鈴木智之著『「心の闇」と動機の語彙 犯罪報道の1990年代』(2013)メモ

神戸連続児童殺傷事件など、1990年代の犯罪事件の新聞報道を追い、「心の闇」という言葉が犯罪や「犯人」と結び付くことで、私たちの社会に他者を排除するモードをもたらしたことを明らかにする。そのうえで、他者を理解し関係を再構築していく方途を示す。

はじめに
第1章 「心」を「闇」として語るということ
 1 犯罪報道と秩序意識
 2 「動機の語彙論」という視点
 3 動機をめぐる問いの焦点としての犯罪
 4 「逸脱の文化」の消失と「心の闇」言説の浮上――一つの仮説的視点
 5 「動機規則」の適用――理解可能なものと不可能なものの一線を引く行為
第2章 「心の闇」の浮上――酒鬼薔薇事件(一九九七年)までの新聞報道から
 1 「闇」として語られ始めた「心」
 2 露出する闇――地下鉄サリン事件(一九九五年)
 3 解き明かされざる「闇」――酒鬼薔薇事件(一九九七年)
 4 「心の闇」の修辞学
第3章 「動機」が「わからない/わかる」と言うこと――「酒鬼薔薇聖斗」をめぐる大学生たちの語りから
 1 「心」は本当に「闇」のなかなのか?
 2 「「どうして」を教えて」――ある新聞記事に基づく〝問いかけ〟の試み
 3 動機がわかる/わからない、と語ること
 4 なぜ「動機はわからない」のか――動機規則の構成
 5 自己提示の方法としての〝わからない/わかる〟と言うこと
 6 代替的な説明言語の要求
第4章 「心の闇」の定着――一九九八―二〇〇〇年の新聞報道から
 1 リンクの広がりとイメージの定型化――一九九八―九九年
 2 母親たちの「心の闇」――音羽幼女殺害事件(一九九九年)
 3 「十七歳」の「心の闇」――二〇〇〇年の「酒鬼薔薇フォロワー」たち
 4 「心の闇」の行方――法改正の動きのなかで
第5章 対話としての動機の語り
 1 〈他者〉との遭遇
 2 「物語モード」と「論理―科学的モード」
 3 「起動原因」と「構築原因」
 4 疾患カテゴリーが動機理解に取って代わるときに起こること
 5 秩序意識の変容
 6 物語の力を呼び戻すために

三浦哲哉著『サスペンス映画史』(2012)メモ

サスペンス映画史

サスペンス映画史

「ひとは何を求めて映画を見るのか。自由の幻想を求めてである、という答えが第一にありうるだろう。(…)しかし、それだけではない。自由ではなく不自由の体験を観客に与えようとするフィルム群があることは、誰しもが知るところであるだろう」
 “サスペンス”とは、宙吊りの状態、未決定の状態に置かれること。登場人物および観客をもそんな状態に巻き込むのが、サスペンス映画である。ひとはなぜ自らすすんで、そんな不自由と恐怖を求めて映画を見るのか。
 感情移入とカタルシスに基づく説話論的サスペンス理解を超えて、確かな足場のない宙吊りの不安、さらには不安がもたらす魅惑を、サスペンス映画はさまざまに組織し、洗練し、そして継承してきた。
「不安が最終的に解消されることなどけっしてなく、(…)ヒッチコック的な眼差しを経由したいま、日常は、映画館の外においても、つねにすでに犯罪を抱え込んだものとして現れる」
 グリフィス、セネット、キートン、ラング、ウェルズ、ターナーヒッチコックスピルバーグからイーストウッドまで、斬新な映像分析、小気味よい論理展開、息づまる(映画的な)場面描写によって、新たな映画の見方を提示する。表象文化論の新鋭による、読み物としても第一級の映画史。

序論
第一部 モビリティー
第一章 サスペンスの始まりとグリフィス
一 チェイス・フィルムと予定調和の問題
二 『ドリーの冒険』から並行モンタージュへ
三 離散と回帰のメロドラマ
四 現在からの逸脱
五 サスペンスのパラドクス

第二章 バーレスクとモダン・エイジ
一 マック・セネット
二 身体の機械化
三 行動主義心理学バーレスク俳優
四 不適応の諸様式──ロイド、チャップリンキートン
五 サイレント時代の終焉

第三章 フリッツ・ラングと二つの全体主義
一 都市のサスペンス
二 マブゼとM
三 ハリウッドの全体主義
四 説話的サスペンスとエルンスト・ルビッチ
五 ハリウッド時代のラング

第二部 めまい
第四章 主観的サスペンスとジャンル化
一 サスペンスのジャンル化
二 オーソン・ウェルズ─―光学とメディア
三 ジャック・ターナー―─境界と闇
四 知覚の宙吊りと主観ショット
五 投射の罠

第五章 ヒッチコック的サスペンス
一 客観的サスペンスと主観的サスペンス
二 予兆と平面
三 観客の場所
四 らせん
五 幻滅

第六章 ポスト・ヒッチコック
一 古典的スタジオ以後
二 スペクタクル時代の諸要素
三 SFサスペンス
四 収束
五 クリント・イーストウッド

映画 1+1

映画 1+1

ドゥルーズ・映画・フーコー

ドゥルーズ・映画・フーコー

映像と身体―新しいアレンジメントに向けて

映像と身体―新しいアレンジメントに向けて

p.40「自律的な断片が、断片のままで統合されるのは、画面のグラフィカルな反復の力によってである。そして反復は、ただアナロジックな統一性だけではなく、照応されるイメージの間の微細な「差異」を際立たせる」
p.50「メロドラマの物語は、グリフィスにおいて、失われた南部の主題と強く結合している。彼の父は南軍の大佐であった人物で、グリフィスは彼を典型的な南部人として回顧している。その自伝によれば、彼の父は一家団欒の場でしばしば南軍の勇壮な逸話の数々を語り、少年だった彼に強い印象を残した。グリフィスは、終生、南部人としての出自を強調し、再三にわたりその神話化に与してきた。失われた融和の場所、寛容な伝統主義、騎士道精神と貞操観念によって飾られた楽園として、南部は美化された。逆に、北部人たちが作った近代的アメリカを、グリフィスは腰を落ち着けることのできない異境と捉えた。この点はグリフィスのサスペンスを理解するうえできわめて重要である」
p.59「ノエル・キャロルはこのパラドクス(「未決定の状態によって観客を緊張させるはずのサスペンスが、結末が決定されていてなお可能であるのはどうしてか」という「サスペンスのパラドクス」)を取り上げて、その解決のために、「ちしき」(knowledge)と「想定」(thoughts)の区別を提案している。物語上、何が起きるかということをすでに知っていることを「知識」とし、物語をいままさに生きている登場人物の立場に身を置いたつもりになることを「想定」とするならば、両者は異なる水準にある。サスペンスは「想定」から生まれる。観客は、登場人物がある特定の現在を、驚きながら経験しつつあるものと「想定」することで、何度でもサスペンスの感情を掻き立てられる」。しかし「知識」をもつことで「想定」は困難になるのではないか。キャロルはそれを問うていない。
p.59「観客が登場人物の生きる現在に同期することで、それを不確定であると「想定」することがサスペンスなのではない。滅びることが決定されている時間の相と、それをまた現在において生き直す時間の相が重ねられるがために喚起される観客の依るべなさの感情こそ、グリフィスのサスペンスなのだ」
p.120「はじめに要約するならば、それ(ルビッチとは異なるラングの戦略)は、ハリウッドのある種の全体主義をフィルムの構成そのものが厳密に模倣し、誰よりも完璧に説話論的経済性の高い映画を作りつつ、それをそのまま「加虐性」の相に転化することだった」
p.122「観客=弾劾者というこの図式は、視線劇の構成にきわめて巧みに組み込まれる。『暗黒街の弾痕』には、逃げる主人公二人をライフルの照準の見た目で捉えた名高いショットがあるが、ラング自身が語るところによれば、この手法は彼の説明である。観客がいま現に見ているものが、殺人の見世物でえあり、それが数学的な正確さで遂行されるだろうということ、しかも観客が自ら望んでそれに立ち会っていることをあからさまに示す点で、このショットはラング的なセノグラフィーの典型であると言えるだろう。同様のショットは『マンハント』(1941)の冒頭、秘密工作員ヒトラーをライフルで狙撃する場面でもきわめて印象的に用いられている」
p.126. まとめ。30年代アメリカ映画にて過激な資格表現の禁止により説話論的経済性を獲得。サスペンスは、1.秩序遵守的な説話的サスペンス、2.秩序とシニシズム的な距離において開かれるルビッチ的サスペンス、そして秩序の強制力そのものを対象化するラング的サスペンスの3つの戦略をとった。
p.133「40年代に起きたのは、「サスペンス」の名が、「メロドラマ」ないし「スリラー」かっら独立するプロセスである」
p.134「サスペンスというジャンルの第一の特徴は、「効果」から出発するという、いわば「効果至上主義」にこそある」
p.139,169(11)
映像/言説の文化社会学―フィルム・ノワールとモダニティ (現代社会学選書)

映像/言説の文化社会学―フィルム・ノワールとモダニティ (現代社会学選書)

p.148「ウェルズ映画における疑惑の主題は、古典的な探偵映画(ex.チャップリン[引用者注])におけるそれとははっきり異なる。探偵小説に範をとり、観客が探偵とともに謎解きのゲームに参加する場合、その謎は、多くの場合、やがて開示される解答の影であるにすぎない。どこかに正解があることだけは疑われていないのだ。だがウェルズにおける疑惑は、ゲームのフレームそのものを見失うことによる崩壊感覚の所産である」
p.160,171(32)
映画というテクノロジー経験 (視覚文化叢書)

映画というテクノロジー経験 (視覚文化叢書)

p.163, 172(37)
B級ノワール論――ハリウッド転換期の巨匠たち

B級ノワール論――ハリウッド転換期の巨匠たち

p.179「隠すために晒すこと」ヒッチコックの論理。
盗まれた手紙

盗まれた手紙

p.218, 271(8)遠山純生「合衆国映画の復興期」【リンク
p.220「とくに第一部で論じた「客観的」なサスペンスには、そのヴァリエーションを貫く一つの特徴があった。機械装置との親和性である。グリフィスの自動車と銃と電話。セネットの機械トリック。さまざまな仕方で表象されるそれら機械装置との結びつきを通して、サスペンスは、時間の不可逆性を感覚化し、絶対的な受動性へと到達する。スペクタクル的な映画におけるスローモーションが、いかに安直に使用しうるものだといえども、やはりサスペンスの核心に届いているという印象を喚起するのはこの理由による。始原的な機械性の相において、イメージの運動と、そこへの介入の不可能性が示されるからである」
p.238「ヒッチコックにおいて問題だったのが、日常のただ中にいかにして死体を置くかだったとするならば、スピルバーグにおける問題は、すべてがすでに死者である世界においていかにして懐疑的な生を回復させるかであると言えるだろう」
p.266「実話を題材にしたこの映画(『チェンジリング』)は、こうして解決しないまま、雑踏の群衆に交じってゆく母親の小さな後姿を見守るロングショットによって閉じられる。閉じられるというよりも、ロサンゼルスという現実へ合流する印象が与えられる。登場人物たちは、フレームの彼方へ、見えないものの領域へ移行する」※『アメリカン・スナイパー』のラストシーン。クリス・カイルの後姿から、彼の葬儀セレモニーを映した実写映像に至るエンディング。

都甲幸治著『21世紀の世界文学30冊を読む』(2012)メモ

21世紀の世界文学30冊を読む

21世紀の世界文学30冊を読む

ポール・オースタートマス・ピンチョンからミランダ・ジュライ、ジュノ・ディアス、そしてアフリカ、中国、ラテンアメリカ、旧ユーゴスラビアの作家まで。未訳の同時代小説をいち早く読み、紹介してきた著者による、明快にして刺激的な世界文学ガイド決定版。ジュノ・ディアスの未邦訳短篇「プラの信条」を特別収録。


1 オタクの見たカリブ海――ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』
2 切なさのゆくえ――ミランダ・ジュライいちばんここに似合う人
3 ミニマルな青春――タオ・リンアメリカンアパレルで万引』
4 南米文学を捏造する――ダニエル・アラルコン『蝋燭に照らされた戦争』
5 アメリカに外はあるのか――ジュディ・バドニッツ『素敵で大きいアメリカの赤ちゃん』
6 心の襞を掴む――イーユン・リー『黄金の少年、エメラルドの少女』
7 沈黙の修辞学――マイリー・メロイ『どちらかを選ぶことはできない』
8 文明の外へ――ピーター・ロック『捨て去ること』
〈コラム〉天才助成金
II
9 お笑いロサンゼルス――トマス・ピンチョン『LAヴァイス』
10 オースターの新作が読みたい!――ポール・オースター『写字室の中の旅』
11 命を受け継ぐこと――ドン・デリーロ『墜ちてゆく男』
12 引き延ばされた時間――ドン・デリーロ『ポイント・オメガ』
13 監獄としてのアメリカ――フィリップ・ロス『憤慨』
14 世界の始めに映画があった――スティーヴ・エリクソン『ゼロヴィル』
〈コラム〉作家への道
III
15 サラエボ幼年時代――アレクサンダル・ヘモン『愛と困難』
16 アメリカの内戦――アレクサンダル・ヘモン『ラザルス計画』
17 心の揺れを捉える――チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『なにかが首のまわりに』
18 外国で生きるということ――ハ・ジン『すばらしい墜落』
19 もう一つの日本――カレン・テイ・ヤマシタ『サークルKサイクルズ』
20 動物としての人間――J・M・クッツェー『悪い年の日記』
21 さまよえるファシストたち――ロベルト・ボラーニョ『南北アメリカのナチ文学』
〈コラム〉英語圏の雑誌あれこれ
IV
22 バカの帝国――ジョージ・ソーンダーズ『説得の国で』
23 熱帯の魅惑――デニス・ジョンソン『煙の樹』
24 いてはいけない人々、いってはいけない言葉――リン・ディン『偽の家』
25 これは小説ではない――リディア・デイヴィス『嫌なこといろいろ』
26 認識できない恐怖――ブライアン・エヴンソン『遁走状態』
27 他なるものに出会う――ジム・シェパード『わかっていただけますよね』
28 ノスタルジーの国への旅――マイケル・シェイボンユダヤ警官同盟
29 B級小説の快楽――ジョナサン・リーセム『あなたはまだ私を愛していない』
30 街のにおい――ダン・ファンテ『安酒の小瓶 ロサンゼルスを走るタクシードライバーの話』
〈コラム〉アメリカ・イギリス・アイルランド文学賞

[特別収録]訳し下ろし短篇
 「プラの信条」ジュノ・ディアス著/都甲幸治・久保尚美訳

イー・イー・イー

イー・イー・イー

ロスト・シティ・レディオ (新潮クレスト・ブックス)

ロスト・シティ・レディオ (新潮クレスト・ブックス)

レプブリカとグラウの交差点:南米新世代作家コンピレーション(1)

レプブリカとグラウの交差点:南米新世代作家コンピレーション(1)

空中スキップ

空中スキップ

墜ちてゆく男

墜ちてゆく男

スティーヴ・エリクソン『ゼロヴィル』の元になった短編「ゼロヴィル」所収。「世界のはじめに映画があった」
モンキー ビジネス 2008 Summer vol.2 眠り号

モンキー ビジネス 2008 Summer vol.2 眠り号

愛と障害 (エクス・リブリス)

愛と障害 (エクス・リブリス)

熱帯雨林の彼方へ

熱帯雨林の彼方へ

夷狄を待ちながら (集英社文庫)

夷狄を待ちながら (集英社文庫)

2666

2666

短くて恐ろしいフィルの時代

短くて恐ろしいフィルの時代

煙の樹 (エクス・リブリス)

煙の樹 (エクス・リブリス)

ジーザス・サン (エクス・リブリス)

ジーザス・サン (エクス・リブリス)

血液と石鹸 (ハヤカワepiブック・プラネット)

血液と石鹸 (ハヤカワepiブック・プラネット)

話の終わり

話の終わり

14歳のX計画

14歳のX計画

ユダヤ警官同盟〈上〉 (新潮文庫)

ユダヤ警官同盟〈上〉 (新潮文庫)

勝手に生きろ! (河出文庫)

勝手に生きろ! (河出文庫)