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2006年8月22日 井の中の蛙は大海を知る、水のめぐる星、どこかに井戸を隠してるから このエントリーを含むブックマーク

「井の中のかわず、大海を知らず」という有名なことわざがありますね。このカエル君が、私は可哀想でなりません。みんな、分かっちゃいないんです! 今日は、井の中の蛙は、大海を知ることができる、ということを考えます。

英語から輸入され、日本でも定着していることわざに、「木を見て森を見ず」というのがあります。あるいは「井の中の蛙、大海を知らず」ともいいます。細部にこだわって見当をつけられない愚かな状態のことを笑っているのです。部分的な、狭い知識だけでは全体がどうなっているのかは判断できません。大きな立場から見ると、それまで見えていなかったことが見え、わからないこともわかるようになります。

山鳥重「『わかる』とはどういうことか」より

上記の文章は、手元の入試問題データを「蛙」でちょこっと検索したら出てきたものです。ここに登場する「井の中の蛙」。彼はおそらく、松尾芭蕉の「古池に飛び込む蛙」とならんで、日本人になじみ深いカエルでありましょう。しかし、なんと可哀想なカエルなのでしょうか!

この「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉の出典は、『荘子』の秋水編であるとされています。『荘子』が書かれたのは紀元前ですから、このカエルは、かれこれ2000年以上も、愚か者の代名詞とされてきたのです。

ところで、最近の日本では、このカエルの再評価が始まっているようです。検索エンジンで「井の中の蛙 大海を知らず」を検索してみますと、どうもみなさん同じ話をしていらっしゃいます。それは、このことわざには続きがある、というのですね。

読んでみますと、「井の中の蛙、大海を知らず」に続いて、「されど、空の青さを知る」あるいは「されど、空の深さを知る」などの言葉が付け足されています。なるほどー、なかなか心打つ言葉じゃありませんか。

しかしですね、みなさん。こういうのは普通、「負け惜しみ」といいませんか。

それは言い過ぎにしても、この言葉、万人の救いになる言葉ではないでしょう。「井の中の蛙、大海を知らず。されど、空の深さを知る」という言葉の真意は、深い井戸が掘れて、その底に降り立つことができたものだけが「空の深さ」を知ることができる、ということではないでしょうか。なんで、みなさん、自分が「深い井戸の底」に降りられることを疑わないのでしょうか? まさか、井戸はもう既に掘ってあって、あとは飛び込むだけだ、なんて思ってらっしゃるんじゃないでしょうね。

あまつさえ、自分がもう「空の深さ」を知っているようなことを言う人までいますが、それは本物の「深い空」ですか? ちなみに、深い井戸の中から空を見ると、太陽の散乱光の影響がなくなるので、昼間でも星が見えるんですけど。星、見えてます? みんなと同じ空しか見えないのであれば、井戸の深さが足りないと思いますよ。

というかですね、実はこっからが本題なのですが、そもそも、なんで、みなさんは、「井の中の蛙は大海を知らない」と決めつけて話をしているのでしょうか? 井戸の中にいるのだから当たり前? ちっちっ、そこが思い込みだというのです。

よろしいか、井の中の蛙だって、大海ぐらい知ってるんですよ!

あ、今、「何言ってんだコイツ馬鹿じゃねーか」、と思いましたよね。いや、思った。まあ、いいでしょう。ここはひとつ私の話を聞いていただこうじゃないですか。証明してみせますよ。井の中の蛙も大海を知っている、ということを!

それでは、ルールを決めましょう。私は、今から井戸の中の一匹のカエルになります。そして、井戸の中で観察できることのみを材料に、合理的な推理でもって、「大海」の存在を結論します。はたして、そんなことが可能なのか。

可能なんです。

では、始めましょう。いきますよ、みなさん、深く、深い――井戸の中へ。

さて、井戸の中。ここはどのような世界なのでしょうか。もちろん、水がたまっています。私はその中を泳ぐ一匹のカエルです。私には、何が見えているのでしょうか。

まず、天井からは光が差し込んでいます。太陽や月が見えるかどうかは分かりませんが、時間によって明るさが変化することは分かります。また、雨がふるのも分かります。鳥が飛ぶのも見えます。また、水をくむための釣瓶つるべがあるものとします。

もちろん、たいがいの井戸というのはフタをされてるものですが、さすがにそんなことをされますと、「されど、空の青さを知る」ことすらできません。ここは、井戸にはフタがないものと仮定させていただいても、かまわないでしょう。

カエルである私は、まず「空の高さ」に気づきます。井戸のふちに留まる鳥が、空を飛ぶときあんなに小さく見えること、そのさらに上に雲があること、さらに上に星々があること。どうやら、世界が上にずーっと続いているらしいことは、分かります。

雨がふります。井戸の水位はどう変わるでしょうか。地面にじわじわとしみこんだ水が井戸の水位を上げるまでには、数日以上かかります。私は、じきに、雨と井戸水位の関係に気づきます。空から降った雨水は、この井戸の中にすぐ流れ込んでくるわけではない。しばらく、どこかにたまっているらしい。どうやら、この世界は、上だけでなく、前後左右にも広がっているようです。

私は、太陽光の動きを観察します。影のできかたを観察して、光が直進していることに気づきます。あの強い光は、どうやら朝と夕には、ほとんど横から差し込んでくるようです。しかし、光の強さはそんなに変わらない。むしろ、朝夕のほうが弱いぐらい。したがって、光源から井戸までの距離が短くなっている、ということはなさそうだ。つまり、あの光を出している物体は、朝夕には、はるか遠くから、横方向に光を照らしているわけだ。ということは、この世界はかなり広いに違いない。

さて、世界の広さが分かったところで、今度は、水について考えましょう。空からふる雨水は、いったいどこから来ているのだろうか?

空から無限に水が湧いて出てくるのでしょうか? しかし、だとすれば、いつか地上は水びたしになってしまうのではないか? ならば、そこには「大海」が発生するはずだ。

こう結論してしまっては、もはや「大海を知らない蛙」とは言えません。そこで、私は、こう考えます。地上に落ちた水は、どこかに消えてなくなるはずだ。しかし、この井戸の中に水がこんこんと湧いて出てきているところを見ると、雨水が無限に下へ下へと落ちていくことはないのだろう。では、いったい、水はどこへ行くのか?

そこでは、私は、世界をよく観察します。そして、釣瓶に入った水が、時間とともに減っていくことに気づきます。また、水面から顔を出していると、自分の体の表面が乾燥していくことにも。どうやら、水は少しずつ空気中に逃げているらしい。

なるほど、これなら、つじつまが合う。地上に落ちた水は、空気中に蒸発し、それが再び雨となって、落ちるのだ。

水の循環。実は、ここに突破口があるのです。

陸地と海では、どちらが水の蒸発量が多いでしょうか。言うまでもなく海です。ところで、地球全体の水の循環を考えると、雨になって降ってくる水と、蒸発して雲になる水の量は、つり合っていなければなりません。ということは、陸地では蒸発量より降水量が多く、海では降水量より蒸発量が多い、ということになります。

実際は、海のほうが同じ面積あたりの雨の量が多いので、ちょっと話がややこしいのですが、実際に推定されている水の循環量で見てみます。岩波地球惑星科学講座『地球システム科学』によると、陸上では、降水107に対して蒸発71。海上では、降水398に対して、蒸発434です(単位は、10万kg/年)。だいじょぶそうです。

ここで、再び井戸の中に戻りましょう。カエルである私は、この降水量と蒸発量の関係に気づくことができるでしょうか? まずは、釣瓶の中に雨水を入れて放置してみます。すると、次の雨が降る前に中の水が乾燥してしまう確率が高いようです。「水びたしの世界」では、蒸発量のほうが大きいからです。

では、陸地の蒸発量は分かるでしょうか。井戸の壁を観察してもよさそうですが、推理でも分かります。井戸のまわりに降った雨は、土の中にしみこんでいたのでした。ということは、当然、その分蒸発量は減っているはずです。「陸の世界」では、蒸発量は降水量より少なくなることが分かります。

カエルは考えます。ということは、世界がもしすべて「陸の世界」であるならば、蒸発量より降水量のほうが大きくなってしまう。これでは雨水がどこから来るかが説明できない。ということは、世界には、「陸の世界」だけでなく、「水の世界」が存在して、降水量と蒸発量のバランスをとっているはずだ。

つまり、この世界には、でかい「水の世界」がなくてはならない!

では、いったいその「水の世界」はどのぐらいの大きさになるのか? これは、カエル君が、井戸の中で、降水量と蒸発量について、どれだけ正確な観測を行えるかによって変わってきます。仮にカエル君が上記の『地球システム科学』どおりの観測結果を得たとしましょう。

ただし、カエル君には、陸地と海面での降水量の違い、ということは分からないでしょう。そこで、海面降水量も陸地降水量と同じであると仮定して計算をします。これですと、海の面積は、現実のそれよりだいぶ小さくなります。計算は省きますが、カエル君は、次の結論に到達するはずです。世界の面積の約3分の1が海である、と。本当は、海はもっと大きいんですが。

しかし、これでも十分ではないでしょうか。

よろしいですか、カエル君は、「この世界の少なくとも3分の1以上は水の世界である」ということを推論することができたのです。それも、井戸の中での観察結果のみを用いて!

もちろん、井戸の中は日光が直射しませんから、蒸発量などはかなり外の世界とは違うでしょう。カエル君が正確な観測結果を手に入れるのは大変です。しかし、観測結果にちょっとぐらい誤差があっても大した問題ではありません。「この世界には、大きな水の世界があるはずだ」という結論は、ゆるがないでしょう。

さて、みなさん、いかがでしょうか。私から、まず一言、言わせてください。

あやまれ! みんな、カエル君にあやまれ!

井戸の中にいるから大海を知らないだろうなんて、なんと浅はかな決めつけですか。カエルをなめんなよ、と。カエルだって地球侵略しちゃう時代なんですよ! 大海ぐらい知ってるっつーの! わははは、ざまあみやがれ!

とりあえず、みなさん、井戸の中にいるのだから大海なんか分からなくて当然だ、という思考はもうやめましょうや。「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ」と言ったのは星の王子さまでしたが、私たちは、その井戸の中にいるのです。もったいないです。

「されど、空の青さを知る」。これは素敵な言葉です。それは認めます。私だって、井の中の蛙です。でもね、みなさん、空ばかり見上げてても面白くないですよ。だって、私たちがいる井戸の中は、こんなにも面白い世界なのですから。

氷 2006/08/24 17:24 重力の井戸の底の人間、宇宙を知る。
されど惑星の数知らず。

「知る」というのが単に「知覚する」という意味なのか、それとも「身を以って体験する」という意味なのか?

単に知っているという事と、それが見識となっているかは別ですよね。地球上から出ることもできずに生きている人間が、宇宙が存在することを知っている。では、宇宙に比べればと慢心を自制したり、宇宙規模でモノを考えたり、という事がどれだけできているだろうか。話を卑小にしていけば、海外が存在する事を知っているのと、海外経験があるという事は話が別である。女性が存在する事を知っているのと(以下略)。
やはり井蛙の喩えは死に切らない。井戸の外は一回り大きな井戸の中でしかない。どこかのレベルで我々はやはり井戸の中にいる。

この喩えに対して前向きな姿勢の一つに、こんなのがあります。
「しかし、大海に通用しなかったとは一言も言っていない。
 大海を知らない蛙の中にも、充分大海に通用した蛙はいたはずだ!
 歴史の空白の1ページを俺たちが切り開いているのだ。
 先人の腰の抜けた言動に惑わされるな!」
(#記憶で書いているので一字一句正確ではないかもしれません)
 一つ井戸から外に出てみようと思ったとき、この返し方は威勢が好くて好いと思いませんか。

MrJohnnyMrJohnny 2006/08/24 22:30 氷さん、その解釈はなんというか青春の希望のようなものに満ちていていいですね。カエル君も喜ぶことでしょう。しかし、なるほど、確かに「知る」とは何か? というのは根源的な疑問なのでした。

ところで、「大海を身を以って体験する」ということになると、ちょっと私は言いたいことがありまして、もともとカエルは淡水に暮らす生物であり、海水を身をもって体験しても、おそらく浸透圧の調整ができないので、楽しくないと思うわけですよ。つうか死ぬってば、なのですよ。そうなると、そもそも、この言葉というのは、カエル君がやりたくもないものを例に挙げて「お前は、ナントカを知らないだろう!」と言っているという無茶苦茶な言葉なのですよ。例えば「お前は男と男の愛の素薔薇しさを知らない!」とか言われても困るなのですよ。ということで、私はまず、この言葉の不当性を糾弾したい! いや、まあ、氷さんに言っても仕方ないのですが。

つうわけで、ここは一つ、「存在を知っている」ということのみで勘弁してはいただけないものかと、井の中カエル君に代わって、お願いしたいわけであります。

FummyFummy 2006/08/25 00:28 氷さん
>大海を知らない蛙の中にも、充分大海に通用した蛙はいたはずだ!

『逆境ナイン』ですね。
あのマンガは箴言の宝庫です。

砕天蛙砕天蛙 2006/08/25 00:30 鳥は大小いろいろあるよ。空は青かったり雲が流れたり星が見えたりするちょっと遠くにある絵柄が変わるものだよ。竹本泉は昼の空は書割だと言ってるし。雨降りの少し後で水位が上がるのは、雨ってヤツは水位が上がる前兆だからだよ。水はわれわれの行くことのできない地下に溜まる。空が重くなると雨が降る。空はわれわれの井戸を押し下げる。地下の水は行き場がなくなって井戸の水位を上げる。
 水に深く潜ると浅いところにいるより暗くなる。寒くなる。つまり、寒いというのは暗いということだ。水面に波があると水中の明暗も波になる。われわれのいるところよりずっと上の壁が明るくなるのが時間によって変わる。どっかあのあたりにわれわれのいるところと違った種類の界面があるに違いない。ちょうど空気と水との界面のような。
 世界の水の総量? この井戸の中に水がこんこんと湧いて出てきているが、水位が上がっても雨が降っているほど長く雨が降ったとしても、この井戸を溢れることはないから、それほど大きな量ではない。
 ここまでの推定であれば、この井戸以外に世界は不要だ。井戸に降った雨によって直接水位が上がらない限り、水は、空気中に蒸発し、それが再び雨となって、落ちて巨大な世界を循環するという推論は飛躍が過ぎる。蒸発した水はどこへ? われわれの行くことのできない、あの縁のあたりのもうひとつの種類の水面は空気中に蒸発した水が作ったもうひとつ別の種類の水かもしれない。そして空はさらに上にある界面だ。それはまた違った形態の水でできている。こちらの世界なら井戸の太さで完結する。われわれの見たことのない知ることのできない広大な世界を導入するよりも簡潔でもっともらしいだろう?
 これで「どうして勉強しなくちゃいけないの」かわかるだろう? MrJohnny蛙のやったようにありそうなことを並べ立てられても、騙されないだけの自分で考える頭がもてる可能性が高くなるからだよ。
 バリントン・J・ベイリー蛙ならもっと強固で違った異様な世界を提供するだろうが。

MrJohnnyMrJohnny 2006/08/25 06:58 おおおおおっ、砕天蛙さん、これはめちゃくちゃ面白いじゃありませんか! 特に「界面」まわりの想像力にはシビれました。あまりに美しいです。こんな面白いを世界に比べたら、なんだか「大海」なんてどうでもいい気がしてきます。人間は、井の中の蛙を知らず。

「コウモリであるとはどのようなことか」といえば認知科学の典型問題ですが、「井戸の中のカエルであるとはどのようなことか」でも一つの学問が興せそうですねえ。してみると、MrJohnny蛙を「カエルの形をした人間」にしてエントリを書く想像力しかなかった時点で、私は井戸の中に既に落ちていたのであり、そしてカエル君をも巻き添えにしたのでありました。なるほど、なぜこのエントリが失敗したのか、なんとなく分かりました。

x79xxxx79xxx 2006/10/23 07:16 おもしろかったです。
地球の表面に張り付いて、時折、太陽系に探査衛星を飛ばして宇宙の全体や始まりと終わりを考えてしまう人間は、もっと大きな視点からみると井の中でいろいろと外のことをいろいろと考えている蛙かもしれないです。

MrJohnnyMrJohnny 2006/10/26 16:50 x79xxxさん、ありがとうございます。しかし、そう考えてみると、井の中の蛙というのはけっこうロマンですよねえ。私は、こういう、かすかな情報をもとに「世界のはて」について考える、というシチュエーションにメロメロなので、このエントリは、アイデアだけは好きなんですよねえ。専門知識のある人と細部をつめたいなあ、と思っています。

hiihhiih 2009/04/24 19:26 大海って存在を知らないんじゃなくて
どういうものなのかが知らない

pAhgcqpAhgcq 2011/10/06 22:35 井の中の蛙をしらべていてここへたどりつきました。
私も蛙君ごめんねとはじめに思いました。
知らないとか知ろうとしないという言葉に使用してと思ったからです。

拝見しまして、
井の中の蛙の蛙君が思考し想像し大海も大空もしった
私たちがいる井戸の中は、こんなにも面白い世界なのですから。
なるほど、私は面白い世界でいる事もすきなので
数年間は井の中でいると思います。
その後井の外へと飛び出そうとツルベを利用し外へでたいと思ってしまいます。
私の場合
その後想像していた大海と大空の世界を実体験し満喫すると思います。