アリアと何と協奏曲が三つ

 アマデウス音楽研究所発足30周年記念「アマデウス プロムナードコンサート スペシャル?〜協奏曲とアリアの午後」ってのに行ってきた。
 モーツァルト/ピアノ協奏曲第20番、モテット/「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」、メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲、グリーグ/ピアノ協奏曲と、てんこ盛りのお腹いっぱいってコンサートだった。
 管弦楽は明石好中指揮によるテレマン室内オーケストラ。ソリスト京都市立芸大をでて地味に活躍している若手の人たち。モーツアルトをやった岩城かおりさんは高音部が印象的。グリーグは生音では初めてだったけど、迫力あったなあ。
 やっぱり昔の音楽は中ぐらいのホールで聞くのが良い。

 ところで嫁さんが『図書館戦争』にはまっている。
 最初はとっつきにくいけど、とてもお薦めの本。とくに4巻までの本編が良い。
 僕はというと、『ミレニアム』を読み返しているところ。
 加えて西村幸夫研究室の『都市空間の構想力』を仕事で読む。4年かかっているけど、まだまだかかりそう。

びわ湖ホール15周年オペラガラ

 今日はびわ湖ホールの15周年オペラ・ガラコンサートに行ってた。
 トリはワグナーのマイスタージンガーの最終場面、「栄えあるドイツのマイスターに受け継がれぬ限り国はダメになる」「マイスターを讃えよ」と盛りあがるなかで、麗々しくびわ湖ホールの旗がスポットライトを浴びながら降りてきた。

 まあ、ファンが集まっているのだから、良いんだけど、ちょっと能天気に過ぎないだろうか?

 一方、今日の朝日新聞読書欄に『アメリカはアートをどのように支援した来たか』の紹介が載っていたが、「右からも左からもアート支援は懐疑的な目で見られている」と書かれていた。まさに、その通り。

 もちろん、びわ湖ホールも数年前に危機的状況だったし、客演の日本センチュリー交響楽団も危機の真っ最中ってことは昨日のオープニングの挨拶でも紹介されていた。そのなかでびわ湖ホールは頑張っていると思う。それだけにマイスタージンガーのような芸術至上主義的な歌詞でもりあがるしかないのは、ちょっと残念だった。

『まちづくり:デッドライン』(木下 斉、広瀬郁)

 木下さんの本が出たので読んでみた。
 やや独断で、超簡潔に要点をまとめれば、街が甦るためには「不動産オーナーが謙虚で、商売ができる程度まで家賃等を下げてくれる場所に、新参者が出店できることが大事」「それは路地裏などの場合が多い」。そして、ネットや郊外のSCと競合しない「製造販売が一体のビジネス」に将来性がある。ただし「初期投資は抑えなければならない」ということだ。

 これなら潜在力のあるところなら、自然に再生が進むはずなのだが、どういうわけか、そうはならないことが多いという。別に家賃収入なんかなくても困っていないし、へんな連中に貸して近所迷惑になるのも困る、といった地主・家主さんの心理が大きな障害となっていることもあるようだ。

 この固着した状況を打破するには、賛同してくれる不動産オーナーを捜し出し、やる気と技術のある新規出店者を結びつけ、場合によれば建物のリノベーション、コンバージョンをしかけるような「まちづくりの中核部隊」「まち会社」が必要だと木下さんはいう。

 もちろん、一番大事なのは街自身に治癒力があるかどうかだろう。

 こういう街の再生物語で有名な熊本上乃裏通りの場合、サンワ工務店の山野さんが、古い建物のオーナーを説得し、改修して開業希望者に貸すと同時に、いかに安く開業するかも指導しているという。
 この十数年で80件を超える改修を手がけられたというが、なぜ、そんなに続いてきたかと言えば、関係者がちょっとずつ儲かる仕組みになっているからだ。
・建物のオーナーは生活できる程度の家賃収入は得られる。(あるいは解体して駐車場にするより利益が出る)
・開業希望者は安く借りられ、山野さんから経営のイロハを教えてもらったり、古道具をもらったりし、開業資金も抑えられる。
・山野さんの会社は、改修で適正な利益を得る。
・お客さんは他にはないものを楽しむことができる。

 こういう仕組みがまわることが分かったので、追随者もあらわれ、今では200〜300のお店が並ぶエリアになっているようだ。
 まちづくりの成功例と言いたいところだが、山野さんはまちづくりと言われることを嫌う。古い建物を残したいからやったこと。「「まちを変えてやろう」とか、「こんなまちにしてやろう」と思ったことは一度もありません」という(https://www.machigenki.jp/content/view/1509/441/)。
 まちづくりの司令塔がなくても街全体が変わってきたのは、WIN-WINの関係が自らの複製をつくりだすように自成的に広がっているからだろう。

 一方、先日都市環境デザインセミナーでお話を聞いた奈良の夢CUBEは、まちづくり会社が取り組んでいる例だ。
 パチンコ店の跡地を買い取り、数坪の小さなお店をいっぱいつくって、開業志望の人たちに貸し出している。坪単価は回りのお店と大きくは変わらないのだそうだが、小さいから手軽に借りられる。また経営指導にも力を入れているそうだ。

 感心したのは夢CUBEの目のまえに夢長屋という同様の施設を地主さんが開設したこと。
 4階建てのビルを解体し、新しくビルを建てるのではなく、平屋の小店舗群をつくって貸し出している。幸い、順調にテナントが入っていた。

 昔は、「大きなビルを建てて家賃を稼ぎたい人=ビルを建てて稼ぎたい工務店=家賃が高くても一層大きな売上をあげたいテナント=大量生産のモノを買いたい消費者」でWIN-WINの関係が成り立っていた。
 いま、そういう図式が成り立たなくなったところで、WIN-WINの新たな可能性を見いだせる街しか生き残れないのかもしれない。

 それにしても、日本の建築法規は新築ばかり優遇し、既存ストックを「使う」ことを考えていない。木下さんも指摘されているが、これをなんとか変えていかないと、再生の芽が出てこないの街も多いのではないだろうか。


※アマゾンリンク
まちづくり:デッドライン〜生きる場所を守り抜くための教科書

[]橋下さんの風俗発言とRAA(国策売春会社)

 洗濯機が壊れた。
 修理に来てもらったら、「これはあきませんな」「部品もないし、あっても10万はかかります」「買い直した方がいいですよ」という有り難いコメントと、3000円の領収書をおいて帰っていったそうだ。
 当時、奮発して買ったドラム式。まだ10年も経っていないのに "(-o-;)

 後継機を探したのだが、なぜか、少しずつ大きくなっている。洗面台を大きくするため、洗濯機置き場はギリギリにつくってしまっていて、スペースに余裕がない。納まるかどうか微妙なところ。ああだ、こうだと測っているうちに、半日潰れてしまった。
 最後に、ヨドバシに行って、相談すると100円で事前確認をしてくれるという。しかも、注文はしてもしなくても良いそうだ。さっそく頼んできた。

 ところで、橋下さんの「沖縄」「風俗」発言が問題になっている。これを聞いて思い出したのが特殊慰安施設協会(RAA:Recreation Amusement Association)のことだ。昔『マッカーサーの二つの帽子』という本を読んで知ったのだが、日本政府は戦後真っ先に占領軍に女を提供する準備にはいり、売春のための国策会社をつくったという。

 その目的は「国体を護持し」「良家の子女を守る防波堤」となることだった。「長い間女に接していない兵隊は、動物的要素を持っている。それなら猛獣は檻に入れて飼い慣らす必要がある。また来たりくる客には、十分に望みを達せさせ、満足させて帰すのが礼儀というものだ」(坂信弥)。誰かと発想は一緒だな。

 こんなことは当時の日本としては当たり前だったかもしれないが、同書によれば、ドイツでは民間の売春はあったけれども、国策としての売春はなかったという。フランスはアメリカ軍歓迎のための慰安所を設けたが、アメリカ軍に拒否され、従来からの慰安所に出入りしてもらうことになった。占領軍占用の慰安所を国策で設けたのは、どうも日本とエジプトだけだったそうだ。

 なお、この政策の実現の先頭にたった坂信弥警視総監は、なかなか発想が豊かな人だったようで、昭和11年に鹿児島県警察本部長に赴任したおりには、後に特攻基地となる鹿野の航空部隊のための慰安所設立に手を貸している。1万坪の敷地の真ん中にダンスホールを作り、そこでビールをのみ、ダンスをさせ、気が合えば別室へというインスタント恋愛方式を考案したそうだ。のちのRAAも大規模なダンスホールを運営している。

 こういう過去があるから、ダンスをすると淫らだ、まして夜中に怪しからん!という風営法があるのだろう。そういえば、夜中にダンスの取り締まりが始まったのも、最近では大阪からだったような・・・関係はないだろうが。


アマゾンリンク
マッカーサーの二つの帽子 (講談社文庫)

ラ・フォル・ジュルネびわ湖2013

 今日と明日は何もかも忘れて「ラ・フォル・ジュルネびわ湖2013」にいくことにした。
 去年と同様、すごい人気で、ロビーには人が溢れていた。チケットも完売が多い。
 ラムルー管弦楽団によるサン=サーンス交響詩「死の舞踏」が初めて聴く曲だったけど意外と良かった。同じくサン=サーンスピアノ協奏曲第2番も儲け物。ワイフは同じジムノペディ第3番(オーケストラ版)が儲け物だったと言っている。朝、最初に聞いた交響詩魔法使いの弟子」でも思ったけれど、ラムルー管弦楽団は響きが好きだ。
 一方、日本センチュリー交響楽団は感心しなかった。ミスもあったが、音ががさつな感じがする。ただ、ワイフは迫力があったと言っていたので、好き嫌いの問題かもしれない。
 児玉麻里、児玉桃さんのピアノデュオでは、どちらが麻里さんで、どちらが桃さんなのか、良く分からなかった。桃さんは何度か見たことがあるはずなのだが、間近で見ると却って混乱してしまった。
 小ホールで聞いたイリーナ・メジューエワさんのドビュッシーも良かった。
 ただ、月の光をやってくれなかったのは残念。ちなみに毎回、音楽祭にちなんだ紅茶が売られているが、「月の光」と銘打たれた紅茶は大人気で、ワイフが買いに行った時は既に売り切れ。「ジムノペディ」は売れ残っていたそうだ。

椿姫(びわ湖ホールプロデュースオペラ)

 沼尻竜典さん指揮、プロデュースの椿姫を見てきた。ヴィオレッタは砂川涼子、アルフレードは福井敬、ジェルモンは黒田博。
 前半はヴィオレッタの声が小さくて、イマイチと感じた。4階席だから遠いのだが、良い時は目の前で歌ってくれているように聞こえるのに、どうも音が遠い。
 だけど、後半、特に3幕はその線の細さがプラスに効いていた。
 また演出で目をひいたのも、第3幕。舞台では歌うヴィオレッタとは別に、もう1人のやや細めのヴィオレッタが倒れたまま。ひょっとして、舞台はこの倒れたままの、息を引き取るヴィオレッタの夢なのかな?と思っていたら、最後にアルフレードがこの倒れたヴィオレッタを抱き起こしていた。
 小説と同様、アルフレードもジェルモンもヴィオレッタの死に間に合わなかったと暗示したかったのだろうか。なにか荒涼とした雰囲気の舞台。良かった。
 期待していたスペイン闘牛士の踊りは、舞踏会での映画鑑賞に変えられていた。ダンサーを呼ぶ予算がなかったのか、沼尻竜典好みのストイックな演出なのか・・・。なにしろサロメをセーラー服の中学生にしてしまう人だから。

火の鳥・春の祭典(ALTY芸術劇場)

 アルティ・ダンスカンパニーの第9回公演。
 アルティ・ダンスカンパニーは登録アーティストが年に一回公演するという試みで、望月則彦さんが芸術監督を務めている。
 いままで何回かみたけれども、どうも難解で、スカッとしたところがなくて、敬遠していたのだが、今年は春の祭典火の鳥という超メジャーな演目なので見てきた。
 驚いたことに満員で、階段に座ってみる人もいるほどの盛況だった。
 火の鳥はオルガン(テープ)と打楽器の演奏。
 アルティは生音はいいのだが、スピーカーからの音は劇場いっぱいに広がりにくくて、左右のいずれかからしか音が聞こえないことが多いのだが、今回はうまくひろがっていた。加えて打楽器の生音が迫力があり、群舞も盛りあがって、アルティで今までみたダンスでは1、2位の満足度。
 春の祭典はピアノ連弾。頑張っているのは分かるけど、やっぱり音が貧弱。踊りも単調で、後半は厭きてしまった。
 ところでALTY芸術劇場はアルティの主催事業で、プレトークや抽選会、交流会もセットにした試みだ。僕も先回のチェロアンサンブルではTシャツがあたった。こういうお祭り気分の試みは、良い。