Wikipediaに関するライトニングトーク ( ..)φ
ARGカフェ、當山日出夫さんのライトニングトーク、
當山日出夫(立命館大学GCOE(DH-JAC))
「学生にWikipediaを教える−知の流動性と安定性」ARGカフェ(01)Wikipedia ― 2009-02-22 やまもも書斎記
について、( ..)φ。
「ノート:天皇陵」を見たら、私もコメント入れてました。ウィキスキャナでもめてたのは2007年の夏でしたか。あれからもう、1年半以上たったのね。
Wikipediaにおける「知」の安定性・流動性、について考えよう。これは、そこに書いてあることが正しい(間違っているか)とは、別の次元のことがら。
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/02/22/4135195
すばらしい着眼点だと思いました。時間がたつにつれ良くなると思いたいけど、秀逸な記事(英語版では"Featured Articles")などには、秀逸に選ばれた時点の版が一番良かったのではないか・・・と感じるものもあります。ドイツ語版では、Flagged Revisionというエクステンションで、新しい変更が最新版に反映される前に、チェックを受けるシステムが用意されています。
でも、でもですね、この項目、2007年にも「天皇陵」だったはずです。「天皇陵」の履歴見ても、「陵墓」の履歴見ても、改名の痕跡はありません。
いとも簡単に移動したり、名称が変わったりする
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/02/22/4135195
まあ、それは、おおせのとおり。
先日も、「ルイ・カーン」か「ルイス・カーン」かでおおもめにもめて、結局、「いよいよとなったら、投票で(=つまり多数決で)決めるしかありませんが、暫定的にこうしませんか」と、やっとこさ「ルイス・I・カーン」に軟着陸したばかりです。
個人個人、それぞれ思い入れがおありのようで、項目名に対する執着は驚くほど強い場合があり、こじれると、最悪の場合は他者との対話拒否などで投稿ブロックにつながる場合すらあります。
古くは「メッカ」vs「マッカ」、最近では「サラエボ」vs「サラィエヴォ」のように、分野により標準的表記が異なる場合は容易に結論が出ません。