長坂泰之『中心市街地・活性化のツボ』(2)

まちなかが失ったもの・こと

 長坂さんは大店法廃止後の10年間で僕たちが何を得、何を失ったのか、「まちなかと郊外で増えたこと・ものと減ったもの・こと」から考えようと、これらを数え上げておられる。


 まちなかで増えたもの・ことは、シャッター街、どこにでもある駅前再開発、マンション、自動車代行業、そして美容室、マッサージなどのサービス業。
 たいして減ったものは、市役所や病院、市民ホールなどの大型集客施設、学校、横丁や路地、歓楽街、住まい、子供、人通り。そして百貨店や総合スーパー、老舗や個店。


 郊外で増えた物・ことは、大型集客施設、ショッピングセンター、住宅地、道路、家族連れ。
 減った物・ことは、田園風景、近隣商店やスーパー、など。


 長坂さんはこれらをリストアップした後、「もの」は郊外に移ったが、「こと」はあまり移っていないと指摘し、ここに中心市街地巻き返しの芽があるのではないかとされている。


 「こと」とは人間の行動だ。
 郊外は週末の買い物やそれに付随する飲食には対応できていても、もっと晴れやかな舞台、たとえば「祭りの舞台」にはなり得ていない。


 また、まちなかが失いつつある横丁や路地、歓楽街は、郊外SCでは再現できない。お酒に酔いつぶれるということも、やはり、まちなかのほうが似つかわしい。
 そんな都市の猥雑さや意外性は管理の行き届いた郊外SCにはないものだ。それは人と人との出会いや交流のきっかけでもある。


 また物販系は大型店も個店も中心市街地から減っているが、サービス業はむしろ増えている点に着目し、商店街の業態変更が意外と進んでいると指摘されている。


 これらを合わせて考えれば、都市は都市にしかないのだ、ということだろうと僕は思う。
 物販系が当たり前のもの、普通品=コモディティ商品になってしまい、したがってどこで買おうが安ければ良いになっていった。今ではお店で現物を見てネット通販で買うなんてことにすらなりつつある。


 たいして、サービス系、すなわち美容室やマッサージやネイル、そして個性的な飲食店が注目を集めている。僕の予感では、次は「もの作りをともなった物販」ではないか。メーカーが作ったものを売るだけでは、大型店にないものを売るのは難しい。世界中を駆けめぐって仕入れてくるのもよいが、究極は自分や仲間とつくることにあるように思う。


 そういう人たちが集積する場。それが都市だった筈だ。唯一のものを求める人たちのニーズを満たせるのは意外性に溢れた都市なのではないか。

 その都市性が大店法廃止などで失われたのだとしたら残念なことだが、それほど柔な物だったのかという疑問もわいてくる。
 これについては、また後で考えてみたい。


続く


○参考資料

ノッティンガムの中心市街地
学芸チャンネルでの長坂さんのビデオと、その解説です。


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横森豊雄・久場清弘・長坂泰之『失敗に学ぶ中心市街地活性化―英国のコンパクトなまちづくりと日本の先進事例