2010-03-31
twitterについて考えてみたこと
ちょうど夏の選挙あたりから、twitterが、すごく盛り上がっている。私自身、ネットアクセスの中心が、ここ半年もっぱらtwitterにシフトしている。この盛り上がりは、なんだろうと、自分の場合で考えてみた。
twitterの場合、フォローする・リムーブ(アンフォロー)するという作業が、発信者から見えないし、どんどん流れていく一言発言を全部読んでリアクションを返す必要が全くないため、発信者も受信者も、お互いに対して、非常に気楽で寛容でいられる。Mixiなどの場合は、お互い承認しあってのマイミクなので、日記を書く方も、読み手を気遣い意識して書くし、読み手も律儀にレスを返したりしなければという暗黙の縛りがある。また、「足跡」という形で、誰が自分にアクセスしたかの痕跡が残るので、なんとなく礼儀や、お約束支配が強くなるのだ。更にMixiで限定公開設定が出現してからは、特定マイミクを外して悪口を書いた後、全公開で、みな普通に、その話題の人とも会話する様子などがレポートされるに至って、結局今現在の日本社会のリアルなコミュニケーションの枠内のコミュニケーションしか生まないという限界が露呈してしまった感がある。
この辺、twitterの場合は、発言者は、それほど受信者全体の反応を意識しないでいいし、また受信者もつまらないなと思えば気楽に話を聞くのを止められ、承認とか必要なく、おもしろそうな人の話を新しく聞くことができる。そして、発言が、常に140字限定で、24時間どんどん流れていってしまうものなので、基本会話であり、そうした意味でも発信者・受信者とも気楽に参加できるわけである。もちろん不用意な発言もあるし、熱い議論も、喧嘩も炎上もある。もちろんネット名物のデマや詐欺的なあれこれも出回っている。ここで、問われるのは、自分オリジナルの編集能力だと思う。
朝まで生テレビのひとりものまね芸で有名な松尾貴史さんの言によれば、「Twitterをおもしろいと思うかどうかは、自分にとっておもしろいタイムライン(TL)を構築できるかどうかにかかっている」とのことだが、これは、私も本当にそうだと思う。
例えば、私は、高校・大学時代、「宝島」という雑誌の大ファンで、毎月楽しみに買って、中島らものかまぼこ新聞やら、VOWやら、のめり込んで読んでいた口なのだが、今私のtwitterのTLは、まさにデイリー宝島マガジンの様相を呈しているのだ。しかも24時間更新されて、いつでも読めて、タダなのだ。更にいえば、このMy「宝島」TLは、元のリアル「宝島」よりもバージョンアップしていて、おもしろ話の合間に、政治・経済・社会のBreaking newsを挟んでくれるし、読むべき真面目なネットの記事やブログのURLを貼ってくれる人もいるのだ。それらを、煮物が煮えるまで、洗濯が終わるまで、電車で移動中など、ちょこちょこ携帯でチェックできるわけです。おもしろいと思った発言や、後でPCでじっくり読みたいブログ紹介の発言などを、その都度自分の発言TLにRTして記録しておけば、PC使用時に、じっくり読む版が、出来上がっているというわけです。
twitter上では、有益な情報や、おもしろいと思われる情報は、RT(リツィート)機能により、フォロワーの輪の外側へも、瞬時に広く伝わっていく。このため議論は、非常にオープンな形で公開されるが、元の発言の発信者のTLでは、発言者の意思で、リプライされたもの、RTされたものだけが表示されていくので、なんでも全部丸見えで大荒れというような事態にはならない。不快な人へのブロック機能を使うと、その人の言動一切に接触がなくなるという、緊急用の安全弁も装備されている。
140字限定の発言であり、瞬時に流れ去っていく一言という特徴や、発言者も受信者も、自分の好みで場を形成することができ、両者の関係性や気兼ね、遠慮しなくてもいい環境設定がされていることに加えて、RT機能により、情報発信力は非常に強く、短時間の間でも、大勢の吟味によって情報の取捨選択がされることなどのため、当初の発信者から離れて、メッセージ主体に伝えられていくケースも多い。意見が集約されて、世論が形成されるプロセスを目の当たりにする感がある。
日本人間のコミュニケーションでは、これまでありえなかったほど、フラットでオープンな言論空間が出現しているといえよう。積極的にtwitterで発言している著名人は、作家、ジャーナリスト、クリエーター、コンサルタント、学者、芸能人、評論家、政治家、企業経営者など、非常に多彩で、かつ影響力の大きな人も多い。こうした中核的な人達が、全員実名で参加しているせいか、これだけオープンでフラットな場でありながら、実名ベースというのも、注目すべき点だ。英語のインターネット世界と同様の、ポジティブで前向きなネット世界が、遂に日本でも展開されたか!という感じなのだ。
今後、参加者が、どんどん増えていくに従って、今あるオープンでフラットな情報空間が、果たして維持出来るのかどうか。その辺が注目される。ひょっとすると、Mixi同様、普通の日本人の日常のコミュニケーション枠内のありふれたつまらないツールに成り下がってしまうのか…。ただ、個人的な感触というか、手応えというかでは、他のどのメディアや情報サービスよりも、自分から何かにコミットしたり、新しいことを生み出したりする可能性が、すごく大きいような期待感がある。そこで紹介された書籍を購入するとか、セミナーへ申込むといったレベルの行動に結びつくかどうかさえも、他に比べてハードルが低いようだ。実名ベースが基本になれば、そこで流通する情報の信頼性も高まるし、利用すればするほど、どんどん各個人のリテラシーが高まるのではとも思う。自分自身この基盤を大切に育てていかなければとも思っている。この、サービスを提供されているのではなく、自分がコミットしている感が、twitterの凄いとこかもしれない。まずは、自分だけの最強TL構築できるかという個人の編集能力が、鍵です。キッチュの言ってることは、非常に鋭い。
2010-01-22
この国の巨悪の在処が、だんだん見えてきた今日この頃
まさに、こういうこと↓の繰り返しだったわけで、政治も社会も経済も、うまく育たずに立ち枯れるはずだよね。そろそろ目を覚まそうよ!>国民。
2010年1月21日 17:18
http://www.taro.org/2010/01/post-698.php
DIAMOND online 週刊・上杉隆 【第110回】 2010年01月21日
小沢問題で検察リークに踊らされるメディアへの危惧
http://diamond.jp/series/uesugi/10110/
きっこのブログ 2010.01.22
海外メディアは検察を批判
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2010/01/post-6457.html
Chikirinの日記
2010-01-18 “検察が逮捕したい人”一覧
2010-01-15
「FREE」の効能
今、Chris Andersonの「FREE」を読んでいる。翻訳本だと、なんだか新手の金儲け本のようなコピーが付いていて、気持ちが萎えるが、原本は、割と真面目な消費心理学の本という感じ。非常に平易な英文で書かれているので、英語の勉強にと思って読んでいるもの。
これまで、経済学の分野で、ことさら取り上げられることの無かった「無料」ということの消費心理的効果を、歴史的な経緯の中から実例を挙げて分析している。歴史の中で、「無料」という仕掛けが、いかに効果的にマーケティングの分野で使われ、発展進歩してきたかを、つぶさに見ていくと、そうした経緯の果ての必然として、今のインターネットビジネスがあると、改めて気付かされておもしろい。
また、これまでの人類の歴史が、このFREEという観点から見れば、どんどん豊かになっていく歴史であるとする世界観、歴史観は、新鮮で、なかなかおもしろい。枯渇する資源、破壊され尽くそうとする自然環境、貧困に向かう大多数の人類…というペシミスティックな常識が、ぼこっとひっくり返って、また新たな地平が見えてくるのかも?といった未来への期待感を抱かせる。
先日LAの友人が来て、向こうのメディア状況の激変の様子などを、いろいろと聞く機会があり、そうした大きなパラダイム転換の節目にある感を、いっそう強く持った。ポジティブなビジョンを抱いて、前へ進むために、今読んで、おもしろい本だと思う。
ただ、読み進むうちに、昨年末のふたつの政治的な集まりの違いについて、私が気がついたこととの整合性に悩んでいた。ひとつは、中野サンプラザのホールで行われた参加自由、無料の「長妻昭 国政報告会」と、その二週間後に行われた、後援会主体の有料(1万円)の「長妻昭 世直し望年会」である。無料の国政報告会が、年金大合唱の中高年層大集合だったことは、以前ここでも書いた。それと、対照的に有料のパーティーの方は、老若男女バランスよく集まり、同じ卓を囲んだ人達と、あれこれ話した印象では、非常に政治への意識も高く、おもしろい場だったのだ。長妻氏は、企業・団体献金を一切受け取っていないため、それぞれの参加の理由や経緯も、十人十色で、ひとりひとりの体験やきっかけなども、聞いていて、非常におもしろかった。そうした場の雰囲気を反映して、長妻氏の話も、メディアでは余り報道されない、未来を語るものとなった。先の国政報告会では、「このまま日の沈む国になっちゃうんじゃなかろーか…」とびびった私も、この会の夜は、「個人の意志だけで、600人以上の人が集まるんだから、なかなかに未来は明るいんじゃなかろーか」と、明るい気持ちで家路についた。
で、「FREE」の中に、この辺の有料と無料の意識の違いについても、「NO COST, NO COMMITMENT」として言及してあったので、なるほどと思って、久しぶりに書いてます。「FREE」は、消費を呼び込む仕掛けとしては、最強のジョーカーのような働きをしますが、コミットメント(責任ある主体的取り組み)を求めるような場面では、ネガティブに働くのです。インターネットの時代になり、基本情報は、ほとんど無料化していっています。どうやったらビジネスとして成り立つのか?という試行錯誤が、各方面で行われていますが、未だ手探りというのが、現状です。将来儲かる見込みで流れ込む投資に頼ったビジネスも、少なくないといえます。こうした現実の中では、何を有料にして、何を無料にしていくのか?という選別が、かなり重要となってくるものと思われます。
資源の無駄、浪費、ゴミの素になるようなモノは、確実に「有料」では、売れなくなるわけで、例えば紙媒体の大半は、キンドルみたいな形に取って代わると思われます。それでは、何が残るのか?といえば、「コンテンツ」は、絶対に残るわけです。これまでは、モノも、コンテンツも、商品化して流通する途上に、様々なプロセスがあり、環境に負荷をかけつつゴミを出しつつ、流通過程で、中抜きされつつ、消費者のところまで到達していたわけですが、この途中のプロセスや、中抜きのあたりが、大幅にショートカットされるんだと思います。
例えば、これまでテレビ局が、下請けのプロダクションを使ってコンテンツを作り、そのコンテンツに付随する広告の枠を広告代理店が、メーカーなどの広告主に売り、また広告制作費を別途取って、広告を制作して、テレビ局のコンテンツにつけて放映していたわけで、その広告を見た消費者は、お店へ行ってその広告された商品を買っていた。複雑で回りくどい仕組みです。
これが、ターゲットを同じくするメーカーやブランド数社が、プロダクションに直接自分たちのターゲット向けのコンテンツを発注し、コンテンツを作成し、ネット上で無料で公開。その同じ画面上に商品発注までダイレクトに繋がる仕掛けを作るという非常にシンプルで直線的な形で、販売まで完結するように出来るのです。今現実になっている東京ガールズ・コレクションが、まさに、このモデルの先駆けでしょう。
コンテンツ→販売に直結する形になると、優良なコンテンツや、客観的な報道などができなくなるという側面も出てくると危惧されるかもしれませんが、ハイエンドなターゲットや、アカデミックな分野へのニーズなども、依然としてあるわけで、今の大衆向けのテレビメディアのコンテンツより、ずっとハイクオリティなもの、マニアックなものが作られる可能性も高いと思います。更に、グローバル・スタンダードが求められる部分も大きくなるため、今のテレビメディアよりも、高度な客観性が要求されてくる可能性も大きいのではないでしょうか。
テレビ局も、新聞社も、雑誌社も、全部今のままの業態では、必要無くなるかもです。けれど、モノを売る・買うということも、コンテンツや報道に対するニーズも、無くなるわけじゃない。今のビジネスモデルに固執せずに、大胆な業態転換を実現したとこが、生き延びるのではないかと考えます。
バッグやスカーフで有名なハイエンドブランドのエルメスは、当初王族・貴族の乗る馬車や馬に使われる馬具を製作する工房だった。馬車や馬が日常から消えていく中で、自分達の高い技術力を活かして大胆に業態を転換していって、現在のような事業展開に至った。そのブランドとしての、信用と名声は、今もトップであり、その事業はグローバルに広がっている。今、起こっている変化も、同じようなものかもしれない。技術やコンテンツは、業態が転換しても、形を変えて生き残る。
顧客は、好意や敬意を示す(ギフト)、有意義な投資、感動したり楽しんだりするコンテンツ、社会的な貢献、思い出に残る体験、自分をぴったりと表現するもの(ファッション、コレクション)、日々の生活を快適に過ごすのに必要な様々なものに対しては、どんなに世の中が変わっていっても、絶対に対価を払う。これまでも、ずっとそうだったのに、ここ60年間の大量消費時代の中で、我々は、単なるモノや数字を売り買いしていると錯覚してしまってはいないか。
自然から発想して、個人に帰着することは、少なくともモノから発想して数字に帰着することより、ずいぶん素敵なことに思える。そう感じた瞬間、不安が和らぎ、未来が、少し明るく感じられた。この「FREE」は、「今」によく効く薬のような本です。
2009-12-09
東都生協に、頭来てやめる
息子が赤ちゃんの時から、最初グループ購入でお世話になって16年ですよ。毎月3万円〜6万円しっかり購入する、ある意味優良顧客だったと思います。自分で言うのもなんですが。
二年半前までは、非常に良好な感じでした。配達員の人も、一度決まったら、ずっとその人でしたし。しかし、二年半前に、その配達員の人が止めてから、もう5,6回配達員の人が、ガラガラ代わって、去年の今頃は、配達時間が、1〜2時という設定なのに、毎回4時とか、5時とか、一番ひどいときは、夕方6時半を回ったりして、もう丸半日ずっと待ちみたいなことになって、何度か、問い合わせをしたりしていました。
今年の初夏くらいか、これまでドライバーひとりで回っていたのをふたり体制にしたので、時間通りに来られるようになったということで、こちらもほっとしていました。
最初の配達員さんは、丁寧で、食品も扱いなれていて、礼儀正しい人でしたが、すぐに、今の配達員の人に、また代わりました。
これが、もう最悪!これまで生協の人で、これほどひどい態度の人に会ったことありませんってほど。うちは、割と野菜とか大量に注文する方なんですが、もう「こんなに大量に頼みやがって」っていう態度。箱も、ドサッとか地面に下ろすし、舌打ちとかため息とかも。
まあ、いろいろ大変なんだろうと思って、黙っていましたが、ここ数ヶ月、今週のお薦め品を買えと、しつこく言って来て、電話とかも掛けてくるようになってました。
先日も、お薦めのカニを買ったか?と聞くので、「お腹を壊して、体調が悪かったので。カニを頼む気にならず買わなかった」と言った途端に、すごい不機嫌になって、じゃあ、来週の鮪は必ず買ってくれとか言うのを、曖昧に受け流して、受け取った品物を一旦奥へ運んで戻って来たら、玄関に、残りの品物山積みにして、挨拶もちゃんとせずに出て行った。その山積みになっている荷物に触れたら、山が崩れて、玄関の際に置かれたみりんの瓶が倒れて割れて、玄関中みりんがぶちまかった。
中に液体が入っている瓶や、割れ物の卵など、これまでの配達員だったら、いやスーパーでもどこでも、食品を扱う人間だったら、絶対にこんな置き方しないだろうって、頭にきて、ドアを開けて呼び入れた。
最初は、床中みりんまるけになっているのを見ても、オレがやったわけじゃねーよって態度だったけど、私が、さすがに切れて、半泣きで、「そんなにお薦め強制で、買わんといかんのか!」とか怒り出したら、向こうも慌てて「すみません」って謝って、とりあえず、その場は収めて帰ってもらった。
その後2時間玄関掃除。これだけの騒ぎになって、客が泣き出したなんてことになったわけで、当然上の人から、お詫びの電話くらいあるかと思ったら、全く無かった。翌日も、ばけつ二杯分の水を玄関に流して、やっとベタベタが取れた。大変な損害ですよ。で、もう堪忍袋の緒が切れたので、生協に電話して、事の次第を話して、「ここまでの騒ぎを起こしても、上に報告しないで平気でいるような組織は、もう欠片も信用できないので、辞める手続きをしてほしい」って言った。
先方の責任者から、電話があって、配達員を別の人に代えるのではダメか?と言う。そんなん、すぐまた代わっちゃうでしょう。もう二年半で、5人も6人も代わってて、そういうのに、もうこれ以上ついていけないと言って、辞めたいので、手続きしてくれって言ったら、分かりましたってことで、辞めた。
毎月平均5万円で、12ヶ月60万円のお客を引き止めるのに、誰もこっちに足を運ばないっちゅうのも、驚くよ。で、すぐにらでぃっしゅぼーやの人に連絡してみたら、その日の午後一番に営業の人が飛んできた。私が、事の顛末を話した時も、驚いていたけど、話が進んで選択するコースの内容を話していた時に、参考にと、前回の生協の注文票を見せたら、「え?毎月こんなに頼んでいるのに、そんなふうにぞんざいに扱われたんですか!?」って、すんごいびっくりしてた。やっと、当たり前の感覚の人に会って、心底安堵した。
生協とか、運動とかって銘打って、お客さんじゃなくって組合員として、対応しているくせに、「お薦め」とか「キャンペーン」とか、押し売りして、横柄な態度でも、許されるって甘えてるんだと思う。商売するなら、お客さんとして対峙すべきだし、運動だっていうんだったら、外部の業者とか使わずに、あくまでも組合っていう枠組み守れ!って言いたい。
二年半前までは、配達員の人達も、本当に誇りと使命感持って生協の仕事に就いているって感じの人が大半で、すごく良かったし、ずっと子供が生まれた時から、お世話になって来たので、この二年半、私も我慢に我慢を重ね、役員とかもやってみたりして、なんとか良い方向で続けられないかって思い悩んで来たけど、もう堪忍袋の緒がブチ切れまくりました。
16年間慣れ親しみ、絶大な信頼感を持っていたブランドやシステムも、二年半の杜撰な運用で、とうとう見限られるのだなあって、マーケッターな自分は、実感を持って結論した次第。日々のクレームを、その場だけの「すみません」「ごめんなさい」で乗り切っていっても、根本的な改善が無ければ、客は離れる。クレームを言っているのは、顧客のブランドやシステムに対する思い入れや執着が強いからゆえかもしれないのに、それを真剣に掬い上げない組織は、知らないうちに潮が引くように、良い固定顧客がいなくなってるってことになると思います。
で、二年半かなりなストレスになっていた生協ですが、辞めたらほんとすっきりしたよ。まあ、そんなもん。一度逃げた顧客は、二度と帰らないです。
2009-12-05
日が沈む国になっちゃうよ〜!
今日、中野サンプラザで行われた長妻昭氏の国政報告会へ行ってきた。参加自由。私くらいの年齢から下で、参加している人は、超マイノリティだったな。中心は、やっぱ団塊の世代と、その上。ずっと上もいっぱい。8割ご高齢の方々だった。
400人位の椅子席が用意されたホールが、いっぱいで、壁際、入口付近もみっしり立ち見、ロビーにまで人が溢れているような状態で、盛況でした。
長妻さんからは、省内改革を進めていますという話で、年金、医療、介護について、重点的にお話があった。救急医療や、小児科、産科については、手厚く考えていく意向とのこと。雇用については、介護職への就業を促進していくというのが、雇用対策ということだった。
5分の休憩後、質疑応答タイム。三人ずつ当てられて、質問や、要望を出し、それについて、長妻さんが応えるという方式。質問の95%が、年金と後期高齢者医療制度について。残りが、政局についてと、公務員改革について。感染症対策などの医療についてや、雇用について、子育て支援や、保育所の問題についての質問は、なんとゼロ!
質疑応答で当てられなかったので、会終了後、長妻さんのところへ、直接行って、新型インフル対策について、質問と要望を、お話した。私の前に、同じように話していた人は、多分子育て支援関係の人。数が少ないから、そういう質問は、全然表に出ない感じだった。
1)国家補償と免責事項についての法整備が遅れていて、海外メーカーのワクチン輸入が出来ずにいると聞いたが、法整備について、どうお考えか?2)今回の新型インフルエンザの感染の広がりと、検疫・医療の体制について、実態を調査して、これが、強毒性で、例えば致死率10%の感染症だった場合、今回のような状況で、どれだけの被害が出るのか、政府として試算を出して発表してほしい。それに基づいて対策を立ててほしい。という二点について、直接お話することが出来ました。
長妻さんのお応えでは、新型の感染症への対応として、現在の国内ワクチン生産・供給の体制が弱すぎて、大きな問題としてあるということは、非常に強く認識されているようでした。しかし、ワクチンは、国産の方が良いと信じておられるようで、今後国産のワクチン生産・供給体制を整備する方向でお考えのようでした。それ、どんだけ、コストと時間が掛かるのか!?この辺は、場内で配られたアンケートで、緊急事態への対応について、あらゆる選択肢を最初から排除しないでご検討下さいと書いて来ました。
今回の新型インフル感染の広がりの実態と、検疫・医療の対応の実際について、調査して報告をまとめるということについては、長妻さんご自身、非常に重要だとお考えのようで、「それは、非常に重要。やります。」とのお応えでした。
とりあえず、実態調査と、高致死率感染症の場合の被害試算が出れば、果たして国内生産ワクチンだけで間に合うのか?という、具体的な問題として、ワクチン備蓄の問題についても、議論されることと思いますので、そうした調査報告を待ちたいと思います。
もちろん、このように直接話したからといって、自分の要望や意見が通るわけではないと思います。けれど、とにかく年金!年金!大合唱の聴衆の中に、子育て支援を要望する人も、感染症対策を要望する人も、ちゃんといます!っていうことだけは、インプットできたと思う。
なんか、政治家よりも、聴衆の側に、未来が無い感じというか、そういう感を持ってしまった。なんていうか…。一度みんな行ってみた方がいいと思うよ>政治集会。このままだと、お年寄りのためのお年寄りによるお年寄りの国家に、なっちゃうぞ…。

