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昆正和のBCPブログ RSSフィード

2016-05-30

[] SVSモデルによるコミュニケーションリスクの回避 13:12

 クライシス・コミュニケ―ションは、組織、個人を問わず最もやっかいな危機対応の一つです。個人情報の漏えいや工場火災、食中毒問題、不祥事などの対応では、この種のコミュニケ―ションにまつわる失敗例はあとを絶ちません。事態を早く収拾し、信頼を取り戻すために発信したメッセージが、余計に誤解を招いたり非難を浴びて信頼を損ねる結果になったりするのです。

 個人的な例としては最近の舛添要一氏の一連の発言問題がそれに当たります。次々と出てくる公私混同疑惑、定例会見を開けば「第三者を通して精査する」の一点張り。多くの都民は彼の所業を公金横領みたいなものと思っているでしょうが、舛添氏はその嫌疑(?)を晴らす手段を持っていません。

 組織的な対応のまずさとしてはこんなケースも。以前、教育大手ベネッセから膨大な数の顧客情報が流失しました。同社はただちに世界最高水準の情報セキュリティ会社を設立し、教育基金を設けるなどして社会的責任を果たしていることをアピールしました。しかしその後の会員数減少に歯止めがかかっていないといいます。

 また、一昨年マクドナルドで異物混入騒ぎが相次ぎ、SNSを通じて広く拡散しましたが、当初は「これらは消費者個人と店との問題であり、会社全体として対策を講じる予定はない」と突っぱねました。これも会社側から見れはその通りなのでしょうが、消費者としては納得がいかなかったでしょう。 

 なぜ危機対応のコミュニケ―ションがうまくいかないのでしょうか。『リスクのモノサシ』(中谷内一也著、NHKブックス)を読むと、この理由を理解するヒントがあります。人が信頼されるための最も大きな条件の一つは、ものの見方や社会のあり方に対する意見などについて、同じ価値を共有しているかどうか、なのです。逆の見方をすれば、相手と同じ価値を共有していることが伝わらないと、理解も信頼も得られない。このことを本書では「SVSモデル」という概念をもとに説明しています。

 会社の方針としてこうだとか、社会的責任は果たしているつもりだ、コンプライアンスには抵触していない、みたいなことをいくら強調しても、「あなたに私たちの気持ちなどが分かるはずがない」となってしまうのです。

 このような場合、どう対処すればよいのでしょうか? 「SVSモデル」をもとにすれば、次のようなことが言えるのではないでしょうか。まずは相手と同じ目線に立った率直な言葉を伝える、これが第一でしょう。早い段階で「私の不徳の致すところであります。都民の皆様にはたいへんご迷惑をおかけしました」と深々と頭を下げる。「私どもも自分の個人情報が漏れたりしたらとても不安になります」「おいしいと思って食べていたハンバーガーに異物が混じっていたら不快ですから、皆さまの気持ちはよく分かります」と伝える。

 まずは市民やお客さまの気持ちをくみ取る。まずは謝る。これが危機対応のコミュニケ―ションではないかと思うのです。そうすると、これは前回ブログで述べた「満足化」とも重なるところがありますね。クライシス・コミュニケ―ションを望ましい形で進める鍵は、SVSモデルの考え方と同時に「満足化」の考え方を意識することでもある。私はそのように思います。

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2016-05-21

[](7) 「満足化」による現実的な災害対策とは 10:17

 サイモンの考え方の続きです。

 どんなにがんばっても「意思決定」が合理性を欠くもの(=限定合理性)ならば、これに代わるアプローチが必要となります。しかしそれは、単なる合理性を否定することでも、どうでもいいような易きに流れることでもありません。サイモンは限定合理性に代わる考え方を「満足化」と呼んでいます。ここでは、「満足化」がどのようなことを意味するのか、「防潮堤工事」を例に説明したいと思います。

 防潮堤工事は国土強靭化政策の柱の一つとして、現在全国各地で進められています。これには次のような賛否両論があります。

(賛成派)来るべき大津波に備えることができる。高台移転を望まない住民も多く、低地の住民を守るにはこの方法しかない。「道路でも土手でもなんでもいいから防ぐものを作ってほしい」とは地元住民の切なる願いだ。自然(海)と共生するためも防潮堤は必要だ。防潮堤があるから人々は安心して生活できる…などなど。

(反対派)大津波はスケールに上限がなく、守り切れる保証はない。万里の防潮堤を作るなど、予算・時間的に不可能だ。自然破壊以外の何ものでもない。防潮堤は莫大な建設費用の割に損害軽減効果は十分の一にもならない。塩害や地震で傷みやすい防潮堤の永続的な補修工事費用は誰が負担するのか。観光資源の価値や生態系のバランスを損なう。コンクリート壁で海が見えなくなれば住民の津波警戒意識がマヒしてしまう…などなど。

 結果的に政府は「賛成派」の意見を尊重し、防潮堤工事をスタートさせたわけですが、では反対派が指摘した数々の問題はどこへ行ったのでしょうか。言うまでもなくそれらは看過され、何も解決されないままリスク(しかもきわめて現実的で深刻なリスク)として残り続けるしかありません。この時点ですでに政府の決定は「限定合理的」にならざるを得ない(沖縄基地移設問題や原発再稼働問題についても同様のことが言えますね)。

 では、防潮堤建設をめぐるこうしたやり方、一方をとって他方を捨てる、是か非かといった判断ではなく、他により望ましい方法はなかったのでしょうか。この点に関して、『アベノミクス批判--四本の矢を折る』(伊東光晴著、岩波書店)の第3章には、次のような興味深い方法が語られています。

  • 住民は(沿岸部・低地の)自分の土地に家を建てて住んでもかまわない
  • 沿岸部には四階建(大津波に耐えた階層)の公的な津波避難住宅を作る
  • 津波避難住宅には海で生計を立てる人々が中心に入居する
  • 津波避難住宅からは家賃収入が得られる(防潮堤は1円の利益も生まない)
  • 津波が来たら、住宅の入居者はもとより、周辺の住民もこれらの建物に避難すればよい
  • 津波避難住宅から離れた場所にある住宅街からは、高台に通じる避難路を何本か作っておく

 これにより、次のような効果が期待できるといいます。まず、莫大な防潮堤工事費用をなくすことができる(津波避難住宅の建設や避難路の設置なら現実的な予算内で実現可能)。自分の土地に戻りたい人々のニーズに応えられる。いつ襲来するか分からない大津波の対策として有限な時間内で実現できる(防潮堤はいつ完成するかは未定)。

 もっともこの方法は、物理的に大津波の危険から完全には守り切れるものではないし、複雑な権利関係のために遅々として進まない高台移転の問題を解決するものでもありません。しかし、単に防潮堤を作れば住民と既得権益者を守れるという短絡的でゴールの見えない政府の考え方よりは、はるかに達成目標が明確で現実的なものです。

 同書では、防潮堤に代わるこうした方法を、庶民のとりあえずのニーズを満たす「とりあえず主義」と呼んでいます。この「とりあえず主義」こそが、まさに「満足化」に相当するものと言ってよいものですが、読者の中には「満足化とは折衷案や妥協案を導くことなのか?」と思った人もいるでしょう。このケースではそのようにも見えますが、もっと別のアプローチ、別の次元の解決策が導かれることもあるでしょう。いずれにしても、単に意思決定者の一面的な判断のもとに決めるのではなく、問題のいくつかの側面を調整的に検討した上で、全体がある程度納得できるような解決策を導くところに、「満足化」の意義と特徴があります。

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2016-05-20

[] 生活騒音トラブルは入居者だけの問題ではない 10:59

 この1,2日の間に、アパートの住人同士による、痛ましい「生活騒音トラブル」の事件が起こった。こうした事件が報道されるたびに、マスコミはどこかの専門家の意見を引き合いに出して次のように言うのだ。

  • 初期対応が大切(騒音が気になったら早めに相手に気をつけるようお願いせよ、とのことらしい)
  • 生活騒音は「心理的」な影響が大きい(気にし始めたら切りがない)

 本当に専門家マスコミが、こんな薄っぺらいことを繰り返し口にしてよいのだろうか。僕も過去に生活騒音で苦しんだ一人だから、経験者として書かせてもらおう。

 部屋が「洋室化」し始めたのは1970年代後半あたりからだろうか。それまで日本の知恵を生かした最強の防音マットであった「畳」が、入居者の「洋室志向」に合わせて「フローリング」にとって代わるようになったのである。それが一戸建ての自宅のフローリングなら取り立てていうことはないだろう。

 問題なのは、賃貸住宅における「畳」から「フローリング」への安易な変更だ。賃貸は大家がいて管理会社がいる。彼らは早く賃貸建物の元をとり、管理経費も徹底的に抑えようとする。この結果、表面に見えるところはこぎれいに、魅力的に映るように小細工する反面、目に見えない部分、つまり床下や隣室との壁の厚さなどは、知ったことではないのである。

 賃貸の「フローリング」はひどいものだ。フローリングもどきのビニールマットの下は、ただの発砲スチロールを敷き詰めただけのものもある。これで上下階の生活音を防げるわけがない。早い話が、大家や管理会社は、畳の入れ替え費用をケチって安価なフローリングを導入し、その結果当然発生するであろう生活騒音のリスクを入居者に押し付けているわけである。こうした構造上の手抜きは、他にもいくらでも見られる。

 昔、NHKの「クローズアップ現代」で放送していたが、畳からフローリングもどきの材質に変更すると、生活騒音は3倍になるのだそうだ。こうしたことが、建設会社にも、不動産業者、大家、そして行政にもわからないはずがない。

 因みに、1980年以降に建てた住宅は構造上耐震強度が高いから安全だと言われている。果たして本当だろうか。上に述べたようなコストダウンを目的とした手抜きが横行している限り、震度6クラスの地震が起これば、つい最近建てた新築アパートだって倒壊してしまうかもしれない。僕が述べていることは杞憂だろうか。試しに熊本大地震で被災した建物をすべて検証してみるといい。驚くような結果が出るに違いない。

 話をもとに戻そう。

 昨今賃貸アパートの空きが目立つという。人口が減ってきたから、というのが主な理由らしいが、僕はそうではないと思う。生活騒音に耐えかねて、いるにいられずに引っ越していくからである。周囲の環境や利便性がよければ何年でも住みたい。本来多くの入居者はそう考えている。この余裕のない生活の中、そうひっきりなしに引っ越す理由などないではないか。

 多くの賃貸住宅の人たちは、終わりのない生活騒音のためにお互いに疑心暗鬼に陥り、イライラしながらの生活を余儀なくされている。個人のモラルだとかマナーだとか、心理的な問題だとか、すべて個人の姿勢や責任のせいにする前に、まずは行政も、マスコミ専門家も、現状の賃貸住宅のあり方を問題視すべきではないだろうか? そして一年でも早く必要な規制かけ、指導を行うことが大切だと思う。もちろん「畳」の復活も視野に入れて、ということで。

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