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Tertiary the younger Tertiary the younger
Tertiary the younger Mud-stone
あおじろ日破れ(ひわれ) あおじろ日破れ
あおじろ日破れに おれのかげ
Tertiary the younger Tertiary the younger
Tertiary the younger Mud-stone
なみはあをざめ 支流はそそぎ
たしかにここは 修羅のなぎさ (宮沢賢治「イギリス海岸の歌」)
花巻市の郊外、猿ケ石川が北上川にそそぐ合流点近くの西岸を、賢治は「イギリス海岸」と名づけ、農学校の生徒たちを連れてしばしば遊びに行った。
実際に行って見ると、そこはなんの変哲もない河岸だ。しかし、河岸段丘の下まで降りてみて、ぬるぬるとした青灰色の泥岩(Mud-stone)に滑りそうになりながら立ってみると、風景が一変する。波頭が寄せては返し、確かに海岸にいるような気分になるから不思議だ。
「それに実際そこを海岸と呼ぶことは、無法なことではなかったのです。なぜならそこは第三紀と呼ばれる地質時代の終り頃、たしかにたびたび海の渚だったからでした。(・・・)それにも一つこゝを海岸と考へていゝわけは、ごくわづかですけれども、川の水が丁度大きな湖の岸のやうに、寄せたり退いたりしたのです。それは向ふ側から入って来る猿ヶ石川とこちらの水がぶっつかるためにできるのか、(・・・)それとも全くほかの原因によるのでせうか、とにかく日によって水が潮のやうに差し退きするときがあるのです」 (「イギリス海岸」)
賢治はこの「修羅の渚」で一人たたずみ、思索に耽ることも多かったという。なんでこの場所をそんなにも愛したのだろう 実際、ここには独特の風が吹いているように感じる。特にたそがれ時など、「どっどど、どどうど・・・」と強い風が全身を押し包む。川の合流地点だからなのか、それとも全くほかの原因によるのかは分らないが、確かにここは風の通り道となっている。チベット人なら、間違いなくタルチョを立てるような場所だ。
余談だが、イギリス海岸のすぐ裏手に小舟渡八幡宮という、一見して由緒が古そうな神社が建っている。実際、二本の大きな道路が気兼ねしているかのように、杉木立の敷地を避けて周囲を走っている。この神社こそ、この辺りの不思議な雰囲気を解く鍵なのではないかと、勝手に想像しているのだが。
「日が強く照るときは岩は乾いてまっ白に見え、たて横に走ったひゞ割れもあり、大きな帽子を冠(かむ)ってその上をうつむいて歩くなら、影法師は黒く落ちましたし、全くもうイギリスあたりの白亜の海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした。(・・・)どうしてもその白い泥岩層をイギリス海岸と呼びたかったのです」 (同)
賢治は第三紀末(Tertiary the younger、新第三紀鮮新世)、この付近一帯が浅い海に覆われていたと考えていたが、現在の地質学では、賢治の推論どおり、「海の渚」だったと考えられている。遥かイギリスへの憧れ、「誰だって夏海岸へ遊びに行きたいと思はない人があるでせうか。(・・・)フランスかイギリスか、さう云ふ遠い所へ行きたいと誰も思ふのです」という希いが、賢治の想像力を遠く羽ばたかせ、ユーラシアを越え、このありふれた河岸に、ドーバーの輝く白亜の海岸を顕現させた。
夏休みに水遊びに訪れた賢治と生徒たちは、イギリス海岸の地層からくるみの化石や巨獣の足跡を発見する。くるみは日本では未発表だった「バタグルミ」という学名の絶滅種で、後に学会誌に発表される。足跡は「シカマシフゾウ」という大型のシカのものであるとされている。遥か鮮新世への思いは、賢治の想像力をさらに遠くへ羽ばたかせ、時空と銀河を越える。やがてこの時の体験が、「銀河鉄道の夜」でジョバンニとカムパネルラがくるみの化石を採集し、牛の祖先の足跡の発掘を見学する「プリオシン海岸」へと結晶していくことはよく知られている。プリオシンとは鮮新世の原名だ。
さて、そのプリオシンの頃(ほぼ520万年から164万年前まで)、日本列島は下の地図のようになっていた。滝川―竜ノ口海進という言葉があるように、仙台湾から樺太あたりまで、南北に連なる細長い海域が存在していた。空知川はまだ海だったが、その「滝川海」とも呼ばれる浅い内海は豊かな環境に恵まれ、イルカやクジラ、サメ、オオガメ、アシカ、セイウチなど様々な動物たちが暮らしていた。そしてそこには、ひときわ目立つ巨獣の優雅な姿が――そう、「盟主」タキカワカイギュウが悠々と泳ぎ回り、のんびりと海藻を食んでいた。
空知川河床の青灰色の砂岩泥岩層の下の方(ほぼ500万年前の地層)からタキカワカイギュウの化石が発見されたのは1980年のことだ。
体長8メートル、重さ4トン。当初は「巨大クジラ」と思われていたが、後の研究で、日本で独自に進化を遂げた新種のカイギュウであることが明らかになった。暖かい海に住むジュゴンやマナティーに比べ、優に2倍はあるが、体が巨大化したのは、寒冷に適応するためだという。滝川市美術自然史館には復元された巨大なレプリカが展示されている。タキカワカイギュウという、どこか呑気に響くネーミングから、「タマちゃんの大きいの」くらいを想像して高をくくっていると、その堂々たる雄姿に度肝を抜くことになる(顔は“タマちゃんチック”で、愛嬌たっぷりなのだが)。発掘、クリーニング作業などは市民主導で行われ、さらにレプリカ作りでは、独自の工夫を重ね、「滝川方式」と呼ばれる新手法が編み出された。
イギリス海岸を泳ぐタキカワカイギュウ――と、空想は勝手に飛躍するが、はて、タキカワカイギュウの南限は?
この妄想はさすがに無理があるようだ。タキカワカイギュウの化石はその後も道東地方などで発見されたが、現在のところ本州では発見されていない。生息地は北海道だ。
いや、タキカワカイギュウの遠い子孫で、寒冷適応系では「最後の海牛」となるステラーカイギュウ(美味のため乱獲され、1768年に絶滅してしまった)の化石は房総半島でも発見されているではないか――それは地球全体が寒冷化した氷河期の頃の話だ。
いや、いや、タキカワカイギュウの化石と一緒に産出するタカハシホタテ(重さ1キロの“お化け”ホタテ。樺太でタカハシさんが発見したという。やはり呑気な響きだ)の産地を見てみよ。同じく浅海性寒流系の化石だが、ほぼ滝川―竜ノ口海進の内海に沿って南北に分布し、仙台湾辺りでも発見されているではないか。ということは、「相棒」ともいえるタキカワカイギュウだってきっと、今の北上川の辺りに・・・あれやこれや、幻想は果てしなく広がる。
イギリス海岸を泳ぐタキカワカイギュウ――ともあれ、こうした呑気で突飛な夢想から、私たちの映画作りというプロジェクトはスタートしているのだ。
920
2006/07/08 11:40
先日はありがとう 滝川にん十年住んでいながら初めて『タキカワカイギュウ』の生い立ち??を知りました。なるほどね・・ 仮想都市もおもしろいね いいよ!
Mr-Blockhead
2006/07/09 02:34
大変励みになるコメント、どうもありがとうございました。今後も色々と仕掛けを考えていきたいと思います。