『中国だからしかたない』という空気が世界の未来を殺す。

第十八回全国中国共産党大会の前日の7日、開幕した8日の2日間で、未だ少年ともいえる15歳の僧侶を筆頭に10代から20代の男女が、ダライラマ法王の『チベットへの帰還』と『自由』を希求しながら焼身自殺した。2009年から69人のチベットの人々が中国共産党チベット政策に抗議するため自らを炎に投じるという、歴史を振り返っても他に例を見ない凄惨な抗議が続いている。中国共産党がどんな詭弁で状況をごまかそうとしても、現在のチベット内地の人々は地獄を生きているという証だ。



今日アムド地方(青海省)では、その焼身自殺による抗議を支持するため、現地時間のam4:00から、10000人以上ともいわれるチベット人の大学生、学生が集まっての大規模なデモが進行している。純粋な気持ちで同朋の抗議を称え、その死を悼む未来ある子供たちに、心ない武装警官の銃が向けられること、発砲がないことを、と祈る気持ちが続く。



長い時間、生き変わり死に変わり、培って来た信仰をずたずたに引き裂かれ、アイデンティティを剥奪され、一挙一動始終監視され、歌を歌えば武装警官に連行され、詩を書けば消息不明に、心から敬う法王の写真を持っていただけで『愛国教育』という名の残酷な拷問に遭う。日本を含め西側諸国で生活しているわれわれには想像を絶する恐怖と圧迫の現実をチベットの人々は生きている。ダライラマ法王への募る思いと、法王がチベットの地を二度と踏むことはないかもしれないとつのる焦燥感はもはや限界を超え行き場がない。



仮に中国共産党のずるく、根拠のない妄言に一千万歩譲って、ダライラマ法王が、『分離主義者』で『悪魔の化身』であったとしても、中国共産党という異様な形態を持つ国家に、他に危害を加えることのない完全に丸腰のその素朴な仏教徒たちの『生命』を一刻一秒休む事なく脅かし、『人権』を蹂躙し、生命への最大の贈り物である『自由』を剥奪する権利がある、という言い分は認められない。豊かになった中国国内の84%の富を所有する10%の中国人富裕層が、ローマ、コンドッティ通りのブルガリで、数十万ドルの宝石を物色しているその間に、チベットでは僧侶が、若者が、お母さんが、お父さんが絶望と悲しみと怒りを世界に伝えようと絶叫を天に挙げながら燃えている。チベットでは、そんなぎりぎりの『異常』事態と緊張が波うちながら、もう63年も続いているのだ。



そのチベットの異常事態に、少数の英米紙を除き、世界のマスメディアは目を閉ざし、耳を塞いでいる。その『沈黙』は、後年取り返しがつかない事態を世界規模で引き起こすかもしれない、というのにだ。明日の地球の未来への鍵は、あらゆるデータや事象を鑑みるに、残念ながら中国が握っていると考えざるを得ないと数々の識者が言うにも関わらず、チベットで現在進行している、かつて人類が体験したことのない凄惨な抗議に対するマスメディアの『沈黙』は、全体主義容認とそれに伴う自由剥奪という最悪の未来を自ら売り渡していることと同じだ。



世界じゅうのメディアが好奇の目を注ぐ中、替え玉なのか、薬を打たれて教育されたのか、変わり果てた姿のGu kailaiをたった数日の裁判で執行猶予つきで死刑判決を下し、中国共産党大会の一週間ほど前にBo Xilaiを見事に政治闘争から排斥した中国のその一連の報道を追いながら、この国には『法』は存在しないのだ、裁判は海外向けに仕方なく仕組んだ儀式にすぎないのだ、と改めて恐ろしいと考えた。人の罪は、争いと横領と裏切りと嘘と陰謀に充ちた『全能の神』である中国共産党が全てをジャッジする。しかも世界の目などおかまいなしに、かなりひどい稚拙な演出で。



謎に包まれたこの一連の事件について、詳細の確証を持たないメディアは、総じて疑いに充ちた、推測文調で報道しながらも、時が経ち、事態が収集するうちに、いつの間にか中国共産党に丸め込まれたような消極的な報道に転じたように思う。当初、不審な死を遂げた英国ビジネスマンをエージェント、諜報員の可能性あり、と報道していたフィナンシャルタイムもいつの間にか、そのことには触れなくなった (追記:ワシントンポストが11月7日に、英国人ビジネスマン、ヘイウッド氏はやはり英国諜報部員だったという記事を掲載していたということだが、今となってはだからどうなるというわけでもない情報になってしまった)。結局何が事実だったのか全く理解できないまま、すでに描かれていた筋書きにメディアもねじふせられた形になり、疑惑に満ちながらも「中国だからしかたない。またガタガタ言われると面倒くさい」という空気が漂い始めた。さらにイタリアに住んでいると、最近ではその空気が国中に、しかもおおっぴらに充満し始めたように思われる。



中国の毛沢東以降の、資源獲得とテリトリー拡大のための異様なほど貪欲な侵略と、謎に包まれた政治の展開、チベット、ウィグル、内モンドルにおける人権蹂躙をイタリア市民は知っている。知ってはいるが「中国は、まあ遠い国だし、自分たちの生活に直接は関係ないように思われるし、それに何しろ中国なんだからしかたない」そんな空気が感じられる。チベットで69人もの焼身自殺があったというのに、イタリアの大手メディアは口裏を合わせたように(そして多分本当に口裏を合わせていると思われるが)しんと静まり返っている。ときどきレプッブリカ紙、コリエレ・デラ・セーラ紙サイト内のジャーナリストのブログに個人の見解としての記事が掲載されるだけだ。イタリアの通信社、ANSAだけがチベットの異常事態を随時報道してはいるが、その報道が一般の市民に伝わることは、はなはだ稀だ。勿論Facebookなどの限られた支援者同士のコミュニケーションは活発に行われているし、イタリアの支援者たちはイタリアに住むチベットの人々とも情熱的に議論を展開させ、あらゆる支援と意見を惜しまないパワフルなグループだが、マスメディアや支援者ではない人々に影響を及ぼすには至らない。尖閣問題も含め、地政学上、中国の動きにきわめて敏感にならざるを得ない日本とは比べものにならないほど、イタリア市民の中国共産党への認識は甘く、あるいはロマンティックとも言える現実離れしたものだ。



イタリアの現在の喫緊の問題は、ドイツを含め、EU全体にだらりと重くのしかかる経済危機である。35歳までの若者の失業率が30%を超える深刻な現状をいかにして打開していけばよいか、病院など保健機関の予算はどのように捻出すべきか。イタリア国債スプレッドの危険水域への上昇の折り、ナポリターノ大統領の一存で、緊急事態宣言の下、無選挙で急遽首相に就任したモンティ首相のテクニカルな財政緊縮案で、あらゆる全ての税金は突如として高くなり、『節約』が市民の日常となり、誰もがこの『危機』とどう対峙していくか、その話ばかりが繰り広げられる。



さらにここ数年、モンティ首相指揮下のイタリアは、中国との連帯をぐんと深めている。誰もがチベットが大変な状況であることを知ってはいるが、中国という国が、どこか怪しげで信用できなくとも、もはやイタリアの経済賦活のためにはなくてはならない、ビジネスチャンスに充ちた国だと疑わない。例えば今年の6月、ダライラマ法王が来伊の際、過去数年かけてダライラマ法王への名誉市民贈呈を準備していたミラノ市は、中国大使館の圧力で、抵抗することなくあっさりと中止した。中国政府は2014年に予定されるミラノEXPOの重要なスポンサーでもあるからだ。



当時、「法王は世界じゅうで名誉市民をすでに数限りなく得ていて、ミラノ市が名誉市民を贈呈しなかったとしても、われわれチベット人は残念でもなんでもない。法王は名誉市民コレクターではないのだから。ただこう簡単に中国大使館の圧力に屈する、イタリアの第一の産業都市の姿勢を大変に懸念、心配する。イタリアはすでに中国の圧力下に置かれ始めている」というチベット人の青年のFacebookへの投稿は支援者の間で大きな波紋を呼び、また、この一連の出来事にはメディアも反応し、TVでも新聞でも連日、ミラノ市長ピサピアの中国対応の弱腰を非難する報道が相次いだ。しかしイタリア、ミラノの権威を揺るがす市長の行為を非難したそのメディアも、チベット尊い生命を賭けた抗議には口をつぐんだままだ。亡命政府の要人がイタリアに訪れる際には、必ず大使館が圧力をかけ、何人かの政治家たちは、その圧力に怯えて私的には会見しても、公の場には姿を見せない。



この事実はイタリアという国も、チベット青年のFacebookの投稿が言うように、すでに侵略され始めているということではないか、とわたしは考える。ある分野に関しては自由を放棄せざるを得ない状況に置かれているということは、やがてその分野は増加していく可能性があるということだ。
「中国だからしかたない」というあやふやな態度を、イタリアも、世界各国ももはや決してすべきではないと考える。今のチベットの状況に対する『沈黙』は、世界の未来を不安定にする。今の『沈黙』は、チベットだけではなく、わたしたちにとっても大変危険な行為だ。無関心はわたしたちをとんでもない未来へと運んで行くかもしれない。


Tibet is burning.

Documentary on Tibet " The light of the snow lion"

さて、もう一年以上も前のことになりますが、前回のエントリーで書いた、
イタリアのTibetan communityの青年たちとともに
制作したフィルムのサイトが漸く完成し、
以下のリンクに英語、イタリア語とふたつの言語で載せました。
ローマのWEBデザイナーにお願いしたため日本語を載せることはできませんでしたが、
機会があれば、改めて翻訳したいと思います。
また、英語版は編集の細部に手が廻らず、
少し荒れた形になっていますが、お許しいただければ幸いです。




Pray for Japan.
Pray for Tibet.



www.tibetdoc.it
http://www.tibetdoc.it

イタリアのチベット人、ショートフィルム

さて、もはや数ヶ月前のことになるが、当時のイタリアのチベタンコミュニティを運営していた青年たちとともに一本の記録映画をまとめた。2007年からビデオカムや一眼レフのビデオを使って、不規則に撮影していたフィルムが次第に形を成しそうになってきたので、2009年あたりから何を方針に編集していくか、コミュニティの青年たちと、監督を引き受けてくれたイタリア人の若い映画監督とブレストを繰り返し、二方向の内容に決定、約60分のドキュメンタリーにしたものだ。もっと以前にこのドキュメンタリーについてはブログに書こうと思っていたが、いろいろな出来事が起こったり、新しいプロジェクトが立ち上がったりで、時期を逸してしまった。

「The Light of The Snow Lion」とわれわれに名付けられたそのドキュメンタリーは今年2010年の3月10日、ラサ侵攻から51年めのメモリアルデーにCasa del Cinemaというローマの映画の殿堂で満席!で放映され、喝采を浴びた。また、それはローマ市による全面バックアップでもあった。と自分が関わっているのに、喝采だなんて自画自賛のようだけれど、実際のところ、わたしは本当に、そもそもチベットの青年たちが温めていたプランを手助けをしたにすぎず、アイデアから編集まで、ことあるごとに集まって(ボローニャーローマ間を行ったり来たり)ああでもない、こうでもない、と皆で話し合ったり、意見の食い違いで小さな諍いを起こしたり、てんやわんやで漸く出来上がったものだ。しかも超低予算を勇気を持って、このまま行こう、かまうもんか、と皆でアクロバティックにクリアした。また、われわれは映像に関してはまったく素人だったから、編集途中、素人の強みで斬新すぎるアイデアをぶつけて、イタリア人の青年監督を困惑させ、やる気をそいだりもした。その長い時間の葛藤とやりくりの末、出来上がったものがローマの人々の目にふれ、ブラボーの喝采と温かい拍手をいただいたことは、わたしたちの今後の活動の、本当に強い「力」となったのだ。

このドキュメンタリーは、これから監督の青年ともよく話し合って、おそらく何らかの形でWEBにのせることになると思う。チベットの青年たちとわたしは、小規模ながら、なるべく多くの人々に観ていただきたい、という希望から、WEBが最も適したメディアではないかと思っている。少なくともイタリア語、英語の二言語、そして出来る事なら、わたしの母国語である日本語でのせたいとも考えている。なお、本篇にはコミュニティのの新代表、明確なプレゼンスと深くモティベートされた説得力で、現在のコミュニティをぎゅっとまとめるケルサン嬢も登場する。そしてもちろん、ダライラマ法王の独占インタビュー、チベットの人々へ法王からのメッセージもいただくことができました。

ところで、今日は、その本篇の前身となるトレイラーをこのブログに載せようと思っている。2008年後半から2009年にかけて作ったもので7分強、「このトレイラーだけで内容が完結したもの」という目標で試作し、Youtubeに載せていたものだ。本篇60分は*イタリアの社会にチベット文化がどのように影響を及ぼしているか、というテーマ(イタリアの医学界に焦点をしぼり)と*イタリアに住むチベット人たちの生活と本音というテーマをモザイクにして、スピーディに展開しているが、7分トレイラーでは政治的なテーマだけにしぼって、ひたすらスピーディに、強く、若々しくというトーンで走った。また、2008年の大規模な抗議活動のすぐあとだったので、そのトーンが全体に漂っており、今観ると再び胸が痛む。

イタリア語なので、映像の下に、法王の語られている言葉以外は、すべて日本語に訳して載せます。(法王の言葉は英語なので、どうか言葉を胸に抱いていただければ、と思います)本来、わたしがソフトで日本語字幕をつけるべきだが、ここしばらくその時間がとれそうになく、どうか観づらい体裁、お許しいただければと思います。

Tibetans in Italy Trailer

語り順に
S「現在、状況は悪化していると僕は思っている」
T「チベットでこんなに多くの命がけの抗議活動が行われたことが、胸に強く突き刺さったんだ」
S「状況をオプティミスティックには僕には捉えられない。むしろペシミスティックになってしまう」
T「チベットは今だって抑圧され続けている」
D『中国が世界のボスってわけでもないでしょう。世界は中国に命令されて動いているんじゃない」
T「この2、3日はまったく信じられない状態だった。電話がひっきりなしにかかってきたんだ」

ジャムヤン・ノルブ『中国はチベットを侵略したんだ。軍組織がないチベットのボーダーを超えて中国は侵略してきた」

S「中国のパワーはとてつもない。ほとんど飲み込まれるような・・・。全てを飲み込んでしまうような・・・」

カルロ「もし君たちが心から非暴力を信じ、平和を願うなら、チベットをサポートすべきだ。チベットは世界で唯一非暴力で闘う民族 なんだ」

パルデン・ギャツオ『実際、わたしの体調はそう悪くない。たとえ、何年もの長い間、中国の強制収容所で拷問を受け続けてきたとしても」

T「僕らの文化はとても豊かだ。中国のチベットへの抑圧はまったく不当なことなんだ」
カルロ「たった600万人のチベットの人々。その人口のうち120万人が虐殺された。西洋ではほとんど語られないが、これは歴然としたショーア(ヒットラーによるユダヤ人の大量虐殺を通常差す言葉)だ。

T「チベット中国当局によって逮捕されるということは、とんでもない拷問が待っている事だ。強制収容所でのひどい拷問の人生が待っていることだ」

G「チベタンコミュニティのことが知りたいの?」
TS「わたしが病院で子供を生んだとき、看護婦さんが、チベットの女の子に生まれてはじめて会ったわ、って言ったの」
T「僕たちチベット人はイタリアに約250人。各地にばらばらに住んでいるんだ」
D「ローマには約20人のチベット人が住んでるわ」
TS「わたしがチベットから来た、というとみんな微笑むの」
DY「わたしはイタリア人はとても優しいと思うわ」

ダライラマ法王

S「僕がチベット人だと思える理由はいろいろあるけれど、やっぱり何と言ってもスピリチュアルな見地から観て、ということ。それが特別なこと」

アマラ ジェツン・ペマ「法王が常に強調されてきたことは、よい人間でありなさい、ということなんです」

ダライラマ法王

T「ダライラマ法王は僕らの長であり、チベットの人々の指標。強さ。希望を代表しているんだ」
S「チベットの人々の心にはダライラマ法王がいるんだ」

カルロ「チベットにより世界を再生させようというダライラマ法王の夢は失われかけている。ダライラマ法王の心をわれわれは失いかけている」

T「ダライラマ法王はチベットの外にチベットを再建することに成功した」
S「チベット人。僕が感じるのは、僕には国がないということなんだ。僕は国を持たない男なんだ」

T「中国の人々を愛さなくてはいけない。憎んではいけない。彼らだって幸せを望み、苦しむことは嫌だと思っているんだから」
T「本当に罪があるのは中国人ではない。国家の政策だ。中国の人々には罪はないんだ」

カルロ「中国は、政治的、経済的、軍事的、すべての見地からストラテジカルに重要な地、チベットを侵略したんだ」

T「僕は中国の全体主義の政策を信用しない。嘘でぬりかためられているから」
クラウディオ「ラサはチベット人たちを野蛮だと見なす漢民族でいっぱいだ。商売人の彼らは仏教寺院から盗んだ物を売り飛ばしているんだ」

J「チベット人が世界に、世界の政府に納得させるべきことは、チベットはそもそも独立国家だったということだ」

T「僕はヨーロッパ議会の確固とした行動をを望んでいる。さもないとチベットビルマと同じような状況になる(いつしか忘れられる)」

ブルーノ「われわれは西洋が育んで来たデモクラシーにのっとって、確固とした行動を起こすべきだ」
S「もし中国は受け入れるなら、僕は完全自治(self determination)に賛成だ」

テッキオ「われわれはEU議会にリファレンダムを要求しているが、このリファレンダムによって、ようやくチベットの人々は自分たちの本当の望み、意志を自由に語るようになれるだろう」

カルロ「世界の民族、国家はすべて自由、独立、民主主義に向かっている」

T「チベットの人々は、われわれは、決して抑圧に屈しない」
(敬称略)

RENROU-human flesh seach-という現象

ネット世界を彷徨ううちに、中国に特有の現象、RENROU即ちhuman flesh seach『人肉捜査』(この江戸川乱歩の短編の題みたいな言葉は個人的に使いたくない、恐ろしい字面なので今後は使用しません)という言葉に何度か巡り会ったことがある。良くも悪くも中国でのネットパワーというのは鬼気迫るものがある、と思っていたのだが、数日前のイタリアの経済紙の日曜版エイリアスにそのRENROUについての記事が掲載されていた。中国の人々のメンタリティを考えるうえで興味深いレポートでもあったので、ちょいと要約しつつ、考えてみる。

さて、エイリアスではイタリアの人々には全く馴染みのない、この現象をいくつかの例をあげて紹介するところから記事が始まる。まず紹介されたのは、自身が猫を殺す課程を撮影するという猟奇的なビデオを匿名でWEBにアップをした人物のrenrouによる捜査。ネチズンたちはカルトな情熱でネット上に捜査線を張り、証言を集め、厳密に分析調査を繰り返したあげく、遂にはその人物とそのサディスティックな殺生が行われた場所を特定。その人物を白日のもとに晒し糾弾した。

【ところで記事を読みながらふと思い出したのは、2008年チベットで大規模抗議が行われ、オリンピックの聖火が世界じゅうで抗議を受けた年、公の民主的な場で、チベットの人々に理解を示し、中国、チベットは互いに話し合うべきだと語り、ネット上で糾弾されたデューク大学中国人留学生のこと。
↓ここに当時の記事
http://www.nytimes.com/2008/04/17/world/americas/17iht-student.1.12091641.html
国家を裏切ったと写真がネットに流れ、彼女はひどく脅迫された。上記の記事ちゅうで彼女は「自分はチベットの『独立』を支持しているわけではない。彼ら(ネットで異常に憤る人々)は自分の国を本当に愛することを知らない」と語っていた】

さらにもうひとつ例としてあげられていたのが、Wenganで起こった殺人事件。16歳の少女が川で死体で見つかり、当初殺人事件として立件されようとしたにも関わらず、警察側はある時から不自然に「自殺」説を掲げ前言を翻し捜査打ち切りを通告した。警察と平行して独自にネット上で証言を集め、被害者の生前の生活を洗い上げるなど、捜査を行っていたネチズンはその通告に不満を持ち、絶対に「殺人事件」と断定。しかも殺人者は少女の友人で政治的に重要なポストにある人物の息子だと主張したのだ。この件はネット上に留まらず、この事件に疑問を持つ500人以上の学生たちが警察署の前で抗議をはじめたのをきっかけに、やがて30000人もの人を巻き込んでの抗議に発展することになる。当局と人々がもみ合いになり、多少のけが人も出るなどのトラブルのあと、結果、当局は再捜査をせざるを得ない状況に追い込まれた。

ところで、このrenrouという現象をエイリアスでは、なるほど、という分析をしていた。

renrouに参加することは、彼らが考えるところの不道徳、不正と見なされる出来事に矛先を向け、ネット上で他人と情報、分析を共有することであり、それが例えば個人メイル、その他の個人情報をハックするような行為を繰り返しての情報収集であったとしても、参加自体が「正義」の行動であると一般のネチズンは見なしている。renrouは現代のアクティビズムのひとつの形態であると、彼ら自身は考えているのだ。

そもそも貧しさに喘いでいた国があまりにも急激なスピードで経済が発展したことにより、中国では社会に大きな歪みが生まれている。インターネットは彼らにとってその歪みを正すためのツールであり、権力者の傲慢、社会を正すという名目でさかんに利用されるが、その実、社会に溜まるフラストを解消させるためにもおおいに力を発揮している。たとえばある政治集会の写真をWEB上に載せた途端、その席で、ある官僚が吸っている煙草が100ドル(普通の煙草は1ドル弱)もするような高額な煙草、そのうえ、腕には高価な腕時計が輝いていたことにネチズンは激怒、強烈な非難が浴びせ、その官僚は将来を失った。

renrouはまた、文化大革命をも思わせる現象でもある。密告、スパイ行為、ハッキング、プライバシーという観念の欠如、公開処刑、これは中国文化の古典ともいえる現象だ。それがインターネットという自由な、個人的なフィールドで、新たに形を変え、中国人のアイデンティティとして引き継がれている。renrouは正義を追求しているというが、それは即ち不徳な権力に対する革命なのだ。そもそも正義を貫くというのは儒教的な傾向ではあるが、renrouには儒教の片鱗は感じられない。当局は常にネチズンの動きを監視し、ネット規制を強化させているが、ある教授はこう言う。「ネチズンはそれほど馬鹿じゃないですよ。次から次に規制を逃れる方法を考える。この事実から見てもrennrouは権力に常に対抗していることが分かるでしょう?」

さて、この記事を読みながら、わたしはふと考える。中国では今や現代のアクティビスムとも見なされる、このrenrouという現象を単純に文革の余韻と見なしていいものか。確かにこれはきわめて暴力的に個人を断罪する危険な現象だ。しかし、反面、権力の不正を暴く民間のジャッジとして働く場合もある。エイリアスの分析通り、密告、ハッキングされた情報をプライバシーを無視して公開する、という方法は文革と同じ傾向だが、大きく違うのは、文革のときのように明らかにプロパガンダで洗脳された人々が動いているわけではないということだ。ネチズンネチズンの社会基準、価値判断、自由意志で行動している。これは自由を渇望している市民が力を持ち始めている証ではないか。

さらに経済状況の変化など、なんらかの外因で社会に大きなうねりが訪れれば、ネット上で影響力がある人物だけでなく、ネチズンの主張が一瞬のうちに広まり、社会を変える原動力になるかもしれない。中国の現状の政治形態において、ネットの力というものは想像以上にリアルな社会に影響を与えるという構造になっているようにも感じる。ネチズンは当局の規制が強くなるほど免疫力をつけ、規制を逃れるあらゆる手段を講じる。最近当局はネットへの匿名の投稿を禁じたが、自由な発言と采配の場を求めて、ネチズンたちはそれをもすり抜ける方法を見つけるだろう。ネットというメディアを完全に規制することは不可能だ。

エイリアスによると、中国の人々は実生活で、常に誰かに見張られているのではないか、と怯えているという。中国には39、000、000の情報工作者、スパイが存在する。その数、総人口の約3%。

その言論の自由を縛り付けられている中国で、ネットという情報が『無限』に向かって膨張し続ける『人間の日常の精神活動の映し鏡』を通じて、人々が情報を共有し、次第に変わっていくのだろうとわたしは考えるし、そうあってほしい、と願っている。したがって、ダライラマ法王がTwitterで試みたチャットはその一歩として大きな意味を持つと思っているのだ。

ダライ・ラマ法王、ツイッターで中国の人々とチャット(10の質問)

さて、欧州危機のまっただ中、突然ブログを更新します。

もうTwitter上では、ダライラマ法王が王力雄氏のアカウントから中国のネットピープルとチャットをなさった、というニュースが駆け巡っているし、いくつかのメディアも取り上げていたけれど、いったいどんな内容の会話が交わされたんだろう、と思っていたところ、il sole 24 oreのサイトに詳しい記事が掲載されていた。欧州危機にもupsetせずにしっかりレポートしていて、えらい!と思った。ただ記事中、ダライラマ法王のことをil Dalaiと表記していたのに不満。北京担当のジャーナリストが書いたみたいだけど、この場を借りて、ちゃんとil Dalai Lamaって書いてくださいね、とお願いしたい。Quando scrivi di Sua Santita il Dalai lama, Non tralasciare " lama" per favore. Non e` niente carino. devi rispettare il leader spirituale tibetano anche tutti buddisti in Italia!!残りのチャットは王力雄氏のブログに掲載されるそうです。

原文はこちら↓
http://gabrielebarbati.nova100.ilsole24ore.com/2010/05/il-dalai-risponde-su-twitter-il-testo-in-italiano.html
質問と法王のお答えのみ訳します。

チベットの宗教的指導者の将来について質問します。もし猊下がいらっしゃらなくなった場合、宗教的リーダーは現在二人存在するパンチェン・ラマが引き継ぐのですか?

猊下:1969年にオフィシャルに発表したように、それを決めるのはチベットの人々です。92年にも私が持つ権威はチベットの人々が選んだ(elect)新しいリーダーに引き継ぐと強調して、その発表を繰り返しました。

猊下:私はダライラマというものは、それほど重要ではない、と考えています。生きている限り全力を尽くしますが。中国政府はダライラマについて、私の実際の存在以上に心配しています。もちろん二人のパンチェン・ラマが同時に存在する可能性はあります。しかしそれで現状が好転するとは思えません。

中国当局が選んだパンチェン・ラマ11世についてどう思われますか?

猊下:私が知っているのは、彼は仏教を学ぶ頭の良い青年だということです。彼が実際にその地位の人物に到達できるかどうか、人々はまだ疑いを持っています。

チベット亡命政府中国共産党の話し合いについて:どうしてこの10年間、何一つ結果が出ていないのですか?互いが一致しない点というのは?

猊下:最も問題なことは、中国政府がわれわれの話し合いをチベットの問題だと認識しないことです。彼らの関心はil Dalaiのみに集中しています。わたしは特別に何かをリクエストしているわけではありません。わたしはチベット文化をおおいに心配しているのです。特に宗教面と環境面を、です。

猊下:もし中国政府がXinjiang地方に問題があることを、同様にチベット全土に問題があることを認め、それを解決することに力を注ごうと決定したなら、わたしは彼らの傍で、同じ目的のために協力することを惜しまないでしょう。

猊下:しかし今のところ中国政府はチベットの再興、発展、統一ということに執着しています、それも力(power)でです。チベットは安定していると言い張っています。しかし私は安定というものは、人々の心からの信頼から生まれるのだと思います。

チベットの人々、マジョリティである漢族の人々の断絶は、いよいよ深まりつつあるようです。チベットの人々はすべて漢族の政府のせいだといいます。しかし漢族もまた、北京の政策の被害者でもあるのです。

猊下チベットの人々と漢族の関係は何百年もの昔に遡ります。互いに調和したこともあれば、そうでなかったときもあります。現在は葛藤の時期です。しかしあくまで中国政府のせいです。中国の人々のせいではありません。

猊下:主な問題は、真の現実を現実として認めないということです。Deng Xiaoping(訒小平)が提案した方法です。Hu Yaobang(胡耀邦)は多くの事を成し遂げました。最近のWen Jinbao(温家宝)の書いた(胡耀邦を偲ぶ)記事に、胡耀邦のとった方策が多く書かれています。彼らはオフィシャルな書類をまとめるだけでなく、真実というものを学ばなければなりません。

5漢族とチベットの人々が仲良くするために、何かアドバイスはありますか?

猊下:漢族とチベットの人々が同じ精神性を持ち、しっかりとしたアイデンティティを持っていれば、多くの問題は簡単に解決するでしょう。わたしは中国大陸の人とたびたび会いますが、コミュニケーションが難しいことはありません。

猊下:いつも言いますが、人間関係にはふたつのレベルがあります。まず、すべての人間は平等だということです。これは基本的なことです。そのあとに宗教、文化、言語、その他の違いがあります。

猊下: 1955年、私はが北京に滞在した際、マルキシズムを勉強しました。そこでも人間はすべて平等だと確認しました。私は強く同意します。

チベットの真の自治に関する提案では、漢族の権利についての言及がありません。もしチベット自治区が実現した場合、貴方は漢族がチベットに住む権利を認めますか?多くの漢族はチベットの真の自治の提案は一種の「独立」の形であると捉えています。またチベット自治政府漢民族に偏見を持ち、チベットから追い出すのでは、と疑っています。

猊下:わたしが生まれたところには、漢族とイスラム教の人々が住んでいます。もちろん将来はさらに漢族が増えることでしょう。しかし、問題の中心は、モンゴル人が少数民族になってしまったモンゴルのようにチベットを縮小させることではありません。自治には意味があります。チベットのある領域では、漢族の増加によりチベット文化と言語が深刻な危機に面しています。

7貴方は、チベットは平和な仏教の国と表現されますが、奴隷制を基盤に持つ社会、と中国政府が喧伝する内容とは大きく食い違います。それを示したひどく残酷な写真もあります。その見識の違いを説明してください。

猊下:1950年、チベットはまだ発展途上だったと知られています。チベットはまるでパラダイスのように美しかった、とは誰も言っていないのです。現在亡命政府に住むチベット人たちは、かつての制度を踏襲したいなどとは考えていません。しかしながら、中国政府は、過去のチベットは生き地獄のようだったと言います。これは事実ではありません。プロパガンダです。大部分のチベットの人々は同意していません。文化大革命のときも、おおいに効果があったと喧伝していましたが、今ではそれは嘘だということが分かっています。プロパガンダには力(power)はないのです。

猊下:他の例を見てみましょう。世界中の人々が1989年の6月4日に天安門で何が起こったかを知っています。しかし中国共産党政府は、いまだに何も起こっていない、というふりをしている。それそれの人々は。客観的な、そしてバランスのとれた方法で情報を得るべきです。わたしはチベット人にいつもわたしが正しいとは思わないように、と言います。物事をよく観察し、自分のアイデアで行動しなさい。そして仏教徒としても、あなたたちは物事を深く考えなければならない、と言うのです。

8もし中国政府がチベットに戻り、独立することを許したならば、どのような政治形態で行政を行いますか?

猊下チベット亡命政府は常に民主主義に基づき動いています。

9あなたは常に中国人民軍がチベットから退くようにと、中国政府を批判しています。これはあなたがたの独立のまず最初の一歩なのだと彼らは考えています。チベットに軍隊を置かないというリクエストは継続なさいますか?

猊下:わたしがチベット自治というときには、常に、次のことを明確に発言してきました。外交と国家防衛は常に中央政府に属します。

10あなたが存命の間、チベット問題は解決しないように思えます。将来に何を期待なさっていますか?

猊下中国共産党が創立した中華人民共和国の60年の間、少数民族に関する政策は毛沢東訒小平江沢民胡錦濤、それぞれの時代で大きく異なりました。したがって今現在の少数のチベット民族への政策は変化するでしょう。チベット問題は、チベット、中国政府のそれぞれ共通の利益を得られる状況を基盤に、解決することになるでしょう。

チベットにコンフィデンス!

たまにTibet Issueを解決するのは不可能、あるいは不可能に近いと思いながら活動しているサポーターが存在しているということに驚くことがある。そんなニュアンスの会話にぶつかると、わたしは、あれ〜? じゃ、何故サポートしているの? と思う。では、あなたは自ら進んで無駄骨を折っているのですか?と尋ねたくなるのだ。


基本的にわたしは無駄が嫌いだ。短い人生、たとえば接待で無理矢理自分の時間を潰す、とか、延々とどうでもいいことをチャットする、とか、そういう意味のないことは出来る限りやりたくない、と思っている。そのような無駄が嫌いで、かなりリアリストで結果を重視するわたしが、チベット問題にこうして入れ込んでいるのは、どういう形であってもチベットは『解決する』というConfidenceがあるからに他ならない。複雑な状況が絡み合い、情報を得れば得るほど悲観的になる事情ももちろん把握済みだが、過去、歴史なんてコロッと変わってきたのだ。明日のことは誰にも分からないし、シナリオ通りにはなかなか事は進まないことぐらい、ごく最近の「リーマンショック」で世界は体験済みだ。そういえば、ドバイショックもあったしね。いまに上海ショックなんてこともあるかもしれないから、投資家の人々はそろそろ逃げる用意もしとかなくちゃいけないかもしれないよ。


しかしこの中国ブームというのは、欧米の巨大投資家たちとメディア総動員で「中国、中国」と連呼して世界の期待を求心させたっていう側面もあるんじゃないのかな、とここ数年の巨大投資家インタビューなどを読んで、わたしは常々思っている。ずいぶん前から「中国はSolidだ」「中国こそ宝の山」などとその投資家たちは語っていたが、あ、ここはまだ開拓の余地あり、という感じで世界のエコノミック・コロンブスたちは新大陸を求めているのだし、このように経済界に影響する人の言葉というのは、世界のお金の流れを変えるよね。そして政治はその「お金の動き」をのろのろ追っている、という感じがする。そして今となってみると、日本のバブルも、こうやって世界の巨大投資家に煽られて形成された「幻」だったのではないのだろうか、などとも、ふと思ったりする。JAPAN AS NO.1とか、アメリカ人の学者が書いた本に本気で乗せられ、札ビラ切って、ニューヨークの不動産を買いあさり、ゴッホをせりおとし、パリのルイヴィトンは連日日本人満員御礼の時代から20年、時代なんてあっという間に変わるけれど、わたしの印象からいえば、日本はあのころに大切な何かを失った。


ともあれ、チベットに関して、近視眼的に判断するのはおおいに間違っている、とわたしは考えている。われわれは何が起こってもおかしくない毎日を、何も起こらないだろう、と勝手に予測しながら生きているが、全てのことが起こりうる確立は、実は100%なのだ。しかもここ数年、チベットの若い世代に、頭脳明晰、人格も素晴らしい、という青年や娘さんたちがぞくぞくと成長している(彼らがイタリアに立ち寄った機会に話すと、ちょっと驚く、へえ、すごいな、とね。勉学への意欲と祖国への愛情が半端じゃないから)。それも世界中に散らばり、欧米の教育を受けた、または、インドから世界を行き来する、ばっちりインターナショナルなニュージェネレーションだ。


中国当局ダライラマ法王がいなくなればチベットは自然消滅、などと皮算用しているようだが、そんな「ありきたり」な考えは、やがて身から出た錆となり、自らを浸食する。ほんと、中国の明るい未来を望むわたしとしては、中国という国をよりSOLIDにするために、チベットのダルマ(仏法)は欠かせないと思うけれどね。チベットには深い知恵を一人の人間として「体現」する、すごい文化があるということを見逃してはいけない。そしてその文化はチベットの普通の人々に支えられ、生き変わり、死に変わって受け継がれたものだ。その深い文化が生んだ「知恵の体現」を共有すれば、中国は真にSOLIDな霊的基盤のある経済に支えられた本当に世界をリードする国、になると思う。そんなチベットを懐に抱いているってことをラッキーだと思わなきゃ。頭悪いな、ほんとに。ヒマラヤの氷河が解けて大変なことになる前に、急いで、急いで。頼むよ、チャイナ。

ミラノで「人権」デー

さすがにこの数日、仕事も含め、あちらこちらを駆け巡ってくたびれてしまった。そしてくたびれてもくたびれても、目の前にある「やるべきこと」はただ積み重なっていくのみで、うんざりしている。


しかしイタリア暮らしが来年で14年めになるわたしは、だからといって自分のやりたいことを犠牲にはしないのだ。イタリアで学んだ最もよい習慣は、何より「わたしの都合」が大切だという姿勢だ。こちらに来たころは、仕事の約束なのに、「今日は娘の誕生日だからキャンセル」などと当然のような電話がかかってくると、「娘の誕生日」と「仕事」とどちらが大切なんだ、とむかっとしていたが、最近は「しかたないよね、娘の誕生日なら」と、わたしも素直に納得する。

そういうわけで、忙しいなかミラノのヨーロピアチベタンカップにも、最近開通になったばかりのイタリアの新幹線フレッチャ・ロッサ*に乗って、勇敢に日帰りで行ってきた。(*ローマ、ミラノ間、3時間という触れ込みだったが、実際は3時間30分かかった。イタリアの汽車がオンタイムに目的地に着くことは、『奇跡』である)


結果はイングランドチームが1位、イタリアチームは残念ながら参加3チームのなかで、第3位に終わってしまい、みなちょっとがっかりしていたが、それでもスイスや英国からやってきた、たくさんのチベットの若者たちがわいわい楽しんでいて、健康的でよいなあ、とわたしも楽しんだ。


そのあとは、みなで遅めの昼ご飯を食べて、チベタン・コミュニティのミーティング。イタリアチベットコミュニティの新代表ケルサン嬢の紹介や、最近の活動のスライドを観たり、欧州ダライラマ事務所代表のお話を聴いたりして、「人権」デーを過ごし、いまいちどTibet Issueの大切さを噛み締めた一日であった。


ところでローマに帰るとイタリア首相がミラノで暴漢に襲われたとのこと。精神を逸した輩が起こした事件だが、いずれにしても暴力は良くない。こういうニュースは後味が悪いね。


●さらに今日15日、火曜日のニュースをここに追加すると、騒動を起こした輩は、イタリア首相に「ごめんなさい。僕は卑怯者でした」というような手紙を書いて謝ったとのこと。したがって、とりあえずは一件落着ということだ。


ちなみに今日もローマではチベット関係のイヴェントが開かれる。チベットの写真集のプレゼンテーションだが、お友達のジャーナリスト、カルロ・ブルディリーニ氏(最近、ちょっと電話で口論したので、ごめんなさい、の意味もこめて参加)と、これまたお友達のローマのチベットの青年がスピーチするので、どんなにやることが山積みでも、やっぱり出かけるのであった。