ほらほらコーヒーが冷めちゃってるよ 2

好きな人に伝えたいことはできる限り直接伝えます。都々逸作っています。浦和レッズと演劇と映画と音楽が大好き! 田島亮(・中嶋将人)、成河、亀田佳明、イキウメと浜田信也。演出家・藤田俊太郎を応援しています。小林賢太郎・片桐仁、ラーメンズは永遠に好き。B'z、BrandonBoyd&Incubus、JasonMraz、大橋トリオ、Eddie Redmayne

映画『山河ノスタルジア/山河故人/Mountains May Depart』★★★★★ 


 Bunkamura ル・シネマへ。
 ジャ・ジャンクー監督が“2025年のオーストラリアを舞台に映画を撮影”というだけでも、映画ファン必見。
の『山河ノスタルジア』とても良かった〜(T ^ T) こういう映画を観られるって幸せなことだな。今日この映画を選んだ私、とても良い選択をしたと思います!ナディッフモダンでシアターガイドと「お皿監視人(絵がゾーヴァ)」購入!」とTweet
1999年中国、2014年上海、2025年オーストリア。3つの時代を背景にした映画。スクリーンの大きさも3段階で大きくなっていくのも面白い。映像も美しいし、絶対映画館で観た方がいい映画です。(たいていの映画は映画館で観た方がいいですが)
主人公の25歳から50歳までを演じたチャオ・タオが素晴らしい!! オーストリア編でスポットがあたるタオの息子ダオラーを演じたドン・ズージェンも良かった〜。
音楽の使い方も好き。GO WEST(*)もだけど、1999年にタオの父が経営していた店に来た客がかけたCD(タオのためにお金でそれを買い取ったジンシェンのお金の使い方・・)2014年母と子がイヤホンの端と端でこの曲を聴き、2025年その曲を母くらいの年齢の女性の家で耳にしたダオラーが母の記憶を手繰り寄せた。
ダオラーが母を思いその名前を言ったとき「タオは波という意味なんだ」と付け加えた、それが最後の波の音に繋がるのも素敵でジーンとしちゃった。ダオラーは父親にドル$の意味で付けられた名前だけど(T ^ T)

(*)映画の最初(1999年)と最後(2025年)タオが踊るシーンで使われているPet Shop BoysのGO WESTですが、つい浦和レッズのチャントを思い出してしまう私でした。これは仕方ないよね〜。♫ アレー フォルツァ 浦和レッズ


 珍重 (Treasure) 葉蒨文 Sally Yeh LP Vinyl on Lenco L90 Focus XS Book 電影「山河故人」插曲
 公式サイト http://www.bitters.co.jp/sanga/ 
監督・脚本:ジャ・ジャンクー賈樟柯) 2015年/中国=日本=フランス/125分
キャスト:(タオ)チャオ・タオ、(ジンシェン)チャン・イー、(リャンズー)リャン・ジンドン、(ダオラー)ドン・ズージェン、(ミア)シルヴィア・チャン
ストーリー「1999年、山西省の汾陽(=フェンヤン)。小学校教師のタオ(チャオ・タオ)は、2人の幼なじみ、炭鉱労働者リャンズー(リャン・ジンドン)と実業家ジンシェン(チャン・イー)から想いを寄せられていた。3人の友情を大切にするタオだったが、それぞれの気持ちが錯綜。内向的なリャンズーとは対照的に、自信家のジンシェンはタオの気を引こうとする。やがて、タオがジンシェンのプロポーズを受け入れると、傷心のリャンズーは街を去ってゆく。しばらくして、タオは夫ジンシェンの子供を出産。その息子はドルにちなんで“ダオラー”と名付けられた。2014年。タオはジンシェンと離婚して、1人で汾陽に暮らしていた。ダオラーは、父親のジンシェンに引き取られ、上海の国際小学校へ通っている。離れて暮らすわが子への想いを胸に過ごすタオ。そんなある日、長年の炭鉱労働で身体を壊したリャンズーが、妻子と共に故郷に戻っていることを知り、彼の家を訪ねて治療費を手渡す。さらに、タオを襲う父親の死の報せ。悲しみに暮れる中、葬儀に出席するため汾陽へ戻ってきたダオラーと再会。離れていた息子との時間を埋めようとする彼女が知ったのは、ダオラーがジンシェンと共にオーストラリアに移住するという事実だった。2025年。移住先のオーストラリアで19歳に成長したダオラー(ドン・ズージェン)は、すでに中国語が話せなくなっていた。英語が話せず、中国から移民してきた仲間たちと昔話に明け暮れる父親との間にも確執が生まれ、孤独な日々を過ごすばかり。大学生活にも疑問を抱え、自らのアイデンティティを見失っていた彼は、香港から移住してきた中国語教師ミア(シルヴィア・チャン)と出会う。自分と同じように異国の地で暮らすミアと心を通わせるうち、いつしかダオラーは、かすかに残る母親の記憶を辿り始める……。」(Movie Walkerより)

タオが再会した息子ダオラーに鍵を渡すシーン。監督のこういう思いも込められていたのね。
「〜略〜 母が本当に必要だったのは、お金でも物質的なものでもなく、私の存在だったのです。いつの間にか消費社会の中に私も組み込まれていて、お金で人を慰められるんじゃないかという風に思ってしまっていたのです。ある日母は私に突然、汾陽の実家の鍵を渡しました。「これはあなたの家の鍵だからね」と母に言われた時、私はハッとしました。長いこと故郷を離れていた私は、実家の鍵を持つことがありませんでした。私はいかに、自分が彷徨い漂泊する生活を送っていたのかと、強く思いました。小さな田舎から都会へ出てくる、仕事のために点々と違う街へ移っていく。多くの人は、自分の可能性を求めて生きています。ところが、同時に失うものもあります。僕にとっては、それが鍵だったのです。そして、そのことを私に教えてくれたのは、「時間」だったと思います。」http://www.bitters.co.jp/sanga/director1.html
 ゴールデンウィーク中にアフタートークあり。