ミドンハイムにつぐ第二の都市の地位に甘んじていた。しかしカルロブルクはライク河に面し、アルトドルフから近いこともあって、河口の入り江にあるマリエンブルクからライク河を遡上してくる商船が港で落としていく積み荷と金で、繁華と殷賑を極めていた。

 エンパイアは森の国、最果て山脈に源を発したライク河も陽光燦々たるアヴァーランドを抜けるや暝い森に呑みこまれ、樹林を切り裂くようにしてナルン、アルトドルフと流れてくる。ここカルロブルクでも、防壁の外はいちめんの大森林。樹齢数百年という古木がねじくれた枝を広げる妖しの森にその沼があった。ライク河が増水するたびに水が流れこんできてできた古い沼地だった。市街のすぐ近くにありながら、その沼は文明に穢されることなく、霧と静寂につつまれていた。

 沼地のただなかに一隻の豪華客船が係留されていた。その名も〈蒸気船〉亭。豪華客船を模して建てられた高級旅亭で、ドワーフ蒸気機関を利用した暖房の配管が全館に張り巡らされているという噂もあった。甲板のような屋上はビアガーデンになっており、南国の踊り子が腰をくねらせて踊ったり、エスタリアの旅一座が剣舞を披露する舞台もあった。甲板からは前後の艦橋のような高楼もそびえており、その各階をしめる客室の窓からはライク河を染める夕日が眺められるという話だった。またそれ以外にも、ライク蟹の蒸し焼きが評判のレストランもあり、窓際の席はつねに上流人士らの予約で埋まっていた。さらに、シャンデリアの燭光が水晶のさいころをきらめかせる大賭博場もここの呼び物のひとつで、街中とちがって当局のうるさい規制に煩わされることもなく、美女をはべらせた金持ちたちがテーブルに金貨を積み上げていた。

 かように凝った店のつくりにふさわしく、〈蒸気船〉亭を訪ねる者は沼の岸から渡し舟に乗らなければならなかった。夜、船着き場から沼に漕ぎだした舟の乗客たちは、きまってぽかんと口をあけ、無数の灯火でその輪郭をあらわにした不夜城の威容に見とれるのだった。

 そして今、この宿に潜入しようとする探索者たちがいた。地上からでは渡し舟に乗らないと近づけないため、地下から近づこうと考えたのだ。カルロブルクの下水道に詳しいネズミ捕りを案内役として雇い、一行は地下トンネルを進んでいた。

【その2】へ

Catcher in the Sewer(下水道探索者たち)【その2】

| 00:54

その2です。モール教の聖別司祭紫水晶の学府の上級魔術師帝国陸軍海軍みたいな会話をしとります。しかしまあ、【魔力点】でみると司祭はやっぱり不利ですね。入信者0→司祭1→聖別司祭2→司祭長3なのに対して、魔術師系は見習い魔術師1→中堅魔術師2→上級魔術師3→主席魔術師4と、常に周回遅れですからね。う〜ん、しかしこのあたりは自分は実プレイの経験が少ないので理解が浅い気がします。

魔術師系PCを強化するならこのサプリです。しかし、データ主体なのは呪文リストの6章と魔法アイテム類の7章、ルーン魔術の8章くらいで、それ以外が延々フレーバーというのがウォーハンマーらしいです。八大魔法学府の学府ごとの長々しい説明など、よくぞこんなのを思いつくものだと感心してしまいます。

司祭系の強化ならこちらです。しかし、『魔術の書』に輪をかけてフレーバーばかりでして、ゲームの本なのか西洋中世パラレルワールド解説本なのか判らなくなってきます。そこがステキです。



 ***

 下水道の壁面でゆれていた探索者たちの影が、開口部をぬけたとたんにさっと消えた。

 長いトンネルをぬけた先は地下洞窟だった。角灯の明かりがとどかぬほどに天井が高く、ひんやりした空気につつまれている。隊列の先頭をゆくネズミ捕りのクラウスが角灯を掲げ、ゆくての闇に目を凝らした。

「ここからは舟で行くしかありませんぜ」

 洞窟はいちめんの池で、鏡のような水面が広がっていた。小柄なネズミ捕りの視線の先に、一艘の小舟があった。石の床面に河岸のような段が刻まれ、船着き場まで降りていけるようになっていた。

クラウス、それは避けたい。隊が分断されることになるし、船上で敵に襲われたらひとたまりもないからな」

 モール教聖別司祭アマデーウス・ハイドリヒが後ろから不満げな声を上げた。黒一色の長衣が闇に溶けこみ、四角張った顔だけが宙に浮かんでいるかのようだ。そこに角灯の灯が隈取りのような影を投げかけ、いかにも死の神モールの聖職者にふさわしい形相にみせていた。

「わたしは賛成だね。少なくとも下水道の悪臭から解放されるのはありがたい」紫水晶の上級魔術師アメジストウィザード)ルートヴィヒ・イェーケンが口をはさんだ。「いや、あんたが反対する理由もわかるよ。水域は海洋の神マナンの領域だからな。守護神モールの保護が及ばぬ場所であんたがひどい失態を晒したとしたら、そりゃたいそうな見物だからね」

 アマデーウス・ハイドリヒは答える代わりに鋭い目を相手にむけた。司祭魔術師が足をとめて睨み合うさまを、誰もが無言で見守っていた。ネズミ捕りのクラウスだけはそれを無視して石段を下り、小舟のもやい綱を解いた。

「ここしか道はねえんです」ネズミ捕りのクラウスが、洞窟入り口に固まった面々をふり向いて言った。「前に来たときはこんな池はなかったんですが、死霊術師の一味がライク河から水を引き込んだのかもしれやせんね」

 司祭魔術師はやむなく石段を下り、船べりをまたいだ。彼らの後から部下一名ずつが乗りこむともう小舟は満員だった。ネズミ捕りクラウスが船頭の棹で岸を突き、小舟を池にすすませた。

 クラウスが持ってきた角灯が舳先の柱に吊してあり、その灯火を頼りに小舟は闇のなかを進んでいった。船上の五人はしばらく黙りこくっていたが、やがて紫水晶魔術師イェーケンの部下でフーゴーという若者がぽつりと言った。

劇作家ヤコポ・タラダッシュの四大悲劇のどれかに、たしかこんな場面がありましたね。先天性の混沌変異で顔の半面が爛れた化け物のような男が、歌姫を小舟にのせて地下のねぐらまで運ぶという」

「『スカラ座の怪人』だね」イェーケンが答えた。「歌劇場の地下に池が広がっているだなんて、架空の物語であるにしても眉唾だと思ったものだが、こうして目の当たりにしてみると、あれも実話だったかもしれないと思えてくるから不思議なものだよ」

 モール司祭ハイドリヒは苦虫を噛み潰したような顔でそれを聞いていた。これから敵地へ乗りこむというのに、なんという脳天気さだろう。聖別司祭である自分より、上級魔術師である彼の方が呪文使いとして一段上手であることは否定できないが、何かにつけて自信過剰なイェーケンのふるまいが鼻について仕方がなかった。もともと、魔術師という輩とは肌が合わないのだ。モール教団単独で解決できる問題であれば、紫水晶の学府に助力を頼むこともなかったものを。

 ぺらぺらと喋りつづける魔術師イェーケンの横顔を、ハイドリヒは憎々しげに見つめた。顎のとがった細面の顔に、魔女のような鉤鼻。そして死神のような大鎌を肩にもたせかけている。こいつめ、下水道ではその鉤鼻をしきりにひくつかせ、この臭さにはもう耐えられぬと弱音ばかり吐いておったものを、洞窟にでたとたんに元気になりおって。

 カルロブルク全市の汚穢を集めて流れる下水道の悪臭たるや、そうはもうたいそうなものだった。慣れない者がうっかり地上にいるつもりで息を吸い込もうものなら、たちまち顔が引き攣って、ぜんそくの発作のように四つん這いになって吐き気と戦うはめになる。しかしモール司祭ハイドリヒは、仕事柄悪臭に耐える訓練はつんでいた。モール教団はエンパイア全域において死者の埋葬を請け負っている。入信者にまず課されるのは、遺体保管所の腐敗臭に耐える訓練である。彼も長年の精進の甲斐あって、悪臭紛々たるなかで清浄な空気だけを選んで吸い込むすべを会得していた。

 それにしても広い洞窟だ。どこまで続いているのだろう。ハイドリヒは額に手をかざして舟の進行方向に目を狭め、角灯の火を直接見つめてしまい、目を昏ませた。

「歩きならなんでもない距離なんですが、舟だとなかなか着きやせんね」

 彼の懸念を見透かしたかのようにクラウスが言った。この小舟には櫓がついていない。司祭魔術師の部下たちが左右にならんで一本ずつオールを漕ぎ、小男のネズミ捕りが舳先に立って棹を操っていた。そしてハイドリヒとイェーケンは後ろの席に肩をならべて、お互いを避けるようにして座っていた。

 インクのように黒い水面を分けて、小舟はゆっくりと進んでいく。灯火ひとつが闇をただようさまが、まるで蛍のようだった。

 ハイドリヒは船べりに両手をかけて、灯火のとどくかぎりの水面を見回し、危険の兆候を探ろうとした。ただよう水蒸気が霊魂にもみえてきて、背筋が震えることもたびたびあった。もとより彼はモール司祭、アンデッド撃退用の呪文にも心得はあるが、不可視の霊体を肉眼で察知する呪文にかんしては、隣にいる紫水晶魔術師の力を借りねばならない。こちらからいちいち頼まずとも、率先して魔法をかけてくれればよいものを、まったく、気の利かない男だ。それとも、呪文を出し惜しみする理由が別にあるのだろうか……。

 モール教団と紫水晶の学府がこうして呉越同舟をすることになったのは、ここカルロブルクでおきた事件がきっかけだった。

 街道で馬車強盗をくり返していた一団がついに巡視隊に捕縛され、見せしめのために街の防壁の外にある古木に吊された。アルトドルフからやってきた旅人たちは、大門をくぐる前に否応なくおぞましい枝飾りを見るはめになった。ところが三日目の朝、見回りの者がきてみると、枝枝をしならせていた吊るし首の死骸がきれいさっぱりなくなっていたのだ。

 死体などをわざわざ掠っていくのは死霊術師の仕業と相場が決まっている。蘇生術をほどこして、ゾンビスケルトンといった死屍の兵卒に仕立てあげるのだ。死霊術師と言ってもさまざまで、正規の学府魔術師が暗黒の魔法体系の誘惑に負けることもあれば、似非魔術師あがりの魔女が黒魔術を究める例もある。あるいは、吸血鬼をはじめとする上級アンデッドがみずから下級兵団を指揮することもある。いずれにしても、カルロブルグ市民にとって重大な脅威であることに変わりはない。墓地を管理するモール教団としても見過ごしにできない重大事であり、ただちに下手人捜しにとりかかった。

 調査の結果浮かび上がったのが、郊外の沼に浮かぶあの〈蒸気船〉亭だった。旅行者が行方不明になることがたまにあり、目撃証言をつなぎ合わせるとその多くの足取りが〈蒸気船〉亭で途絶えているのだ。となると、あの旅亭に死霊術師のアジトがある可能性が高い。

 シグマー教の聖堂騎士団、いわゆる魔狩人たちと手を組んで強制捜査をかけ、渾沌の奉仕者らを一網打尽にしようとハイドリヒは画策したが、ある日、司祭長の執務室に呼ばれ、この件を表沙汰にすることは控えるように命じられた。〈蒸気船〉亭はカルロブルクの名所であり、全館強制捜査などすれば街の評判にも悪い影響がでるというのだ。彼はやむなく水面下で動くこととし、死の魔法体系を究めるという点でモール教団と共通点の多い紫水晶の学府に協力を依頼することにしたのだ。いかんせん魔法の強力さにおいて、司祭魔術師に一歩劣る。モール教団独力では戦力として不安があったのだ。

 エンパイアの八大魔法学府はすべてアルトドルフに本拠を置いている。ここカルロブルクには裏通りに小規模な支部会館があるばかりで、学府に入学したものの魔導師にはなれずに帰ってきたいわゆる?終身見習い?の老人たちが常駐し、修行の旅のとちゅうで街に滞在する中堅魔術師たちを依頼に応じて斡旋していた。会館を訪れたハイドリヒは、中堅魔術師では助っ人として決定打に欠けると立ち去ったが、翌日、支部代表だという人物がやってきて、軍属魔術師派遣しようと申し出てきた。ミドンランド領邦軍は多数の軍属魔術師を雇い入れているが、軍内にアンデッド戦を専門とする特殊部隊があり、紫水晶魔術師たちを抱えているというのだ。

 支部代表いわく、死の魔法体系を奉ずる自分たちはよく死霊術師と間違えられ、迷惑している。その疑いを晴らし、民を迷信から解放するためにも、下手人の死霊術師を捕縛し、紫水晶魔術師の手で公開処刑にしたい、とのこと。

 さらに翌日、大鎌をかつぎ、十名の部下を引き連れてやって来たのが、正規上級魔術師ルートヴィヒ・イェーケンだった。エリート意識に凝り固まった尊大な男で、ハイドリヒがさしだした手を穢いもののように握り、鉤鼻の頭に皺をよせた。その瞬間にハイドリヒは思い知った。この共同作戦はやっかいなものになるだろうと。

【その3】へ

Catcher in the Sewer(下水道探索者たち)【その3】

| 00:57

その3です。ここは完璧な中継ぎなので、前置きなしで本文にいきます。



 舳先の角灯が投じる明かりに、洞窟の壁面がぼんやり浮かんだ。ようやく地下の池を渡りきったのだ。

 ネズミ捕りのクラウスが棹を操って小舟を岸に着けた。クラウスがまず船着き場に降り、石段を登ってあたりを見回し、安全を確認した。

「さて、どうしたものか」

 珍しくイェーケンの方から話しかけてきた。

「ひとりに小舟を漕ぎもどらせて、後続をピストン輸送するしかあるまい」

 上級魔術師イェーケンはうなずき、財布から真鍮ペニーを一枚取りだした。

「コイン投げで決めるのだな。ではわたしは表にかけよう。裏が出たらうちの若い者をもどらせる」

 魔術師は親指で硬貨を弾き、手の甲で受けとめ、そこにもう一方の手をかぶせた。

 かぶせた手をのけると、硬貨は裏を示していた。

「貴様、もしや……」

 イェーケンは先回りして硬貨をつまみ、裏表の両面がきちんと揃っていることを見せつけた。

 ハイドリヒはやむなく部下にもどるように命じた。司祭になったばかりの若者はうなずき、角灯の火で松明に点火をすると、二本のオールを握って黒い水面へとまた漕ぎだした。

 かくして洞窟池の対岸にはモールの聖別司祭ハイドリヒ、紫水晶の上級魔術師イェーケンとその部下の見習い魔術師フーゴー、そして案内役のネズミ捕りクラウスの四人が残された。

 後続の到着をただ漫然と待つばかりでは芸がないので、ひとまず行けるところまで偵察することにした。あわよくば、小舟がもう一艘廊下に吊されてでもいないかという期待もあった。

 クラウスが角灯をかかげて先頭をすすみ、イェーケンと見習い魔術師がその後ろで横にならび、ハイドリヒは?骨のお守り?を握りしめて最後尾についた。このお守りがあれば、奇っ怪なアンデッドにいきなり出くわしても恐怖に硬直せずに反撃できる。呪文は効果時間が限られるし、戦闘がはじまってから唱えては手遅れになることもある。だからお守りが重宝するのだ。

「しかし、鼠の多い地下道だな」イェーケンが言った。

厨房から出るゴミがよほど多いんですかね」とクラウス

 かさこそと走り回る鼠の足音がたえず通路の先から聞こえてくるし、角灯の明かりを浴びて血迷った鼠が逃げる方向を誤って、こちらの足元をかすめて後方に走り去ることもある。天井からは粘り気をおびた水が滴ってくるし、通路の隅で腐臭を放つドブネズミの死骸が動いたかと思うと、群がっていた屍肉漁りの甲虫が四方八方に走りだしたこともあった。下水道に比べればましかもしれぬが、不潔きわまる地下道だった。

 角灯を床に置き、輪になって腰をおろしたときのこと、通路の奥の壁に巨大な鼠の影が映っているのが目にとまり、ハイドリヒは息を呑んだ。彼のただならぬ表情に気づいたクラウスが肩越しにふり返った時、鼠の影はどこかに消えた。なんのことはない、角灯の明かりで影が引き延ばされていただけだった。

 これ以上進んでも舟のたぐいは見つかりそうになく、洞窟へ引き返しかけたとき、通路の先から唸り声のようなものが聞こえてきた。

 足音を忍ばせて近づくと、鉄格子のはまった牢があった。薄暗く、ほこり臭い部屋の奥で三人の囚人が、簡易寝台の藁布団に力なく掛けていた。いずれも髪が伸び放題で、年齢も性別もにわかには判別しがたかった。

 三人の囚人が簡易寝台から立ち上がり、天を仰いでは床に額をこすりつけることをやり始めた。アラビィ人のような伏拝を何度もくり返しながら、低くうなりつづけている。三人の目はうつろで、鉄格子の前に立った探索者たちがみえていないようだった。

 ハイドリヒとイェーケンが目を見合わせた。イェーケンがうなずき、まず帝国共通語(ライクシュピール)で、次いでティリア語とエスタリア語で話しかけた。しかし囚人たちには、そもそも声が聞こえていないようだった。

 ハイドリヒも骨のお守りを握りしめたままブレトニア語で話しかけてみた。結果は同じことだった。

 やがてイェーケンの部下の見習い魔術師フーゴーが、鉄格子に組みつけられた扉の錠前に目をとめた。なんのことはない、外側からはつまみを回すだけでひらく仕組みになっていたのだ。

 ちょうつがいを軋ませて扉がひらく。見習い魔術師が身をかがめて開口部をくぐり、三人に近づいていく。それでも気がつく様子がないので、いちばん近くにいる男の肩を叩いてみた。

 すると三人がいきなり目を剥き、見習い魔術師につかみかかった。若者は押し倒され、もみくちゃにされた。

フーゴー! 大丈夫か」イェーケンが若者の名を呼んで牢の戸をくぐった。クラウスとハイドリヒがその後につづく。三人がかりで手前の囚人を引き剥がそうとしたが、驚くほど力が強くてびくともしない。囚人は三人が三人とも、蹴ろうと殴ろうとなんの反応もしめさなかった。

 クラウスが短剣を囚人の肩に突きたてた。引き抜くと、どす黒い血が吹き上がったが、それでも相手はなんの反応もしめさない。イェーケンの大鎌は牢内でふりまわすには大きすぎ、廊下に置いたままだった。

ゾンビではないのだな」とっとに判断がつかず、ハイドリヒは問うた。彼の攻撃呪文は死者専用であり、生者に対しては効果がないのだ。

「血が温かい。死んではおるまい」イェーケンはそう答え、両手をふり動かしてみじかく呪文を唱えた。すると手の中に光り輝く投げ矢があらわれ、肩から血を流した囚人の背中に魔術師はそれを投げつけた。

 囚人が身をのけぞらせて倒れた。

 のこりふたりの囚人はようやく我に返ったのか、床でのびている見習い魔術師を放置して立ち上がり、一行をふり向いた。と、思いきや、また四つん這いになり、犬のようなすばしこさでハイドリヒたちの足もとをすり抜け、扉を抜けて駆け去った。

「お生まれなさる。お生まれなさるぅ」

 呻くような言葉が廊下に反響して遠ざかっていくのが確かに聞こえた。

 クラウスが慌てて開口部をくぐり、廊下の行き止まりから左右を覗いたが、ふたりの姿はとうに消えており、どちらに逃げたものとも判断がつきかねた。

 見習い魔術師フーゴー・ビュルクナーは肩の肉を噛みちぎられかけ、長衣にべっとりと血がしみていた。だが幸いに傷は動脈からそれており、命に別状はなかった。応急処置を施すと、青ざめていた青年の顔に血色がもどった。

 囚人はすでに息絶えており、尋問することはできなかった。

「たしかに見えました。あの者どもの手のひらには、ゆがんだ星型の入れ墨がありました」

 見習い魔術師フーゴー・ビュルクナーが恐怖に顔をゆがませた。

「あいつらは何者なのだ?」とイェーケン。「なにかに取り憑かれているように思えたが。誰がなんの目的で投獄したのだろう」

「お生まれなさる、と口走りつつ逃げていったな」ハイドリヒが言った。「あれはいったいなんなのだろう」

 魔術師司祭はネズミ捕りに目をむけた。

「さあ、なんですかね」クラウスが答えた。「あっしにもさっぱりわかりやせん。なにかの教団でしょうか」

死霊術師の一味とは別なのだろうか」ハイドリヒは胸によぎった不安を口にした。

「まさか、ガセネタだったということはあるまいね」イェーケンがじろりと司祭に目をむけた。「紫水晶の学府がとんだ無駄足を踏まされたということになれば、モール教団にはどんな噂がたつことだろうね」

 ハイドリヒはイェーケンにつかみかかった。フーゴーとクラウスがふたりがかりでようやく司祭を引き剥がした。

「よしてくだせえよ。まるっきりさっきの囚人とおんなじやり口じゃねえですか」

 乾いた笑いが牢獄であがった。全員が自嘲とも皮肉ともつかぬ笑い声をたてていた。

 とにかく、四人だけでこれ以上進むのは危険だった。一行は洞窟まで引き返すことにした。

【その4】へ

Catcher in the Sewer(下水道探索者たち)【その4】

| 01:13

その4です。おっさん視点で書くのに疲れて、若者の視点に変えてしまいました。もうなんでもアリです(苦笑)。

しかも、男だけではつまらんので女まで出してしまいました。『ウォーハンマーRPG 基本ルールブック』の冒頭小説「人生は、死を越えてなお」に出てくるイムケという屑拾いの女が印象的だったので。

ちなみにその冒頭小説の著者Dan Abnett氏は、ウォーハンマーのコミックの原作も手広く手がけられています。

Warhammer 40,000: Damnation Crusade

Warhammer 40,000: Damnation Crusade

これとかです。自分も1冊買ってみた(上記にあらず)のですが、それは絵が完璧にアメコミテイストでした。しかし、翻訳チームの人に見せてもらった別のコミックはなかなかよい感じの絵でした。



 見習い魔術師フーゴー・ビュルクナーは足取りも重く地下道を歩いていった。

 門歯の歯形がくっきりついた肩の痛みは言うまでもないが、身体のあちこちをわしづかみにした囚人たちの握力がいまでも感じられ、事あるごとにやつらの体温と息づかいと垢じみた体臭が甦ってくる。

 上級魔術師イェーケンは大鎌をかつぎ、険しい顔をいっそうしかめて彼のとなりを無言で歩いていた。モール教団の聖別司祭ハイドリヒは、生者相手の攻撃呪文を持ち合わせないため、フレイルをぬいて最後尾をすすんでいた。

 それにしても、もう少し仲良くすればよいのにと思う。お互いに相手の何が気に入らないのだろうか。いがみ合ってそっぽを向くよりも、協力の手をさしのべ合った方が事もうまくすすむだろうに。

 歳をとると、人間誰しもこうして意固地になるのだろうか。経験を重ね、ひとつの道に熟達すればするほどにこだわりが強くなり、譲れないものが多くなっていくのだという。それはひとつ間違えば、引き返せない道にどんどん深入りしていくことではないかとフーゴーは思った。さんざん歩いてきた道が袋小路だったと気づいたとき、人はいったいどうすればよいのか。

 隊列の先頭で角灯をかかげ、膝の曲がった脚で肩をゆらして歩く貧相な小男クラウスも、彼からすれば不可解な男だった。なにを話しかけても卑屈なあの眇(すがめ)面をむけてきて、へえ、いいえ、とそっけなく答えるだけで、なにを考えているのかさっぱりわからない。どうしてあのように心を閉ざすのだろう。選良として優遇され、高い教育を受けた自分たち魔法使いへのひがみもあるのだろうか。

 それにしても、年端のゆかぬ頃から下水道にもぐり、一介のネズミ捕りとして終える人生とはいったいどんなものなのだろう。クラウスの爪の隙間には泥とも煤ともつかぬ黒い汚れがたまっており、指紋の間にも汚れがこびりついていた。きっとあの汚れはどれだけ洗ってももう落ちないのだろう。腰からじゃらじゃらと商売道具の工具類やら獲物の頭蓋骨やらを吊り下げていて、それだけがあの男の誇りであり生き甲斐でもあるように思われる。クラウスという男の肚(はら)にある人生観は、若いフーゴーの理解を超えていた。

 しかし、先ほどの牢屋では魔法使いばかりのパーティのもろさを如実に感じさせられた。魔法頼りの自分たちは遠隔攻撃には巧みであっても、接近戦での守りにおいてどうしても弱い。敵の攻撃を盾で受けとめ、別の敵を鎧ごと一刀両断にし、組みついてきた敵を力でねじ伏せる戦士の存在が、冒険者パーティにはどうしても欠かせない。洞窟池の対岸に残してきたミドンランド領邦軍の戦士たちがこれまでになく頼もしく感じられ、彼らと合流することが待ち遠しくてならなかった。

 こうして歩きながら考え事をするのがフーゴーの悪い癖だった。突然話しかけられて上の空の言葉を返すことがあり、よく同輩にからかわれた。いま自分たちは敵のアジトへとつづく地下道にいる。くれぐれも気を引き締めてかからねばと心でおのれを叱咤したとき、クラウスの角灯がふつりと消えた。

 たちまち地下道は無明の闇に沈んだ。となりにいる上級魔術師イェーケンの大鎌がほのかな紫色を発しているばかりで、同行者たちの顔も姿もまったく見えない。天井にぶら下がったコウモリたちの眼が水晶玉のように透き通ってみえ、そぞろに不安をかき立てる。

 イェーケンから小声で命じられて、フーゴーは呪文を唱え、手のひらに小さな炎を出現させた。魔法学府で最初に習う初歩的な呪文だ。ろうそく程度の明かりが探索者たちの顔を照らした。フーゴーはクラウスに歩みより、ガラスで囲われた角灯に手をさし入れて、再点灯してやった。

 廊下がぱっと明るくなった。一行はまた歩きはじめた。

 何回目かの角を曲がったとき、先頭のクラウスが突如立ち止まり、足裏で道を探るかのようにすり足をしはじめた。

「どうしたんだ?」最後尾のモール司祭ハイドリヒが声をあげた。

「道がおかしいんです」クラウスの表情がこわばっていた。「たどってきた通路を戻ってきたつもりが、覚えのない道にでるばかりなんで」

 イェーケンとフーゴーがクラウスに並びかけて、T字分岐の左右をきょろきょろと見回した。ハイドリヒもやってきて、四人が一箇所に寄り集まった。

 と、そのとき、床板がぬけた。

 落とし穴は滑降台になっており、四人はもみくしゃになったまま滑り降り、石の床に身体を打ちつけた。

 痛みにもだえる暇もなく、敵が襲いかかってきた。粗雑な棍棒をにぎり、さきほどの囚人のような襤褸をまとった人間たちが、ざんばらの髪を振り乱して三方から迫ってくる。フーゴーは片膝をついた状態で剣をぬき、先頭の男を横薙ぎに斬り倒した。ハイドリヒが彼の後ろからフレイルを振り回して突進し、たちまち二、三人の頭を西瓜のようにたたき割った。敵はいずれも眼窩を黒く塗り、熱病患者のように目を泳がせて、取り憑かれたように棍棒をふりまわしている。クラウスは短剣を逆手に握って敵中に踊りいり、軽快な身のこなしで棍棒をかわし、敵の急所に刃を突きたてた。

 イェーケンは打ち所が悪く、三人に後れをとった。ようやく立ち上がると大鎌を構えてふりまわし、その刃の軌跡を血の円弧で描きだし、敵を一歩も近寄らせなかった。

 一行が落ちたのは広間の片隅で、人の波がそこめがけて押しよせてきた。部屋の四隅のひとつに背中を預けられるのが幸いだったが、多勢に無勢、たちまち四人は分断され、フーゴーはクラウスとともに敵に囲まれた。ハイドリヒとイェーケンもそれぞれ孤軍奮闘しているらしく、剣戟や怒号がどこからか聞こえてくる。

 フーゴーとクラウスは追い詰められ、背中合わせで敵と対峙するかたちになった。

「申し訳ありやせん。あっしの手抜かりのせいで」

「いや、いいんだ。それに、いまはそれどころじゃない」

 フーゴーとクラウスは息を合わせて敵に躍りかかり、刃をふるって数人を斬り倒した。だが、そこまでだった。ふたりがふたりとも敵の輪のなかで孤立し、寄せ来る大波に飲みこまれた。

 数分後、四人は捕縛され、広間中央に運び込まれたの磔刑台の前に引き据えられた。襤褸服にざんばら髪の敵勢が磔刑台を半円状に囲み、黒く塗られた眼窩のなかで目を期待にぎらつかせている。

 群衆がふたつに割れて、ねじくれた杖を握った小柄な女が歩いてきた。髪を幾房にも細く編み込んで小動物の骨を飾りつけ、顔ぜんたいを黒く、唇と目のまわりを白く塗っている。首にも門歯を数珠のように紐にとおした飾りをかけていた。女が磔刑台の前に立って杖を掲げると、群衆がいっせいに歓呼の声をあげ、両手をあげては膝をついて伏し拝む動作をくり返した。誰の手のひらにも、フーゴーが先ほど牢獄で目にした、ゆがんだ星型が描かれていた。

 磔刑台は十字架のかたちをしたもので、ひとりの女が縛りつけられていた。女は目をとじてぐったりと顔をうつむけており、身動きひとつしなかった。ほおにひとすじ刀傷があり、流れでた血が乾きかけていた。すでに死んでいるのかもしれなかった。しかし女はまつげが長く、鼻筋がすらりと通っていて、土気色の唇に紅さえさせば美人なのかもしれなかった。

「万事休すだな」上級魔術師イェーケンがため息とともに言った。

「取り返しのつかぬことになってしまった。詫びても詮ないが、すまぬ……」モールの聖別司祭ハイドリヒがしぼり出すような声で言った。

 ネズミ捕りのクラウスは無言だったが、責任を感じて唇を噛みしめているのが気配でわかった。

 見習い魔術師フーゴー・ビュルクナーは目をしばたたき、天井を見上げた。まもなく自分たちは死ぬ。本当に死ぬんだ。そう胸に叫んでも、少しも実感が湧いてこなかった。オールド・ワールドでは死はあっけなく訪れる。日々、いつ何時でも注意を怠ってはならないのだと祖母から言い聞かされて彼は育った。これまでの人生で、ひとつ間違えば死んでいてもおかしくない経験も何度かしてきた。しかしそのたびに、間一髪で死を免れてきた。たしかに彼のまわりにも、夜道で酔っぱらって寝てしまい馬車に轢かれて死んだ者や、高塔の展望窓から身を乗り出しすぎて落ちて死んだ者もあった。フーゴーも同じようなことをしたことがあるが、絶体絶命と思われた瞬間に、生と死を分ける紙一重の生の側に立つことができた。自分は幸運に恵まれているという根拠のない自信があった。

 だがそれは、本当に根拠のない自信だったのだ。人間、死ぬときは死ぬ。そのときが刻一刻と迫りつつあった。

 ねじくれた杖を握った呪術師とおぼしき女が、調子はずれな声でなにやら詠唱しはじめた。それに群衆が声を合わせて、広間はうねりのような唱和につつまれた。誰もが床に膝をつき、両手を高く上げては伏拝することをくり返していた。いよいよ処刑がはじまるのだ。

 磔刑柱に縛られた女が両眼を大きく見開いた。そして、磔刑柱そのものがくねくねと動きはじめた。よくよくみれば、それは木材を十字に組んだものではなく、異様な肉質をしたものだった。多種多様な肉を縫い合わせてできた?それ?は部分ごとに異なる色合いをしており、あちこちに目や口がもごもごと出現しては、ふたたび肉の奥へと沈みこんでいった。女の両手両足も縄で縛られているのではなく、肉質の磔刑柱からのびた巨大な鉤爪につかまれているのだった。

 肉柱に現れては消える口から、体長一フィートはある大ムカデや、まるまると太ったウジ虫の群れがわらわらと出てきて、女にまとわりつき、手足を這いすすんだ。フーゴーはみているだけで気色が悪くなり、目を固くつぶって頭(かぶり)をふった。

 自分もこれからああして死ぬんだ。どの神に祈ったらいいのだろう。シグマーへの祈りは届きそうにないし、ウルリックも女々しいやつだとそっぽを向くだろう。シャリアの慈悲は……はたしてもたらされようか。ラナルドの幸運も、とうていこの事態は変えられそうにない。だとしたら……そうだ、モールだ。自分はまもなくモールの国へ旅立つ。そこで快く迎え入れてもらえるように、死の神に祈るしかなかった。

 背後で手首を縛られた両手をどうにか握り合わせて祈るフーゴーの耳に、女の苦悶の呻きがとどいた。フーゴーはいっそう目を固くつぶり、モールへの祈りに集中しようとした。だがそうすればそうするほど、磔刑柱の鉤爪につかまれた女の苦しみがまざまざとまぶたの裏に浮かぶばかりだった。ムカデが顔を這いまわり、固く閉じられたまぶたを無理にこじ開けて眼球に口器をうずめる。頬の刀傷に群がっていたウジ虫どもがいっせいに顔を伝ってその傷にむしゃぶりつく。そしてどれだけ時間がたったのか、女はすっかり顔を食い破られ、残った肉の隙間から奥歯や鼻の骨が露出し、眼窩からは豆粒のようにウジ虫がぽろぽろとこぼれ落ちていた。

 そこにカラスの鳴き声が重なった。モールの使者の大鴉が甲高く鳴きながらどこからか飛来したのだ。そしてフーゴーは、まぶたごしにまばゆい光を浴びた。

「よし、今だ」

 イェーケンの声が聞こえたかと思うと、身体を縛っていた縄が風化してぼろぼろと崩れた。フーゴーは半信半疑で腰にまわされていた両手を顔の前にもってきて、たしかに縄が解かれていることを確認した。磔刑台を半円形に取り巻いた群衆はみな床に突っ伏して寝息を立てていた。ねじれた杖を握った女呪術師も口を大きくあけていびきをかいている。フーゴーにつづけてイェーケンとクラウスがよろよろと立ち上がった。ハイドリヒだけは疲労困憊の体で腰をおろしたまま荒い息をしている。

「モール司祭もなかなかやるものだ」イェーケンの言葉にはめずらしく皮肉がこめられていなかった。

「とっておきの魔術を用いた。モールの魔法体系でもかなりの難度に属する術だ。手足を縛られた状態でかけたのは初めてだ。成功か死か、ふたつにひとつと思いつめたからこそうまく行ったのだろう。モールさまへの祈りが通じたのだ。しかし、脳みそが煮えるかと思った。いまでも頭が割れるようだ」

 怪訝な顔をしたフーゴーに、イェーケンが声をかけた。

「敵をいっせいに眠らせる魔法をかけたのだ。さあ、今のうちに逃げ出すぞ」

 背後でどさりと音がした。何事かとふり向くと、磔刑柱に縛られていた女が床にうずくまっていた。

 フーゴーは駆けより、女の背中をさすった。

「大丈夫ですか? お気を確かに」

 女が呻きつつふり返る。あちこちを食い破られたその顔が、フーゴーの脳裏にふたたび浮かんだ。

 だが、女の顔は損なわれてはいなかった。なめらかな肌を横切る刀傷ばかりが生々しかった。

「ありがとう。でも、あたしのことより自分の心配をした方がいいよ」

 鋭いまなざしがフーゴーをたじろがせた。女の革鎧はずたずたに裂け、あちこちに汚れが染みついて、ネズミ捕りクラウスにも劣らぬ臭いをたてている。だが、その内側にいる女は若く、熱い血潮をたぎらせており、そばにいるだけで肌がほてる心地がした。

【その5】へ

Catcher in the Sewer(下水道探索者たち)【その5】

| 01:17

その5です。一行の冒険は続きます。



 女の案内で一行は広間をぬけ、地下通路を早足にたどった。ハイドリヒはまだ疲れがぬけず、クラウスとイェーケンに左右から抱えられるようにしてついてきた。

 廊下をぬけると、円形の空間にでた。曲面をなす壁面にはアーチ型にくりぬかれた開口部が一定間隔でならんでおり、ここが車輪の軸にあたる放射の中心であることがわかる。

「ここは言うなれば井戸の底。蟻の巣の縦穴のようなものさ。縦穴からいろんな部屋が枝分かれしてるってわけ」

 見あげればそこは吹き抜けになっており、天井は暗闇に沈んでみえなかった。壁には螺旋階段が刻みつけられ、円筒状の空間をめぐりつつ上方へどこまでものびている。水蒸気のただよう吹き抜けで各階ごとに点々と灯された火が、九層地獄の諸層をしめすものであるように思われた。

 見通しのよい階段広場で一行は小休止をすることにし、床に輪になって腰をおろした。

「あたしはマルタ傭兵崩れの盗賊さ」一座の視線を浴びた女が、問われる前に切りだした。「〈蒸気船〉亭の地下に金銀財宝で飾られた部屋があるってんで仲間たちと忍びこんだのはいいけれど、そのあげくがさっきのザマさ」

 マルタと名乗った女は、水筒の水をひとくちあおると言葉をつづけた。

「地上の沼をこっそり小舟でわたって来たのはいいが、ここの地下は罠だらけだ。仲間がひとりずつ倒れていき、最後に残ったあたしは捕まって、気づいたらあの柱に縛られていたんだ」

 女は細い眉根をよせ、おぞましい記憶をふりはらうように頭(かぶり)をふった。

「地下でも上層階はとくに警戒が厳しいですから」クラウスが言った。「あの洞窟からでなきゃとうてい忍びこむのは無理です。もっとも、あっしも罠にかかりやしたが……」

「その金銀財宝の部屋というのは、死霊術師のアジトのことなのか?」

 イェーケンが猛禽のような目を上向けて訊ねた。

死霊術師? 聞いたこともないね。あたしらはただ、派手な祭壇のある金銀財宝で飾られた部屋があるって話を人づてに聞いて、ひと儲けしようと潜りこんだだけさ」

「祭壇か。ことによると、ここはなにかの地下教団の拠点なのかもしれないね。死霊術師というのは、その教団の一員なのでは」

 フーゴーは上司の言葉を聞いて、なるほど、と心のなかで納得した。

「この女のいう金銀財宝の部屋というのが、あっしらの目指す場所と考えて間違いねえでしょうね」

 クラウスが女の顔をちらりと見た。

「なら、話は決まりだね。共通の目的のためにここは手を結ぶと」

 女はまばたきもせずにひと息に言った。

 モールの上級司祭ハイドリヒが立ち上がった。

「ならば行こう。わたしはもう大丈夫だ。小瓶入りの水薬を飲んで、気力も体力も回復した。クラウス、道はわかるのか?」

「へえ、階段場に出られましたので、どうにかなると思います。ここは第九層。目指す部屋は第六層にありやす」

 一行はふたたび武器を手に、歩きはじめた。

 クラウスが角灯をかかげて螺旋階段をのぼり、その後にハイドリヒとイェーケンがつづく。少し間を空けてマルタが四番手の位置につけ、フーゴーは最後尾を歩いていった。

 探索者たちは足を忍ばせていたが、それでも靴音が円筒状の壁面に反響し、フーゴーは気が気ではなかった。階段で挟み撃ちにされたら逃げ場がないし、そこに火球でも投じられればたちまち全滅だ。

 大事をとって洞窟に引き返すべきではなかったかと思う。たしかに、ここまで来れば目的地の方が近いのかもしれない。しかし、洞窟までもどれば頼もしい戦士たちがいるのだ。どのみちもどる途中でやられるのだろうか。それならば本拠地に踏みこんで首領を倒し、敵勢を壊乱させる方がまだ望みのあるやり方なのだろうか。

 それにしても、よく生き延びられたものだ。自分はほんとうに幸運に恵まれているのかもしれない。そしてこのマルタという女性。長靴の足取りもきびきびとして頼もしく思える。彼女もよくぞ生き延びたものだ。盗賊だといったから、ラナルドに祝福された聖なる女ででもあるのかもしれない。

 髪留めでまとめた栗色の髪が埃や泥をかぶってドブネズミの毛のようになっている。しかしマルタの腰はくびれて女らしい曲線を描きだし、歩みにつれて革鎧の裾がひらひらと揺れていた。

「あたしの尻に宝の地図でも書いてあるってのかい?」

 マルタが足をとめてふり返り、またあの目でフーゴーを釘付けにした。いつの間に引き抜いたのか、その手には長靴に挿してあった短剣が握られていた。

 苦々しいものがこみ上げてきて、フーゴーは冷徹な現実に頬をひくつかせた。この女は傭兵くずれの盗賊だといった。どんな悪事に手を染めたのかわからない。鼻の下を伸ばしていては、たちまち喉をかき切られるだろう。

 どうにか何事もなく螺旋階段を昇りきり、一行は第六層の通路に踏みこんだ。クラウスが分岐ごとに行き先を確かめながら奥へとすすむ。とちゅう、綿菓子のように濃密な蜘蛛の巣に通路がふさがれている箇所があり、火をつけて焼き払ったところ、毒蜘蛛の大群が襲いかかってきた。先頭のクラウスが身体中にまとわりつかれ、床を転げまわった。全員で一匹ずつ引き剥がし、クラウスを救い出した。ネズミ捕りは何箇所も刺されていたが、幼い頃から下水道に潜っているために耐性ができているのか、すぐに元気を取りもどした。

 隊列を入れ替えてフーゴーが二番手を進んでいたとき、罠の針金に足を引っかけたのか、壁から毒矢が飛んできたことがあった。とっさにマルタが後ろからフーゴーに飛びかかり、ふたりとも床に突っ伏したことで難を逃れられた。フーゴーは戸惑いながらもマルタの息づかいを首筋に感じた。

 襤褸服を着て目のまわりを黒く塗り、棍棒をにぎった信者どもがふらふらと廊下を歩いてくることもたびたびあった。そのたびに一行は剣をふるい、魔法の矢を投じて敵を撃退した。思い返せば、マルタはつねにフーゴーのそばにいて、彼の背中を護るように戦ってくれていた。彼女は生き女神なのかもしれなかった。

 二人ならんで歩くフーゴーとマルタに、クラウスがときおりあの眇(すがめ)をむけてきて鼻の頭に皺をよせた。その顔がこう言っているようだった――どうせいつだって、若くて才気の溢れるたやつが女をものにしやがるんだ、と。

 とにもかくにも、目的の部屋はもうすぐだった。粗雑ででこぼこしていた壁の石組みや床のタイルがつややかに磨かれたものへと一変し、やがて片側の壁に壁画がならぶようになった。そこには歴史上重要な会戦が描かれていた。エンパイアの始祖シグマーが炎につつまれた戦鎚(ウォーハンマー)をふりかぶり、見あげるようなオーク族長に叩きつけようにしている場面や、?憤烈帝?ヒュントロットが昼なお暗いドラクヴァルトり林間の空き地でグレート・ドラゴンを斃し、ぐたりとのびたその頭部を踏みつけている場面、スターランドの平原を埋めつくした屍者の大軍勢が寄せるさざ波のごとくに西へと行進する光景、そして、黒死病によりエンパイアに大量死をもたらしたとされる鼠人間の軍勢と、それを討伐する?鼠殺し?マンドレッド帝、さらにはその後日談の、くね曲がった刃を握った鼠人間の暗殺者がマンドレッド帝を殺害する場面が、一大絵巻のように描きだされていた。

 そして一行は大扉へとたどり着いた。扉は鉄枠で補強されており、いっかなことではひらきそうにない。

「あたしにまかせて」

 マルタがあの目で探索者たちをひとりずつ見据えた。

【その6】へ

Catcher in the Sewer(下水道探索者たち)【その6】

| 01:19

その6です。変な化け物が出てきました。



 彼女は手ぶりで全員に下がるように指示し、まずは念入りに罠を探した。そして、扉への上がり段にはめ込まれていたブロックを見つけて取り外すや、ぱっと飛び退いた。

 一瞬後、碇のかたちをした巨大な刃物が天井から降りてきて、大扉のまえの空間を振り子のように往復しだした。うっかりそこに立っていたなら、身体が二枚に下ろされてはらりと前後に倒れていただろう。

 安堵の息をついて立ち上がった一行を、マルタが手で制した。

「罠を解いたときがいちばん危ない。あたしが敵ならもうひとつ罠をしかけるね」

 そのまましばらく待っていると、天井から鋭利な槍が数本落ちてきて、大扉のまえの石段に突きささった。

 フーゴーは息を呑み、背筋をふるわせた。やがて、マルタが罠の起動装置を解除して石段を昇り、大扉の鍵穴に解錠道具を差しいれた。

 金属と金属がこすれ合う音だけが、廊下の静寂のなかで聞こえてきた。

 マルタが後ろをふり返り、クラウスを手招きした。ふたりがかりであれこれと試すうちに、カチリ、と機構がかみ合う音がした。

 ちょうつがいを軋らせて大扉がひらいた。

 百の燭光にまばゆく照らされた大理石の床の大広間があらわれるかと思いきや、意外にも、扉のむこうには別の通路がつづいていた。

 通路はひっそりとして人の気配もなかった。武器をぬき、警戒しながらすすむうちに、通路の先から腐臭がただよってきた。いや、腐臭だけではない。猛烈な獣臭さがそれに混じり、息を吸うだけで目眩がした。

 通路の先に立ちはだかったのは、アーチ天井に届かんばかりに背の高い人間型生物だ。そいつは類人猿のように全身毛むくじゃらで、片腕の先が巨大な鉈になっていた。頭部は、ネズミの鼻先が象アザラシのようにぶくぶくと肥大して垂れているおかしなものだった。片方の目がつぶれて白く濁り、もう片方の目は、どうしたことか人間のものを思わせた。そいつが鉈になった腕をふるって近づいてくる。肩の盛り上がった屈強な上半身に似合わずにどうしたことか二本の脚はひょろひょろと長く、歩みがどこかぎこちなかった。

 そのため、酔っぱらいの千鳥足のような上体をゆらす歩き方になった。顎の下でとめる革製のヘッドギアをはめ、僧侶が着用する袈裟のような鱗状鎧(スケイル・メイル)を片方の肩に引っかけた姿からも、ネズミの破戒僧と呼びたくなるありさまだった。

 そいつが左右の壁に肩をぶつけながら近づいてくる。一行は身構え、武器を握って待ち受けた。

ゾンビの一種だろうか」紫水晶魔術師アメジストウィザード)イェーケンがつぶやいた。

「臭いからはそれくさい。だが、確かめてみないとなんともいえんな」

 モールの上級司祭ハイドリヒはそう答えると呪文を口ずさみ、片手をさし上げてふり動かした。みるみるその手に生命の気がみなぎり、虫の羽音のような共振音をたてた。

 ハイドリヒは鉈をかわして化け物の足もとに飛びこみ、空色をおびた手をそいつの膝の内側に叩きつけた。

 そいつがアンデッドであれば、膝から生命の気が猛毒のように全身にまわり、ひどい怪我を負わせたはずだ。しかしそいつは蚊に刺された程度の反応しかしめさず、ハイドリヒを片脚で蹴飛ばした。

 モール司祭は宙を飛び、背中から壁に叩きつけられて気を失った。

 イェーケンが大鎌をふるい、クラウスが短剣を逆手ににぎってネズミ面の化け物を食い止めようとする。フーゴーはひとつ覚えのように魔法の投げ矢をそいつに投じつづけたが、どれも袈裟のような鱗状鎧の一片を焦がす程度で、たいした効果はあげられなかった。

 マルタも手裏剣を投げつづけているが、こちらも鎧に弾かれ、体毛に絡まるばかりで、痛手を与えることはできなかった。

 化け物の大鉈がふり下ろされるたびに石の床面がゆれ、ひびが走った。イェーケンもクラウスもそいつを食い止めることができず、左右によけて道を譲るかたちになった。フーゴーが我に返るとそいつが目の前に立っており、彼をわしづかみにして肩からうしろへと放り投げた。フーゴーは背中から石の床に叩きつけられて、息ができずに悶絶した。

 しばらく気を失っていたのだろうか、フーゴーが気づくと、毛むくじゃらの怪物は床に膝をつき、大切ななにかを拾いあげるような仕草をしていた。

 怪物の手にはマルタが握られていた。目を閉じてぐったりとし、乱れた髪が頬にかかっている。頬の刀傷がまたひらき、赤い血が流れだしていた。

 マルタはときおり眉根を寄せ、苦悶の表情を浮かべた。そのたびに怪物はおっかなびっくり手の力をゆるめ、彼女を傷つけまいとした。怪物は自分の顔の高さまでマルタを持ち上げると、人間そのままの片目に近づけて、栗毛の女をためつすがめつした。

 怪物が象アザラシの鼻先を動かしておかしな声をだした。なにかを喋ろうとしているのだろうか。だがそれは、壊れたコントラバスの音にしか聞こえなかった。

 怪物はマルタに頬ずりをしようとしたのだろうか。その瞬間に彼女の手のなかに短剣があらわれ、怪物のつぶれていない方の目につき立った。

 怪物がのけぞり、床に後頭部を打ちつけてのびた。

 マルタはその手から脱けだすと、穢れを落とすかのように服をはたき、あの鋭い目を怪物の動かない顔にむけた。

「なれなれしくするんじゃないよ、スケベ野郎」

 通路の最奥の扉をひらくと、腐臭の源はそこだとわかった。部屋の中央の床面に星形が丸で囲んで描かれており、その円内に天井から十人ばかりの屍体が吊されているのだ。目に異様な光をたたえた信者たちがその円を取り巻き、両手をあげては膝をつく伏拝をくり返していた。

「お生まれなさる。お生まれなさるぅ」

 信者たちは、牢獄から脱走した囚人と同じ言葉をくり返していた。

 天井から吊された屍体にはいずれも、首を縄でくくられた痕があった。モール司祭ハイドリヒはそれを見て確信した。

「間違いない。市門の外で盗まれた盗賊たちの死体だ」

【その7】(最後)へ

Catcher in the Sewer(下水道探索者たち)【その7】(最後)

| 01:25

その7です。最後までです。一応ネタバレをさけてここでは語らずに本文にいきます。



 ***

 ネズミ捕りクラウスは達成感につつまれていた。とうとう目的を達したのだ。

 クラウスは貧相な小男、曲がった膝とこの眇(すがめ)、への字型のまま固まったような口のせいで、人からいつも軽んじられてきた。孤児で、親の愛も知らぬ。物心ついたときには街角で空きっ腹を抱え、少しでも暖をとるために下水道にもぐることをおぼえた。その縁でネズミ捕りの親方に拾われ、見習いからこの道に一歩を踏みだした。

 やがて一人前となって独り立ちしたが、クラウスには学がなく、容姿に恵まれず、金もなく、安酒場であおるジンだけが唯一の楽しみで、給仕女にちょっかいを出そうにも気の利いたセリフひとつ口にできず、いつも酒場の片隅で背中を丸めていた。恋人も友もなく、若さだけは溢れるほどにあって、晴らせぬもやもやを抱えて日々を送っていた。

 母の顔も、腕に抱かれる温もりも知らない。知っているのは、金と引き替えに身体をひらく商売女ばかりだった。しかしどの女も醜男で口べたのクラウスには冷たく、おざなりにしか扱ってはくれなかった。屍体のように反応のない女をどれだけ強く抱き、どれほど腰を使って励んだところで、心は寒くなるばかりだった。

 ただ一度だけ、温かい思い出があった。笑顔のまぶしいあの街娼、髪に野の花を挿していたハンナという娘。言葉にアヴァーランドの訛りがあった。きけば十六歳とのことだった。

 あの日クラウスは、日銭をためた財布を握りしめて、いかがわしい街角へやってきた。しかし膝がふるえ、そこから一歩を踏み出す勇気が出せぬまま、ライク河の河岸に立ちすくんでいた。そこに優しく声をかけてきたのがハンナだった。

「おれなんかを相手にしてくれるのか。だっておれ……臭いぜ」

「あたしも臭いよ。おんなじだよ」

 ハンナが微笑むと、前歯が一本欠けていた。隙間からピンク色の舌がみえた。それがとても神々しいものにみえた。

 ハンナに手をひかれ、クラウスは河岸の階段を下りた。杭につながれた舟がベッドの代わりだった。クラウスはハンナの温もりにつつまれ、揺れる川舟のなかで生まれて初めて天国を味わった。ことが終わってからもハンナはずっと手を握っていてくれた。ライク河の川面ににじむマンスリープの白い月影を眺めながら、クラウスは誰にも語ったことのない胸の内を長々と吐露した。

 ハンナは心のこもった眼差しで、じっと聞いていてくれた。どうしてそんなに優しくしてくれるのかと訊ねると、ハンナは目を伏せてこう答えた。

「だって、あたしも優しくしてほしいから」

 その一月後、クラウスはまたあの街角に向かった。ハンナは露天で春をひさぐ最下級の街娼だった。その代価を貯めることでさえ、クラウスの稼ぎでは容易ではなかったのだ。ハンナの姿を探したが、どこにも見つからなかった。他の街娼に訊ねると、その子ならもう半月ほど見ていない。故郷に戻ったか、厄介事に巻き込まれてライク河に投げ込まれたのどちらかだろうとのことだった。クラウスの幸せな日々はあっけなく終わり、ハンナのために買い求めた花束は運河のよどんだ水を流れていった。

 それから二十年近く、クラウスの人生には何ひとついいことがなかった。日がな一日下水道にもぐり、安酒をあおって寝るだけの毎日だった。やけを起こしそうになるのを、下水道でネズミを追いつめ、しとめる興奮だけが鎮めてくれた。下水道を歩き慣れた彼には、地下の暗がりにいながら、自分が市街のどのあたりを歩いているのかが手に取るように把握できた。薄汚れたタイルのならぶ天井越しに、大通りを行きかう馬車の車輪が石畳にこすれてたてる音や、歌劇場の観衆がいっせいに息をのむ気配、旅宿の一室で女の服を脱がしていく男の動悸が聞こえてくる気がした。そんなとき、人の秘密を覗き見る奇妙な快感がじわじわと湧いてくる心地がした。

 彼が日々潜っている下水道経路のなかに、一本の脇水路があった。それは、慈悲の女神シャリアの女子修道院から流れてくるものだ。高い石塀にかこわれた修道院の汚水をひとつに集めて流れてくるのだ。修道院は男子禁制が徹底されており、用があって訪ねてきた司祭も塀の外側にある面会場で待たねばならない。つまり……この水路を流れてくるのは女のものだけなのだ。それを思うと、街で見かけたシスターたちの顔が浮かび、あやしく胸が騒いだ。脇水路の先になにがあるのか、気になって仕方がなかった。だが、いくら人目がないとはいえ、行ってはならない場所なのだと、クラウスはかたく自分を戒めていた。水路の奥から走り出てくるネズミどもを少しばかりうらやましく思いながらも、クラウスはここに来るたびに理性を奮い起こし、踵を返すのだった。

 それでも人生はみじめで耐え難く、ある日彼は、もうどうでもよくなってシャリア教女子修道院への脇水路にとうとう足を踏みいれた。

 ハンナの思い出を胸に、長年かけて心のなかでつくりあげた母の面影にハンナの顔をかさねて、なにやら口ずさみながらクラウスは脇水路をたどった。地下道の先からかすかな風が吹いていき、質の悪い手燭の獣蝋がぱちぱちと爆ぜ、火がたびたび消えそうになった。

 やがて下水道の先に白くて丸みをおびたものが浮かび上がった。それは闇のなかで神々しいまでに照り輝いていた。白い月マンスリープだろうか。クラウスは手燭を取り落とし、白い明かりだけを頼りに歩きつづけた。近づくにつれて、それがふたつの半球を下向きに重ねたようなかたちをしていることがわかった。

 そのうちに詠唱の声が聞こえてきて、大勢の信徒が天に浮かぶ白いものを崇めているさまが見えてきた。祈りの声が高まったはてに、ふたつの白い半球の隙間から、膜をかぶったなにかが産み落とされた。

 膜をやぶってあらわれた?それ?は、人間ともネズミともつかない姿形をしていた。

 クラウスは無意識のうちに信徒らに混じり、歓喜の声を上げていた。その日以来、彼の人生は永遠に変わった。

 ***

「死体に死霊術をほどこす前の宗教儀式かなにかだろうか」

 紫水晶魔術師アメジストウィザード)イェーケンが、鉤鼻の頭に皺をよせた。

 信徒らは祈りに夢中で、探索者たちにはまったく気づいていないようだった。モール司祭ハイドリヒがうなずき、周囲を見回した。

「こっちですぜ」

 ネズミ捕りのクラウスが小声で言い、手で方向をしめした。広間の奥に舞台のようなものがあり、天鵞絨の緞帳が閉じられていた。一行は信徒たちにぶつからないように、壁にへばりつくようにして広間をすすんだ。

 見習い魔術師フーゴーは、盗賊女マルタとともに後ろからついていった。

 クラウスが緞帳の隙間をわずかにひろげ、一行を奥の間に請じ入れた。

 部屋の中心に花崗岩の巨大な寝台が据えられ、臨月の妊婦がはちきれそうな下腹をさらしてうなっていた。

 頭巾つきの長衣に全身をすっぽりつつんだ聖職者たちが、分娩台を囲んでいた。いずれもくね曲がった杖をにぎっているが、以前にみた女呪術師のものとは違って杖はつややかに磨き抜かれ、てっぺんに水晶玉がはめ込んであった。

 クラウス聖職者たちに目配せをすると、全員がいっせいに懐から短剣をぬき、刃を天井にむけた。

 短剣はどれも反り身で、根本にぎざぎざの段がつけられていた。

「われら〈黄色い牙〉、事の成就はまもなくだ」

 全員が唱和した。頭巾のなかでひらかれた口には、左右の門歯が欠けていた。

 フーゴーは呆然と眺めていたが、気づけば短剣をにぎった聖職者に胸を刺し貫かれていた。

 となりでマルタが、同じく胸を刺されていた。

 フーゴーとマルタは背中合わせに縛られ、天井の鉤からロープで吊された。ふたりの出血が混じり合い、ぽたぽたと床に垂れた。

「男も女も、見目よき相手と近づきになれば、まぐわうことしか考えておらぬ。さかりのついた猫のごときやつらにふさわしい仕打ちだ!」

 クラウスが快哉を叫び、聖職者たちが同意の声をあげた。

 ハイドリヒとイェーケンも縛られ、床に引き据えられていた。

 フーゴーは遠ざかりゆく意識のなかで室内を見回した。奥の壁はきらびやかな祭壇になっていた。金銀宝石が惜しみなく使われ、豪奢な輝きを放っている。祭壇の中央に黄金でできた巨大なネズミの像があった。?角ありし鼠?という言葉がどうしてだか浮かんできた。

「お生まれなさる。お生まれなさるぅ」

 聖職者たちが唱和しはじめた。クラウスもそれに声を合わせた。

 茫然自失のハイドリヒとイェーケンに、クラウスはつかつかと歩みより、勝ち誇った口調でこういった。

「おまえらふたりには使いでがある。自分が何者かもわからなくなるまで洗脳して、うちの教団で使ってやるわい」

 クラウスは肩越しにふり返り、天井から吊されたフーゴーとマルタに顎をしゃくった。

「あいつらはグレイシーアさまたちの晩飯だな。段の下に吊してあった屍体と同じくらいの香りを放つまで熟成させてからだが」

 そうか、そうだったのか……フーゴーは心でつぶやいた。しかし、もはやなにもかも手遅れだ。意識がどんどん遠のいていった。

 誰かがフーゴーの手を握った。マルタだ。フーゴーは力のかぎりに握りかえした。いつまで握っていられるのだろう。だが、今の彼にはマルタの手の感触だけが現世と自分をつなぐものだった。まもなく自分はモールの国へ旅立つ。マルタが一緒なのがせめてもの救いだ。

 いや、はたしてマルタはモールの国に迎え入れてもらえるのだろうか。それは自分にも言えることだ。ばかな、自分を信じろ。そんなことを考えるうちに、マルタの手がするりとぬけた。

「お生まれなさる。お生まれなさるぅ」

 聖職者たちの唱和が狂騒の気をおびてきた。妊婦は額に玉の汗をうかべ、丸めた布を噛みしめた。

 クラウスはあの日とおなじく白いふたつの半球を眺めながら、恍惚の境地を味わっていた。やがて半球の隙間が広がり、膜につつまれたものが産みだされた。

 胎児を手に取ったクラウスは、それを神々しいものであるように掲げた。お生まれなさった。お生まれなさった。彼はその子を、グレイシーアたちの待つ場所へと抱えていった。

DDPDDP 2009/07/11 17:21 こういうやろうと思えばリプレイと言い張れないこともなさそうな
読み物もいいですね。
ネタが脳裏に浮かんだらまたお願いします。
ある程度まとまった量になったら同人誌にでも(ry


救済の書はいい本でした。
第一章丸ごとフレーバーとか20ページほどのそれががっつり読み込んだら
丸4時間かかるとか素晴らしい本でした。
一冊読むのにほぼ30時間かかりましたが。

Machikane1192Machikane1192 2009/07/14 02:16 DDPさん、コメントいただきありがとうございます。

ブログ本文でもちょっと触れましたが、ウォハンマーのコミックはアメコミバリバリの絵だったりして、世界観ぶちこわしという点ではそちらの方がよっぽど重大という気がします。日本語でも自由に表現できるようになるとよいのですが……。

救済の書についてもありがとうございます。あれはすばらしい本ですね(手前味噌になりますが)。作者の方々を尊敬せずにはいられません。