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Motoharuの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-04-24

北田暁大, 解体研編著『社会にとって趣味とは何か―文化社会学の方法規準』(2017)

来るべき文化研究の方法規準とはいかなるものか? 気鋭の社会学者たちが問う。ブルデューの遺産を乗り越え、「ふつうの社会学」へ。

はじめに 社会にとって「趣味」とは何か─テイストをめぐる文化社会学の方法規準(北田暁大)
第1部 理論篇 テイストの社会学をめぐって
 第1章 テイストはなぜ社会学の問題になるのか─ポピュラーカルチャー研究におけるテイスト概念についてのエッセイ(岡澤康浩)
 第2章 社会にとって「テイスト」とは何か─ブルデューの遺産をめぐる一考察(北田暁大)
第2部 分析篇1 「読む」─テイストはいかに作用する/しないのか
 第3章 読者たちの「ディスタンクシオン」─小説を読むこととそれが趣味であることの差異をめぐって(岡澤康浩・團康晃)
 第4章 ライトノベル、ケータイ小説、古典小説を読む若者たち──ジェンダーとオタク/サブカル自認(岡沢亮)
 第5章 マンガ読書経験とジェンダー─二つの調査の分析から(團康晃)
第3部 分析篇2 「アイデンティティ」─界を生きる
 第6章 「差別化という悪夢」から目ざめることはできるか?(工藤雅人)
 第7章 「おたく」の概念分析─雑誌における「おたく」の使用の初期事例に着目して(團康晃)
 第8章 動物たちの楽園と妄想の共同体─オタク文化受容様式とジェンダー(北田暁大)
Invitation 「趣味の/と文化社会学」のためのブックガイド
あとがき 「ふつうの社会学」のために(北田暁大)

26, 43, 331 磯「ブルデューにおける界概念―理論と調査の媒介として」『ソシオロジ』53-1号, 2008.
34 小泉『音楽をまとう若者』難波『族の系譜学』神野『趣味の誕生』『百貨店で趣味を買う』

音楽をまとう若者

音楽をまとう若者

族の系譜学―ユース・サブカルチャーズの戦後史

族の系譜学―ユース・サブカルチャーズの戦後史

趣味の誕生―百貨店がつくったテイスト

趣味の誕生―百貨店がつくったテイスト

35, 43, 336 小田部「趣味の基準」『西洋美術史』

西洋美学史

西洋美学史

38, 330 長谷「分野別研究動向(文化):「ポストモダンの社会学」から「責任と正義の社会学へ」」『社会学評論』57-3号. 【リンク
42, 44, 329 ゴフマン「面目-行為」『儀礼としての相互行為』

43, 44, 334 松永「なにがおしゃれなのか―ファッションの日常美学」『vanitas』vol.4.



76, 124, 28, 333 前田他『ワールドマップ エスノメソドロジー

エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)

エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)

78, 124, 31, 332 北だ「社会学的忘却の起源」『現代思想』43-11号.
78 「[2-1] 象徴闘争(卓越化)…
[2-2] しかしそうすると、」
79, 333 Lynch『エスノメソドロジーと科学実践の社会学』

79, 327 Bloor『ウィトゲンシュタイン―知識の社会理論』

ウィトゲンシュタイン―知識の社会理論

ウィトゲンシュタイン―知識の社会理論

85, 124, 35, 331 片岡「階層研究における「文化」の位置」『』
85, 125,36 河村, 2013.


137, 157, 339 山中『ライトノベルよ、どこへいく』

ライトノベルよ、どこへいく―一九八〇年代からゼロ年代まで

ライトノベルよ、どこへいく―一九八〇年代からゼロ年代まで

142, 339 Zeisel『数字で語る』

数字で語る―社会統計学入門

数字で語る―社会統計学入門

142, 158, 333 ラザースフェルド『質的分析法』

質的分析法―社会学論集

質的分析法―社会学論集

148, 158, 337 高橋『マンガでわかる統計学

マンガでわかる統計学

マンガでわかる統計学

164, 339 山中「受容と供給の欲望」『ライトノベル研究序説』

ライトノベル研究序説

ライトノベル研究序説

165, 332 紅野「『文学場』と階級をめぐって」宮島・石井編『文化の権力―反射するブルデュー』

文化の権力―反射するブルデュー

文化の権力―反射するブルデュー

181, 331 池上「社会学におけるマンガ研究の体系化に向けて」『応用社会学研究』55号, 2013.
池上「メディア研究とオーディエンス・アイデンティティ」『マス・コミュニケーション研究』84号, 2014.

ピーター・ブラウン著『貧者を愛する者―古代末期におけるキリスト教的慈善の誕生』(2002=2012)

今日もキリスト教社会で高く評価される美徳の一つ「貧者への愛」。それは紀元4‐5世紀に誕生し、キリスト教会を中心とする新しい社会システムを創成する新機軸となった。ローマ帝国のキリスト教受容という出来事を、古代末期研究の泰斗、ピーター・ブラウンが独自の視点で読み解く。メナヘム・スターン記念エルサレム歴史講演の記録。

第1章 「貧者を愛する者」―一つの公的な徳目の創造
 「都市を愛する者」から「貧者を愛する者」へ
 「受けるよりも与えるほうが幸いだ」―パウロからコンスタンティヌスまで
 コンスタンティヌス以後―特権と救貧
第2章 「貧者を治める者」―司教とその都市
 預言するより施与せよ
 「貧者」の定義をめぐる問題
 二極分化のイメージ ほか
第3章 「謙譲」―東方帝国における貧困と連帯
 キリスト教的慈善の変化―社会的想像力における変化
 古代末期における人口学的危機の欠如

5, 204, 7 ヴェーヌ『パンと競技場』ガーンジィ『古代ギリシア・ローマの飢饉と食料供給』キリスト教以前の公的付与について.

9「皇帝の施与物をかたじけなくした人の多くは、しばしばまぎれもない「貧者」でした」「しかし彼らは、「貧者」だったがゆえにこのパンを受け取ったのではありません。彼らがそれを受け取ったのは、自分が「市民」であることを証明できる(現代のパスポートのような)しるし、すなわち配給切符(テッセラ)を、提示できたからです」
14「司教たち、及び―平信徒であれ聖職者であれ―彼らの補助者たちは、徴候以上の存在なのです。彼ら自身が、変化の主導者でした。直截な言い方をするんあら、キリスト教の司教こそが、或る意味で貧者を発明したのです。貧者が脚光を浴びるようにし、しかもその程度を強めることによって、司教たちは自らの行動を、人々の或るカテゴリー全体(すなわち貧者)の必要に対する応答として提示し、自分たちは彼らのために語っているのだと主張しました」
29「全体として見た場合、後期ローマ時代を前代未聞の大量的貧困化を特徴とする時代だというのは誇張でしょう。キリスト教の教会が、後期帝国において貧者の面倒を見ることによって「衰退する世界の死の床にあって慰藉的な存在」として振る舞った、という言い方をするH・ボルケステインに、私は同意しかねます。古代末期について興味深いのはむしろ、以前からつねに在ったのと同じ貧困を私たちは目にしているのだということであり、しかし私たちはその貧困を、今やキリスト教徒のより鋭い目で見ているのです」
33「古代イスラエルにおける「貧者」は、古代末期を通じてキリスト教徒たちの想像力について回ることになる悲惨のイメージを体現するような、全くの無一文だったわけではありません。イスラエルにおける連帯の使者が言う「貧者」とは、己を恃(たの)みとする部族民、小農、さらには貧困化した貴族たち、つまり喜捨をでなく正義と暴力の停止とを求めて、神に、また有力者たちに叫んだ人たちのことだったのです」
44「つまり理想的には、貧者への施与物はすべて、司教及びその聖職者団を経由していくこととされたのです。というのも、彼らだけが、誰が支援を必要としているかを知っていたからです」
58「コンスタンティヌスは、教会のリストに登録された寡婦・孤児・貧者の支援のために、食料及び衣服の徴収分を聖職者たちに割り当てることをしました」「これら登録された人々は」「初めて」「厳密にキリスト教的な言い方で「貧者」として定義されました」
109「「貧者への配慮」に関するキリスト教の実践と説教は、自由人によって生み出され、自由人のためにのみ行われたのです。キリスト教的慈善は、無一文状態にある自由人を慰めるため、そして自由人を貧困化から守るために行動しました。奴隷は、この慰藉・保護の過程にいかなるかかわりをも持っていませんでした。なぜならこの過程は、排他的に一人の保護者によって「所有される」ことのない、自由人の運命にかかわるものだったからです」
254, 278, 4 ブラウン『古代末期の世界』「率直に言って、同書は翻訳というにはあまりに意訳・自由訳にすぎ、原著者のいわんとしたことを同書から"正確に"読み取ることは、残念ながら期待できないと言わざるをえない」

254, 279, 7 ブラウン『アウグスティヌス伝』

270 ブラウン『古代末期』150-750年を古代末期と一括
275 ヴェーヌ『「私たちの世界」がキリスト教になった時』「キリスト教を自分たちヨーロッパ人の過去だと称しつつ、それを根でないと言い張るヴェーヌの議論は、歴史的にも論理的にも完全に破綻していると言わざるをえない」