サンタは存在する、科学という魔法、ドーナツの穴

みなさんは、サンタクロースの真の力についてご存じない。結論を単刀直入に申し上げると、「サンタは存在する」と考えるのが科学的に正しいのです。今日は、科学的とは何か? そして、サンタが存在する理由について考えます。

 わが家の家屋の構造上、煙突からはどうしても入ってこられないことがわかって、問題になったとき、父親は「うちの家は、ここからはいっている」と、玄関の上の小さいひし形の飾り窓を指さして教えてくれた。そこで、二十四日の夜、兄たちがひそかに細い糸を張っておいたが、二十五日の朝、それはみごとにひきちぎられていた! サンタクロースが通ったのだ。
 もっとすごいことがあった。小学校五年生の兄が徹夜をしてサンタクロースをつかまえる、と言い出したのである。私は小さかったので、そんなことをすると贈り物がもらえなくなるのではと大変心配だったが、何と父親が大賛成で協力を申し出た。二十四日の夜、父と兄は徹夜をしようとがんばったが、兄はついとろとろと眠ってしまい、父親も「お父さんも、つい一緒に眠ってしまって、おしいことをした」というしばらくの間に、サンタクロースはすかさず、すべての贈り物を隠して去っていったのである。これには驚嘆してしまったが、この話は、サンタクロースの素晴らしさを示すものとして、河合家の伝説のようにその後も何度話をされたかわからないくらいとなった。
河合隼雄おはなしおはなし』より

季節外れも度が過ぎますが、サンタクロースの話です。

サンタクロースの研究については、「サンタクロース - Wikipedia」がよくまとまっているので、そちらを参照してください。それによると、サンタの活動対象世帯は、約1億世帯。これを1日でまわるには、およそ秒速1000kmの速度が必要です。

音速を超えて移動する物体は、ソニックブーム(衝撃波)を発生させます。コンコルド旅客機が10km上空を超音速で飛行した場合、地上に1平方mあたり最大100ニュートンの圧力変化があったとの実験結果があります。サンタの速度はその1000倍近い。また、サンタは大量のプレゼントをもっているので、おそらく旅客機よりは重いでしょう。エネルギーが速度の2乗に比例することを考慮して単純に比をとると、サンタによる衝撃波は1平方mあたり1億ニュートンになります。これはおよそ1万トンの物質にかかる重力加速度とほぼ同じです。とりあえず、頭の上に4トントラック2500台がまとめてふってくると思えばいいのでしょうか? 「晴れ、ときどき、トラック」みたいな感じで。

というわけで、サンタが上空を飛行するときに発生する衝撃波は、一都市を単騎で壊滅させるに足るものです。しかし、少なくともセント・ニコラウス生誕以来1500回近いクリスマスを通過したはずのこの世界は、今日もおおむね平穏であります。矛盾が発生しました。ゆえに、サンタは存在しません。

いや、違う! それが違うんですよ! 一般的なサンタに関する議論はたいがいこんな感じで進むんですが、論理的に間違っている。いいですか、我々の議論はこうです。「サンタが存在してプレゼントを配っており、かつ、これまで知られた物理法則が正しいと仮定すれば、都市は壊滅する」。この最後のところで矛盾が発生しているわけです。したがって、背理法によれば仮定のどこかで誤りがある。ここまではOKです。

しかし、なぜそれが「サンタは存在するという仮定は誤っていた」という結論になるんでしょうか? この議論における仮定はほかにも存在するのです。それは「これまで知られた物理法則が正しい」という仮定です。すなわち、「これまでの科学知識に反するから、サンタは存在しない」と考えるのではなく、「サンタが存在する以上、これまでの科学知識は間違っていた」という可能性をこそ考えるべきです。

サンタを存在させるために、まるで魔法のような力を科学に導入するのは気が引けるというのなら、それは思い違いです。例えば「重力」。こいつは、すべての物質に働き、何もない真空を光速で伝播し、時空を歪めるという、まったく魔法としか言いようがない概念です。科学なんてものはよく見れば魔法と大して変わりありません。サンタの1人や2人許したってどうということはないのです。

そもそも科学の本質は、その反証可能性にあります。どんなに異常に見える事実でも、それが観測された事実と符号するのなら、科学は認めます。ガリレオ・ガリレイの時代に地動説を唱えることは狂気の沙汰であったでしょう。1957年のノーベル賞は、パリティ対称性が破れる(世界を空間反転すると、すなわち鏡に映すと、物理法則が変化する)という当時の物理学の常識をくつがえす発見に贈られています。

このような主張をすると、すぐに反論が返ってきます。いわく、地動説やパリティ対称性の破れは、大量の実験結果によって支えられて、正しいことが確認されているのであると。

このような反論は、まったく笑止というほかありません。それを言うなら、サンタクロースの存在は、1億人の子供とその両親や親族2億人以上、少なくとも毎年3億人以上によって確認されている事実です。

水が何からできているかご存知でしょうか? 水素と酸素ですね。それは水を電気分解する実験で確認ができます。では、みなさんは水の電気分解実験をこれまで何回行いましたか? せいぜい1回でしょう。先進国の日本ですら、このありさまです。一部にはたくさんの実験を重ねた方もいらっしゃるでしょうが、おそらく世界全体の平均を取れば、1人が一生に1回も実験すればよいほうでしょう。

現在の世界の平均寿命はおよそ65歳です。大ざっぱに、60億人が1人あたり60年間に1回実験するとみなして、年に1億回の実験がなされているのかもあやしいわけです。つまり、サンタクロースが存在するという事実は、水が水素と酸素でできているという事実よりも、はるかに多くの観察に支えられているということです。

さてここで、信じられないことに、その観測結果の妥当性を問題にする人がいます。すなわち、あろうことか、サンタクロースは実は父親であり、両親が子供にウソをついているのだというわけです。まったく、どうやったらこんな非人間的な発想ができるのでしょう。ゲームばっかりやってるからでしょうか。

この議論の主は、サンタというたった1人の存在を抹消するために、なんと世界で2億人以上の善良な人間をウソつきにしようというのです。これはまさに陰謀論的世界観と言わざるをえません。毎年、世界中の子供にプレゼントが配られているという「事実」を、まずは直視すべきです。例えば、人を轢き殺しておいて、「死んだ人間などいない。みんなが自分を犯人だというが、日本人全員がウソをついている」などと言う者は、気が触れています。サンタを否定するのはこれとまったく同じことです。

「サンタを見たものがだれもいないではないか」という声もあります。しかし、だからなんなのでしょう。「我々がサンタを見たことがない」のはサンタの責任なのでしょうか。それは単に、我々自身の観測技術の稚拙さを意味するにすぎません。「自分はテストで100点を見たことがないから、テストに100点は存在しない」などほざく者は嘲笑をあびるはずです。

そもそも「存在する」とはどういうことですか? 見える、さわれるということでしょうか? では「波」というものはどこに「存在」しますか? 海にいけば、波は見えるし、さわれるじゃないかという人は、「波」をバケツに入れてもってきてください。「ドーナツの穴」はどこに「存在」しますか? ちなみに、私はいつも穴だけ残してドーナツを食べることにしています。

逆に「さわれる」ものは「ある」はずだ、などというのも、我々人間の認知システムを過信した妄言です。例えば、「幻肢」という現象をご存知でしょうか。事故などで失われたはずの手足がそこに「ある」と感じてしまうことです。つまるところ、「触覚の有無」と「存在」には明確な対応などないのです。

何かが「ある」かどうかというのは、究極的に我々の、世界に対する「信頼」によっていると言えるでしょう。その信頼というのは、何も「これまでの科学的知識」にばかりよるものではありません。ですから、子供に「サンタさんっているの?」と聞かれたら、「いる」と答えればいいんです。「サンタさんはどうやってうちに入ってくるの?」と子供に聞かれたら、「不思議な力で」と答えてあげればいいんです。ただし、「なんでサンタさんのプレゼントはダイエーの紙に包んであるの?」などと子供に聞かれるとちょっと苦しいですね。そこはひとつ、ちゃんとおねがいしますよサンタさん。