8月下旬の現状/ファンの搾取

世間から「コロナウイルス対策ができていない! けしからん!」とバッシングされた音楽フェスに参加して、一生で一番の思い出だと感じるくらいに楽しかったとする。そう感じた人はきっと、「コロナウイルスなんてただの風邪だ、マスクなんてする必要ない」という主張に賛同してしまうんじゃないかと思う。私は私の好きなものを信じる! その場にいなかった人たちに何が分かるんだ! という気持ちを、世間の常識という枠組みで差し止めることは難しい。

音楽にはそういった魅力がある。スポーツ、映画、漫画、アニメなどと同じように、盲目的に崇めるファンが存在するのが音楽だ。有名なアーティストには、どこでライブやイベントをしていても必ず駆けつけるファンがいる。アーティストのアクションに応じて、禁止されている行為に踏み込むファンもいる。アーティストが全てのファンの行動に責任を取るべきだとは言わないけれど、もしファンに支えられてアーティスト(の生計)が成り立っているのであれば、アーティストはそのファンコミュニティを慮った行動を取るべきだろう。

音楽フェスも同様だ。長く続いたイベントであれば、このイベントだから参加しようと考えてくれるファンがいるだろうし、イベント存続のために頑張ってお金を落とそうと思ったファンだっていただろう。

ファンが品行方正にしていたら、NAMIMONOGATARIについても、イベントが安全に開催できたのかもしれない。しかしながらどんなイベントであっても、大勢が集まると誰かがラインを踏み越えてしまうし、それが黙認されるようだと多くの人がそれを真似してしまうものだ。

それはこういったイベントに限ったことではない。誰かがアーティストを盗撮すると、周りも次々にアーティストを盗撮する。誰かが段ボールの脇にゴミをそっとポイ捨てすると、いつの間にかそこにゴミの山が築かれる。規模が大きくなれば、どのイベントだってそういったラインの踏み越えは起きる。

そういった問題を予期し、問題が発生してしまったときには正しい方向に修正するのが、イベントの運営義務だ。今回の問題は予期できたことだと思うし、そこでファンの行動に歯止めを利かせられず、ルールを守らなくても許される雰囲気を作ってしまったのは、運営やアーティストの責任だと思う。

こういった問題がクローズアップされたときには、「地域に迷惑をかけるな」「医療従事者のことを考えろ」といった怒りが世間からはぶつけられることが多い。けれども私は、そもそもお前達のファンをダシにするなよ、とまずは思ってしまう。

安全に開催ができなかったとしても運営は儲かるし、アーティストは箔がつくのかもしれないけれど、それと引き替えに参加したファンは健康を損なう可能性があるし、社会的な信用を失う可能性が高い。「今週末にNAMIMONOGATARIってフェスに行ってくるわ」と職場で話をしたり、イベントに参加したことを気軽に誰かに伝えたファンの来週からの生活を、運営やアーティストは真剣に考えていただろうか?

対策を守っていなかった参加者ばかりでは、決してなかっただろうに。


NAMIMONOGATARIの説明文を読んで感じたのは、「イベンターとしてさすがに見通しが甘くないか?」と「イベンターとして基準に振り回されて気の毒だ」の両方だった。

8000人の入場者で、場内でアルコールを販売したら、マスクを外したり密になったり、いつもの光景に戻ってしまうことなんて分かりきったことだろう。定型的なアナウンスや、会場内のディスプレイ告知が流されることなんて、さすがに予期できることだ。これが初回のイベントでもないのに。

説明文に書かれている対策の数々は単なる形式的なアリバイだ。それを謝罪文に長々と記載して、やるべきことを実施していたかのように主張するのは、参加者に対して過剰に罪をなすりつける行為だと思う。「マスクをしないとイベントが中断になってしまう」のなら、マスクをしていない人が多く目に付いた段階で、イベントを中断すべきだった。言うだけで実行しないのなら、これはポーズだなと観客に舐められるだけだ。

そもそもこの説明文には謝罪の対象として「お客様」「観客」が書かれていない。謝っているのは世間と同業へだけである。

もうこのイベントは二度と開催できないから、参加者に責任を押しつけていいと判断したのだろうけれど、自分たちを金銭的に支えてくれたコミュニティを切り捨てるのではイベンター失格だ。文中には関係者を庇うニュアンスが強くあるので、これからも他の音楽イベントの開催は想定しているのだろうけれど、この事態において、まず観客の健康を心配できないのなら、イベンターからは撤退すべきだ。

その一方で、緊急事態宣言・まん延防止等重点措置の発令によって、突然イベントに制限がかかり、その負担をイベンターに負わせるという状況をいつまで続けるんだ、という思いもある。政府の宣言発令タイミングが読めない、イベントに対して自治体からどのような要請が入るのかギリギリまで分からない、との状況がずっと続いている。これではイベント興行は毎回博打になってしまうし、突然の追加要請の内容に応じることができずにイベントが強行されることだって、また今後起こり得るだろう。「中止を要請するなら補償をしてほしい」とよく言われるのは、金銭的な理由でこういった強行が起こらないようにするためだ。

……いや、8月18日の時点で飲酒込みでこの規模のイベントができると判断していたのは見通しが甘いし、そんなイベントの補償をすべきなのか? 県もさすがに自粛要請すべきだろうに何考えていたんだ? という思いはもちろんあるのだけれど(……と書いていたら県から要請内容についての記述は事実と異なると反論が出た。そりゃそうだよな。さすがにこれは県の主張の方が真実味がありそうだ)。

宣言発令が経済活動に大きく影響を与える、ということは一年前からずっと言われているのに、準備期間をほぼ設けないタイミングで発令する、というやり方が全く改善されない。感染者数が増加傾向にあって、ここから減少に転ずる対策は何もないのに、発令のタイミングは政府のトップが雰囲気で突然決める、という状況がずっと続いている。ギリギリまで発令しないことが経済にとって正義だと思っているのだろうけれど、傾向を予測して先の要請の予定を提示することも大事なのだと誰か教えてあげてほしい。

音楽フェスはどう開催すれば良かったのか、もしくはもう音楽フェスなんて開催すべきでないのか。基準が全く分からない状態が続いていて、世の中のイベントが世論に揉まれるままの状態が続いている。どのようにすれば安全に大型イベントを開催できるのか、どのような対策基準であれば社会は許容できるのか、政府・行政と一緒に基準作りに取り組んでいく、という動きに進まないのが残念だ。

今回の場合だと例えば、イベントの参加者全員に場内行動のインタビューと合わせて検査を受けさせるなどすると、イベント開催がどれだけ感染を広げたのか、もしくは懸念は杞憂だったのかなど、多少は分かってくるのではないかと思う。このままだと「あのイベント行ったけど別に体調大丈夫だし、友達も大丈夫だったし、あれ? 世間が騒ぎすぎなんじゃないの? というかマスクしなくても大丈夫なんじゃない?」と「目覚める」参加者が出てきてしまうかもしれない。

それにしても、中止に補償金が出なくて開催に補助金が出るのだとしたら、そりゃ開催へと後押しがされていると思うよな。GoTo施策みたいなもんか。


一括りにされたくない、という危機感で、こういった問題が起こった界隈を世間から分断する動きが進んでいくのだろうな。今回のような問題に対して「もう音楽フェスなんて止めてしまえ」という批判が出てくると、音楽フェスを守りたい人は「あんな人たちと一緒にしないでくれ」という反論をしたくなる。もちろんその反論は正しい。一緒ではない。

ただそういった話がエスカレートすると、「Hip-hop界隈の連中は低学歴で頭が足りてないし、ルールを破ることで一体感を感じるような奴らだ、私たちは世間一般の常識を持っているけれど、彼らにはそんな常識がない」みたいな意見が、したり顔で囁かれるようになってしまう。そしてそういった差別が強まって、一番苦しむのはファンだ。

フリースタイルダンジョンで起こったブームの行く末が、アーティストがファンから金銭、健康、信用を搾取するシーンの形成であったのなら、こんなに酷い話はないなと思う。そういったクソみたいな搾取ビジネスとは、別の世界であって欲しかった。

8月中旬の現状/FUJI ROCK FESTIVAL開催について

オリンピックを開催するにあたっての答弁を、「帰省」に置き換えて皮肉るようなネタが出回っている。自己都合だけの答弁で何の合理性もないから、言葉を置き換えて皮肉に使われてしまうのだ。オリンピックの開催が政府の自己都合のように見えてしまったことで、オリンピックより小さい規模のイベントは全て自己都合で正当化できてしまうようになった。

ただ実際に帰省したとして、自分がコロナウイルスに感染していたり、集まった親戚の誰かからコロナウイルスをもらってしまったら、一番困るのは自分たちの家族や親族だ。何か政府に皮肉の一つを言いたい気持ちは分かるけれど、感染リスクを考慮すれば帰省を控えた方がいいのは事実ではある。

政府の説明不足に腹を立てるのは自然だと思うけれども、政府の責任だと言って好き勝手に行動したとして、何かあったときに困るのは結局自分自身ではある。世の中の風潮は悪い方向に進んでいるなと感じる。


どうせ今年のFUJI ROCK FESTIVAL (FRF) は無観客になるのだろう、いつ判断するのだろうか、とずっと思い続けていたので、結局有観客での開催に踏み切ったのには驚いた。

公共衛生の観点では、今年のFRFは無観客で開催すべきだったと思う。ただ主催者の立場では、有観客で開催する理由はあったとも思う。

他の多くの夏フェスが開催を断念する中、FRFが有観客での開催に踏み切ったのは、主催者の強い意向ゆえだ。日本における音楽フェスのパイオニアとして、ここで立ち止まれないと感じたのだろうし、ROCK IN JAPAN FESTIVALから受け取ったバトンの重さもきっと感じていただろう。後ろにはSUPERSONICも控えている。無観客ではなく有観客での開催を決行したのは、金銭的に無観客・有料配信での開催に切り替えられなかったからだろうし、有観客での開催に対して強い思いがあったからかもしれない。演奏は観客との対話であり、音楽フェスはその象徴とも言える舞台なのだ。

もちろん目下にはコロナウイルスの感染拡大があり、従来以上の感染対策が必要とされている状況がある。しかしながら自治体から開催にNGが出たわけではなく、どう対策すれば安全な開催が実現できるのか、具体的な対策内容は誰も示してくれない。RIJが憤ったように。こんな手探りの状況下で、文字通りの「自粛」をするかどうかを社会的に迫られたとき、きっと中止したり無観客とした方が気持ちは楽にはなっただろう。それで発生した赤字を補填してくれる人は誰もいないけれど。

しかしながらこのコロナ禍に対しては、収束への指針が示されていないのが現状だ。最後の切り札とされている緊急事態宣言下でも感染は拡大しており、これを食い止める現実的なプランは提示されていない。ただ個々への感染対策の強化がお願いされているだけであり、感染はダラダラと拡大している。

唯一の望みはワクチン接種の加速であり、ワクチン接種者の割合が増えると感染はある程度緩和させることができるだろうし、インフルエンザのように感染を社会で許容できる未来が描けたりするのかもしれない。しかしながらそういった未来の見通しは、少なくとも社会の共通認識とはなっていない。もし共通認識となっているのなら、ワクチン接種を前提とした社会活動再開への道筋が描かれて、ワクチン接種をやんわりと忌避するような一部の風潮は払拭されているだろう。

もし「○月末までに国民へのワクチン接種を済ませるから、それまでは活動を延期してくれ」といったメッセージが数ヶ月前に政府から出ていたら、今開催はしなかったかもしれない。よく言われる、関係各位への「補償」があれば、中止する判断はあり得たのかもしれない。しかしながら、そんな方針は今まで何も示されていなかったのだ。

コロナウイルスとの戦いはまだ今後も続いていくだろう。長い戦いになる。しかしそのような状況下において、音楽フェスのような大人数が集まるイベントをどのような形で開催していくのか、公共からガイドラインを作ろうとする動きは見えない。感染状況に応じて開催形式が突然制限されてしまう今までのやり方では、イベントの興行なんて一か八かになってしまう。今主催者が開催を自粛したとしても、その先の未来で開催ができるようになるビジョンが存在しないならば、わざわざ自分から中止を判断する理由がないのだ。

状況が改善されるだろうと思って一年延期して、今年は去年より状況は悪化したのだ。今年も中止して、来年には状況が改善されているだろうと、誰が信じられるだろうか?

主催者が開催に踏み切った背景は想像できる。自粛しても未来が見えないのだから、開催に踏み切るしかなかったということだ。


しかし多くの夏フェスは中止の判断をしており、それは社会的な情勢を鑑みてのことではある。開催に踏み切ってしまうことが公共衛生の観点で正しくないのは明らかだ。

重要な視点として、FRFのステージでTHA BLUE HERBのBOSSがメッセージを残した。ここで語られたのはFRF開催のその先だ。FRFを無事に終わらせた上で未来をどうするか考えていかなければならない、危険な橋を渡らざるを得ないシーンに手を差し伸べてくれと訴えている。

FRFの開催後にコロナウイルスの感染拡大が確認されなかったとしても、それで未来が明るく照らされるわけではない。FRFを成功体験の一つとして同じようにフェスが開催できたとしても、次また同じ結果になるとは限らない。結果に頼って開催を続けたとしても、それは結局クラスターが確認されて社会から糾弾されてしまうまで、祈りながらサイコロを振り続けているだけだ。そもそもFRFの開催が失敗だったと判断されて、いきなり社会的に自粛を強いられてしまう可能性すらある。

FRFの開催の是非を論じるだけでは未来がない。そして開催後に問題がなかったからといって同じことを続けるのも、問題があったとして強制的に自粛させられるのも未来がない。未来を見据えて、果たしてこれからも音楽フェスは存続できるのか、存続するためにはどうあるべきなのかを考える必要がある。

存続のために必要なのは中止しても生活が続けられるための補償なのか、困難な状況の中で開催するためのガイドラインなのか。それは主催者だけで検討したり責任を持てるものではないだろう。


FRFの主催者であるSMASHはプロモーターである。海外のアーティストを招聘するプロモーターとして、よりライブの現場にこだわった「有観客での開催」という判断がなされたのかもしれないな、とは思う。有料ライブ配信のビジネスはSMASHの守備範囲ではないから、有料配信でマネタイズする方向には進めなかったのかもしれない。

個人的には無料配信したYouTubeチャンネルの2や3だけでも有料配信にすればよかったのにとは思うけれど……当日までアーティストの出演可否が読めない状況では難しかっただろうか。今回の配信を見て主催者に(グッズ経由ではなく)直接お金を落としたいと感じた人は多くいたはずで、その受け皿がないのはもったいない。


今年のFRFのような、緊張感のある夏フェスはもう二度とないだろう。出演したアーティストの多くが、大規模フェスのステージに飢えていて、熱量の高いパフォーマンスが続いたフェスだった。どのような気持ちでステージに立ったにせよ、立ったからには何かを残さなければならないと、どのアーティストもきっと感じていただろう。

間違いなく語り継がれるフェスになった。コロナウイルスが収束した頃には、今年のFRFの現場にいたことを自慢話として語る人がきっと出てくるに違いない。もちろん運良くコロナウイルスに感染せずに日常に戻ることができたら、の話ではある。

配信を見ながら、このステージを会場で味わいたかったな、と羨ましくなってしまった自分がいる。もちろん現地にいたら、今も不安な気持ちを抱えて過ごしているだろうけれど……。まずは関わった人たちの無事を願うばかりだ。

8月上旬の現状/オリンピック

オリンピックが終わった。結局最後までテレビで生放送のオリンピックを見ることはなかった。

スケートボードがネットで盛り上がっていたので、それだけはネットで競技の見逃し配信を見た。静かで人工的なストリートで競技する選手を見ていると、オリンピックをパラレルワールドだと表現した人の気持ちはなんとなく分かる。本当にこの競技が東京のどこかで行われているのだろうか? TOKYOという別の世界で行われている競技であるように思えた。

これがアスリートのための大会なのだろうか? 開催するとしても、延期したり期間を延長したり、もっとやり方があったのではないか。夏にやる必要がない。選手村としてアスリートを一所に集めて感染リスクを高める必要がない。競技をする以外で隔離され続けては、最高のパフォーマンスが発揮できないだろう。「オリンピック」として開催するにあたって余計な条件が多すぎるし、それがアスリートのためになっていないということが明らかになった大会だったと思う。

開会式や閉会式に対して、結局最後まで何の興味も持てなかったのは、それがアスリートのための儀式ではなく、儀式をしたい人のための儀式になっていたからだ。多くのライブやフェスが延期、中止に追い込まれる中で、開会式や閉会式に駆り出されているアーティスト達の姿に興味が持てるはずもない。

それにしてもIOCの人たちが日本政府より上の立場として振舞い続けていることがつらい。どうせ日本政府は何も言ってこないだろうと思って舐めている。こんなオリンピックは二度と開催すべきではない。アスリートのための大会として、新しい世界大会を作り直すべきだ。

NETFLIXが今回の大会のドキュメンタリーを作ったら、そのトリガーになるだろうか。


丸川五輪相の言動を見て思うのは、この人は管理の実権がない、何の判断もできない責任者なのだなということだ。「下から提供された断片的な情報」と「上から押しつけられた方向性」を条件として、目の前の課題に対して場当たり的な回答をするだけの人。何も自分で推進していないから、発言に一貫性がないし、発言に責任を取る気もない。ITのプロジェクトでよく見かける、お飾りのお偉いさんだ。

しかし「責任を取る能力がないことが明らかなので責任を取らされない」というのは無敵だなと思う。党は使い捨てる気満々なのだろう。そもそも今の総理のポジションが……とも思うけれど。

整合性のないこの人の発言を見ていると、政権担当能力なんて今の与党にだってないのだなと思ってしまう……ので、ちゃんと能力のある人を任命してほしかった。代打の玉突きポジションであることには同情の余地はあるけれど、国益を損なう振る舞いを続けられるとそうも言っていられない。