木庭顕著『ポスト戦後日本の知的状況』(2024)

 

本書は、前著『クリティック再建のために』(講談社選書メチエ)の「姉妹篇」であるとともに「日本篇」と言えるものです。
「クリティック」とは何か?――その問いに答える前著は、他方で現代日本におけるクリティックの不在という事実を突きつけてきました。本書は、その点にフォーカスを定め、「現代の日本において何故クリティックが定着しないのか」という問題を集中的に扱います。取り上げられるのは1900年前後からの日本の「知的状況」です。ただし、現実との関わりを抜きには不可能な「クリティック」の不在をテーマとする以上、日本がたどってきたここ100年余の歴史を無視することはできません。それゆえ、著者の言葉を借りれば、「本書の内容は「思想史」でもインテレクチュアル・ヒストリーでもない。知的階層ないし擬似知的階層の知的活動のうちのクリティックのみを追跡する」ことになります。
ここで分析される対象は、「知的階層の言語行為」すべてです。それを分析することは、必然的に「知的階層の(欠落を含めた)あり方」をも扱うことになります。つまり、「知的階層を構成すべき人々の言語行為全体」が問題とされ、その結果、「狭い意味の学術」の世界の外で形成された言論も取り上げられることになります。
本書の「結」で、著者はこう言います。「戦後期に課題として発見された地中深くの問題を解明しそのメカニズムを解体する方途を探るためのクリティックの構築が挫折し、そしてその結果今ではこの課題に立ち向かうための条件、つまり立ち向かう資質を潜在的に有する階層ないしこれを育てる環境それ自体、もまた失われてしまった」。
この「失敗」は著者自身も当事者の一人にほかなりません。それゆえ、著者はこう言うのです。「なるほど私はバトンを受け取り先へ渡すことには失敗した。ブレイク・スルーを担う極小の一点へ、私の仕事が結び付くものではない。しかし、責任の中には必ず、失敗について報告し申し送る、とりわけ、何故失敗に終わったか、失敗の結果どういう状況が後へ残っているのか、について考察を遺しておく、ということがある」。
本書は、まさにこの言葉を実践したものです。これは「失敗」の研究であるとともに、この国がたどってきた道程の記録でもあります。好むと好まざるとにかかわらず、未来はここから歩まなければならない。しかし、著者が言うように「本書が最も悲観的に見る部分にこそ希望があることも事実である」ことを、ぜひ多くのかたに感じていただきたい。その願いとともに、本書をお届けいたします。

第I章 与次郎
第II章 戦前期(一八九五―一九四五年)
第III章 戦後期(一九四五―七〇年)
第IV章 ポスト戦後期I(一九七〇―九五年)
第V章 ポスト戦後期II(一九九五―二〇二〇年)

 

大山顕著『新写真論 -スマホと顔』(2020)

 

もしかしたら写真は人間を必要としなくなるのではないか

写真は激変のまっただ中にある。
「写真」という用語をあらためなければいけないとすら思っている。
これはスマートフォンSNSによってもたらされた。
その象徴が自撮りだ。−−「はじめに」より

スマートフォンは写真を変えた。
だれもがカメラを持ち歩き、写真家は要らなくなった。
すべての写真がクラウドにアップされ、写真屋も要らなくなった。
写真の増殖にひとの手は要らなくなり、ひとは顔ばかりをシェアするようになった。

自撮りからドローン、ウェアラブルから顔認証、
ラスベガスのテロから香港のデモまで、
写真を変えるあらゆる話題を横断し、工場写真の第一人者がたどり着いた
圧倒的にスリリングな人間=顔=写真論!


カメラという近代のもたらしたブラックボックスについての初の省察
謎は解けたのか?!
藤森照信(建築家)

すべてがスマホに撮られる時代、
それは顔と指(プライヴェート)がリスクになる世界だった。
我々が薄々感じていたことをコトバにした、
まさに「現在」(いま)の写真論。
恩田陸(作家)

はじめに 写真を通じて「なぜそうするのか」を考える

スマホと顔

01 スクリーンショットとパノラマ写真
02 自撮りの写真論
03 幽霊化するカメラ
04 写真はなぜ小さいのか
05 証明/写真
06 自撮りを遺影に
07 妖精の写真と影

スクリーンショットと撮影者

08 航空写真と風景
09 あらゆる写真は自撮りだった
10 写真の現実味について
11 カメラを見ながら写真を撮る
12 撮影行為を溶かすSNS
13 御真影はスキャンだった

写真は誰のものか

14 家族写真のゆくえ
15 「見る」から「処理」へ
16 写真を変えた猫
17 ドローン兵器とSNS
18 Googleがあなたの思い出を決める
19 写真から「隔たり」がなくなり、人はネットワーク機器になる
20 写真は誰のものか

ファサード

21 2017年10月1日、ラスベガスにて
22 香港スキャニング
23 香港のデモ・顔の欲望とリスク

おわりに
初出一覧

 

小田部胤久著『美学』(2020)

 

美学は18世紀半ばに作られた哲学的学問であり、「感性」「芸術」「美」という主題が収斂するところに成立した。美学の古典といえるカント『判断力批判』(1790年)を題材にし、そこでの重要なテーマをめぐって、古代ギリシアから21世紀までの美学史を概説する。美学を深く学ぶための決定版。

序文

第I章 美の無関心性
A 美しいものの分析論――質に即して
B カント『判断力批判』前史
C 実践的無関心と美的関与

第II章 趣味判断の普遍妥当性
A 美しいものの分析論――量に即して
B 趣味の普遍性ならびに快の本性
C 二〇世紀の趣味論

第III章 目的なき合目的性
A 美しきものの分析論――関係に即して
B 美と合目的性
C 目的なき合目的性のゆくえ

第IV章 趣味判断の範例性
A 美しいものの分析――様相に即して
B 範型・実例・模範
C 範例性のゆくえ

第V章 感性の制約と構想力の拡張
A 崇高なものの分析論
B 言語の崇高さから自然の崇高さへ
C 崇高論のその後

第VI章 構想力と共通感官
A 美的判断の演繹論
B 共通感覚論の系譜
C 二〇世紀の共通感覚論

第VII章 美しいものから道徳的なものへ
A 美しいものへの関心
B 社交人・未開人・隠遁者
C 自然の暗号文字

第VIII章 「美しい技術」としての芸術
A 美術論(その一)
B 芸術の誕生
C 範例的独創性

第IX章 「美的理念」と芸術ジャンル論
A 芸術論(その二)
B ライプニッツ的感性論の系譜
C カント的芸術論のゆくえ

第X章 美しいものと超感性的なもの
A 美的判断力の弁証法
B 認識・感情・欲求
C 美的なものと生

あとがき
用語解説
読書案内

40 実践理性批判におけるAsthetikは判断力批判といかに関わるぁ?実践において「快不快の感情」と呼ぶものは「欲求」を規定する限りのもの。判断区分では「美しいもの」ではなく「快適なもの」に相当する。

98 美の無関心性と対をなす美の能動性に関する議論。構想力をもって美的対象をそれ自体として「かかわる sich einlassen」

103「つまり、純粋趣味判断を下す人は自らの認識諸能力の自由な活動によって生じる快を感じているのであり、この意味において純粋趣味判断は能動的にして自律的である」

東浩紀著『セカイからもっと近くに -現実から切り離された文学の諸問題』(2013)

 

想像力と現実が切り離された時代に、文学にはいったい何ができるだろう。ライトノベル・ミステリ・アニメ・SF、異なるジャンルの作家たちは、遠く離れてしまった創作と現実をどのように繋ぎあわせようとしていたのか。新井素子法月綸太郎押井守小松左京――四人の作家がそれぞれの方法で試みた、虚構と現実の再縫合。彼らの作品に残された現実の痕跡を辿りながら、文学の可能性を探究する。著者最初にして最後の、まったく新しい文芸評論。

はじめに
第一章 新井素子と家族の問題
第二章 法月綸太郎と恋愛の問題
第三章 押井守とループの問題
第四章 小松左京と未来の問題
参照文献

 

井奥陽子著『近代美学入門』(2023)

 

近代美学は、17〜19世紀のヨーロッパで成立しました。美学と言っても、難しく考えることはありません。「風に舞う桜の花びらに思わず足を止め、この感情はなんだろうと考えたなら、そのときはもう美学を始めている」ことになるからです。本書は、芸術、芸術家、美、崇高、ピクチャレスクといった概念の変遷をたどり、その成立過程を明らかにしていきます。

第1章 芸術―技術から芸術へ

 「建築は芸術か」
 アート=技術(古代〜中世)
 アートは技術(学芸)の意味だった
 アート=芸術(近代以降)何が芸術で、何が芸術でないのか?
第2章 芸術家―職人から独創的な天才へ

 「独創的な芸術家は世界を創造する」
 芸術家をとりまく環境と作者の地位の変遷
 芸術家にまつわる概念の変遷
 作者と作品の関係をどう捉えるか?
第3章 美―均整のとれたものから各人が感じるものへ

 「美は感じる人のなかにある」
 美の客観主義(古代〜初期近代)
 美の主観主義(18世紀以降)
 美の概念とどのように付き合うのがよいか?
第4章 崇高―恐ろしい大自然から心を高揚させる大自然

 「崇高なものが登山の本質だ」
 山に対する美意識の転換
 「崇高」概念の転換
 芸術は圧倒的なものとどのように関わることができるか?)
第5章 ピクチャレスク―荒れ果てた自然から絵になる風景へ

 「絵になる景色を探す旅」
 風景画とピクチャレスクの誕生
 ピクチャレスクの広がり(観光と庭園)

 美や芸術は自然とどのように関わることができるか?

 

佐々木健一著『美学への招待 増補版』(2004→2019)

 

二〇世紀の前衛美術は「美しさ」を否定し、藝術を大きく揺さぶった。さらに二〇世紀後半以降、科学技術の発展に伴い、複製がオリジナル以上に影響力を持ち、美術館以外で作品に接することが当たり前になった。本書は、このような変化にさらされる藝術を、私たちが抱く素朴な疑問を手がかりに解きほぐし、美の本質をくみとる「美学入門」である。増補にあたり、第九章「美学の現在」と第一〇章「美の哲学」を書き下ろす。

第1章 美学とは何だったのか
第2章 センスの話
第3章 カタカナのなかの美学
第4章 コピーの藝術
第5章 生のなかの藝術
第6章 藝術の身体性
第7章 しなやかな応答
第8章 あなたは現代派?それとも伝統派?
第9章 美学の現在
第10章 美の哲学

 

渡邉大輔著『新映画論 ーポストシネマ』(2022)

 

あらゆる動画がフラットに流通する時代に、映像を語ることが意味するものは? サイレントから応援上映までを渉猟し、ポストシネマの美学を切り拓く。
『新記号論』『新写真論』に続く、新時代のメディア・スタディーズ第3弾。
NetflixTikTokYouTube、Zoom……プラットフォームが林立し、あらゆる動画がフラットに流通する2020年代。実写とアニメ、現実とVR、リアルとフェイク、ヒトとモノ、視覚と触覚が混ざりあい、映画=シネマの歴史が書き換えられつつあるこの時代において、映像について語るとはなにを意味するのだろうか?サイレント映画から「応援上映」まで1世紀を超えるシネマ史を渉猟し、映画以後の映画=ポストシネマの美学を大胆に切り拓く、まったく新しい映画論。作品分析多数。

はじめに――新たな映画の旅にむけて

第1部 変容する映画――カメラアイ・リアリティ・受容

第1章 カメラアイの変容――多視点的転回
第2章 リアリティの変容――ドキュメンタリー的なもののゆくえ
第3章 受容の変容――平面・クロースアップ・リズム

第2部 絶滅に向かう映画――映画のポストヒューマン的転回

第4章 オブジェクト指向のイメージ文化――ヒト=観客なき世界
第5章 映画の多自然主義――ヒト=観客とモノ
第6章 「映画以後」の慣習と信仰――ポストシネフィリーの可能性

第3部 新たな平面へ――幽霊化するイメージ環境

第7章 アニメーション的平面――「空洞化」するリアリティ
第8章 インターフェイス的平面――「表象」から遠く離れて
第9章 準-客体たちの平面――インターフェイスとイメージの幽霊性

おわりに――ポストシネマのアナクロニズム

あとがき
提供図版一覧
索引