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<ヒトリタビその1>
今回のタビで多くの人に出会った。
でも、これほどまでに「世界って意外とちっちゃいんだなぁ…」と思ったことはなかった。
ヨルダンの死海は諦めて、4JD(約600円)でバスに乗りアンマンを目指し、俺はCliffホテル(例のイラク人質事件で有名なった人や殺害された人が泊まったところ)に泊まることにした。
人質事件や殺害事件で日本メディアに引っ張りダコになった、あのサーミルさんがすっきりとした笑顔で出迎えてくれた。
(ねえ知ってる?8号室は香田君が泊まってたんだってさ)
ヨルダン入港前に出会った日本人から聞いていたことを思い出してから、すごく不思議な気分になった。
「ここからバグダッドを目指したのか…」
でも俺は俺。自分のタビをしに来たのだから、深く考えるのはやめよう。
エジプトでは「海外に来てるのに、あんまり日本人に会わなくてもいいな」って考えてたし、結局誰とも話さず、シングルに閉じこもっては寝るか本を読んだりするのが多かった。
「こんなんじゃダメだ」
でも、その日はちょっと違った。いつもの日課だった日記や小説を読むのをやめて、俺はベッドから降りて憩いの場となっているリビングへ向かった。
ソファには3人の日本人が腰をかけ、会話に花を咲かせていた。俺は膨大な情報ノートに目を通しながら、話に入るタイミングを伺っていた。
「ネスカフェは好きですか?」
すっかりコーヒーの代名詞として定着してしまっているこのネスカフェをサーミルさんが一杯作ってくれたお陰で、すんなり彼らの話の輪に入ることができた。
「日本人ですか?」
「ええ。日本人ですか?」
「いいえ、エジプト人です(笑」
そこで出会った同じ年の大阪院生ユウサク君は、俺と同じトルコを目指す北上組だった。お互いにエジプトをタビしたので、いろいろと会話が盛り上がった。遺跡のこと、行った都市のこと、今まで旅してきたところなど。日本語で話せるから、シェアできる情報も今まで以上に大きなものになった。
その夜、ホテルの日本人皆と地元のビールで杯を交わした。その場面には、いかにもジャーナリストという感じのベストを着こなし、その通りにフリーで活動している人がいた。
「今ってイラクにはジャーナリストっています?」
「いやぁ、今は当事者にとっては政治的なかけひきに利用されるでしょ。だからジャーナリストは恐らく皆無じゃないかな。昔はねー当事者にとったら関係ないってかんじだったけどね」
「イラクには行かれたことはあるんですか?」
「うん、ちょうどね橋田さんが殺害される前にイラクに滞在していて、ここアンマンに戻ってきてから殺害されたって聞いたんだよね。やっぱり動揺したね」
「仕事にやりがいを感じます?」
「うん、ていうよりこの仕事好きじゃないとできないね。年収もせいぜいよくて200万くらいだよ(笑」
この人も今イラクで何が起こっているのかを少しでも知る為に、ここアンマンに来たのだろうか。もちろん、我々も知る権利があるし誰かが真実を知らせる義務がある。
でも、イラクではブラックボックスのように中で起こることが見えにくいから、多くの人が魅了されてしまうのだろうか。イラクには見る価値に等しい遺跡もあるそうだ。でもこの国に本当の平和が訪れるまで、いつかはわからないがこの足で踏み込むことができたらと思って止まない。
さて、互いに行き先が違うということでユウサク君と握手をして別れたが、どこかでまた会いそうな気がして全然寂しくなかった。
俺はこの日を境に別れる時はいつもこう言った。
「またどこかで」
決して運命とはわからないものだが、どっか再会することを願ってその日は眠りについた。
(続く...)