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撮るとか撮らないとか、ああだとかこうだとか、延々と言っていた、私たちの映画についてのその後の報告です。
この度、映画が無事完成しました。約26分の短編で、タイトルは「A Stray Cat's Life」。「野良猫の生活」とか「ある野良猫の人生」といった意味です。
制作準備からクランクイン、映画の完成まで、二カ月間のあれやこれやの顛末は、私たちのホームページの「ある小さな映画の物語」に詳しくことの次第を記録しています。
また、予告編も完成しました。Movieのコーナーで公開しています。是非ご覧下さい!
ほっと一息です。ああ良かった・・・・・・。
拾った野良猫を溺愛する病身のヤクザ、彼が死ぬまでの最後の一日の物語。自分のみじめな人生を回想する男。昔、男は女と猫と一緒に暮らしていた。女は猫を可愛がっていた。男は猫を嫌っていた。男は女に内緒で猫を捨てた。嘆き悲しむ女、男はカッとなって殴り飛ばした。「猫の一匹や二匹なんだ!お前も出て行け!」。ある日のこと、公園で猫の鳴き声がする。「まさか」。女が可愛がっていた猫と、どこかよく似た野良猫だった・・・・・・。
私たちのホームページですが、この度、全面的にリニューアルしました(まだまだ制作途中ですが)。その心は――政策転換です。言ってみれば、コンセプト・ストック型から、情報・フロー型へということでしょうか。ネットとはそういうものなのでしょう。
この私の「Blockhead Films Note」は更新を止め、新ホームページのNOTEのコーナーで、新たに「ある小さな映画の物語」(仮題)を書き始める予定です。ぼちぼちクランクインする予定の私たちの映画について、あれやこれや、リアルタイムに情報を発信します、と言いたいところですが、ネットへの接続環境がないもので、微妙なタイムラグをもってお届けします。このはてなダイアリーはこのまま残したうえで、主要なエントリーについては順次、新NOTEのコーナーに引越しする予定です。
今後もご愛顧を夜露死苦!
霜川は一つの地名です。強いてその地点を求めるならば、それは北海道の真ん中、札幌と旭川の中間の鉛色の豪雪地帯、東に好々爺然とした夕張山系の山々を望み、起伏激しい渓谷を駆け抜ける、悩み多きアドレッセンスの空知川と、光り輝く穀倉地帯を闊歩する、悠々たる壮年期の石狩川が、蒼ざめた空と踊るつむじ風の下、ばったり出会うところと考えられます。実はこれは、地図上のどこにも存在しない、私たちの心象中にぼんやり浮かび上がった、ドリームランドとしての空知支庁滝川市・砂川市にほかなりません。
その昔、アイヌの人々がクルッペチャイ・ペッ(霜の川=霜柱立つ凍てつく大地を切り裂き流れる川?)と畏れたという聖い記憶の深い底で、かつて炭坑で栄えた日々のきらめきを夢見て眠り続ける町――そんなあやしくもありふれたスモール・タウンに生きる、どこかアイリッシュな人々が繰り広げる人生の悲喜劇――崇高で卑小で、深刻でささやかな、人生の一大事と日常茶飯事、悲愴と滑稽の弁証法――そんなことをテーマに私たちは映画に撮っています。
さて、さて、私たちの映画のことであるが、遅々とではあるも準備は進んでいる。でもって、私は今、札幌に来ている。
未だ残暑が尾を引く東京を後にするにあたり、部屋のそこらに散らばっていた本を何冊か、適当にザックに詰め込んだのだが、こちらに来て見てみると、その中に鷲田清一氏の「京都の平熱 哲学者の都市案内」があった。随分前に購入していたのだが、時間がある時にゆっくり読みたいと思いつつ、そのままにしていたようだ。
せっかくこの本を札幌で読むことになったのだから、どこかふさわしい場所は――というわけで、時間を見つけては紀伊国屋書店の二階のイノダコーヒに足を運び、ミルク入りコーヒーを味わいながら、何とも“おもろい”京都案内を味読した。
「人生のすべてがあった」。京都駅を出発して、七条通、東大路、北大路、千本通と、ぐるっと市内を一周して、京都駅に戻る市バス206号系統。鷲田氏が生まれ、育ち、学び、遊んだ、この循環バスの路線に沿って、いわゆる名所めぐりとはまったく趣の違う、妖しくて濃密で、どこか異界めぐりのような旅に誘われる。直線的な時間の集積としての“歴史都市”ではなく、時差を自由に飛び越えた、複数の「いま」が重層的に共存し、交錯し、衝突しあう都市空間。しばしば引用される九鬼周造、特にその「垂直のエクスタシス」という概念を導き手に、興趣つきない都市論が展開され、生活者としての視点、身体感覚に立脚したその<生>の都市論は、坂口安吾の京都論に通じる痛快さを感じさせる。
札幌の地で京都のことを想っていると――私にとっての京都は「いつも人生の真ん中にあった」ような気がして来る。学生時代を含め、八年間暮らした街。人生にとって大切なこと、本質的なことは、ほとんどここで思考し、経験したように思えるのだ。生まれ育ち、そして働いた東京の街では、いつも“余所者”のような感覚でいることの裏返しに過ぎないのかもしれないが。
京都が不動の中心点であるとするならば、今私がいる札幌は、人生の北限かもしれない。では、南限は――きっと、台北だろう。熱いハートで仕事探しに奔走していた日々。たった二ヶ月間、暮らしただけなのだが。
もし私が、いつか自叙伝のようなものを書くことがあるとしたら、一枚の地図を大きく広げて見るように、時系列に並べた場所の記憶、心象風景が、そのまま個人の内面史、その軌跡を描くような形式に出来たらと考えたことがある。太宰治の「東京八景」のような感じだろうか。
まあ、そんな機会が訪れることは、まずあり得ないことなので、考えてみても、詮無きことである。現実に戻らなければ。イノダのミルク入りコーヒーの、あのなつかしい、独特の酸味を楽しんでいたら、泡沫のような夢想が、札幌の秋天に溶け込んでいってしまったようである。
クーラーが壊れた。いや、もうとっくに寿命だったのだ。
例年、7月中旬頃までは、それでもまだ多少は意地をみせ、冷えてはいるようなのだが、8月に入ると、途端に「もうあきまへんわ」とばかり音を上げ、単なる送風機と化してしまう。弱かった頃の阪神タイガースのようだ。
そこに、今年の猛暑がとどめをさした。エアコンを付けると、かえって部屋が暑くなる。冷房と暖房のスイッチを間違えているわけではない。送風口に手を当てると、何とも気持ちの悪い、生暖かい風が、酔っ払いの立小便のように、ちょろちょろ、ちょろちょろと、申し訳なさそうに漏れ出てくる。
大家さんには以前から惨状を訴えているのだが、のらりくらり、のらりくらりと、なかなか取り合ってくれない。忙しい方なのだ。朝から晩まで、連日ゴルフである。熱中症にはせいぜいご用心を。
残された道は――心頭を滅却するのみである。これしきの暑さ、何てことはない。若かった頃は、東京の比ではない、京都の厳しい夏を、一台の扇風機、一枚の団扇で乗り切ったではないか。
最近のワンルームマンションなら、エアコンは完備しているのだろうが、一昔前の学生アパートにそんなものはなかった。学生は夏休みには帰省するものと相場が決まっているからだろう。もちろん、そうでない学生もいる。実家との折り合いが悪く、帰るに帰れない事情があるとか。私のことだ。
何てことないじゃないか。巨大な釜、京都盆地の炎熱にじっと耐えていた日々のことを思い出せば。どこにも行き場所のない、そこらに滞留するしかない分厚い熱気の層、同じくどこにも行き場所のない私は、六畳一間のサウナに戻りたくないばかりに、古都の巷を深夜まで、じめっとした夜気と夢想に抱かれながら、ラスコーリニコフのように彷徨い歩いていた――逆効果である。暑いときに、もっと暑いことを思ってみたところで、心も頭もヒートアイランド化するばかりだ。
そんな中、何とか今夏の異常気象を乗り切れそうなのは、もしかしたら一冊の本のおかげかもしれない。眠れぬ夜、アルセーニー・タルコフスキー(1907〜1989)の詩集「雪が降るまえに」を読み耽っていた。
19世紀風の典雅な風韻と、思想詩としての凛然とした風格を持つ詩作の、その行間からは、ロシアの湿潤な大地の上を、葉の落ちた林の間を、冷たい雷雨の中を、さっと吹き抜ける一陣の風、その空気感のようなものが感じられ、本を開いている間だけは、私もその涼風に浴することが出来た。
「珠玉のような」などという形容を使うと、陳腐に聞こえてしまうかもしれないが、実際、どの詩も(訳も含めて*1)素晴らしい。今の私の心持ちに、何となくしっくりくるものを。
僕は生を愛し、死ぬことを恐れる。
見てくれたらいい、僕が流れの下でもがき
漁師につかまれたウグイのように身をくねらすさまを、
僕が言葉に姿を変えゆくそのときに。
だが僕は魚でもない、漁師でもない。
僕は町の片隅に暮らし、
容姿はラスコーリニコフに似ている。
おのれの悔しさを、ヴァイオリンのように抱えている。
僕を引き裂くがいい――僕は何食わぬ顔だ。
人生は素晴らしい、とりわけその終わりが、
雨にうたれていても、一文無しであっても、
審判の日に――のどに針が刺さっていても。
ああ!この夢よ!ちっちゃな生よ、呼吸しろ、
僕の最後の一文まで奪うがいい、
でも、頭を下にして落とさないでくれ、
世界の、まるい空間に!
(「ちっちゃな生」1958年)
さて、夏もこのままやり過ごせそうだし、少し頭を冷やし、現実に戻らねば。今、私が念じていること――何とか、雪が降るまえに映画を撮りたいものである。
先日のこと、短い期間だが札幌を訪れ、私たちの次回作について、相棒と大詰めの話し合いをした。
当初の私のアイディアは、壮大(でもないが)な三部作構想。共通の舞台は北海道の架空の地方都市「霜川市」。それぞれ独立した作品で、全く異なるストーリー、スタイルをとりながら、主要登場人物がそれぞれの作品に顔を出し、有機的に関連し合う「人物再登場法」を駆使した中短編群。ところが……。
物語上の様々な伏線が張られ、三部作の中核となるべき第一部は「巨大市庁舎の構造設計を請負いながら、強要され、耐震構造を偽装した建築士の苦悩の話」。
まず、三部作というからには、監督は相棒、私、それともう一人、誰か第三の人物を招聘するという戦略が前提となるのだが、これが絵に描いた餅。間抜けなことに、誰もなり手が見つからない。そして何よりも、プロット段階での周囲の評価が芳しくない。いや、はっきり言おう、かなり悪い。返ってくる答えは、どれも判で押したように、「イマイチ」。あっさり泡沫のように立ち消えてしまった……。
第二部は「息子のいじめに心を痛める、悪徳ヤミ金業者の葛藤の物語」。今回の札幌訪問に間に合わせるため、苦心して、何とかシナリオを仕上げた。ポイントを押さえた、手堅い出来にはなったと思うのだが、シナリオを読む相棒の表情が冴えない。「悪くない。しかし……」。
“仕切り”がかなり難しいと言うのだ。学校を舞台にしたシーンがあるのだが、これが致命的なネックになりそうだと。といって、代替となるシーンの書き換えとなると、ちょっと思い浮かばない。“仕切り”の部分については、私も随分と気を付け、ハードルを下げて書いたつもりなのだが、現状の私たちの製作体制、能力を冷静に考えれば、それでもまだ十分に高い、乗り越え難い壁との判断だ。もはや風前の灯火である・・・・・・。
で、第三部。といっても、ちゃんとしたプロットの形にもなっておらず、雑然とした創作メモのようなものなのだが、「拾った子猫を溺愛する病身のヤクザ、彼が死ぬまでの最後の24時間の物語」。
一読し、「これで行こうや」と相棒。
主要な登場人物は男一人、ロケーションも男の部屋一ヶ所。回想と独白で進むストーリー。手元にある、この雲をつかむような中身のメモに改めて目を落とす。はて、どうやって、一つの形に、完成したシナリオにまで持っていったらよいものか?“外的ハードル”こそ下げてはいるが、それゆえに、“内的ハードル”は、絶望的なまでに高くなっているのだ・・・・・・。
しばしの沈黙の後、相棒が続ける。「今の俺らで勝負を打てるとしたら、これだろう」。
「霜川版・人間喜劇」はあっけなく崩壊したが、辛うじて“最後の希望”が残されたということか。
そろそろ来るんでしょ?