Hatena::ブログ(Diary)

都市計画・まちづくり・地域再生編集日誌 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2010-09-02

林直樹、齋藤晋編著『撤退の農村計画』(1)

f:id:MaedaYu:20100831230035j:image:left

 国土交通省総務省の2007年の調査によれば、10年以内に消滅の可能性がある集落は全国で423、「いずれ消滅」を含めると2643にのぼるという(林直樹、齋藤晋編著『撤退の農村計画』、p11)。

 国土交通省の調査では過疎地の集落は6万ちょっとなので、わずか4%とも言えるが、人口減少が本格化する数十年後は、こんな数では済まないだろう。

 (参考 http://www.kokudokeikaku.go.jp/share/doc_pdf/3478.pdf

 消えるものが消える。それが市場がもたらす自然な結果であり、市場に逆らいマイナーな選択をする人たちが多大な負担を背負うのは当然だとしたら、何が問題なのだろうか。


 林直樹さんたちは次の3点を上げている。

 1)そうは言っても過疎集落での医療、生活手段の不足による追いつめられての死や、孤独死に社会は耐えられるか、見なかったことにするのが正しいことか。

 2)集落が消滅したら、集落が維持してきた周辺の人工的自然環境のバランスが壊れる。

   表土の流出、獣害の拡大・人間界への一層の進出、不法投棄の増大などなど。

 3)石油危機や食料危機になっても、農耕地の回復が一層難しくなる


集落の再生

f:id:MaedaYu:20100831230104j:image:left

 では、どうするのか。

 たとえば、この分野の第一人者である小田切徳美さんは『農山村計画〜「限界集落」問題を超えて』(岩波ブックレット、2009)のなかで、2つの方策を上げておられる。


手づくり自治区

 一つは新しい農山村コミュニティの構築だ。

 小田切さんは、コンビニやガソリンスタンドなどの生活利便施設や、ゆず加工所なども運営する川根振興協議会を例に、自治組織としての側面と、コミュニティが所有する企業(コミュニティビジネス)の両面を持つ、新しいコミュニティ組織の可能性を論じいる。

 それは100〜400世帯の手触り感のある範囲を母体に、防災、地域行事、地域福祉活動、経済活動に総合的に取り組み、かつ従来の地縁組織と補完関係にあること、それゆえ従来の集落組織とは違い、たとえば役員は男女同数、個人参加といった革新性を持つことが特徴だ。

 『季刊まちづくり2号』で紹介している、村まるごとNPO、夢未来くんまも、先進例の一つである。

 これらは「組織とその活動が「手づくり」である点が、新しいコミュニティの性格の最も底流に位置づくものであ」り、「地域住民が「自らの問題だ」という当事者意識をもって、地域の仲間とともに手づくりで地域の未来を切り開くという積極的な対応が、新しいコミュニティの基本的性格である」(p28)。ゆえにこれらは「手づくり自治区」なのだという。


四つの経済

 もう一つは四つの経済による新しい産業の構築だ。


 1)地域資源保全型経済は「地域資源の発掘−保全−磨き−利用」というプロセスが、一つの物語となって、都市の消費者に強い共感を呼ぶ産業だ。僕はこれは真板さんのいう宝探しからの地域おこし、日本型エコツーリズムとほぼイコールだと思う。


 2)第六次型産業は、農業林業漁業という1次産業、農産物加工といった2次産業、そしてサービスという三次産業の連携を言う。その究極の姿の一つが農家(農村)レストランである。別の本では1+2+3=6ではなく1×2×3=6だと書いてあった。だから1次産業が0になれば、答はゼロというのが気に入っている。


 3)交流型産業は、経済事業である以上に、都市・農村双方の人間的成長の機会であり、農山村の自然、文化、景観、さらには暮らしの小さな技や知恵を学ぶことだ。その魅力によって観光産業では難しいリピーターを獲得できる。


 4)小さな経済とは、いまの農山村で求められているのは月5万円といった小さな増収だということだ。これは関満博さんが強調していることだが、実際、直売所等の売上げは年間100万円前後のところが多いが、それでも人びとは結構満足し、生きがいを見いだしているという。


  小田切さんは加えて、年収200〜300万円程度の地域マネージャーを雇うことが必要だし、小さな経済の集積が若者の就業を可能とする中ぐらいの経済に繋がることも十分にありうるとされている。


臨界点を超えると

 このように農山村の再生に力を込められている小田切さんも、人口減少が進み、集落の機能が低下し始め、ゴミ収集対応などの生活に直結する集落機能さえも後退しはじめると、住民の諦観が地域のなかに急速に広がり、限界化への臨界点を超えてしまうと指摘されている 。


 したがって、村の空洞化のスタート時点において、臨界点を来させないための外部支援が必要だとしながらも、それでも超えてしまった場合は、

 1)臨界点を超えつつある事実の住民による共有化(ワークショップ

   =「どっこい生きている現象」が発生する可能性の確認

 2)今後の暮らし方について、選択肢の提示と住民による主体的判断をサポート

 3)「むらおさめ」(作野広和氏による―消えゆく集落を看取る)への準備

  2つの意味=1.集落のターミナルケアとしてのむらおさめ(QOLの確保)

        2.集落アーカイブ構築としての「むらおさめ」(国民的運動)

          =「一つの集落がなくなることは、一つの図書館がなくなることに

            匹敵する知的後退である」ことの国民的共有化

を上げておられる。(小田切徳美『農山村再生の課題』(平成20年JA共済総研セミナー講演録、共済総合研究55号、p43))


 もし集落が生き物のように死を免れないのであれば、ターミナルケアが必須だろう。

 だが、臨界点を超えることが見えてきたとき、移転し、生き延びるという選択肢はないのだろうか。

 明日は、『撤退の農村計画』に戻り、その点を考えてみよう。


続く


○真板昭夫氏インタビュー

宝探しから持続可能な地域づくりへ』を語る


アマゾンリンク

・林直樹、齋藤晋編著『撤退の農村計画


・『農山村再生 「限界集落」問題を超えて 』(岩波ブックレット)


・「地域自治組織の試み〜夢未来くんま〈編集部〉」『季刊まちづくり2号