劇場版『けいおん!』届く。で、真っ先に絵コンテにかぶりつく。キーワードが「かわいい」だけあって随所にそういう指定が。ロケ写真がまんま貼り付けられてて、あーやっぱりと思う。明確に「一期OPから」など過去からの引用指定も納得。


劇場版『けいおん!』絵コンテ。アクション指定が意味なさないくらいコマ切りが多い。あずにゃんが布団かぶるトコで4コマもある。「絵で説明する」類のコンテ。山田尚子さんも石原立也さんも動画畑の人だから、まあ納得。


読んで確信したのだけど、「ある表現を狙った効果」という指定、確信的な言葉が殆ど無い。ていうか全くない。やはり「なんかありそうなんだけど、作り手はあんまり大した事考えてないんじゃないか」という予想は当たってたぽい。


彼女たちのいる風景をただただ執拗に「きれいに!かわいく!」仕上げた結果この作品が生まれたのだと分かった。EDコンテまであるので大変嬉しい。しかしまあ、映像のメソッドとして「真似してはいけない例」の一つであることは間違いない。


ロケ素材を使えるところはそれだけで繋いでしまうという。もうなんというか、酷い。精巧な絵さえ見せれば観客が満足するんじゃないか、という力技。回想の指定が多く、「一期12話の私服、二期15話マラソンのシーン」など非常に細かい。(多分これ石原さんパート)


随所に見られる「生っぽく」という指定に戦慄する。それで通じる現場というのが既に恐ろしい。


まあ、そんなわけで京アニというスタジオは「伝えたいこと、言葉を様々な記号表現に置き換えて映像を作る」象徴的な演出が出来ないというよりする気が無いスタジオなんだなと再認識。よって『氷菓』の印象が「微妙」から「割とどうでもいい」になった。


なんだろうな。コーエン兄弟の『バーバー』みたいに、この場面は何を意味しているのか、探せばちゃんと記号が配置されてる映像に慣れてしまうと、この手の作品は本当に辛かったりする。


【蒙が啓けた】 『けいおん!』は自然主義


「ありのまま」であるために、彼女達が自然のままでいられるために、作り手の意図やそれに類する様々な雑音をあえて排除し、描かない。何故ならこれは「ありのまま」の作品であるからだ。なんだこれは。


かといって自然主義=環境映像となる訳ではない。