舞 姫 このページをアンテナに追加

2013-03-08-Friday 語りて曰ひけるは,フランチェスカよ

[]ロシアより愛を込めて 02:00

夜,ナショナル・コンサート・ホールにRTÉ国立交響楽団(日本で言うところのN響)の公演を聴きに行った。今日の公演テーマは「ロシアより愛を込めて」で,オール・ロシアものプログラム。オールロシアというのは珍しい気がしたのである。

FROM RUSSIA WITH LOVE

チャイコフスキーフランチェスカ・ダ・リミニ』,Op.32

ハチャトゥリアンヴァイオリンオーケストラのためのコンチェルト・ラプソディ』

プロコフィエフ交響曲第5番ロ短調

f:id:Mephistopheles:20130310110327j:image:left

どれも初めて聴いたのだが,特に『フランチェスカ・ダ・リミニ』が大ヒットであった。家に帰ってからもリピートして聴きつづけているくらい気に入った。それでも足りずにこの絵(シェファー作,『フランチェスカ・ダ・リミニ』)をデスクトップ画像に設定するほど気に入った。

120%楽しむべく,コンサート開演前のプレトーク(TCD音楽学部の教授が曲目について講演してくださる贅沢イベント)も聞いてから臨んだのだが,これが書かれたのは1876年チャイコバイロイトを聴いた後であり,そのため劇的な展開にワーグナーの影響も強く見られるとのことである。

またこの曲のテーマとなったのはその名が示す通り,『神曲』に出てくるフランチェスカ・ダ・リミニの物語(第5歌)。以下,青空文庫から引用,訳は山川丙三郎。

われら一日こゝろやりとて戀にとらはれしランチャロットの物語を讀みぬ、ほかに人なくまたおそるゝこともなかりき

書ふみはしば/\われらの目を唆かし色を顏よりとりされり、されど我等を從へしはその一節にすぎざりき

かの憧るゝ微笑がかゝる戀人の接吻くちづけをうけしを讀むにいたれる時、いつにいたるも我とはなるゝことなきこの者

うちふるひつゝわが口にくちづけしぬ、ガレオットなりけり書も作者も、かの日我等またその先さきを讀まざりき

この曲ではフランチェスカとパオロが翻弄される地獄の嵐,その中で繰り返される悲劇的な動機と,フランチェスカ・ダ・リミニの物語そのものよりは『神曲』地獄篇の世界観が色濃く表れているように聞こえたのも印象的だった。それも当然,この曲は『神曲』経由のフランチェスカ・ダ・リミニであるわけで,さらにその物語もフランチェスカ・ダ・リミニが自分たちの悲恋ダンテに語って聞かせるというものであるわけだから(そしてそれをさらにチャイコが作曲しているわけだから),ある種多重に構築された枠物語と言えるかもしれない。

ちなみにベルリンフィルを立ち見10ユーロで聴いて以来,ヨーロッパではクラシックを「安く」楽しんでなんぼではないかと思うようになったため,今回も最安のクワイアシートで聴いたのだが,今回は特にこの席で大正解だった。この曲を指揮する指揮者の表情が見られるというのは何物にも代えがたい喜びである。ひとつ難点があるとすれば,打楽器が見えない位置(というか彼らの真上―すなわちパイプオルガンの真下)に陣取ることになるため,この曲のように打楽器がばんばん打ち鳴らされる曲は大変心臓に悪いということであろうか。

他2つについては,まず何と言ってもチャイコフスキーのような帝政ロシア時代の音楽とはやっぱり全然違うなということを改めて実感した次第である。ハチャトゥリアンはよく言えば自由(現に教授はプレトークでこう言った),悪く言えばわけわからなかった。ヴァイオリニストは宇田川杰子(すみません,存じませんでした)という日本人だったのだが,申し訳ありません,寝ました。といっても彼女の演奏のせいでは全くなくて,単に私がハチャトゥリアンについていけなかったのである(加えて私は寝不足だった)。プロコフィエフはとても格好良かったが,いけいけソビエト進め人民!な感じであった。まぁ,それこそロシアものの醍醐味ではあるのだが。

指揮者カザフスタン人のAlan Buribayevさんという方で,調べてみるととても若い(33か34)。誠実かつパワフルな指揮で結構好みだった。2015年までRTÉの正指揮者を務めるようなので,少なくとも私がこちらにいる間はこの人の演奏がまた聞けるらしい。さらにRTÉ自体,実はあまり期待していなかったが結構よかった。楽しみがまたひとつ増えた。これからも足繁く通おう。

2013-02-08-Friday 手切れの お金もくれない

[]リサイタルとseparate spheres 23:50

ナショナルコンサートホールでお昼にピアノリサイタルがあるというので行ってきた。とはいえ今年に入ってからというもの,なぜだかものすごくコンサート運が悪い。まずは先月20日,自分への誕生日プレゼントも兼ねて,はるばるアムステルダムコンセルトヘボウまで内田光子リサイタルへ赴いてみれば内田光子は病気で欠演,おまけに翌日の帰りのフライトは大雪により欠航シューマンシェーンベルクドビュッシー(確か)などという素敵なプログラムに胸躍らせて行ったのに違っていて,バッハのパルティータも私の心を癒すことはできなかったばかりか,代演の奏者が妙に個性的な弾き方をするものだからむしろ結構イライラした。次いで先週末,ヒュー・レーン美術館で無料リサイタルがあるのを知って出向いたのに,満席とかで入れなかった。立ち見でいいからと粘ったのに。無料とはいえこのリサイタルハイドンソナタ全曲演奏なんて小粋な試みなのである。そういうわけで今回も何かあるんじゃないかと冷や冷やしながら行ったのだが,予定通りリサイタルは執り行われた。それだけで幸せになれるなんて,私もずいぶん閾値が下がったもんである。

エリザベタ・イワノヴァというロシアピアニストのおねえちゃんは『ロミオ+ジュリエット』のクレア・デーンズを彷彿とさせるような笑顔の持ち主であった。ランチタイムリサイタルというリラックスした公演なのもあって,弾き始める前にあいさつを兼ねて曲目の紹介を軽くしていたのだが,ただでさえ緊張するときに(しないんだろうか)英語でスピーチなんて,なんという肝の据わり様であろうか。とわけのわからないところで尊敬の念を新たにする。

プログラムスカルラッティから始まり,ラフマニノフプロコフィエフと続く通好みな感じであった。私はスカルラッティプロコフィエフが気に入ったのだが,どちらかを選べと言われたら圧倒的にスカルラッティだった。プロコがイマイチだったのではなく,スカルラッティが素晴らしかったのである。私がスカルラッティ偏執的に好んでいるという贔屓目は差し引いても(むしろ贔屓目があると評価が辛くなるか),こんなにキラキラしたバロックはひさしぶりに聴いた。弾いている彼女本人もとても楽しそうで,クラシックリサイタルというよりもジャズのライブにいるような楽しい気分に(バロックジャズに準えるこの陳腐な例え)。

ラフマニノフは彼女が冒頭のあいさつで「今度協奏曲2番をやるのでがんばって取り組んでいます」と話していたが,それもあってちょっと思い入れが強すぎたのかもしれない。特に楽興はただでさえ派手な部類に入る曲なので,個人的には(弾いたことがないが)感情は抑え目にさらっと弾いてちょうどいいくらいな気がする。プロコはスカルラッティきらめきと好対照をなすパワフルさで,聴いていてとても気持ち良かった。さすがロシア人。

リサイタルとしてとてもよかったのだが,同時にやはり越えられない性差のようなものも思った。彼女は割と長身だったのだが,ラフマニノフやプロコになるとほとんど立ち上がるようにして弾いていた。無論力の強さが全てではないが,男性には大した苦もなくできることが女にはできないということが世の中にはいくらでもあって,それは寂しくも悔しくもあるがまた楽しくもある。

2013-02-02-Saturday Aimez-vous Brahms?

[]ブラームスはお好き 00:44

シューマンの練習にも飽きてきたし,静かで何だったらちょっと内省的だったりするような感じの小曲を弾いてみたい気分だったので,ブラームスのOp.118-2に手を出してみている。考えてみれば,作品番号で曲を覚えているのってこれくらいかもしれない。

ブラームス,今まで弾いたことがあるのは2,3曲だし,曲によって思い起こされるような思い出があったりするわけでもないし(あ,みなとみらいの演奏会には出たか,ラプソディ1番で),その2,3曲にもものすごく長く取り組んだりしたわけでもないし,要は私のピアノ人生においては1ページどころか数行くらいしか登場しないのだが,弾いてみるとなんだか,ああこの作曲家はなんというか,私にとってやっぱり特別というか,大切だなぁと思った。数曲しか弾いたことがない作曲家について大切と思えるのは,我ながら不思議ではある。でもやっぱり大切なのである。ピアニストがよく,曲との出会いを人との出会いになぞらえるけれど,その気持ちがなんとなくわかった気がした。

ブラームスはお好き (新潮文庫)

ブラームスはお好き (新潮文庫)

こじつけですが。私にとっての初サガンは『悲しみよこんにちは』ではなくこちらでした。小娘であるうちに女が必ず読むべき作家であろうと思い,実家の妹の目につくところに置いてきました。

2012-04-06-Friday Well tempered

[]平均律第1巻/キース・ジャレット 17:29

最近の私の生活を彩った音楽,アデルを紹介するのであれば,こちらも忘れてはならない。

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻

『おやすみプンプン』はいつも通り実家近くのTSUTAYAでレンタルしたのだが,9巻だけレンタルされていて,しかも長らく返ってこなかった。いつ返ってくるかとレジで尋ね,返却予定日には2回も見に行き,挙げ句閉店間際に電話で問い合わせまでして,やっと返ってきたことが確認されるや「すぐ行きますっ」と車を走らせ,……そこまでしたのに,店頭でいざ9巻を手に取った時,にわかに「これをどれだけ待っていたんだと呆れられるのが恥ずかしい」という自意識が芽生えたのである。これだけ借りにきたと思われたくない。そう思った私はおもむろにレンタルCDの,しかもクラシックの棚に向かい,このアルバムを選んだのであった。「これだけを借りにきたと思われたくない」「楽しみにしていると思われたくない」とのいわば「臆病な自尊心」によってカムフラージュ的なものを添えてレンタル,考えてみれば殿方がアダルトな感じのものを借りる時のお作法である。

奏者は,その店舗では2人であった。1人はグレン=グールド,そしてもう1人がこのキース・ジャレットであった。なぜ後者を選んだか。理由は大まかにわけて2つである。1つは純粋に,キース・ジャレットの弾く平均律に興味があったこと。そしてもう1つは,「グールドとキース・ジャレットがあって,どちらかといえば(ゴールドベルクなどの名盤により)バッハ=グールドの印象が強いところ,敢えてキース・ジャレットを選ぶ私」にクラッとしたことである。クラッ。かくして私は,『おやすみプンプン』にキース・ジャレット版『平均律』をまぶして意気揚々とレジに向かったのである。二重にも三重にも恥ずかしい人間であったことは間違いないだろう。

前置きが長くなったが,このようにして大変大変不純な動機でレンタルしたキース・ジャレット版『平均律』,すぐに車のオーディオで聴いてみたのだが,すごくよかった。「バッハはスイングする」と語っていたのはアルゲリッチであったが,ジャズバッハはやはり親和性があるのかも,とジャズど素人の私も思わせられた。そういう書き方をするとバッハをアレンジして弾いているような印象になってしまうかもしれないが,それどころか弾き方はいたって正攻法,楽譜が浮かんでくるほどである。なのになんでしょうね,この渋さと色彩といったら。BGMにも鑑賞対象にもなり得てしまう。恐ろしい。

ところでこのアルバム,そのTSUTAYAには第1巻しか置かれていなかった。生殺し!! 2巻はいずこ!!

2012-04-05-Thursday We could have had it all

[]21 17:04

Adele : 21

Adele : 21

大変な今さら感がありますが,アデル。とてもいいです。「本物っぽい」ではなくて本物だと思います。若いのに老成している。声に哀愁がある。哀愁でいと。違うか。

くだらないことを申しましたが,やはり圧巻は1トラック目の「Rolling in the deep」。オーケストレーションを感じました。とても表情豊かなのに,テンポはメトロノームではかったように正確。おそらく真面目で几帳面な人なのだろう。じゃないとグラミーを獲った直後に「恋愛に専念するために」休業だなんて言い出さないだろうし。

このアルバムしか聴いていない状態で言うと,「どの曲もいい」とは,少なくとも今は言えません。まだ聴きようが足りないのかもしれないが,若干の中だるみはある。それでもなお,出来る限り再生しっぱなしにしておきたいような1枚です。