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2006年8月26日 「人一倍」は何倍か、いちにさんし よんさんにいち、言葉という生命 このエントリーを含むブックマーク

「いち、にー、さん…」と、10まで数えてください。今度は、「じゅう、きゅう、はち…」と、1までお願いします。今、4と7の読み方が変わりませんでしたか? どうしてですかねえ? 今日は、数字を含んだ慣用表現にまつわる小ネタを中心に、言葉という生命について考えます。

 南部に歯取る唐人ありき。或る在家人の慳貪けんどんにして、利簡を先とし、事に触れて、商心あきなひこころのみありて、徳もありけるが、むしの食ひたる歯を取らせんとて、唐人が許へ行きぬ。歯取るには、銭二文に定めたるを、「一文にて取りてべ」と言ふ。小分の事なれば、ただも取るべけれども、心ざまの悪さに、「ふつと一文には取らじ。」と言ふ。「さらば、三文にて、歯二つ取りて賜べ」とて、蟲も食はぬ、世に良き歯をとりそへて、二つに取らせてけり。心には得利と思ひけめども、きずなき歯を失ひぬる、大きなる損なり。これは大きに愚かなる事、をこがましき仕業なり。

『沙石集』より

なかなかこう、身につまされる話ですな。だいたい次のような筋書きです。

あるドケチな男が虫歯になった。歯医者は、歯一本を二文で抜くという。男は、金をもっていたくせに「一文でやってくれ」と値切る。歯医者は、少額のことだしタダで抜いてもやってもよかったのだが、男の性根の汚さに、「絶対に一文では抜かない」と言う。男は、「それなら、三文で二つ抜いてくれ」と頼んで、健康な歯も合わせて抜いてもらった。これで得をしたと思っているが、大損だ。愚かだ、馬鹿だ。

まあ、現代の我々も変なオマケに乗せられて、うかうかと商品を買ったりしますから、この男のことをあまり笑えません。「今なら、万能すのこもおつけして、御奉仕価格1万円!」 ……いや、「すのこ」なんかいらないんだよ、ていうか「すのこ」に「万能」とかついてる時点でおかしいんだよ、気づけよ、……オレ。

ところで、この話は、「二束三文」ならぬ「二歯三文」でして、当時の金銭の価値を考えるなかなか面白い資料になります。『沙石集』が成立したのは、1280年前後とされますので、この当時の三文の価値は「抜歯2本分」ということになります。

現在だと、抜歯の値段というのは、最も安い乳歯で1400円+再診料400円ぐらい(保険なし)のようです。となると、2本抜けば、3200円です。三文というのは、けして安くはなさそうです。

「三文」の価値は、言うまでもなく「早起きは三文の得」の意味に直接かかわります。

2chコピペに、「良い子の諸君! 早起きは三文の得というが、今のお金にすると60円くらいだ。寝てたほうがマシだな。」というものがありました。私は、この「60円」という数字の出所がずっと気になっていました。

「三文」というのは、「二束三文」「三文文士」「三文判」など、安い値段の代名詞ですが、時代によってはひょっとして大金だったのかも!? もし「三文」に3000円近い価値があるなら、ンなもん明日から早起きしまくりですよ!

これをきちんと調べるには、このことわざがいつ頃成立し、その時代の貨幣価値がいくらかを知る必要がありますが、どうもよく分かりませんでした。例えば、江戸時代の貨幣価値については、「一文と一両の価値」という素晴らしいページがありましたが、「1文=5〜50円」ぐらいでかなり幅があります。

ともかく、こういう、数字が入った慣用表現というのは、面白い話題を提供してくれます。いろいろ例を見ましょう。

「人一倍」という言葉は妙です。「一倍」じゃ変わんないじゃんか、と。調べてみると、江戸時代頃は、「a倍」というのは、「元の数にa倍を足した数」という意味で、「一倍」は「2倍」の意味でした。今でいう「2倍」のことは「二層倍」と言ったそうです。江戸時代の算術書『塵劫記じんこうき』の中に「ひにひに一ばいの事」という項目があり、お米1粒を2倍にしていったら、30日目にいくらになるか、という問題が載っています。なお、答えは、5億3687万0912粒。

『塵劫記』はなかなか面白いネタが多いです。九九を言うとき、「ににんがし」のように「が」が入るものと、「にごじゅう」のように入らないものがありますが、どうやって区別しているかご存知ですか? 積を計算した結果が1ケタのときは「が」が入る、というのが答えです。これは、九九を算盤そろばんで計算するときにリズムをとるためです。ちなみに「九九」を「九九」というのは、昔は「九九八十一」から数えていたから、だそうです。

「九分九厘」という言い方があります。「九分九厘間違いない」などと使いますが、考えてみると、「9分9厘」では「9.9%」にしかなりません。これは、江戸時代の小数表記には「割」がなかったためです。つまり「十分」で100%、文字通り十分だったのです。これで、「村八分」「一寸の虫にも五分の魂」「五分五分」などの意味がいっぺんに説明できます。

「一本、二本、三本」は「いっぽん、にほん、さんぼん」と読みますが、これはなぜでしょうか。ずばり「なぜ「いっぽん、にほん、さんぼん」なのか?」を考察したサイトによると、日本語では昔「は行」を「ぱ行」で発音していた(「ひよこ」は「ぴよこ」でした!)名残りと、連濁(三日月みかづきなど、合成語の下の語が濁る現象)が重なったためのようです。

井上ひさし日本語観察ノート』に面白い問題が出てきます。1,2,3,4…と数え上げるとき、「いち、にー、さん、し、ごー、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう」と数える人が多いでしょう。では、数え下げるときは? 「じゅう、きゅう、はち、なな、ろく、ごー、よん、さん、にー、いち」ではないですか? 4と7の読み方が変わっています。

井上ひさしによると「わたしたちはふだんの生活の中で数え上げることをよくする。そこで、『しー』『しち』という漢語風の言い方に慣れている。ところが数え下げるカウント・ダウンのはまれで、慣れていない。そこで『なな』『よん』という大和言葉風な生地きじが現れるのだ」とのことです。私には、あまりピンときません。

この問題に対する定説はないようですが、私は、高杉親知さんのサイトにある「日本語の数体系」における考察に説得力を感じました。まず、「四」「七」はかつて「し」「しち」とのみ読まれていました。しかし、「四」を「し」と読むのは、「死」などに通じて紛らわしいので「よん」に、また、「七」を「しち」と読むのは「いち」と紛らわしいので「なな」に置き換えられました。

ところが、「いち、に、さん、し…」という読み方は、既に「決まり文句」になってしまっているため、このまま保存されました。一方、カウント・ダウンをすることは日常ではあまりありません。ですから、慣用的な読み方にとらわれず、合理的な読み方になる、というわけです。

なるほど、確かに熟語として読み方が固定されている場合は、「四」は「し」と読みます。例えば「四十九日しじゅうくにち」、「四十七士しじゅうしちし」などですね。ところが、例えば「四十七人」を読め、と言われたら、ほとんどの人は「よんじゅうななにん」と読むでしょう。

ちなみに、上記リンク先、高杉親知さんのサイトには、日本だけでなく「世界の言語の数体系」もあります。私は、フランス語の記数法(例えば、97をquatre-vingt-dix-sept 4×20+10+7と表す)にうんざりさせられたクチなのですが、そのフランス語も複雑さでは世界19位とされています。1位のフリ語は15進法、2位のンドム語は6進法を基本にした数体系です。おそれいりました。

さて、こうして、いろいろ見てきましたが、これらの言葉たちから共通して分かることがあります。それは、言葉はタイムカプセルである、ということです。古い時代の思考や習慣を閉じ込めて、現代に伝えてくれるもの。それが言葉です。このような文化財としての言葉の役割は、なかなか無視できません。

このタイムカプセルとしての言葉がどう働くか考えたとき、実は言葉には二つの相反する機能があることが分かります。

まずは、当然ですが、概念を保存する働きです。しかし、もし言葉が未来永劫変化せず、昔ながらの姿であり続けるなら、そもそも「早起きは三文の得」という言葉は生まれなかったでしょう。この言葉は、貨幣経済が定着し、労働が美徳となった時代のことわざでしょう。すなわち、その時代の変化を取り入れて新しい言葉を生み出す働きも、また言葉の本質です。

恒常性ホメオスタシス新陳代謝メタボリスム。それが両方そろって初めて言葉は躍動します。これは生物に要求される働きといっしょです。その意味で、言葉が生き物だ、というのは実に納得のいく話です。

しかし、言葉とはおそるべき構造体です。細部を常に変化させつつ、しかし全体として統一された構造としてあり続ける。私自身の身体や意識がまさに同じことをしているわけですが、そこに何が起こっているのか激しく興味をもちます。そして、ニューロンのネットワークから意識が生まれたように、どこかに日本語の「意識」が生まれることはないのか。

とはいえ、今日は言葉にまつわる小ネタ中心の軽い更新にするつもりでした。あまり大風呂敷を広げずに、このへんでシメとさせていただきます。

imsutimsut 2006/08/28 00:10 > お米1粒を2倍にしていったら、30日後にいくらになるか、という問題が載っています。なお、答えは、5億3687万0912粒。
1日後で2粒、2日後で4粒だったら、30日後は約10億粒だと思うのですが・・・。

MrJohnnyMrJohnny 2006/08/28 00:35 あらら、こりゃミスりました。『塵劫記』見たら「三十日には」と書いてありましたね。「30日後に」→「30日目に」に修正しました。しかし、なんでこんなおそるべき早さでツッコミ入りますか。すばらしいです。imsutさん、ありがとうございます。

山下山下 2006/08/28 02:46 数字の読みといえば例えば「升譽帖廚鬚覆鵑汎匹爐戮か、というのが少し前に朝日新聞でも話題になりましたね。
読みの誤り?が認識されなくなりつつあるのは、複L上明らかだった音の変化パターンが仮名遣いの変化によって複L上で区別できなくなってしまったことが影響しているとか。
「升vのような日常に密着した語さえ、言語システムの変化に引きずられて変化してしまったりするのだとしたらなかなか面白いですね。

山下山下 2006/08/28 20:37 なんだこの文字化け…PHSだとひどいなあ
それぞれ「十個」、表記上、「十」、です。

MrJohnnyMrJohnny 2006/08/28 20:44 山下さん、こんにちは。

きっと「十」の話だろうと思ってコメントを書いていました。ナイスタイミングの修正ありがとうございます。この話↓ですよね。これは確かに大変面白い問題です。
http://blogs.dion.ne.jp/bunsuke/archives/2901436.html

「十分」は、その語の成り立ちからすると「じっぷん」が正しいにもかかわらず、ほとんどの人が「じゅっぷん」と読んでしまう。

そら、「じゅっ」のほうが言いやすいですもんねえ。元々、日本語は、イ段の音が拗音に近い(口蓋化)。ja,ji,ju,je,joとならべると、jiだけが「ジ」で、残りは拗音です。それに、イ音の口の形からP音に移行すんのもしんどいし。だから、もう「じゅっぷん」でいいんじゃねえ? と、私は思います。

山下さんの御指摘のように言語システムが変化することによって、発音という「肉体」を抑えつけていた文法のくびきが外れ、「肉体」が暴れ出したような印象をもってます。言葉は、必ず肉体によって処理されるという側面もあるから面白いですよねえ。

nanashinanashi 2006/08/28 22:19 いつも楽しく拝見させていただいています。
水を差すようで恐縮なのですが「三文の徳」では?
早起きは得をするという意味ではなく、ちょっとした功徳になるという意味だったような記憶があります。

MrJohnnyMrJohnny 2006/08/28 23:04 nanashiさん、御指摘どうもです。「徳」か「得」かについては、執筆時点で検索をかけ、「得」のほうがヒット数が多いこと、ゆえに検索経由のお客さんは「得」で検索してくるだろうと推測したこと。あとは、ゼニカネの話なので「得」にしたほうがいいかなー、と思って選んだんですが。うーん、やっぱ「得」のほうだと違和感おぼえる人が多いんですかねえ。

ところで、「徳」が「功徳」の意味だというのは面白いので、時間があったら調べてみます。私の理解では、この「徳」は、単なる「得」の通用字(「徳用」とかの「徳」)だったんですが、なるほど、早起きに直接的な見返りを期待すんなってことなのかもしれないですね。

imsutimsut 2006/08/29 11:36 プロフィール拝見しました。国語の先生だったのですね。毎回深い内容のエントリーでスゴイです。受験問題ってこんなに難しかったっけ? と驚いています。
32bit(2の32乗)が約40億なので、30日後(2の30乗)は、40億を4(2の2乗)で割った数(約10億)だろうなあと思って、Excelで確認しました。しがないエンジニアです。
これからも楽しみにしています。

tennteketennteke 2006/08/29 13:08 初めまして。
「早起きは三文の得」の三文は、
行灯など明かりの油代だと聞いております。
早起きをするなら早寝をしないといけない、
その晩に使うはずだった油代は節約できる、
それが三文ぶんだとか。

nanashinanashi 2006/08/29 23:50 手元の岩波国語辞典第二版では「三文の徳」という表記になってたんで書き込んでしまいましたが、SEO対策とはお見それしました。
徳=功徳説は脳内ソースだけではアレなんでちょっと調べてみましたが、ネット上ではそれっぽい説は見つけられませんでした。
「早起きは三門の徳」なんて諺も見つけましたが、これはおそらく洒落の類でしょう。
もっとも、これを洒落と断じてしまうと徳=功徳説も怪しくなってくるわけですが。

「三文の得」に関しては
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昔の奈良では鹿がとても大切にされていて、
家の前で死んでいると罰金(三文)が課せられたらしいのです。
で、朝早く起きる→鹿家の前で死亡発見→他の家の前に移動
→罰金無しでお得だったそうな。
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なんてもっともらしい説もあったりしてもう「得」でいいよ!(逆ギレ)って感じなんですが、さらに調べていただけると何か新しい発見があるかもしれません。

引用元:http://www.unexpectedprices.com/main-122.html

MrJohnnyMrJohnny 2006/08/30 14:12 imsutさん、ありがとうございます。ところで、「32bitが約40億」というのを覚えていらっしゃる、というところに強く親近感を感じました。私は、中学校時代に素因数分解のプログラムに凝ったことがありまして、そのテスト用のサンプルとして「2の32乗+1」を使っていたんですよ。ですから今でも「2の32乗+1」=4294967297は暗唱できます。

tenntekeさん、その説は初めて聞きました。なるほど、燃料の問題がありましたか。爪に火をともす、ということわざが成立するぐらいですから、照明問題はそれなりに深刻だったのでしょうね。

nanashiさん、その鹿の話は大変面白いですね。この場合、相手より早起きしなければ意味がないわけですから、必然的に早起き合戦になりますが、そうなると互いに眠くて仕方がないという、囚人のジレンマ状況に入ります。おそらく奈良の人が十分合理的ならば、互いに協調しあうでしょう。すなわち、ゆったりと寝て、鹿の罰金は地域住人全体で折半する協定を結ぶはずです。で、いったんこの協定が成立すると、自宅の前の鹿を他家に移動するメリットがほとんどなくなるので、この状態で安定しそうです。

お部屋お部屋 2010/05/28 17:05 部屋