- 作者: 永六輔
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1994/03/22
- メディア: 新書
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また、水の江滝子さんの生前葬が、生きている間にお世話になった方にお礼がしたいという形で感動的だったと紹介しているが、その後、葬儀の在り方などに一石を投じ、この本の与えた影響というのも大きかったのかも知れない。ラストが「聖者が町にやってくる」を流して盛り上がったというのは、最高だなあ。
p1:「むずかしいことをやさしく、やさしいことをおもく、おもいことをおもしろく」これは井上ひさしさんの言葉だが、父がよく言っていた「俗談平話」と重なる。
p12:「歳をとったら女房の悪口を言っちゃいけません。ひたすら感謝する、これは愛情じゃあありません。生きる知恵です」下町のさんざん道楽をした果ての頭がしみじみと言った言葉。
p30:「昔、お母さんにおむつを取り替えて貰ったように、お母さんのおむつが取りかえられるかい。老人介護ってそういうことだよ」老人ホームの園長の言葉。
p36:「しなやか、したたか、つややか。この3つ、これが長持ちするコツだすな」「子供叱るな/来た道だもの/年寄り笑うな/行く道だもの。来た道/行く道/二人旅/これから通る今日の道/通り直しのできぬ道」妙好人の言葉として有名。
p54:「医者は病気を治そうとする。しかし大切なのは、病気を治すことではなくて、病人を治すことなのだ」
p108:(小沢昭一さんは腹上死を理想的ととらえているが)、私たち凡人はやっぱり何かに支えてもらいたいと思うことになる。宗教、家族、仲間・・・。せめて同じことを考えている人とめぐり合いたい。
p111:(宮沢賢治の雨ニモ負ケズより)南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいと言い の言葉に立ちつくす。
p119:中村八大さんと→上を向いて歩こう 遠くへ行きたい こんにちは赤ちゃん 夢で逢いましょう
いずみたくさんと→見上げてごらん夜の星を いい湯だな ともだち ←今も残るとてもいい歌ですね。
p133:無着成恭氏→救われるということは、自らの人生に納得し、充実感をもつことです。そうすれば安らかに死を受け入れることができるんですよ。・・・p144:しぬことを考えるとき、現在の競争主義の社会にとらわれている自分をいったん捨ててみて、何が人間として正しいことなのかと目覚めたときに、だんだん死を許容できる状態が出てくるだろうと思いますね。
p174:ぼくは昨年、父を見送ったときに、そうか、家族のために死んで見せることが最後にできるんだという、その姿勢こそがいちばん大事だと教えられたような気がしたんです。つまり、家族に死というものを教える。・・家族や知人のために死ぬということそのものがとても価値を持つ行為のように思えてきたんですね。・・そう思えたとき、その死をとても素直に受け入れられましたね。
p193:●(父は)いつも体調と相談しながら、自然体で生きていた。「無理をしない」「静かに生きる」「借りたら返す」父の生き方をまとめるとこの3つになる。・・手紙の返事も書けない忙しさは人間として恥ずかしい・・←きわめて反省せねば
p196:中村八大さんとの最後の詩より(セリフ)
世の中が平和でも、戦争がなくても
人は死にます
必ず死にます
その時に 生まれてきてよかった
生きてきてよかったと思いながら
死ぬことができるでしょうか
そう思って死ぬことを
大往生といいます
→今週、祖父が永眠。数え99歳の大往生でした。診断書は「老衰」。本人はこの1月からずっとベッドに横たわりながらも、決して病気ではないのだから、お見舞いはいらないと話していたといいます。
ちょうど先月末にお会いしたのが最期になったけど、ずっとうっすらと寝ているようで、ふと眼をあけ、「ありがとう」と言ってくれたのだが、この永さんの本とも重なって、素敵に生きてこれたのだろうと思います。息を引き取られた時も安らかで、まさに「大往生」だったようです。父の弔辞というか喪主としての挨拶も、祖父の思い出を語りながら愛情にあふれ、とても素敵でした。
{図書館から8/23借り9/1読了、記入&再読20}