世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

はてなキーワード「スクールカースト」のベース

http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20070525/1180075745#c1180301586
スクールカースト」はmasao様が命名した概念なのでしょうか。

はてなキーワードスクールカースト」を登録したのは僕ですが、命名は僕が行ったわけではありません。僕が初めてこの概念に言葉として触れたのは、カルメン伊藤氏が2000年頃に運営していたサイト「コヨーテ」の1コンテンツ、「オタク専門学校」です。スクールカーストの名前の原型になってるのはコレですね。
このコンテンツの中でカルメン伊藤氏は「学校カースト」という言葉を使い、↓のような文章を書いていました。

http://web.archive.org/web/20050216011338/http://www.246.ne.jp/~supercar/otasen03.html
つまり、オタクになったから太くなるのではなく、元が太いからオタクにならざるを得ないという、言わばナチュラルボーンオタクすなわち、生まれながらのオタクという存在が浮上します。
なにも太っているだけとは限りません。あなたの学校生活の中で自由にグループを作ったりするとき、余ってしまうヤツはいたはずです。いやマジ絶対いましたって。いないと言い張る人はよっぽどクラスのカリスマだったか、さわやか3組だったんですね。なんでこんなもん読んでるんですか?
ああすいません。つい話がそれましたが、学校カーストで下層の地位に置かれた人間は、オタク化しやすいのではないでしょうか。おみそ扱いが、逃避の呼び水になっているのです。もちろん例外はたくさんあります。ですがオタク発生最大の原因、それは学校カーストです。

この文章の「グループ」結成の基準になっているのが「人気」であり、「人気」の有無が学生生活を謳歌するうえで決定的に重要になってくるという話が書かれているのが、「オタクが人気者になれない理由」です。この文章は、アメリカの学生間階層問題についての文章ですが、日本の実情もほとんど同じだと僕は考えています。名前のベースが「学校カースト」なら、内容のメインベースになっているのはこの文章ですね。

http://www.blog.net/nerds-jp.htm
中学生のころ、友人のリッチとぼくは、学食のテーブルの人気度マップを作った。楽勝だった。なぜって、子供たちは、人気度が同程度の連中だけで固まってメシを食うからだ。ぼくたちは、各テーブルを A から E にランクづけした。A ランクのテーブルにはフットボール選手やチアリーダといった連中がわんさか。E ランクのテーブルには、軽度のダウン症、当時の言葉でいう「知恵遅れ」の子供たちがいた。
ぼくたちが座っていたのは D ランクのテーブル。外見上、特に変わったところのない人間としては最低のランクだ。ぼくらのテーブルは、完璧なオタク(nerd)、思春期がなかなか来ない発育不良、最近移民してきたばかりの中国人でいっぱい。別に気取らないフリをして、自分たちを D ランクにしたわけじゃない。そんなことをいったら、まったくのウソになる。学校の中の誰もが、他人の人気度を正確に把握していた。ぼくたちも含めて。

このふたつの文章を読んだときは、本当に驚きました。スクールカーストの概念に言葉として触れたのは初めてでしたが、ここに書かれていることは、僕が中高生時代を通じて昔から感覚的に感じていたことでしたから。
実際、僕が通っていた中学には、「1軍、2軍、3軍」と言ってクラスメイトを分類している友人がいましたし、彼の分類は傍で聞いていた僕にも、あの場を共有していた多くのクラスメイトにも(恐らくは)納得のいくものでした。多くの学生はスクールカーストを言葉では理解はしていなくても、無意識のうちに体感はしていただろうと思います。
このふたつの文章をベースに、自分の体験と当時のネットでの議論*1、そしてキーワード中で「関連リンク」とした文章をまとめたのが、はてなキーワードスクールカースト」です。
今読み返してみると、”「このような「人気」に直接影響を与える能力を、ここでは「対人能力」(≒自己主張能力)と呼び、「コミュニケーション能力」(≒相互共感能力)とは区別して考えたい。”というくだりのあたりは少し「規範的な」「イイコちゃん的な」コミュニケーション観に偏った「コミュニケーション能力」理解かなという気がしていますが、他の部分では当時の認識とズレはありません。

*1:この頃、「ABC理論」という名前で同じ概念の話をしていたのがid:republic1963さんです。