高松平蔵さんのセミナー『ドイツの地方都市はなぜ元気なのか』(2)

ドイツの政治と官僚事情

 ドイツは政治家と官僚の役割が日本と随分違う。
 小さな街でも、大臣に相当する政治家のポストがあり、たとえば文化大臣がいる。その役目は「まちの戦略として文化をどう扱うか」を示すことだ。
 たいして官僚は専門家だという。たとえば劇場を担当する人なら、劇場運営や関連分野の専門教育を受けた人だそうだ。


 日本でも官僚は戦術的なレベルで頑張るけれども、政治的な意志決定にいたる前に異動してしまう。その点は、ドイツのほうがうまくいっている感じだという。


 驚いたのは、ドイツの官僚は社会を発展させねばならないと思いこみを持っているという話。昨今、日本ではそういう使命感を語るのは恥ずかしいと思う人が多い。下手に言うと「上から目線」「暑苦しい」って揶揄されてしまう。


 藤井聡さんは、その著書『正々堂々と「公共事業の雇用創出効果」を論ぜよ』(2010、相模書房)のなかで、国家は、その振る舞いに自らが影響を受けるものであると同時に、自身の振るまいが僅かながらも影響を及ぼしうるものとして国家を感じていた。それは「自らがお上に立つ」ことを想定した感覚である、と書かれていた(p49)。


 いまどき国家を持ち出すのは、僕には理解不可能だが、これを社会と置き換えるなら、「その振る舞いに自らが影響を受けるものであると同時に、自身の振るまいが僅かながらも影響を及ぼしうるもの」という感覚は持っていたい。


 たが環境制約や人口減少が大前提として語られる今、高度成長期のような「これが発展だ」という単純な未来はない。かつてのように「社会の発展」といった〝大きな物語〟に使命感を持つのはなかなか難しい。

日本へのアドバイス〜ワークライフ・バランス

 なぜ、エアランゲンに住むようになったのかという質問があった。
 答は極めて明快。奥さんが旦那をつれて故郷に戻ったということだそうだ。


 もともとは京都経済新聞という小さな新聞社におられたのだが、ドイツ人の女性と結婚され、人生に転機が訪れた。
 高松さんも単身赴任や個食など、家族を顧みない日本のライフスタイルに疑問をもっていたが、そこへ「1日のうちに家族の時間があるのは当然」と考える奥さんの考えとも共鳴。だいたい、日本式の働きかたをすると、家族の時間云々という以前に夫婦関係が破綻する。長い議論の上、エアランゲンへ移住することに決定。奥さんの立場からいえば「旦那をつれて故郷に戻った」というかたちになるというわけだ。


 ドイツ人は19世紀以来の家族幻想が強く、家庭は大事にするものだと思っている。それが労働スタイルにも影響している。ワーク・ライフ・バランスが無茶苦茶な日本にいては大変なことになると、ドイツに連れて行かれてしまったそうだ。


 そんなわけで、ドイツの人たちは可処分時間がたっぷりある。だからウィークデーの夕方から、家族連れでスポーツクラブに行ったり、NPOで一働きしたりするのは普通だ。


 エアランゲンだけでも550ものNPOがある。多いのはスポーツ系でドイツ全体ではNPOの約40%をしめるという。またそれにNPOの法律ができたのは1848年で、もう150年以上の歴史がある。


 とはいえ、ドイツでも、人と人の繋がりが希薄になってきているのでは、と問題になっている。若い人がスポーツ団体やNPOに入りたがらない。


 教会はNPOとともに市民活動の大きな柱だが、19世紀以来、古いと言われ続けている。だが、教会はそうは言われながらもアップダウンを繰り返しているという感じで、今、特に歴史的な危機にあるわけではない。


 質問された方の娘さんがハンブルグにいて「寄付が正しいかどうか」といった議論をしているそうだが、一般的な感覚とは違うのではないか。企業にとって地元への寄付は所場代、地元へのお返しという感じのものだと高松さんは言われた。


 日本の小さな街が真似をできるかという質問に対しては、日本は政治と行政の役割を考え直すべきだが、これは難しいと言われる。
 それならばまず、職住接近で可処分時間を増やすべきではないか。昔、大阪の街で大阪をどうすべきかを、高松さんと、コンサルの人、金融の人が集まって議論したが、誰一人、大阪に住んでいなかった。京都でも滋賀からという人もいる。


 これからは企業が通勤時間30分以内の人を優先するといった決断をして、職住近接の人を増やすべきではないか。そうなると地域が活力が戻ってくる。奈良から大阪に通って、帰ると12時になるというようなライフスタイルを、まず変えるべきだと言われた。

 などほど、ワークライフバランスを変えなければ地域も変わらないと言うことか。
 仕事か趣味か分からないような世界に染まっている僕には耳が痛い話だった。


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