「感動」の増幅装置。

すっかり更新をさぼっていました。申し訳ない限り。
ぼやぼやしているうちに、オリンピックもパラリンピックも終わってしまい。
かわって「現代のベートーベン」や「リケジョの星」が世間を騒がせている昨今。
ところで、オリンピック・パラリンピックと佐村河内氏・小保方氏。一見両極というか、
関係のないニュースのようにも見えるが、自分の考えでは実は同じ系統にあると思う。
小保方氏については今の時点ではまだ話が確定していないので、何とも言えない部分も
あるのでここでは話を置いておくが。っとその前に、このあまりの急転直下ぶりには、
何かウラがあるのではないかなあ、と妄想癖のある自分は妄想してしまうのである。
言うたらあれはほんまにヤバい技術であるので、ヤバい筋が動いているんかなあ、とか。
IPSに巨額の投資をした存在が圧力をかけまくっているんかなあ、とか。妄想は広がる。
あれ、誰か来た。
いや話を置いとくんでしたな(誰かは?)。それもこれも、あれ(ヤバいので伏せる)
がほんまに存在するんかにかかってるんだろけど。で、佐村河内氏である。
彼の胡散臭さやその後の言動については、ここで敢えて書くまでもないことだけれど。
これは小保方氏にも言えるんだろうけど、「何が『佐村河内』を生み出したか」については
十分検証が必要かとも思う。マスコミ諸氏は会見で声を荒げるのもよいが、その辺のところを
胸に手を当てて冷静に考えてもらいたい。
誤解を恐れつつ言うが、路線さえ間違わなければ、他の領域であるならば、世が世なら、
佐村河内氏は「天才プロデューサー」として名を馳せていたかもしれない。
実際、実態がどうかよくわからないものを、無限に膨らまし偶像化する。そういうことって、
世間を広く見ればよくあることである。いや自分も含めて、そういうことを大なり小なり
やっていない人間は皆無なのではないか。まああそこまでえげつない路線にいかないにしろ、だ。
あとはこの「感動消費社会」であるな。オリンピックと佐村河内氏が実は同列、というのは、
この点にある。いや、浅田真央選手から、葛西紀明選手から、この冬もらった感動は
本物であるし、自分も涙した一人ではある。彼らの努力と成果には敬意を表してやまない。
ただ、自分らはただ感動を食い物にするだけで、自分から何かに貢献することをしているのか。
スノボの竹内智香選手、スキーフリースタイルの小野塚彩那選手の今までの苦労は初めて知る。
後援会組織なども存在していたらしいが、多くの人は(自分も含めて)「感動のフリーライダー」だ。
今の偶像化のシステムを脱し、少しずつでもいいから各人が「本物」に対して援助をしてゆく。
その成果としての「感動」がある。感動の増幅、ではなく感動の集積、みたいなシステムが、
これからの日本には必要ではないんかな、と。それは大量消費社会には合わないんだろうけど、
大量消費社会がすでに時代遅れなのは、うすうす皆が感じてきていることではないか。
で、今後のマスコミの役割は「何が本物なのか」を伝えることであるべきだと思うのである。
と、話が収拾つかなくなってしまうのでいいかげんにしておくが。
関係ないが、佐村河内氏が髭をそり髪切ってサングラスはずしたらただのオッサンであった件に関し。
ただのオッサンの自分が、髭生やして髪伸ばしてサングラスをかけたら佐村河内氏になれるのか。
実験をしたいと思うが、おそらく周りに止められると思う。
つか、止めてくれんかったんだねえ、彼の場合は。そう思うと、少ししんみりする。少し、だけど。