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都市計画・まちづくり・地域再生編集日誌 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2012-12-27

椎川忍『地域に飛び出す公務員』(2)

頑張っている緑のふるさと協力隊

 もう一つ、民間のNPO法人地球緑化センターが20年前からはじめて大きな成果をあげたという「緑のふるさと協力隊」についても紹介しておこう。

 農山村に希望者を1年間派遣するという制度だが、生活費の支給は月5万円程度と、3年間、約15万円の報償の地域おこし協力隊よりずっと条件が悪い。自炊生活が前提で、地域住民と交流しながら地域との繋がりが深まっていくような活動を行う。特に地域の生活慣習や生活様式を受け入れ謙虚な姿勢で活動することが求められているという。

 最終的には地域に受け入れられ定住することを目ざしているが、いままで4割もの人たちが定住しているという。

 地域おこし協力隊の創設の際には、この制度を参考にされたそうだが、協力隊は一期生が任期を終わって3割程度の定住率だという。

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 新規就農者の定着率が1割程度と言われるなかで、3割でも大成果と言えるし、この結果だけで、地域おこし協力隊と緑のふるさと協力隊の優劣を比較しても仕方がないが、条件が厳しいだけに参加者のモチベーションが高いのかもしれない。

 また地域おこし協力隊には隊員への報償のほか、研修費150万円が国から受け入れ自治体に支払われるが、緑のふるさと協力隊にはそういう支援はない。だが、NPO法人地球緑化センターと受け入れ自治体は綿密な連絡をとりあい、個別に手づくりのプログラムをつくって支援しているという。

 島根県会議員の三島おさむさんのブログで、地域おこし協力隊の制度が批判されたいた。

 いわく、受け入れ自治体に「何のプログラムもない。手を上げた地域、その地域の要請のある仕事をしてもらう。多くは、高齢化で人手がないので草刈や農業の手伝い」。「募集は総務省のお題目がそのまま掲載され、面接でもそんな話は」しない。

 「ひたすら草刈り。そこで、地域おこしという大きな課題にオフに取り組め」。「僕(三島)なら、さっさと尻を捲くるなあ。でも、それをしないところが今の若者? 正直、彼らはすごいと思いました」。

http://omis24.blog.fc2.com/blog-entry-196.html


 『僕ら地域おこし協力隊』はがんばっているところを取材し、収録した。だが、受け入れ側の行政ががんばらないと失敗するという話は斉藤さんに語って頂いた。

 人生の貴重な時期に3年間、地域で頑張ろうという気持ちをもって来た人をないがしろにするような地域には未来がないと思う。


緑の分権改革の行方

 ところで『緑の分権改革』という呼び名は民主党の原田総務大臣がつけたものだから、きっと消えるだろうが、その中身も全部破棄されるのだろうか。実は中身は自民党の時代から徐々に築かれてきたものもあり、地域おこし協力隊も民主党になる前に発足している。

 だが、自民だ、民主だという以上に、「あるものを生かす地域力創造」という自らが自らの力でできるミクロな話の積み重ねで経済・社会を良くしていこうという発想と、インフレ・ターゲット公共事業の大拡大で成長をしようというマクロな話を最優先する思想では、本質的に真逆だという気がする。

 必要なインフラの維持・補修は喫緊の課題だし、公共事業の拡大が無前提に間違っているというつもりはないが、ようやく芽生えだしてきた自立の芽が摘まれ、他人任せの風潮が蔓延するのだとしたら、残念でならない。当面はインフレ期待で盛り上がるのか、他人頼りではなんともならないと、さらに多くの人が本気になるのか。

 『緑の分権改革』を出版したときの椎川さんへのインタビューのなかでも、緑の分権改革の調査事業が100%国費の有り難い補助金と受け止められているフシがあり、制度を変えるための提案をたくさんしてもらわないといけない時期に来ていると指摘されていた。

 さきほどの三島さんの批判にもあるように、人間、やすきに流れやすいということは確かだ。

 

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地域に飛び出す公務員ハンドブック

緑の分権改革: あるものを生かす地域力創造

僕ら地域おこし協力隊: 未来と社会に夢をもつ

○椎川さんインタビュー

http://www.gakugei-pub.jp/chosya/042siika/index.htm

2012-12-25

遅咲きのヒマワリ(10) 僕ら地域おこし協力隊

 いよいよ10回目。ちょっと意外なオチでした。真木よう子、かっこ良かった。


 まず、松本弘樹は明快。リハビリの資格をとることに決めて専門の学校に入学する。二階堂に言い寄ったことも、昔に戻れたら良いという思いからで、そんなのは勘違いだったと一刀両断。決意を聞いた大河内さんも「もう二度と世話にならないから、頑張ってこい」と嬉しそうだった。

 二階堂さよりは旦那と向き合うことに。今は、子どもがいるからいいが、いなくなったら二人でいることに耐えられない。ちゃんと私のことを見つめてくれないなら、出ていってやると言って旦那を慌てさせる。気弱な旦那は大反省。

 二階堂かほりは、東京に行くべきか、残るべきかで悩むのだが、自分はおばあちゃんの死をきっかけに医者になりたかったんだ、ガンの研究をして多くの人を救いたかったんだという原点を思い出す。夢は捨てられない。だから東京に行こうと決意。

 患者さんたちに「東京の病院のほうが、やっぱりやりがいがあるんか?」と聞かれ「いいえ、この病院の仕事は今までで一番やりがいがありました。でも私にはアメリカでガンの研究をするという夢がある。一度は諦めた夢だけど、諦めたくないんです」と話す。驚いたことに二階堂に一番厳しく当たっていたイケメンの看護士君が応援してくれ、患者さんたちも応援してくれることに。その温かい言葉に、かほりは心を打たれる。

 そして丈太郎。田んぼを元に戻すには3年かかるか、5年かかるかと言われ、3年契約の地域おこし協力隊で良いんだろうかと考え込んでしまう。そして二階堂かほりの送別会の席で、「僕は地域おこし協力隊をやめる」「東京でも派遣を3年間、別の会社で3年間、そして協力隊で3年間」「それなりに一生懸命やってきたけれど、どうせ3年間という思いがどこかにあった」「だから、四万十の市民になって、田んぼを耕し、お年寄りの世話をして、いつか、日本中の人に四万十のお米を食べてもらうんだ。いや世界中の人に!」だから「みんなでパッケージのデザインとか、一緒にやっていこう」という。

 順一は後先を考えずに感激。今井春菜も目を潤ませていた。

 さて、東京に出ていったかほりは、教授に、「アナタの世話にはなりません」「教授の指示に逆らったら、医者として生きていけないと思っていたのは錯覚だった」「私の夢は奪わせません」「私の夢だから、どんなに苦しくとも自分で道を探します」と言い放つ。

 白い巨塔の時代と比べれば、教授の権限はずーと小さくなっているのだろうが、有力教授とトラブルを起こした研究員を好んで採用するところは少ない。いばらの道だ。

 案の定、どの研究機関に行っても色よい返事が貰えないかほりが沈んでいるところへ、丈太郎から電話がかかる。東京タワーの前のツリーの写真を送る約束じゃなかった? 今日でクリスマスは終わりなのに、約束したんだから撮りにいってよ!。

 仕方なく東京タワーに出向いたかほりを待っていたのは満開のヒマワリを抱えた丈太郎。このヒマワリ、二人で見にいったら根こそぎ抜かれていた。「誰かが植え替えてくれたんだろう」と能天気に言う丈太郎に、かほりは「子どもがぬいちゃったんだ」と言っていた物だ。「やっぱりそばの田中さんが植え替えてくれていたんだ」「会いたかった」と丈太郎。

 「私も会いたかった」そしてキス。目出度し目出度しというわけだ。


 いいんだけど、この二人、これからどうやって生きていくんだろう。

 特に丈太郎。無収入になって、どうする?

 仮に二人とも成功したら、四万十とアメリカの恋。どうやって続ける?

 それより、いつ友達モードから恋愛モードになったんだ?

 最後にカヌーに乗って回想していたのが説明?

 疑問がつきないが、そんなことは無用な詮索というものなのだろう。


 ところで、丈太郎を地域おこし協力隊に読んだ四万十市としては、これは成功だったのだろうか。能天気とはいえ、自力で農業に取り組もうという市民が一人増えた。二階堂かほりは世界に羽ばたいていってしまったが、二人に刺激を受けた若者たちが前向きになった。

 丈太郎と順一が取り組む田んぼの野焼きを村の人たちが手伝っていた。だから村も前向きに動き出している。

 だからディテールはハチャメチャだが「都市住民など地域外の人材を地域社会の新たな担い手として受け入れ、地域力の維持・強化を図る」(移住・交流推進機構HP)という地域おこし協力隊制度の趣旨からは、思わぬ成功と言える。

 また協力隊制度は、行政や地元の受け入れ態勢が問題だと言われているが、ボランティアで協力隊を支える順一、目立たないが人生相談までこなしている上司など、受け入れ側の努力も描かれている。(ただし、実際の有り様とは随分違うように思うが)。


 ちなみ『遅咲きのヒマワリ』は本年度の芸術祭・テレビドラマ部門で優秀賞を受賞した。

 おめでとう。

 本も少しは売れてくれるといいんだが・・。

(おわり)

○僕ら地域おこし協力隊

http://www.gakugei-pub.jp/gakugeiclub/chiikiokosi/index.htm

出版記念イベント京都(13.1.11)

http://www.gakugei-pub.jp/cho_eve/1301mega/index.htm

2012-12-24

椎川忍『地域に飛び出す公務員』(1)

椎川さんの地方への拘り

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 昨年、『緑の分権改革』をお書き頂いた椎川さんが松江今井書店から出された本。

 今井書店は「本の学校」を昔から支えてきた書店で、主催していた「大山緑陰シンポジウム」は一時期、出版界でも注目されていた。僕も参加していた「本の会」という関西の編集関係者が中心となっている会で、社長さんに講演に来ていただいたことがある。

 そういう地方で頑張っているところから出されたところに、椎川さんの拘りが色濃く出ていると思う。

 内容は『緑の分権改革』ではさらっと紹介されていた「公務員参加型の地域おこし」を書かれたもの。公務員に向けて「さあ、地域に飛び出そう!」と呼びかけている。

農山村の技術を生かす

 たくさん興味深い話が載っているが、考えさせられたのは「中小企業になれば中小企業対策の予算や融資が活用できますが、一人で黙々とものづくりを続けている人は、ほとんどなんの施策の支援も受けられない」という指摘だ。

 だから、そういう人たちに補助金を出せと言われているのではない。

 たとえば、和歌山県の山奥の小さな集落で箒をつくっているおばあちゃんがいたが、その方は農産物も、箒も、人様に売って儲けようという気持ちは少しもなかったという。でも、その箒がともかく素晴らしいというので、集落支援員の人が口説いて物産展などに出したところ飛ぶように売れるようになったという。

 売ることが目的とは限らないとしても、現金収入が生まれれば、技術の継承ができるかもしれない。

 椎川さんは、こういうことをもっと進めるためにネットを利用できないかと考えていたところ、驚いたことに、グーグルジャパンから転身した辻野晃一郎さんの会社、アレックスが、すでにやっているとある人から教えられたそうだ。

 アレックスは日本の優れた技術・デザインや伝統・文化に裏打ちされ、どこの国の人も手にとってみたくなるような製品を発掘し、世界の主要言語で使えるネットショッピングサイトを立ち上げている。

 HPを見てみると、「F1マシンのエンジン部品を製造したこともある会社がつくった高精度のサイコロ2個(2〜5万)」とか、「地面をけってバランス感覚を養うための木製二輪玩具(ペダルなし)〜秋田県伝統工芸である「曲げ木」の技術を生かし、家具職人が丁寧に製作(4万)」とか、面白そうだが、とても手が出ない。

 「プリインストールされた音楽のみを聴くことができる缶バッジ型ポータブル音楽プレイヤー〜パッケージはアルバムのオリジナル・デザインを使用」なんて、そこまでやるかって感じ。

 それはともかく、ネットと物流の発達のおかげで、こういうものが販路を持てるようになるというのは、面白い。

続く


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地域に飛び出す公務員ハンドブック

緑の分権改革: あるものを生かす地域力創造

2012-12-23

ギア:バージョン2

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 「言葉を全く使わず五感を刺激することで楽しむ日本初の公演」という触れ込みで4月から始まったギアのバージョン2を見てきた。

 会場はアートコンプレックス1928。1928年武田五一氏の設計により建てられた大阪毎日新聞社京都支局ビルを建築家若林広幸が買取りコンバージョンしたビルだ。正面から入って狭い階段を上っていく。それだけで秘密の劇場にいくようなワクワク感がある。

 客席はわずか100席。舞台がとても近い。


 ストーリーは、廃棄されたおもちゃ工場に取り残された人間化したロボット「ロボロイド」と、製造されたおもちゃの女の子がふれ合い、どういうわけか人間の心を持つようになるという内容。

 ただ言葉がないから細かいところは分からない。

 大ざっぱなストーリー展開にあわせ、あるいは唐突にパフォーマーが、マイム、ブレイクダンス、マジック、ジャグリングを披露してくれる。

 お客さんの入りは半分ほど。はじまってしばらくして子どもが泣き出してしまったが、途中からは見入っていた。その子をはじめ、小さな子ども連れが多かった。


 名取造船所跡地のクリエイティブセンター大阪を訪ねたとき、ブラックチェンバーという部屋でギアの練習をしていたが覗いてみたら面白かったという話を聞いて、それではということで、バージョン1を見に行った。

 そのときイヤイヤついてきた嫁さんが気に入ってしまって、バージョン2も見に来たというわけ。一つの役を数人で分担しているが、マイムとドールの人は前回と同じだった。

 マイムの岡村渉さんはとても良い。マジックは前回の山下翔吾さんのほうがロボロイドらしかった。ブレイクダンスは前回は印象に残らなかったが、今回はいけていた。


 プロデューサーは小原啓渡さん。

 トライアウト2010年にはじまり、2012年4月から京都でロングラン公演。7月末までがバージョン1、9月から来年2月までバージョン2。すでに公演回数は200回を超え、観客動員ももうすぐ1万人とか。

 ただ2月11日には改訂のためにバージョン2は千秋楽を迎える。バージョン3の詳しい情報は公開されていないが、是非、続いて欲しい。また見に行きたい。

(おわり)

○ギア

http://www.gear.ac/

2012-12-20

遅咲きのヒマワリ(9) 僕ら地域おこし協力隊

 いよいよ9回目。今回を含めあと2回なので、猛スピードでオチに向かって走り出した。

 まず松本弘樹君。先回の親父さんの病気で目覚め、エースだった自分の過去の呪縛から逃れ出て丈太郎と順一に「僕は今から始まるんだ」と啖呵を切る。

 順一は島田さよりさんを襲いかけてしまい「もう、二人だけで合わない方がいいね」と言われたのだが、さよりは「古民家の掃除のボランティアは続けたい」と言い、春菜が手伝ってくれることになって、目出度く掃除再開。

 一方、森下彩花は丈太郎を連れて、恋人の墓に。過去の苦しい恋を語り、丈太郎の思いに終止符を打つ。

 そして丈太郎は、二階堂に「仕事を見つけてエライじゃないか」といったところ、「見つけたんじゃない、目の前にあったのだ」と言われたのが効いたのか、耕作放棄地をみて「僕は農業をやるんだ。米を作るぞ!」と思いたつ。そして順一の店にかけてゆき履歴書書きに嫌気がさしていた順一を巻き込んで「やるべきことが見つかった!」と有頂天になる。

 問題は二階堂さん。「東京には戻りません」と患者さんに断言した途端、東京の大学教授から戻ってくるように指示される。部下がセクハラ事件を起こしスタッフに穴が空いたから戻ってこいというのだ。その身勝手さに腹が立ってしょうがない。でも、研究という夢も捨てがたい。しっかりした仕事をもち、患者さんに頼りにされて、最初に道が見えてきた彼女が、動揺する。「お前にいて欲しい」という丈太郎。「いなくなったら、人口がへっちまうから・・・」。

 次週予告では「二人の愛の行方は?」なんてテロップが出ていたが、二人っていったい誰だ? さっきのは愛の告白? 「二人で人口を増やそう!」と言ったらどうだと突っ込みたくなる。


 ところで、次週には丈太郎が地域おこし協力隊をやめて、農業一筋で定住すると宣言するようだ。

 これは本当は無茶苦茶。地域おこし協力隊の狙いは、3年の任期のうちになるべく起業・定住への道筋をつけることだから、就農への支援も組み込まれているし、協力隊の業務をこなしながら休日に農業をすれば、農業従事年間150日という農家認定要件も満たせる。だから就農を目ざして頑張るなら地域おこし協力隊をやめる手はない。

 実際、『僕ら地域おこし協力隊』でも、そのように就農を目ざして頑張っている人を紹介している。

 ドラマチックにするため辞めると言わせるのだろうが、誤解を生みかねない。


 だが、そんな細かいことはともかく、「人に来てもらいたいなら、自活できることを僕たちが示さないと」という丈太郎の言葉は良い。

 もちろん甘いものじゃないだろう。だが地域おこし協力隊のほかにも、7年間で1050万円の支援がある青年就農給付金など、充実した制度もある。

 斉藤俊幸さんは「東京でフリーターをしているよりも、地方で100万、200万稼ぐほうが、豊かになれる」と言っているが、そんなことを考えても良いのかもしれない(『遅咲きのヒマワリ〜ボクの人生、リニューアル〜』に出てくる『地域おこし協力隊』って何だ)。

 それにしても気になるのは古民家だ。仲良く掃除をするのは良いが、どう活用するのだろう。せっかく民泊ができる古民家があるなら、丈太郎が育てたお米と新鮮野菜も組み合わせ、何かやってオチをつけてほしい。

(おわり)


○僕ら地域おこし協力隊

http://www.gakugei-pub.jp/gakugeiclub/chiikiokosi/index.htm

出版記念イベント京都(13.11.11)

http://www.gakugei-pub.jp/cho_eve/1301mega/index.htm

2012-12-13

『空き家・空きビルの福祉転用〜地域資源のコンバージョン』

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 9月に出した新刊。実は、この本、建築学会の大会に間に合わせるために、お盆の最中にもカバーの写真をめぐって右往左往していた。というのは、カバーに使っているデーセンターモモの家の写真の採否をめぐって、社内で異論が出て、著者の方々にも大変迷惑を掛けながら、試行錯誤したからだ。

 小さくて分からないだろうが、カバーの左上の一番大きく扱われているのがモモの家の写真だ。手前の人がうずくまっているように見えて、苦しそうにしている、イヤだという反応だった。イヤ、そうじゃない。こういうふうな姿勢になることは僕だって日常茶飯事。慣れ親しんだ自宅感覚だからこそ、こんな姿勢が自然にできるんだ。それがこの空間の見かけをこえた本当の素晴らしさだと言ったものの、賛否が分かれてしまった。

 最後は、関わった人の一言が決めてになったのだが、美しい空間ですまして生きているという建築写真的価値観は強固だ。僕も大いに悩んだ。


 もともとここは木材置き場だったそうだが、コンバージョンで重症心身障害者のデイサービスの拠点になった。同時にカバー右上の写真のように平屋建のリサイクルショップを増設し、その屋上を緑化。季節に応じた豊かな生活環境と地域との繋がりの工夫が評価され2010年度グッドデザイン賞を受賞したという。

 だけど、「横になっていても五感を刺激する工夫」(本書)が一番素晴らしいと僕には思える。


 もう一つ気に入ったのが路地カフェだ。

 これは機械工場を障害者が働くカフェに改装したもの。路地奥の立地を活かし、隠れ家のように人々が密やかに集う場所になっているという。

 しゃべれない人や、じっとすることができない人は働くことができないが、障害者区分3以上の人が働いている。みんな作業所よりカフェで働くことが好きだという。


 実は13年の2月16日には、この場所をお借りして著者がセミナーを開く。福祉コンバージョンの場を体験しながら福祉コンバージョンのお話しを聞き、議論する。あまり人数が入らないのが残念だが、きっと良いセミナーになると思う。


セミナーHP

http://www.gakugei-pub.jp/cho_eve/1302mori/index.htm


 この例に限らず、古い建物をコンバージョンした福祉施設にはワクワクするような空間がある。この本には37もの事例が載っている。加えて、制度や技術の説明もしっかりしているし、著者がインデザインイラストレイター使いこなしてつくってきた密度の高いページを、社の最強のスタッフが予定の倍ぐらいの時間をかけて仕上げている。成り行きと制作担当者の情熱と技でつくってしまった本だ。

 コンバージョンやリノベーションは流行っているが、福祉施設はハードルが高い。防火耐震などの安全性に気を使うのはもちろんだが、福祉施設の基準が新設を念頭に作られているため、既存建物の活用には苦労が絶えないという。

 だが、それだけの価値ある空間が生まれている。特に木造の馴染みやすい感覚は捨てがたい。また、既存の空き家には中心市街地など至便な立地のものも多い。これを活かせるようにするのは地域にとっても、建築にとっても、大いなる挑戦だろう。「地域資源のコンバージョン」という副題は伊達に付けているわけではない。


(おわり)


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空き家・空きビルの福祉転用: 地域資源のコンバージョン

2012-12-12

『100円商店街・バル・まちゼミ〜お店が儲かるまちづくり』

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 長坂泰之編著、齋藤一成・綾野昌幸・松井洋一郎・石上僚・尾崎弘和著による「商店街活性化三種の神器の真髄を第一人者が大公開」という本が先月出版できた。企画・編集はスタッフの岩崎君だ。

 「100円商店街」は想像をはるかに超える集客力で賑わいを作る仕掛け。単に100円の工夫を凝らした商品を出すだけではなく、店内で精算することによってお店の内部に誘導し、店の様子を知ってもらうことに意義があるという。

 「バル」は共通チケットでまちの複数の飲食店を巡る試み。割安な値段で、それぞれの店のお得意の料理・お酒を楽しみながらまちを回遊できる。

 そして「まちゼミ」は店の人によるゼミナール。店の人の蘊蓄を聞けたり、お菓子作りなどの体験ができ、店の人の奥深さに触れることができる。

 これらに共通しているのは、楽しみ方を個々のお店が提案していることじゃないだろうか。

 とくに面白いのは、バル。まちによって違うらしいが、バルのマップがイベント後もまちの案内図になっていることもあるという。そこに載っているお店は、たとえバルで訪ねていなくても気、になってしまうだろう。


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 ところでこのバル、本書でも触れているが発祥は函館の西部地区だ。

 実はこの西部地区、函館元町倶楽部代表の村岡武司さんが『証言・町並み保存』で語っているところによると、40年ほど前には人口が流出しゴーストタウンになっていたという。そこをもう一度、人が集まるような場所にしたいという動きが起こり、まず海産商の自宅を改装したペンション古稀庵」、郵便局カフェバーにした「カリフォルニア・ベイビー」などが生まれる。


 そして1983年頃、保存再生運動をうけて金森倉庫や郵便局の利活用が始まった。

 郵便局が生まれ変わったユニオンスクエアには、カフェバーやレストラン、クラフトショップといったお店が出たほか、大道芸ジャズの演奏会、映画会など多彩なイベントが繰り広げられた。ファッション誌等が背景として撮影しにくるようになったのも、この頃だという。

 そして2000年頃からは、ユニオンスクエアに出入りしていた若者が、西部地区にお店を出すようになった。たとえばゲンチョスというお店はアーティストが手づくりで再生したお店だ。


 そういう下地のあるところで、西部地区出身でスペイン料理オーソリティであった深谷宏治さんが、「何か楽しいことをやりたい」と2004年にスペイン料理フォーラムを開き、そのなかのイベントの一つとしてバル街をやったのが、元祖まちなかバルだという。


 村岡さんは「地図をもって歩くと「あんたもこのために来たんだと」すごく分かりやすい。お客さん同士で話ができるわけです。町を歩いていても「どこに行ってきたの?」「あそこの親父さん、すごく面白いよ」といった情報が、行ったり来たりする」。……西部地区は観光客は多いけれども、市民は夜はめったにいったことがなかった。「そこに自分の足で行き、初めて夜の雰囲気を味わう。次のお店に行こうと思うと、途中に変な路地があって、この路地の奥がどうなっているのかなと興味をそそられる。今まで頭のなかで分かっていたつもりの西部地区を、気軽に実体験できる。そこに喜びや楽しみがあるという気がします」と話している。

 さきほど「楽しみ方を個々のお店が提案している」と書いたが、これを読むと、複数のお店が連携することで、個々のお店の楽しみ方を超えて、まちそのものの楽しみ方を提案してくれていることが分かる。そのうえ、失われがちなコミュニケーション、大げさにいえばまちを楽しむ仲間意識も生み出している。


 三種の神器といっても、このような活動だけで、まちが元気になるわけではないだろう。

 函館の場合は40年間の歴史的建物の再生、利活用の積み重ねのうえに、若い人たちの個店が西部地区に増えてきたいたことで、バルが花開き、ますます活気づくことができた。

 だいち、40年前の西部地区では、バルをやろうにもお店がなかった。

 それを思えば、バルができるってことは、それだけの資源が既にあるということだ。

 100円商店街にしても、工夫をこらした商品を並べられなかったら、数回でお客さんは飽きてしまうだろうし、まちゼミはそもそもネタと人材がいなければ成り立たない。

 だから三種の神器は、すでにある地域資源を顕在化させ、人々とのコミュニケーションを取り戻すきっかけづくりなんだと思う。

(おわり)

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100円商店街・バル・まちゼミ: お店が儲かるまちづくり

証言・町並み保存

2012-12-11

遅咲きのヒマワリ(8) 僕ら地域おこし協力隊

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 今日は8回目。さらに地域おこしからは遠くなっていったが、そろそろ転機かなと思わせる展開だった。

 親父と一緒にやっている金物屋が潰れそうになった挙げ句、商店街からも孤立してしまった藤井順一と、親が決めた結婚に納得できない今井春菜がともに行方不明になってしまう。

 二人を心配した丈太郎は高知市に探しにゆき、観光名所をめぐるだけで二人に無事に再開を果たす。

 そこで春菜が妻子がいる大学の先生に惚れてしまい、失恋したことを打ち明けられる。最後は、偶然にも別の女の子を連れて目の前に現れた先生を、順一が殴ってしまうという展開。

 三人でまちにもどった順一は商店街の人に「今井先生のお嬢さんを無理矢理連れ出すなんて!」「順一のことなんかお嬢さんが相手にするわけないだろう」と非難されるが、春菜は「だいすきです。商店街のこととか、地域のこととかに一生懸命な順一君が。これからも手伝いたいと思います」と言って、皆を驚かせる。

 一方、二階堂は担当した松本弘樹の親父さんが夜中に吐血し、気道確保のために喉にメスをいれる。こわごわと、ふるえながら入れたが、無事成功。親父さんの命を救うことができ、一歩前進かなと幸せを噛みしめ、二人を無事連れ帰った丈太郎とビールを飲んでじゃれあっていた。


 ところで、高知で出会った順一と丈太郎は、お互いの弱みをさらけ出していた。

 順一は、まちから一度も出なかったことが、いつまでもコンプレックスになっているという。「俺のことを田舎もんだといつもバカにしているだろう」「東京でも高知でも生きていける丈太郎は気楽だ!どうしようもなくなれば栃木の実家に戻れば良いんだから」と言われた丈太郎は、「東京に出ても仕事がなかった奴と言っているくせに」「それに、もう僕には戻るところはない」「実家には居場所がない」と言い返す。加えて「親が選んだ結婚は自分の人生じゃない」と言う春菜。「隣の田んぼは青くみえるんだ!」という順一に、「そりゃ芝生だろ」と一同爆笑となるのだが、なんだか行き詰まった若者たちの心情吐露合戦みたいだった。果たしてあと2回でここからどう巻き返すのか。


 次回には二階堂さんに東京の大学から「戻ってこい」という声がかかるらしい。「ここにいて欲しいな」と言う丈太郎。ひょっとして丈太郎君の最大の地域貢献はお医者さんを地元に引き留めておくということ?。それはないよな。いくらなんでも。

(おわり)

○僕ら地域おこし協力隊

http://www.gakugei-pub.jp/gakugeiclub/chiikiokosi/index.htm

出版記念イベント東京(12.14)

http://www.gakugei-pub.jp/cho_eve/1212inak/index.htm

○出版記念イベント京都(13.11.11)

http://www.gakugei-pub.jp/cho_eve/1301mega/index.htm

2012-12-09

映画・八甲田山

 1902年に雪中行軍の演習中に遭難し210名中199名が死亡した事件を描いた1977年の映画(画像はtoshibos-museumより)。

 部分的には見たことがあったけど、昨日、はじめて全編を見た。

 169分という長大な映画の三分の二がひたすらさぶい場面。猛吹雪で視界も効かず、崖を上りそこねて転げ落ち、汗をかくと凍り付きショック死、うっかり小便を服のなかで漏らすと同じくショック死。兵卒は立っておられず次々と倒れ、無能な上官は状況に振り回されて朝令暮改を繰り返す。

 「よう、こんな場面をCGもない時代に撮ったな」と感心してしまった。

 Wikipediaによると「実際に真冬の八甲田山でロケを敢行」「実際に数名の俳優がその過酷さに耐えられず脱走」「凍傷になりかけた」と凄まじい話が残っているそうだ。

 やはりホンモノは凄い、CGなんか目じゃないと思う。だが、凍傷になりかけた人にとってはとんでもない話だろう。

 ところで、映画は、弘前第31連隊・徳島大尉(高倉健)の用意周到さや優れた人間性と、青森歩兵第5連隊の山田少佐(三國連太郎)の馬鹿さ加減が対比され、馬鹿な上司に振り回された神田大尉(北大路欣也)の無念さが浮き彫りにされている。

 たとえば、山田少佐は神田大尉がせっかく頼んでおいた地元の案内役を「銭ほしさに何を言っている」と追い返してしまうのに対し、徳島大尉は常に地元の人に案内を請い、秋吉久美子演じる滝口さわには敬礼をしてその功績を称えている様子を大写しにしている(画像はsanmarie*comより。高倉健を案内する秋吉久美子)。


 ただ、このとき不思議に思ったのが、ようやくたどり着いた目的地の村から、夜も迫る頃、秋吉久美子を一人帰すというのは、どういうことか。敬礼して見送っているな、アホ。泊めてやれ!。『赤ちょうちん』『妹』の秋吉久美子だぞ!・・・

 それはともかく、高倉健は八甲田山の難所を案内してくれた熊ノ沢部落の案内人たちにも、小銭を握らせて「さっさっと帰れ!」と言わんばかりだった。

 なんかおかしいと思ってWikipediaを見てみると、案内人は悲惨な目にあっている。

 「八甲田山系の最難関を通過後、小峠付近で疲労困憊の案内人たちを置き去りにして部隊だけで田茂木野に行軍していった」「これら案内人はすべて重度の凍傷を負い、うち一人は入院するも回復せず、廃人同様となったまま16年後に死亡、また別の一人は凍傷のため頬に穴があき、水を飲むのにさえ苦労した」。そして、国などから補償も一切なかったという。

 原作では結構書かれているそうだが、映画はそのあたりはすっぽりと落としている。まあ、片方ではほぼ全滅し、踏破に成功した部隊も住民を犠牲にしたというのでは余りに暗く、当たりそうもないから、仕方がないのかもしれないが・・。

(おわり)

2012-12-08

子育てと住まいから見るベーシック・インカム

 ご挨拶を兼ねて標記のセミナーに行ってきた。

 1月11日の「 元広告マンが家族と愛媛県に移住。旋風を巻き起こす」というセミナーにコメンテーターとして登場いただく前神さんの恩師・小沢修司さんがベーシックインカム専門家で、このセミナーでも締めをされるからだ。

 認定外保育所を運営されている延命寺昭典さんの保育の話は具体的で面白かった。保育所の経営実態など初めて聞いた。

 一方、住まいの話は今ひとつ趣旨が分からなかった。

 都市再生で大阪都心部にマンションが増え、おかげで子育て世代も増え、保育所が足りなくなっているということだ。それでは困るじゃないかということらしいが、超高層マンションは街の迷惑、次世代への負の遺産みたいな話ばかり聞いているためか、どうも感情移入できない。

 一方、大阪で暮らす新婚&子育て中の学生で、シングルインカムの中村葉子さんの話はリアルだった。いままで7000〜15000円ぐらい貰えていた新婚家庭への家賃補助がなくなり、分譲住宅購入の際の利子補給に変わったそうだ。ローンなんか組める状態じゃないのに!、私らを見捨てるのか!と憤っていた。

 福祉に金のかかる市民ではなく、税金を納めてくれる市民に来て欲しい、景気浮揚もしたいと言うことだろうが、こういうことは国全体にとってどうなんだろう。東京もそうだが、出生率が地方と比べて低い。そのくせ、美味しい年頃になったら「仕事があるよ」といってさらっていく。

 こんなことを続けていて良いのだろうか?

 ところでベーシックインカムというのは、子ども手当てのように「お金を渡すからあとは市場で調達しなさい」ということかと思っていたら、それだけの議論ではないらしい。保育施設にお金を投じるよりも、個人にお金や保育専用金券(バウチャー)をわたし、保育の質は個人が自らの目で確かめるのが良いと延命寺さんは言われていたが、全員が納得しているわけではないようだった。

 実際、無認可の保育所は悪質なところも多く、また毎年8000件が開業し7000件が廃業するという不安定な状態だという。一方、認可保育所はというと、官僚的というか無愛想というか、してやっているみたいなところもあるそうだ。

 信頼できる市場ができなければ、市場には任せられないし、公営や補助金で支えると市場が育たない。どうどう巡りで簡単には解けそうにないと感じた。

 住宅はもっと難しそうだが、保育所よりも市場に任せられている。そのうえ住宅政策、都市政策というより景気対策でお金が使われ、規制緩和が行われる。その結果、街は空き家と駐車場だらけ。建っているのは将来の維持管理や更新に不安が残る区分所有の巨大マンション。

 だが、将来のことは実感できないし、まあ、何とかなるかもしれない。というわけで選挙では一層の景気対策としての住宅・都市政策が支持されるのだろう。


(おわり)

2012-12-07

成長は幻想か、解決策か

 「成長は幻想か、解決策か」という論説が京都新聞(11.29)に載っていた。

 成長派として取り上げられたのは民主党前原誠司さん。「問題を解決するには、成長により国力を上げるしかない」「中学校2年生のときに父親をなくしたものの、浪人を経て京大を卒業した自身の生い立ちを紹介。「専業主婦だった母が仕事を見つけることができたのも、また大学生になった私に探せばいくらでもアルバイトの先があったのも、結局、当時の日本経済が成長していたからではないでしょうか」」としている」という(『政権交代の試練』新潮社)。


 一方の成長は幻想派は同じく民主党の枝野幸男さん。「途上国から安く買った資源を、欧米より安い労働力で作った製品を安く大量に売る」という成功モデルは通用しなくなったと結論づけているという(『叩かれても言わねばならないことがある』東洋経済新報社)。


 枝野さんの本は読んだ。帯には「成長や改革は幻想だ。拍手喝采される政治は嘘。東京に使用済み核燃料の受け入れを求める。官邸デモは有効である」と刺激的な言葉が並ぶ。

 さらに刺激的なのは、「日本は1868年明治維新から近代化と「坂の上の雲」を目ざして歩み、1980年代の後半のバブル期、その頂きにたどり着き、雲をつかんだ。たどり着いた先で上を見て、まだ雲がないかずっと探し続けているのが、この20年間だった」という言葉だ。この20年間のむなしさが読みとれる。


 これは言ってみれば幸せとは何か、国家の目的は何かという根本的なところでの違いだ。原発消費税などの見かけの争点よりも、もっと根深い。なのにここまで真逆の価値観をもっている人が同じ政党で国家戦略担当相と経済産業相という要職についているのは、どうしてだろう。

 本来は、変わってしまった世界、脱近代にどう立ち向かうかが、対立軸となり、選択肢となるべきだろう。小政党がいっぱい出来ているけれども、ここのところをはっきり主張している政党はない。嘉田さんは「もったいない」という言葉を世界にひろめた人だけに期待していたのだが、原発に争点を絞るために肝心のところを後景に押しやってしまっているように見える。

 枝野さんはさらに、2017年には日本の貿易収支は赤字基調になり、東京直下型地震が起こる確率より遥かに高い確率でハイパーインフレになると断じている。また成長が回復してから増税すれば良いという議論に対しては、「いまだに成長幻想に浸った見方だ。景気がよくなれば金利が上がる。財政はその瞬間に破綻する恐れすらある。少なくとも景気が良くなった分だけ、返すべき借金は増える」「景気が回復するまでは借金を重ねようという安易な姿勢でいると、間違いなくマーケットに狙われる」とまで断じている。

 対して自民党の阿部さんは日銀に引き受けさせてでも国債を増発して公共事業を増やすのだそうだ。

 もしこれが一家族の話なら、借金を返しながら金のかからない幸せを探すか、一発逆転を信じてサラ金に走るかという選択だ。サラ金に走るのは絶対にダメというほどの知識はないが、少なくとも日本の伝統的な心とはど遠いと思う。なのに日本!、日本!という人に限って安楽な道を主張しているように見えてならない。

(おわり)

2012-12-05

遅咲きのヒマワリ(7) 僕ら地域おこし協力隊

f:id:MaedaYu:20121205172701j:image:left:w350 今日は7回目。面白いけれども笑えない展開になってきた。

 お店がしまってしまうことになった順一は四万十にテーマパークを作る計画を丈太郎に話す。その場では受け流した丈太郎も次の日には「そりゃ、無理だ」「もっと地道に」と指摘。「そんなチマチマやっていても、どうにもならないんだ!」という順一の気持ちが分からない。

 あせった順一は商店街を回り、お店にケチをつけてまわる。「イノベーションというのを知らないのか、お前らは」みたいな偉そうな御託を並べるので、総スカン。「そんなヒマがあったら、自分の店をなんとからしろ!」「イヤ、うちの店のようにならないために言ってるガヤ」と言い返しても相手にされない。

 そのうえ、暢気な丈太郎が商店街でお宝探しをして、「このケーキ美味しいです」とか「このひげ剃り、気持ちいい」みたいに笑顔を振りまくと、すっかり人気者に。それを見た順一はますます落ち込み、お掃除プロジェクトを続ける古民家で会った憧れの人・島田さよりを押し倒してしまう。

 キスして、胸のボタンをはずし、「さあ、やるぜ」ってところで目に入ったのが結婚指輪。硬直してしまう。結婚指輪って、こういう虫除けの機能があるのだと初めて知った。

 そしてラストでは、順一が行方不明に。街を出たのか、まさか自殺!?というところで次回のお楽しみという展開だった。


 ちょっとステレオタイプというか、絵に描いたような展開なのは気になるが、孤独な順一君が良かった。気持ち分かる。浮いているって辛い。でも憧れの人を押し倒しちゃ、いけないよな。

 ところで、どういうオチをつけるのだろうか。じゃれ合っている丈太郎と二階堂さんは進展せず、着実に前進しているのは大河内さんのリハビリだけって感じだ。


 ところで、順一のテーマパークで一発逆転というアイデア、誰もが「いまどきありえない」「バカかこいつは」という設定で、脳天気な丈太郎君にさえ「もっと地道に」と言われる始末だが、一方、選挙の様相を見てみると、「他人便りで一発逆転」みたいな公約が結構人気を博している。

 それこそ、もっと地道に、だけど楽天的にって政党はないもんだろうか?


(おわり)

○僕ら地域おこし協力隊

http://www.gakugei-pub.jp/gakugeiclub/chiikiokosi/index.htm

出版記念イベント東京(12.14)

http://www.gakugei-pub.jp/cho_eve/1212inak/index.htm

2012-12-03

白鳥の湖


 兵庫芸術文化センターにマイリンスキーの白鳥を見に行ってきた。ファーストソリストになったばかりというオクサーナ・スコーリコが熱演していたのに、一幕は、暑くて疲れていて、悪魔の眠気との闘い・・・でもよかった。

 席もよくて音に包まれる感じだったし、白鳥の群舞はもちろん、ソロのとき白鳥がフォーメーションをとって並んでいるときの静止画のような姿も、目の前に広がる感じで見事。

 ただ道化師はこの前見たボリショイの岩田さんのほうがよかったし、マイリンスキーは足音ががさつな感じがした。


 ところで、今日のマイリンスキーの公演も、最後は悪魔ロットバルトの腕から王子が羽をもぎ取って魔力をうばい悪魔を倒すというフィナーレだったが、これは社会主義による改変版なのだそうだ。

 もともとはオデットが湖に身を投げ、続いて王子も飛び込んで死んでしまうという悲劇だったという。

 ただし、死をも恐れぬ二人の愛は悪魔の呪いを打ち負かし、二人は天上で結ばれ永遠の世界へ旅立つという宗教的な救済を暗示する内容だった。


 ところが、そういうところが「社会主義的ではない」ということで、男女が力を合わせて悪に立ち向かい、それを打ち負かす物語への改変されたそうだ。

 一方、西欧では改変前の悲劇の形での公演が一般的で、またボリショイは2001年の改訂でオデットは連れ去られ、王子一人が取り残されるという結末に変えた。(『華麗なるバレエ01』より)。

 映画『ブラックスワン』も同様で、クライマックスでオデットが飛び降り自殺したあと、王子はボーっとしていた。また西欧で一番有名なヌレエフ版では王子の夢ととして描かれているという。


 実は、本来の宗教的救済のバージョンは見た記憶がない。

 この原点と、社会主義的なのかどうかは知らないが、少年少女文学全集的楽天主義の改変版がスッキリしていると思うが、どうだろう。王子一人が取り残されるのは、ある意味、一番救いがなく、単なる「夢」というのも趣味ではない。

 いっそ、白鳥のオデットと黒鳥のオディールは実は同一人物で、二重人格だなんて演出はできないだろうか。

(おわり)

○マイリンスキー日本公演

http://t2.pia.jp/feature/stage/mariinsky/index.html