死んだ子を産まねばならぬ私は陣痛促進のため廊下を歩く  荒井直子

この歌を、今こうして取上げて、も良いのだろうかよ、逡巡した。まだ荒井直子第一歌集『はるじょおん』を手にして読んではいないのだ。
じっくり読んでみたい歌集のリストの、一冊の中に入れてはいるのだが。
荒井直子に関しては、塔短歌会に所属し、職業を持ちながら子育てをしている、若い女性、これだけしかデータが無いのだ。
今日の文章は、単なる個人の思い込みの羅列となりそうなので、そのようなものを読むのことを、不快とする方々は、読み飛ばしていただきたい。

「死んだ子を産まねばならぬ」ので、おそらく陣痛促進剤を注射または点滴で服薬をし、歩いているのであろう。なんとも壮絶な場面ではあるが、平坦に詠まれている。

ボール紙の小さな箱を柩としおまえは横を向いてねており
ほそき骨なれどおまえは母さんに残してくれた どうもありがとう
死んだ子を産んだ私も産婦にて産後休暇を八週間もらう

これらの歌も、事実を端的に詠んでいる。一読決して暗い詠風ではない。寧ろ、私の知る限りの歌において、どちらかと言うと「明」の詠みをする人と思う。
人の心を打つのは、この「明」から派生しているように思う。暗いところには、陰は射さない。明るければ明るいほど、陰は濃く深くなる。

産後休暇が8週間あり、子が骨を残しているのであるから、妊娠後期であったのだろう。
親しい女同士話していると、この荒井直子の体験は、特殊なものではない事を知る。女が出産するのは、「命」だけではないのだ。

体調が悪く、病院で妊娠を告げられ、その児が臨月まで胎内にいられるかわからず、産まれたとしても、産声を上げるかどうかわからぬと言われ、別の産院で診断を受けたがやはり同じ診断で、「自然流産で出血多量となっては危険」との理由で、まだ6週足らずの児を失った女。

妊娠中、切迫早産の惧れがあると、妊娠中期から入院し、やっと産まれたときには産声を出せず、「気道が塞がっていたため、呼吸が出来ず」と子の死を知らされた女。

妊娠初期に、医師の不注意によりピルを処方され、妊娠中期になってからその事実を知らされ、別の病院で検査の結果、出産を諦めなければならず、胎動を感じ始めている児を、人工早産せねばならなかった女。

こうして揚げ出すと、限りが無いので、これくらいにするが、「死」を産まねばならなかった女も多い。女達は皆、普通に明るく日常を生きている。「悲しい」「口惜しい」感情は、消えることは無いが、しかし生き抜かねばならぬのだ。

荒井直子の子育ての歌も、視線が面白いので、それについては後日取上げたいとおもう。

盆踊り回り続ける輪となりて抜けようとする者を許さぬ

(たまたま、幼児の死について、考えねばならぬ事があったため、このような内容となってしまいました。不快に感じた方々には、お詫び申し上げます。   2/14)