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夢にみる空家の庭の秘密

2017-05-19 カスパー・ハウザーのテーマ

カスパー・ハウザーのテーマ



【1】「あのひとは煙草を吸う」 *1



雨の日はこころが落ち着く。
 葉の重なり具合に応じて、滴る水は耳に優しい。
ささやきあう幾つもの影。
 窓のりんかくが溶けてゆく。
いつかもこうして聴いた気がする
 枕にほほを重ねて居たとき。

 ほほに枕を感じて居るとき、
あの楽の音が響きはじめる。……
 ふと思い出す知らない街角、どうしても重ならない影
  明後日の筈なのに去年の夢に思えたりする。
水の声は耳に優しい。
 『ここ』と『いま』が溶けてゆく。
もの憂さが網目を成すとき、
 (『あの部屋』の日々を想い出すとき。)



  話さなくていい訳じゃない、でも
  今日は聴くだけでいい。
朝ごはんのお椀は洗った。
包丁は研ぎ直してあり、まな板は立ててある。
浅く漬けたしめさばは冷蔵庫で睡ってる。
  本を読んでも良いけれど、自転車の手入れをしよう
  今日は外に出なくて済む様。

  それに隠すのは好きじゃない。
  いずれぼくは話す気がする(あのひとは今出かけている)。












(〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・)












【2】固定ギアを巡る随想 *2



ぼくは小さな工房で作られた古いCicloを2台持ってる。
1台は59cm、もう1台は55だが、何故かトップは57ある。
海外の問屋の作った二枚歯のコグを入手したので、(落差を活かして)55を固定ギアに換装する事にした。
クランクはギアが決まるまで(四角軸より)スプライン式が良いだろう。
(130mmの両切りホイールは先週に低いリムで組んであった。)

問屋は『社内暖簾分け制度』を使って、道楽な者たちに好き放題やらせている。
なんでも彼らは固定ギアが好きらしく、彼らの企画する自転車は、Cyclo crossやATBでも固定ギアへの換装が可能なエンドを備えている。
『Dingle』とは、Single+Doubleだろうが、実に気の利いた意匠に思える。

   (1)フロント(ダブル)ギアの歯数差をDingleの大小ギアと揃えれば、チェーン引きの調整が不要、かつ、ブレーキパッドもそのままで良い。
   (2)Flip Flop方式の事情と異なり、後輪を殆ど外す必要が無く、出先でのギアの掛け替え時間が大幅に短縮できる。

もともと固定のトルクの太さは(立ち漕ぎを併用すれば)フリーホイールの比ではないが、これで山岳もコースから外さなくて良くなるだろう。

歯数は17/20とした。
(これは、長い下りの為に、Flop側に20丁のシングルフリーを付けておけるからである。)
(でも、殆ど使わないかも。)
彼らは本当に固定ギアが好きらしい。(ステンレスのギア板3種類のPCD、かつ一丁刻みで出しているのには感心するが、採算は取れるのだろうか?)
(多段用の)Narrow Chainを指定してくるあたりを見ても、(厚歯かせいぜい薄歯しか念頭に無い)競技車上がりとは違って好感度が大であった。
タイヤはアメクロの28cを用意した。
ぼくのCicloは当時物なので或る程度融通が利く。……固定固有の弱点*3であれ、エアボリュームで逆手に取るなら『それはそれで楽しい』だろう。






木戸を静かに軋らせて、納屋に入り、ラックからCicloを降ろした。
この納屋は戦前に建てられたとても古い別棟で、当時は馬小屋として使われていたらしい。
   (『可哀相な馬』の暮らしが、ふと脳裏に蘇った、それが何故かは判らなかったが。)



 雨の日の納屋の空気は、いつも薄荷の匂いがする。
土間の黒土は鈍く輝き、造作は想いに沈み、しっくいの壁に沿って馬具や農具が掛けられている。
平鍬と備中鍬は現用品より五割は大きく、鉄の部分は赤い塗料で(素人目にも雑に見える)刷毛塗りが施されている。
鍛冶が鉄から打ったのだろう。
当時は貴重な財産であり、野良で草に紛れても見つかる為に塗ったのだろう。
   (海老鉈はぼくも時々使う。
   重ねた鋼が縞模様を成し、片刃は細工もかなり出来た。
   柄は無骨だが手に良く馴染んだ。)



『彼』はぼくに気づいたらしく、敷物の上で半身を起こした。――
彼は黒いsight houndで、ぼくが名づけたその日から、ぼくと共に暮らしてる。
『名』は、必要としたその時に、独りでに口から響いた。……きっと予め彼の為に準備されていたのだろう。
彼の父祖(ふそ)Tesemであり、その顔貌と立てた耳は天秤を持つ者に似る。
驚くほど脚が速いが、もの思いに耽る時は敷物の上を好むらしい。

彼はあまり吼えたりしない。
吼えたときは大概後で思い当たる節があった。
彼はとても勘が良く、ものごしは穏やかで、過程は常に『着実』だった。
ぼくに恩義を感じるらしい。(でもそれはお互い様だ。)
彼はぼくに手を差し伸べた。
謁見に臨むつもりで、彼の前に片膝を着く。
手に彼の手を重ねると、硬い爪が肌に触れる。
ざらざらした足裏と短毛の綾を透かして、二つの温度が脈打ち始める。
彼は神妙な顔をして(或いは何かの機微を湛えて)そのおもざしをぼくに向ける、
ぼくの眼を見つめたまま、ぼくの為すに任せてる。
そのまなざしを意識すると、或る気遣いが伝わって来る。
   (いつか天秤が微かに揺れる。……厳密な作法に則り、彼は仕事を始めるだろう。)

彼はつと体を伸ばした。(その舌が顔に触れると、感覚がいつも溢れる。)
ぼくの鼻先が乾いているのが残念でならないらしい。
世界が匂いで計られる以上(永遠の相を懐かしむのなら)『導通』が取れていないのは心得に反するのだろう。
ぼくは彼の隣に座った。
彼の木箱に並んで座り、ウールのサイクリング・ジャージ越しにわき腹を彼のそれに押し付けた。
粗く刻む呼吸を感じて、互いに顔を見合わせる。
ぼくたちは対等だ。
いずれ時が来たのなら、ぼくたちは再会する。(―― 片言を交わす位は出来るだろう。)






……ドロップハンドルの来歴は、金属管の曲げ加工の発達の過程と重なる。
当時物のカーブを見ると、工房に置かれたベンダーと冶具の仔細が伺われて興味深い。

ハンドルはSunoriente*4をいつも使う。GloriosoとDIXもよく使う。*5
現在Sunorienteは純競技用機材としては認識されていないらしい。
だが、先の問屋をはじめとして、他国の自転車愛好家の間では、信頼に足る銘柄として常に一定の支持を獲得している。
一部には熱狂的なファンも居る。
或る工房はSunorienteの工場の制帽をいたく気に入り、彼らのオンラインショップの品目に加えた位だ。
この会社の製品は、(伝統的に)カタログで見ただけでは判らない良さがある。
実際に手に取るとはっとさせられる質感があり、それは彼らの(廉価版を除く)全ての製品に一貫している。
数値上の軽量化には決して興味を示さないのも好ましい。



ハンドルの呷り加減とフーデッド・レバーの位置を何通りか試していた時、背中に彼の視線を感じた。
びんの蓋を開けたままのルブの匂いを感じたのだろう。
ぼくは床にウエスを広げた―― 仮に手を滑らせても、落ちた工具が耳障りな音を立てぬ様。
彼はいつも勘が良い。(ぼくの意向に気づいただろう。)
或る一定のリズムを刻んで息遣いが脳裏に響く。
しなやかに揺れる尾が静寂をかき混ぜる。
彼とぼくは対等であり、お互いを良く知っている。
彼は風と戯れるのが好き。
彼のお気に入りの場所―― 細長い木箱の上にはぼくが敷物を用意した。
雨足は未だ疎らにならない。
夜半に掛けて止むのなら、あの(物言わぬ)闇の中で、濡れた緑は輝くだろう。
しののめの移ろいにつれ稜線が輝くのなら、彼は遠出を望むだろう。……でも
(昼頃までに戻る予定で)新しいサドルの上でギアを掛けて過ごしたい。
朝露の残る山道を抜け、霧の向こうを眺めたい。



未だ通った事の無い道、
未だ見た事の無い景色。――
終わりの無い坂道を経て、どんな想いも届かぬ場所へと。
手狭さも今は感じず、ゆき過ぎる時のかたへで目を開けたまま睡りに沈む。
壁に囲まれた大海を渡り
この世には無い筈の(ここ)、絶えて光の差さぬ(そこ)へと。―― でも
何故この場所に着いたのだろう?
ぼくを想う彼のまなざし。
ぼくが行くことの無い場所は、(今後)幾つくらいあるのだろう。
雨の国と干乾びた土地、立てた耳と揺れる面影、濡れた鼻先と輝く地平、……そして
つい先達てまでぼくの世界に居なかった筈の『ひと』。
この暮らしむきに雨が降る都度、あの部屋のことを思い出す。
あの『とき』の声を聴きながら、この『いま』を遠く眺める。












(〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・)











【3】憂鬱な月曜日



   『バーテープを巻き終えたら、母屋に戻る頃だろう(彼とそれからぼくたちの夕食を準備する為に)。』

   彼はしきりに言いきかせていた。

   (―― そう。
   (あの日、ぼくの中で誰かが死んだ。)
   (ぼくにとてもよく似た誰か―― ぼくのものごころと同じ位、古くからよく知る誰かが。)
   (そうだとばかり思っていた。)
   (それは本当にぼく以外の誰かだったのか?)

   (それでもバンドは終わらなかった。)
   (これまでに無い苦労を通じて(運命の徒らだろうか)思いも因らぬ出来映えの一曲が仕上がった。
   (その後は(永遠とも感じられる程の)長く続く不毛な日々が待っていた。
   (けれども(有ってはならない事に)名声は増して行った、以前には予想する事さえ出来なかった程の名声が……)
   (でも、そういうものかも知れない。)
   (彼らは『生』を選んだのだった
   (例え後日のひとときが、今、「悔恨」にその身をやつして、絶えず何処かでささやく事になろうとも……。)







D

*1:「ノヴァーリスの日記」より。

*2:「Sunday in hell」https://goo.gl/oHgNCt

*3:ギャップ通過時の衝撃の緩和が困難であること。

*4:日東

*5:栄とDixna

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