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昆正和のBCPブログ RSSフィード

2017-08-11

危機を見据えたコミュニケーションとは

| 17:15 |

以下のオリジナルの投稿原稿(見出し、後半部分が若干異なる)がアゴラ経由でYahoo ニュースにも掲載されています。こちらは「雑誌」のカテゴリです。

 少し前に、『メッセージ』というSF映画を見た。ある日突然、世界の主要な地域にエイリアンの乗った謎の飛行物体が現れる。目的は何なのか? 地球征服か? 世界中が疑心暗鬼に陥り、騒然となる中、政府や軍からの委託を受けた言語学者ルイーズ・バンクス博士らがエイリアンとのコミュニケーションを試みる。苦心惨憺の末、エイリアンの書き言葉である表義文字から、かろうじて意味らしきものをくみ取る過程がなかなかスリリングで面白かった。

 で、この映画を見た後、コミュニケーション断絶の壁にぶち当たって苦心惨憺する、なんとなく似たような印象の本を読んだ記憶があったなあと思い、家の書棚を漁ってみたら、あったあった。20年以上前に奥日光の山小屋で読みふけった『ニューギニア紀行』(N. ミクルホ=マクライ著、中公文庫)である。

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Nikolai Miklouho Maclay

http://www.abc.net.au/radionational/programs/hindsight/4963546

 この本は、1871年にパプアニューギニア島北東海岸に上陸して長期間滞在した若きロシア人学術探検家、ミクルホ=マクライの日誌である。雨漏りのする急ごしらえの小屋、不自由な生活、マラリアとの戦い…。言葉が通じず猜疑心の強い原住民の信頼を徐々に得てゆく経緯を、こと細かに記述している。とても印象深かったのは、上陸から半年経っても、原住民とのコミュニケーションがうまくいかないことへの焦りである。「良い」「悪い」という言葉すら分からない。彼はこうした現状に続けて、次のように書いている。

 「キリンガ」という言葉に関する話はもっと滑稽であった。この言葉は私との会話中に頻繁に出てくるので私はてっきり「女」のことだと思っていた。ところが四か月後のつい先日、私はそれがパプア語でないことを知り、トゥイ(マクライがかろうじて意思疎通のはかれる原住民の一人)たちはそれがロシア語でないことを知った。この言葉が何処から来たのか、どうしてこんなことが起こったのか、私には分からない。

 同じ地球上に暮らす人間でありながら、言語も文化も風習も環境もまったく異なれば、そしてゼロからコミュニケーションを組立てようとすれば、自分の思いを相手に伝え、相手の思いをくみ取るのがいかに困難を伴うことなのかを、この本は教えてくれる。

 一方、言葉が通じないということは、お互いに相手が何を考えているか分からない、敵か味方か判別不能ということでもある。とても緊張を強いられることなのだ。しかし、マクライという探検家は非常に理性的というか、大胆かつ冷静で肝の座った人だったらしい。原住民とコンタクトを試みる際は「絶対に銃を携行しない」と心に決めていたのである。血の気の多い原住民の一人が彼の鼻先に槍を突きつけて威嚇しても、彼は努めて冷静さを装った。彼はこう考えていた。

 万一に備えて銃を携行していたらどうなるか。原住民に襲われそうになった時、恐怖のあまり銃を発砲して相手を倒せば、少しの間は自分の身の安全は確保できる。しかし多勢に無勢、すぐに大勢の仲間に取り囲まれて自分はやられてしまうだろう。

 何を考えているか分からない相手に対し、コミュニケーションが成り立たないからと言って、恐怖心から先制攻撃を仕掛ければ、マクライが予想するような結果になるのである。こっちから手を出せば向こうからやり返される。これはどんな人種、どんな動物にも共通の本能だろう。しかしこれはあくまで自己防衛のための最後の選択肢だ。間違っても自分から攻撃をしかけてはならない。本当に必要なことは、粘り強い「コミュニケーション」なのである。

 話が飛ぶけど、今、日本は北朝鮮の動向に不安を感じている。マスコミはストレートにトランプ大統領と北朝鮮のはげしい言葉の応酬を流し、私たち国民はその板挟みになっておろおろしているように見えなくもない。中にはこうした状況をあおるようなマスコミ専門家もいるが、決して「北はけしからん。一丁ギャフンと言わせなくては」といった感情的な論調を支持することがあってはならないと思う。

 冒頭のエイリアンとのファーストコンタクトは言語学者によるコミュニケーションの試みだったから地球は無事で済んだのである。もしファーストコンタクトが軍による宣戦布告だったらどうなっていたことやら。そしてミクルホ=マクライ。彼は銃の使用を自制し、相手を理解することに徹したことで、末永く自らの安全を確保し、現地での学術研究にも没頭できたのである。これらを単なるSFや100年以上前の一探検家の話と侮るなかれ。今日私たちが直面している事態にも十分通じるものなのだ。

2017-08-05

BCMでPDCAは回せない !?(その2)

| 19:25 |

 今日私たちがビジネス書などで目にするPDCAサイクルは、ほとんどがPlan→Do→Check→Actと各ステップを一つずつ必然的に「回す」ことを前提とした説明で成り立っています。

 しかし前回の説明で見た通り、本来のPDCAは必ずしも順繰りに、反復的に回す必要はありません(もちろん最初から一過性のプロセスとして完了・終了させることを目論むのは正しくない)。PDCAは一つの試行サイクルであると述べました。Plan→Do→Checkの結果が満足のいくものなら、Actでこのサイクルを抜け出し、本格導入・採用(ImplementationやAdoptと呼んでいます)してよいのです。

 さて、話をもとに戻しましょう。実際にBCMを導入している大企業や中小企業の中には、PDCAがうまく回らなくて苦慮しているところもある、ということ。その理由について「なんで?」「どうして?」などと当人に尋ねるのも失礼なので、ここは筆者の推測で考えてみたいと思います。思うに、次のような3つの要因があるのではないのでしょうか。

 一つは、すでに上に述べたように、PDCAは何が何でも回すものという思い違い。10個の問題にPDCA適用したら、以後はこの10個のPDCAを永遠に回し続けるものと勘違いされておるのかもしれません。問題の数が増えれば増えるほど、たくさんのPDCAの回し車を回すことになってしまいます。これではさしものハムスター君もへとへとでしょう。

 次は、PDCAは人との相性があることです。右から左にすぐに結論を出したい、結果を出したらそれでお終いにしたいと考える直情径行のお方、もしくはせっかちな人には向きません。こうした人たちにとって、行きつ戻りつのDoとCheckの反復や、再度Planに戻るなんていうのは、かなりのストレスになるに違いありません。「おらあ、もうええよ」と。PDCAはじっくり取り組める人が担当しましょうね。

 最後は、災害対応における「Do」の意味を取り違えている人。ビジネス書で言うところのPDCAの「Do」は、Planをそのまま実務に適用するという意味で使われています。これがBCPなどをイメージした場合、この「Do」は、災害が実際に発生した時にBCPに規定した方針や手順(Plan)を行動に移すことだという意味で捉えてしまうのです。

 そもそもPDCAは、目標を設定し、問題の解決や改善のための手順を決め、スケジュールに沿って自主的に実行するものです。一方、自然災害の発生などは将来の不確かな出来事です。実際に起こるまではスケジュールの組みようがないから「Do」の実行、つまりプランどおりに災害に対処するという行動も当てにならない。そのあとのCheckやActも然り。こうなると、予定調和的な段取りで回すPDCAとは相容れないような気がしてくるのかもしれません。

 上に述べたこと以外にも、会社それぞれの理由があるでしょう。しかし、その理由がなんであるにせよ、多くは誤解やネガティブ思い込みが根底にあるように思います。実際に災害が起こるまで「Do」が試せないですって? それでは災害危機管理の姿勢としては本末転倒ではないでしょうか。なぜなら、危機管理の本当の目的は、「万一災害が起こっても素早く適切に対処できるように、平時から必要な備えと対応姿勢をスタンバイさせておく」ことにあるからです。スタンバイの維持を阻害する問題・課題はいろいろあると思いますが、その解決こそがBCMにおけるPDCAの目的ではないでしょうか。

  PDCAを通じて一つの小さな問題を解決するということは、安心と安全の階段を1ステップ昇ることでもあります。もしみなさんの会社のBCMが形骸化してしまい、途方に暮れているようなら、一つでも二つでもその問題点や改善点を可視化し、新たなPDCAを試されてみてはいかがでしょうか。

 危機に備える(スタンバイする)ためのPDCAは、いろいろ考えてみるに奥が深そうです。あまり書くと長くなってしまいますので、このあたり、また機会があれば、少し突っ込んだお話しをさせていただこうと思います。

2017-07-31

BCMでPDCAは回せない !?(その1)

| 13:06 |

 BCM(事業継続マネジメント)のガイドラインや参考書を読むと、長々としたステップの説明の最後の方で、必ずPDCAの話が出てきます。「BCPを作っただけではダメです。PDCAに組み込んで継続的に回していくことが肝要なんです」という、おきまりのメッセージとともに、その横には矢印を使ってPlan→Do→Check→Actの図が示されている。

 筆者も理論、理屈ベースでは同じことを本に書いてきました。しかし実際にBCMを導入している企業のご担当者に話を伺ってみると、声を小さくし、目を細めて少し辛そうな顔つきで「いや、そのねえ、なかなか回らないのですよ」とおっしゃる方も少なくありません。

 これは聞き捨てならんぞ、と私は思いました。BCMの実務の世界ではPDCAの原則論が通用しないらしいのです。なんとかしなければ、と鼻息を荒くしたものです。しかし、あまり当人に根掘り葉掘りその理由を尋ねるのも失礼なので、ここは一つ、彼ら彼女らの言葉の端々に現れた言葉のニュアンスをくみ取って推し量ってみたいと思います。

 とは言え、「なぜBCMではPDCAが回らないのか? 」をストレートに考えようとしても、何も答えは見えてきません。まずは急がば回れで、災害リスクといった言葉の関与しない、一般業務改善のためのPDCAについて、基本的な仕組みを見てみましょう。

 すでに述べたように、PDCAとは次の4つの活動を行うことで、業務の成果(新製品の研究開発や品質、性能、能率、効率性など)を高めていく方法です。

 Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Act(改善)

 これだけなら、なんとなく分かったような気になるのですが、最後の「Act」がゴールになるわけではないところがミソ。PDCAの円環図では、再びAct→Plan→Do・・・と戻るように描かれているのです。ここからハタと困った君が出てくる。

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 「Actのところで改善できたんだから、もういいじゃん。ハムスターの回し車じゃあるまいし、さらに何を回そうというのだ?」とご不満を述べる人もいるわけです。当人がこのように勘違いするのも無理はありません。通常、問題を解決しようとすると、スタートから完了までリニアな発想で臨むのが当たり前でしょう。ゴールにたどり着けばそれで一件落着という思考が頭の中に隠れている。

 ではPDCAがActから再びPlan→Do・・・と戻るように描かれているのはなぜなのか。実は、この4つのステップの意味をもう少し深堀りしてみると理解できるのです。PDCAサイクルそもそもの発案者、デミングさん※の考え方に立ち戻ってみましょう(※ Dr. Edwards Deming。博士の提唱したものはデミングサイクルとも呼ばれ、PDSAで成り立っている。詳しくはこちらをご参照)。デミングさんは次のように言います。

  • 「Plan」とは、問題を解決するための目標を決め、誰がいつまでにどんな手順でそれを行うのかを机上プランとして描いてみるのじゃ。
  • 「Do」は、Planで描いたことを実際にやってみるのじゃ。ただしあくまで「テストケース」としてということだ。これを「本格採用」「本稼働」と捉えると後が続かなくなるわい。
  • 「Check」は「Do」の結果を評価・検証することじゃ。満足できなんだら、また「Do」と「Check」をやり直すだな。ここから必然的に、すぐにでも「Act」に移らなければならないと考えるのはおぬしの勘違いだ。
  • 「Act」は、「Check」で評価・検証してみたところ、プランの目標で描いた通りのハッピーな結果となったら、本式に実務に採用するということ。つまり、ここで一旦PDCAのループから抜け出し、お開きにしてよいということじゃ。ハムスターみたいにずっと回し車で回っておれ、なんてワシは言っとらんぞ。ただし、だ。本格的に採用しても、さまざまな周囲の変化に応じて新たな問題が生じてくることもあろう。そうしたら、また「Plan」にぶち込んで改善のためのテストサイクルを回せばよいのだ。

 少し筆者の脚色が過ぎたようですが、デミングさんが言っていることは、概ねこんなことです。基本的にPDCAは一つの試行サイクルです。何が何でもPDCAを一方通行で順繰りに回すというのは、簡便なサイクルとして考えた場合は間違いではありませんが、本筋ではテスト的に行きつ戻りつしてもかまわない。その点も覚えておきましょう。(続く)