Mちゃんの経世済民!

2010-03-06

頑張った政策立案者って誰? 行政のパフォーマンス評価の難しさ

もしあなたの企業の人事部や広報部の社員が、ある日突然数億円のボーナスがでたらどう思いますか?

金融日記で興味深いエントリーがあったので紹介。

日本は優秀な政策立案者のサラリーが安すぎるんじゃないか?

上にリンクした金融日記の論点を整理してみると

  1. 官僚の給料は(能力に比べ)安い
  2. 天下りによって生涯年収を埋め合わせている
  3. そんな構造が官財の癒着構造になっている
  4. それだったら国益と彼らのインセンティブを合致させて国のために頑張ってもらい、その代わり高給を取らせよう

とまあこんな感じだ。言ってることは正しいんだが、実際に考えてみると非常に難しい。

この話をややこしくしているのは行政のパフォーマンス評価が容易にできない点にある。学問的にもPublic Managementなんて分野で日々研究されてるんだが毎度その難しさが問題になっている。

以下、困難の原因を3つ程提起してみよう。

行政のシステムは予算が渡され、その予算を使い切る事にインセンティブが働いている

民間ではコストを抑えてパフォーマンスを多く生み出した人が評価される。しかし行政の世界では逆で、与えられた予算を使い切った役人がよい役人だ。コストを削減して予算を残すと、次年度から予算が削減されてしまう。これは非効率だが仕方のない話で、例えば生活保護で考えると、コストを抑えようとするとできるだけ支給するなという話になってしまい、貧しい人々は困ってしまう。であるから、国会で決めた予算(=国民が自ら決めた税金の配分)をきっちり守って使い切る事が最も正当性のある行動とみなされ、それは実践される。

環境省はサボればサボる程GDPの伸びに寄与する。

この例はある指標をパフォーマンス評価とした時に起ることである。金融日記の藤沢さんは例えば他国との相対的なGDPの伸びでの評価を提言しているが、GDPの伸び率に外務省の仕事なんて何の関係もないし、環境省なんて働けば働くほど抵抗勢力になってしまう。総務省統計局なんてブロガーに対する貢献度はクソ高い*1のに、彼らを評価する指標なんて作れるのだろうか?藤沢さんはGDPと多分ぱっと思いつきで言ったのだと思うが、このパフォーマンス評価の新しい指標、行政学の研究者は毎日真剣に探している。

仕事の内容がバックオフィス的。評価がし辛い。

言ってみれば、官僚の仕事は民間企業で言うコーポレート部門の仕事に例えられる。人事の人がどんなに頑張って配置をしたところで、それが最適配置だったのか誰もわからない。広報や法務もまた然り、どんなに頑張っても数字にはなかなか出てこない。彼らの頑張りようは評価が非常に難しく、いわば表に出てこない潜在的な損益を相手に戦う仕事なのだ。もしアメリカで一昨年リーマンブラザーズを救済していたら「リーマンショックを回避しました!」とオバマとその周辺の行政スタッフは評価されていただろうか?いや、そうではあるまい。

官僚にボーナスを与えるってのは証券会社で例えると、売買管理部門のある人間が数年後には1千億円に膨らむ可能性のあったトレーダーの不正を未然に防いだとして、その●%、●億円のボーナスを貰う、とかそんな感じ。未然に?とか、1000億って誰が試算したの?とかそういうツッコミがでてくる。

さらに言えば行政のパフォーマンスは四半期では現れてこない。それこそある官僚が「少子化対策に非常な貢献」をしたとしても、これって10年、20年経てばわかるかもしれないけど、現段階では全くわからないから賞与の仕様がない。

能力をどう生かすか

とまあ行政と役人のパフォーマンス評価がし辛いことがわかる。だけど今の官僚機構では日本の誇る優秀な頭脳を生かしきれてないのもまた事実。基本的には金融日記の方向には賛成だ。給料的なインセンティブもできるところ(評価できるところ)から始めていけばいい。外部の人間を入れることも進めるべきだ。

あとは政治家が人事権を握る事がカギだと思っている。いまの官僚機構の問題は自分たちの仕事に、自分たちが評価して、自分たちが人事を決めている点にある。この構造が外部の人間(御用学者以外の学者、経営者等)の排除や、天下りの多寡によっての行政を生み出している。人事権を政治家たちが握ることで、(一応)外部の人間が評価をした上で行政を行うことが可能となり、さらにそこから外部の人材の登用などの話も発展していくだろう。民主党の今回の案はどれだけ運用後に政治家がどれだけ官僚の人事に介入できるかにかかっていると考えている。

*1:よく参照してます。あーざーす

2010-02-28

花粉症は公害病?

面白いヨタ話を聞いたので是非紹介したい。一説によるとスギによる花粉症公害病であるという話らしい。その論理は以下の様になる。

  1. 花粉症が発見され、患者が激増したのは戦後である。
  2. 戦時中〜復興高度経済成長期を通して日本の森林は伐採され、代わりに大量のスギ(建築用材)を植林した。
  3. 花粉を散布するスギは樹齢30年以上である。
  4. 植林した時期+30年が患者激増期(1970年代以降)と重なる。
  5. あれ、これって公害病じゃね?

という事らしい。確かにスギの植林の時期や花粉症の激増の時期は上の通りの事実であり、十二分に信用する余地がある。ただし、衛生状態の向上によって寄生虫感染率が低くなった(本来は寄生虫等を攻撃する抗体が暇になり、花粉を攻撃してクシャミや鼻水などのアレルギー症状が引き起こされる)ことも花粉症激増の強い要因の一つだろう。最近ではサルですら寄生虫がいなくなって花粉症になるとか。どんだけだよ。

何にしろ、「森林伐採」に関する解決策である「植林」が全く別のところで害を引き起こし、行政の難しさを感じさせる一例であるといえる。あと完全に蛇足だけど「春風邪は長引く」って昔からありそうな格言、花粉症の事じゃね?この時期から大体ゴールデンウィークまで鼻水でるんだけど。ちくしょう。

2010-01-09

塩爺時代の産経の論調

産経は日本経済を政争の具にします(唖然)

小泉政権時代に塩川正十郎財務大臣が連発していた「円安誘導発言」

目が回る程に時間がないんだけど、ふと見てしまった上2つの記事が気になって塩爺時代の産経の報道姿勢を調べてしまった。

上のリンクによると産経は菅発言を(1)「国際協調」なしでの (2)「根拠の乏しい口先介入」で市場を混乱させたってという2つの理由で批判してるね*1。じゃあ口先介入してた塩爺時代は産経の論調はどうだっただろうか?ってのが本エントリーの趣旨。

ただその前に留意点を2つ。

  1. 2002年当時から介入に関しての考え方が変わっている:単独での介入自体が良くない/効果がないという認識が広まっている。
  2. 社会の考え方が変われば当然新聞の論調も変わる。

てなわけで仮に産経の姿勢が変わっててもしょうがないっちゃあしょうがないんだけど、とりま、当時の状況から。

  • 塩川の円安誘導発言は2001年12月。
  • それ以前に2001年9月に既に(口先じゃない本物の)介入を行っている。ただしこの際は数日前にアメリカ財務長官に会い、協議している。
  • 塩川の口先介入は効果なく、結局2002年5月に今度は国際協調なしの「単独」介入を行っている。

こんな環境下での産経の論調を調べてみた。結論から言うと産経、これら一連の介入と口先介入についての批判の論調はない。むしろ歓迎ムード。

まず、下の記事は塩川の円安誘導発言後2週間くらい経ったとき*2の記事。

産経新聞 2002年12月24日 東京朝刊 総合・内政面

政府与党野党も円安誘導に願い託す? デフレ解消期待/新党でも検討

デフレ克服の切り札として、政府与党野党の双方で現在の一ドル=一二〇円前後の円相場を下げる「円安誘導論」が急速に広がっている。輸出企業の追い風となるだけでなく輸入物価の上昇がデフレ解消につながるためだ。保守党民主党の一部による新党結成でも検討されており、今後の小泉政権経済運営でも大きな焦点になりそうだ。

◆対外協調必要だが…

円安誘導論をめぐっては、自民党額賀福志郎幹事長代理や保守党野田毅党首らが折に触れ「円はなだらかに安い方向に誘導していく政策が考えられていい」と主張。自民党有力者も最近、先進各国が円高ドル安の為替政策で一致した昭和六十年のプラザ合意を引き合いに「三年くらいの期限付きで円安に固定するよう米国にお願いするしかない」と述べている。

さらに、保守党との新党結成を目指す熊谷弘前民主党副代表が政策の柱として円安誘導を打ち出したことで議論は一気に過熱。民主党枝野幸男政調会長らがもともと円安誘導論を提唱していたこともあり、同党の菅直人代表は「効果があるなら、どんどんやるという方向で議論してほしい」とわざわざ熊谷氏に同調してみせ、新党の“大義”を打ち消そうとしている。

これまでの小泉政権経済政策をめぐっては、政府与党の対立が際立っていた。しかし、一連の円安誘導論は従来の構図と違い、政府側にも円高是正の機運があることが特徴だ。塩川正十郎財務相は現在の為替相場は行き過ぎた円高だとみており「財務省幹部が与党の根回しをしている」(自民党関係者)との指摘もある。

これは構造改革と当面の景気刺激策のはざまで、財政や税制上の有効なデフレ対策を見いだせない小泉政権のジレンマでもある。円安誘導の手立ては、円売りドル買いの市場介入や日銀による米国債の購入など日銀がかかわるものばかり。デフレの責任を日銀に押し付けている面も否定できない。

首相は来年三月に任期切れを迎える速水優日銀総裁の後任は「デフレ退治に積極的な人」と強調しており、円安誘導論と次期総裁人事が結び付けられる可能性もある。

もっとも、円安誘導は日本だけの事情で実現するのは困難。景気が悪化している米国が、対日貿易赤字の拡大につながる円安誘導を容認するかどうかは不透明だし、中国などアジア諸国も対日輸出への悪影響を懸念する可能性が高い。各国との協調が得られなければ、「絵に描いたもち」になる。

自民党内でも、麻生太郎政調会長堀内光雄総務会長らは「景気が悪いまま輸入物価が高くなると大変なことになる」(堀内氏)と慎重論を示している

こんな感じで批判的な論調は全くない。ラスト2段落の文脈は読者に批判的な印象あたえることなく、「円安誘導、気をつけてやってね」みたいなすげーソフトな書き方。むしろワラタのは菅の「効果があるなら、どんどんやるという方向で議論してほしい」発言で、なんだ、産経より菅の意見の方が一貫してんじゃん。カンだけにイッカンなんt・・

さて次。もう一つ引用は政府が2002年5月に「単独」で介入した時の記事。もし今回の菅発言を「国際協調を無視」って事で批判してるならこちらも産経は批判してなきゃいけないはずだ。

産経新聞2002年05月23日 東京朝刊

政府日銀単独介入 円高阻止強い意志 30億ドル規模「景気回復の正念場」

 政府日銀は二十二日、一ドル=一二三円台まで急伸した東京外国為替市場で、八カ月ぶりに円売りドル買いの市場介入を実施した。市場筋によると、三十億ドル(約三千七百億円)程度と大規模な単独介入で、急激な円高を懸命に阻止しようとする通貨当局の強い意志を示した形だ。(小島清利、佐野領)

「一週間に五円も動いている。(為替相場は)安定することが重要だ」塩川正十郎財務相は二十二日の介入後に行った記者会見で、急激な円高が日本経済に及ぼす影響を強く懸念した。

三月の日銀短観によると、大企業製造業七百五十七社は平成十四年度の円ドル相場を平均一ドル=一二四円二一銭と予測して経営計画を立てている。だが先週末から円高が一段と加速。円ドル相場は二十一日、景気回復を支える日本の主要企業が予測する水準を上回り、二十二日にも朝から円高の上値を試す展開になったため、通貨当局は介入を決断した。

介入の結果、円ドル相場は一時、円安方向に一円五十銭程度戻った。通貨当局が景気回復に向けて円高を阻止する姿勢を明確に表明したことから、株式市場債券市場も好反応を示し、今回の単独介入は「おおむね成功」(国際金融筋)といえそうだ。

通貨当局筋は介入を実施した理由について、(1)米国経済の回復速度が予想よりも緩やかになる可能性が出ている(2)日本経済政府が景気底入れの認識を示したものの、不良債権問題もあって景気回復軌道を明確に描けていない(3)日米の景気格差が依然大きいのに、円高ドル安がこれほど進むのは行き過ぎだ−と説明する。

現在の日本経済は米国市場への輸出が頼り。急激な円高は、輸出主導で業績悪化をしのぎながら、設備投資個人消費の回復を待つという景気回復のシナリオを狂わせる危険性をはらむ。

多くの企業は「為替取引は一定期間予約済みで、目先の変動による影響はない」(ソニー)としているが、これ以上の円高になれば、業績の「V字回復」を見込む輸出企業の足元をすくわれかねない。「底入れしたばかりの日本経済が回復軌道を歩むためには、外需依存しかない」(関係筋)のだ。円高リスクへの警戒感は強い。

しかし、米国や欧州通貨当局は、国内事情による日本の市場介入に反対はしなかったものの、「現在の市場動向に大きな関心を持っていない」(国際金融筋)として協調介入には応じなかった。日本の通貨当局は当面、孤立無援で景気回復を左右する「円高阻止」に骨身を削ることになる。

これも批判的な論調ではない。むしろタイトルの「景気回復の正念場」とか最後の2行の「日本の通貨当局は当面、孤立無援で景気回復を左右する「円高阻止」に骨身を削ることになる」は日本頑張れ!!みたいな印象受けるよね。

僕の結論としては、産経ずりーってことの印象が残った。もちろん2002年と今じゃ介入/口先介入に対しての考え方が違うんだろうけど、それを差し引いたところで2002年はこんな風に書いてるんだし、やっぱり菅の口先介入で政府を責めるってのはどうかなと思ったわ。

てか思ったんだけど、ほとんど同じような発言*3なのに、これほど記事から印象違うってやっぱりマスメディアの力ってすげーな。しんぶんこわい。

*1:しかし産経の批判も一人のエコノミストの意見の引用で行っててホントお粗末だよな。

*2:追記:2週間ではなく翌年の12月で一年後の記事でした。

*3:菅も塩爺も日本経済、輸出企業やばいってことで円安誘導発言してるわけだし、本質的にはかわらない。

2009-12-29

感情をも記録できる便利なツール

突然ですが、今日は好きな歌の紹介をします。歌って言っても和歌なんですけどね。古典が好きな人も嫌いな人も読んでくれれば嬉しいです。

月をこそ 眺め慣れしか 星の夜の 深きあはれを 今宵知りぬる

(つきをこそ ながめなれしか ほしのよの ふかきあわれを こよいしりぬる 黙読かつぶやいて把握してください!)

超意訳すれば、月の夜空の美しさは眺め慣れていたが、星空の美しさを今夜初めて知った!って感じ。詠み手は建礼門院京大*1

それで歌の背景なんですが、建礼門院京大夫は平家御曹司の資盛*2と付き合ってたんですね。ところが壇ノ浦の戦い平家は滅亡、同時に資盛は自害、その報告を大夫は聞くわけです。それで悲しんでたんですが、いつまで悲しんだことでしょうか、もう外は夜になっています。大夫はふと月でも見ようかと思い、外に出たのだけどあいにく今日は12月1日。旧暦で1日は新月の日*3。ところが月は出てないのだけど、よく見ると12月の澄んだ夜空に星が満天に輝いておりました。大夫はその美しさにびっくりするわけです。んでもって冒頭の歌を読むと。

この歌から感じた3つのこと

一つ目は、平安時代って「星空が美しい」という認識がなかった事にちょっと驚いたということ。和歌は月の歌は多いのだけど、星の歌ってなかなかないんだよね。夜空の美しさ=月みたいな認識だった。つまり星ってのは当時は美しいものの対象ではなかった訳だ。どうやら星空を美しいと一般に認識されたのは西洋の文化が入ってきた明治以降らしい。それを建礼門院京大夫は星空をみてこりゃ美しいとハタと気付く、この感じがモロに歌に現れている感がいい。普段常識にとらわれてるとなかなかこういう気づきはない。ゼロベース思考があったから美しい事に気づけたんだな。大切にしよう、ゼロベース思考。

2つ目。そのゼロベース思考を呼び起こした原因は資盛の死なんだわ、多分。どの時代でも失って初めてその大切さに気づくと。この歌の中にも資盛との付き合いは慣れていたけど、失って初めてその大切さに気付いた、という意味も含まれているんだろうね。ベタな解釈してごめん。はい次。

で、3つ目。これはテクノロジーの話なんだけども、当時の和歌ってすげー万能なツールだなと思う訳です。というのも和歌コミュニケーションツール*4であり、それと同時に記録を残すための媒体でもあったわけよ。建礼門院京大夫のこの歌は誰に聞かせるために歌った訳ではないから、後者として歌を詠んだんだね。

そこで思うのは記録媒体としての和歌の機能すごいということ。現代の記録媒体でも写真や動画でいくらでも綺麗な星空や悲嘆にくれる右京大夫を写したり、記録を取っておく事はできる。そのクオリティさや再現度は和歌の比じゃない。だけれども資盛を失ったその時の感情、星空の美しさに初めて気づくその思い、という「その時の自分の感情」をも記録することができるのは和歌だけだなぁと。しかも5・7・5・7・7の31文字にそれを詰め込めるんだから凄いわ。容量62バイト*5

そんな感じで年内最後は少し感傷的な和歌のお話でした。よいお年を!

*1:けんれいもんいんうきょうのだいぶ:平清盛の娘にして安徳天皇の母である建礼門院徳子の女官

*2:清盛の長男の重盛の二男

*3:朔日・つきたち。月が立つ日だからツキタチ。これが訛って月の初めの日はついたちになった訳だ。どうでもいいウンチク

*4:恋文も和歌だし、和歌の会とかで仲良くなってたし

*5:あってる?

2009-12-16

貯めこんだものをもう一度読むこと

師走とはよく言ったもので、非常に多忙であります。ブログの更新も1月の半ばまで少しお休み予定。ただ、年内にどうしてもやりたいことがありまして、それはハテブとグーグルリーダーの星を付けといた記事をもう一度読み返すことであります。

なにかこう、リスに似てるなあと思うんですが、ハテブやグーグルリーダーのように気に入った記事をワンクリックで取っておける優れものができた割に、それを見返す機会があまりないといったような状態にあります。まるでドングリを取っておこうと思って土に埋めたまま場所を忘れてしまうリスのようです。つまり有益な情報を取っておいたものの、埋没させてしまうと。ハテブの「後で読む」タグを付けといたまま放置してる記事も多いのではないでしょうか。

しかしながら、知識というのは結局どこかでアウトプットしなければ何の役にもたなないものでありまして、アウトプットするためにはキチンと自分の中に取り込まなければならない訳です。有益と思ってブックマークした情報が果たしてその段階にまで至っているでしょうか? そこで今年一年の間に一度は読み、かつ星をつけたり、ブックマークした記事を再度読み返してみる事が重要かなと思い、どうしても年内にやりたいと思っている次第です。またネットの記事に限らず、一度読了した本を再度読み直すと新たな再発見が非常に多いものです。

ツイッターなんか特にそうなんですが、昨今の有益な情報はすごい勢いで流れて行ってしまいます。私はここに若干の不満を感じていまして、有益な情報をある程度の期間がたった後に再度見直してみたり、共有したりできるサービスなんてのも必要かな(人々のニーズ的な意味でなくて、知識において必要という意味)と思っております。

そんなわけで今年一年で刺さった記事を年内に紹介できれば紹介していこうかなと。また皆さんも刺さった記事がありましたら是非お教えください。

とりま、皆様もよいお年を!