2006年9月17日 無限より大きな無限、ヒルベルト・ホテルの日記、少年はまた歩き出す 
どんな「無限」にもそれより大きな「無限」がある! 数式を一切使わずに、この「無限」についての事実を証明してみましょう。今日は、無限と、ある少年の勇気について考えます。
その夜、父は星が地球からどのくらい遠くにあるか、どのぐらい大きいかを話してくれた。
何千光年も遠くにある星。光が一年間に進む距離を一光年として何千年。ぼくは覚えたての無限という言葉を思った。でも、それはポテトチップスが無限にあったらいい、という時の“無限”とは違う。考えようとすると頭がしんしんする無限だ。こわいほどの無限だ。ぼくは父の首にしがみついた。
今はあの時とは違う。
父と兄にいくつもの星座の名前も教わったし、銀河宇宙の大きさも知っている。望遠鏡だって、兄がいなければ自分ひとりで使えると思う。今日だって、おうし座流星群を見にきたのだ。
二人で望遠鏡をかついで斜面を登る。十分も登ると、昨日の雨で湿った
萱 がまとわりつき、露が靴下をつきぬけ、足の指の間でうずくまった。(中略)「もうすぐ、シリウスの季節だなあ」
兄が東の空を見る。
「シリウス、うん」
「来月になるとシリウスが東の空に顔を出す。砂漠のアラビア人はシリウスを『千の色の星』とも呼ぶんだ。見ている間に、青、白、緑、紫とプリズムみたいに色を変えるから」
「シリウスって一番明るい星だよね」
「そうさ。でも、直径は太陽の二倍しかない。地球からの距離が八・六光年で、日本から見える恒星では最も近いから明るく見えるんだ」
兄の力強い話し方はまるで死んだ父そっくりだった。
「八・六光年かぁ」
八年前といえば、まだ父が生きていたころだ。その時シリウスを出発した光がもうすぐ地球に届く。宇宙は巨大なアルバムだ。ぼくらは宇宙の隅っこに取り残されているわけじゃない。ぼくは、“勇気”を取り戻した。
なんと、ビートたけしの小説です。テレビや映画監督としての彼しか知らない人は、非常に新鮮な印象を感じるのではないでしょうか。
主人公の「ぼく」は、幼い頃、父親に宇宙という無限について教えられます。それまで、「ポテトチップスが無限にあったらいい」という「無限」については理解していた「ぼく」でしたが、宇宙という無限には畏怖の念を感じたようです。
そして、八年後。父親をなくし、転校先の学校にもなじめない「ぼく」は、まるで自分たち兄弟が「宇宙に二人だけとり残されたよう」な気分になっていました。そんなとき、自分が見ているシリウスの光が、まだ父親が生きていたときのものであることに気づいた「ぼく」は、勇気を取り戻します。
さて、今日は無限の話です。この物語で「ぼく」は、「ポテトチップスの無限」と「宇宙の無限」とに違いを感じたわけですが、ちょっと考えると、「無限」に種類の違いがある、というのはなんだか不思議な気もします。だって、無限って「一番大きい数」じゃないんですかね? 一番大きい数よりさらに大きい数なんてないんじゃないでしょうか。
無限についてのたとえ話でよく出てくる例を使いましょう。「ヒルベルト・ホテル」です。「ヒルベルト」というのは、このたとえを考えた数学者の名前です。このホテルは、無限個の部屋をもっています。正確に言いますと、このホテルには、自然数(1,2,3…)と同じだけの部屋がありまして、各部屋には1から番号がふってあります。
さて、ある日、ヒルベルト・ホテルは満室になっていました。ここに、1人の客が泊まりにきます。ふつうならお断りを願うところでありますが、ところが、ヒルベルト・ホテルは、満室の状態から新たに客を泊めてしまいます。いったい、どうするのか?
支配人は、こうしたのです。まず、1号室の客に2号室に移ってもらいます。同じく、2号室の客は3号室へ。3号室の客は……といっせいに移動してもらいます。すると、客の移動が終わったあとは、1号室のみが空くことになります。そこに、新たな客を泊めれば一件落着というわけです。
もっとも、こんなことは有限の部屋しかないふつうのホテルでも可能です。たとえば、12部屋しかないホテルに13人の客がやってきたとしましょう。まず、最後に来た客に、一時的に1号室に入ってもらいます。次に、最初に来た客を1号室に入れます。すると、1号室には2人の客が入っていることになりますね? で、3番目の客は2号室へ、4番目は3号室へ、……12番目の客は11号屋へ入ってもらいます。すると、12号室が空いていますから、1号室にいた13番目の客をそこに移動すればいいわけです。これで、あなたも明日からホテル王です。
さて、無駄話はやめて、ヒルベルト・ホテルに戻りましょう。今日も今日とて満員御礼のヒルベルト・ホテルに、今度は、ホテルの部屋数と同じ人数の客がやってきました。さすがに、こんどばかりは泊められないでしょうか?
そこはヒルベルト・ホテルです。今度は、1号室の客を2号室に、2号室の客を4号室に、3号室の客を6号室に……というように、自分の部屋の番号の2倍の番号の部屋に客を移動させます。こうすると、1,3,5……と奇数の番号の部屋が空きますから、ここに新たな客を泊めれば問題なしです。
以上の考察から分かることは、無限に1を加えてもやっぱり無限だし、無限を2倍してもやっぱり無限だ、ということです。うーん、てことは、やっぱり無限個より大きい個数なんて、この世にないような気がしますねえ。
さて、大人気のヒルベルト・ホテルですが、なんせ部屋の数がとんでもないものですから、支配人は、「ホテル日記」をつけて管理しています。「ホテル日記」は、その日、部屋に客が入ったかどうかを○か×かで記録したものです。たとえば、1号室は客あり、2号室はなし、3号室はあり……だった日は、「○×○……」という日記になります。
さて、このホテル日記ですが、いったい何パターンぐらいあるのでしょうか? 「○○○○○……」という満員御礼のパターンもあれば、「○×○×○……」と1部屋置きに客が泊まるパターンもあるでしょう。「無限」にたくさんのパターンがあるのは間違いないですが、ヒルベルト・ホテルの部屋の数より多いと思いますか、少ないと思いますか?
同じ疑問をもった支配人、ある日、客をしめ出して実験します。とにかく考えつくすべてのパターンの日記を紙に書いて、ホテルの部屋に1枚ずつ置いていったのです。たとえば、1号室には「○○○○○……」と書かれた紙を置き、2号室には「○×○×○……」と書かれた紙を置き、……といった具合です。
さて、こうして、すべての部屋に、あるパターンが書かれた紙が置かれることになりました。もし、書き残したパターンがなければ、「ホテル日記のパターンの個数」でも、やっぱり「ヒルベルト・ホテルの部屋数」を超えることはできなかった、ということです。
ところが、絶対に書き残したパターンが存在するのです。絶対に、です。
手元に1枚紙をもって、1号室から順に部屋を見てまわりましょう。そして、1号室に置いてある紙の1番目に書いてある○×の記録を見ます。それが、もし○なら×を、×なら○を、手元の紙に書いてください。次に、2号室の紙の2番目の○×を見て、同じことをします。以下、同様に、n号室の紙のn番目の記録を見て、その○×を逆転させたものを、手元の紙のn番目に書いていきます。
たとえば、今、1号室に「○○○○○……」と書かれた紙が置いてあったとします。1番目は「○」ですから、手元の紙には「×」と書きます。次に、2号室に「○×○×○……」があったとします。この2番目は「×」ですから、手元の紙の2番目のところに「○」と書きます。手元の紙は「×○」となったはずです。これを無限に続けます。
こうしてすべての部屋を見終わったとき、手元には新しいホテル日記のパターンが残されるはずです。このパターンが、既にどこかの部屋に置いてある、ということは考えられるでしょうか? たとえば、39号室に同じパターンが書かれた紙が置いてある、ということはありうるか? ありえません。なぜなら、手元のパターンと39号室のパターンは、39番目の記号が異なっているはずだからです。
では、この新しいパターンを、さきほど無理矢理客を泊めた要領で、ホテルの適当な部屋に入れてしまえばどうか? 同じことです。また、1番目から部屋をまわって、新しいパターンをつくり出すことができるでしょう。つまり、「ホテル日記のすべてのパターン」は、どうがんばっても「ヒルベルト・ホテル」に収めることができないのです。
ということは、「ホテル日記のパターンの個数」は「ヒルベルト・ホテルの部屋の個数」よりもたくさんある、ということになります。無限より大きい無限があったのです!
「ポテトチップスが無限にある」の「無限」は、「ヒルベルト・ホテルの部屋の個数」と同じ大きさだと考えていいでしょう。この無限の大きさは、自然数の個数、偶数・奇数の個数、有理数の個数などと同じであることが分かっています。
一方で、「ホテル日記のパターンの個数」は、ここでは詳しく説明できませんが、実数の個数、3次元空間にある点の個数などと同じ個数であることが証明できます。宇宙にあるすべての点の数と同じ個数なのです。これを数学では、と書き、「アレフ」と読みます。某宗教団体とは何の関係もありません。
ビートたけしの小説の中で「ぼく」が感じた、「考えようとすると頭がしんしんする無限」「こわいほどの無限」は、
では、
宇宙というのは、空っぽの空間ではありません。そこに原子やら何やらがあるわけです。ある状態の宇宙の、ある1点を指定したとき、そこに原子があるかないかが決まります。もっとも、量子力学とか言い出すといろいろややこしいのですが、素朴にいきます。
宇宙の各点ごとに、原子があるかないかを決めていけば、とりあえず宇宙の「状態」が1つ決まることになります。こうして、考えた「宇宙の状態の数」は、もちろん無限通りありますが、これは「宇宙の点の個数」と、どちらが大きいでしょうか。
もう、お分かりかと思いますが、「状態の数」のほうが大きいです。証明は次のように行います。
「
これと同じように、宇宙の1点1点すべてに、また宇宙があると想像してください。宇宙のある1点を拡大すると、その中にまた宇宙が見えるという状況です。別の1点を観察すると、また別の姿の宇宙が見えてきます。恒河沙宇宙とでも呼びましょうか。
このとき、「宇宙の状態」のありえるパターンすべてが、恒河沙宇宙のどこかの点の上に観察できる、というようにできるでしょうか。なんかもう想像力が追いつかないかもしれませんが、実は、これ、さっきのヒルベルト・ホテルの話と同じなのです。「客」のかわりに「原子」になっただけです。
ということは証明もまったく同じです。恒河沙宇宙のある点pを拡大したら、ある状態の宇宙が見えてきたとします。その見えてきた宇宙の点pに原子があったとしたら、手元の(!?)宇宙の点pには原子が置かないことにします。逆に、見えてきた宇宙の点pに原子がなければ、手元の宇宙の点pには原子を置きます。こうして手元に新しくできた宇宙の状態は、恒河沙宇宙のどこにも見いだせないはずです。
ということは、「宇宙の点の個数」より、「宇宙の状態の個数」のほうが大きいことになります。
この議論は、どんな「無限」に対してもでも使えるはずです。ということは、なんと、どんな「無限」よりも大きな「無限」が存在する、ということです!
このあたりの話は、19世紀の数学者カントールが、ほぼ独力でつくりあげたものです。今日お話した「ヒルベルト・ホテルの日記」「恒河沙宇宙」で使われたアイデアは、「カントールの対角線論法」と言われています。彼の有名な言葉に、「数学の本質は、その自由性にあり」というものがありますが、数学者の想像力というものには、ちょっと驚嘆させられます。
ところで、このカントールの発見は、数学に大問題を引き起こすことになります。どんな「無限」よりも大きな「無限」が存在する。それはいいとして、では、すべての「無限」を集めて集合をつくり、その個数を考えたらどうなるのだろうか? このパラドックスをめぐって数学は大きな危機に見舞われるのですが……、それはまた別のお話です。
ビートたけしの小説で、「ぼく」は、シリウスの光から死んだ父の記憶を思い出しています。あまりにも遠すぎて、地球からはただの1点にしか見えない星の光ですが、「ぼく」には父親が生きていた幼い日々が見えているのです。それは、まるで、さきほどの恒河沙宇宙のようです。主人公の「ぼく」が見ているものは、幼い日々に見た
その懐かしい日々を勇気に変えて、少年はまた歩き出します。無限という世界の果て、それを越えて、少年は成長するのです。
あちこちで紹介されている問題ですが、私の初見は、野崎昭弘『詭弁論理学』でした。
このあたりの無限とパラドックスを巡る話題は数学苦手な文系でもなんとなく理解できる(ような気がする)数理的ロマンで、昔は随分はまりました。対角線論法の説明はいくつも読みましたが、このエントリが一番わかりやすかったかも。
この流れだと次はラのつく人とかゲのつく人のお話でしょうか。
ただある地点より先に行こうとすると数学的基礎体力がないとボールが内野に飛ばなくなりますから、万人にわかりやすく記述するのは難しくなりますね。私も「ゲーデル・エッシャー・バッハ」あたりで限界を悟って足を洗いました(笑)。
刺激されてちょっといろいろ検索してたら、オルバースのパラドックスの説明でちょっと思い違いをしていたのを発見。
宇宙空間が無限で星の数も無限にあるなら宇宙が暗いのはおかしい、というものですが、これはビッグバンとか膨張宇宙には何の関係もなく数学的に説明できるというのには目から鱗。
つまり「無限通り」という表現は成立せず、無限を二つ用意してどちらが大きいとかはそもそも問題として無理があると思ったんですがどうなるんでしょうか?
突然変なこと言ってすみません
ホテルの日記なんか使わなくても、無限に1を足してもやっぱり無限だって時点で無限より大きい無限があるってことにならないんですか?
あと、宇宙の各点の数がn個としたら、宇宙の状態の数は2のn乗個で、状態の数が多いのはその時点で明らか、ではダメなんですか?
私頭悪いんで、全然見当外れなことを言ってるのかもしれませんけど…。
>この流れだと次はラのつく人とかゲのつく人のお話でしょうか。
ゲのつく人の話はいつか書いてみたいです。
>オルバースのパラドックス
マジですか。オルバースのパラドクスが定常宇宙でも解決できる、というのは初耳です。
私が検索した範囲だと、まず
http://www.emit.jp/note/olbers.html
がありました。単位面積あたりのフォトン(光子)の数は、宇宙が有限でも無限でも変わりはない、という議論です。この議論は単純に、時間が無限大の宇宙では、恒星から無限に光子が生産される、ということを見落しているのだと思います。
もう一つは、
http://home.catv.ne.jp/dd/pub/orberse.html
で、これは、恒星が背景の恒星の光を遮るという議論ですが、これについてはエネルギー保存則によって、背景の恒星の光がエネルギーに変換されて再び放射されるので、結局は変わらないことになる、というのが通説だと思います(例えば、http://en.wikipedia.org/wiki/Olbers%27_paradox)。
ま、私も専門的にフォローしているわけでもなんでもないのですが、しかし、このへんの話は、本当に楽しいですよねえ。日本語のWikipediaの「思考実験」の項(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%9D%E8%80%83%E5%AE%9F%E9%A8%93)が、あんまり充実してないのが実に残念です。ここは、ネタの宝庫です。
>無限というのはあくまで概念であるので「ある数」として考えることは出来ない
これはまったくその通りです。上記エントリで、「一番大きい数」とか「無限に1を加えても」とか書いたまま放置したのは私のミスです。
>無限を二つ用意してどちらが大きいとかはそもそも問題として無理がある
こちらに対する答えは「否」です。これは上記エントリにとって、非常に本質的な問いです。したがいまして、私には、この疑問にまっこうから答える義務があると思うのですが、いかんせん、これはかなり重たい質問でして、簡単にお答えすることができません。
一応書いてみますが、集合AとBがあったとき、AからBへの写像A→Bを考えて、それが単射であるとき、|A|≦|B|と書きます。大ざっぱに言って、これが、集合Aの大きさは集合Bの大きさ以下である、ということの意味です。
「写像」とか「単射」というのがよく分からなければ、Aが男の集団、Bが女の集団として(性別は逆でも可)、AからBへ「つきあってください!」と手をさし出す、という状況を考えてください。このとき、女のとりあいが1件もない(1人の女に2人の男から手が出ていることがない)状況、これが「単射」です。このとき、男≦女と定義するわけです。自然な定義だと思います。
この|A|≦|B|という関係は、全順序(勝手な2つの集合の間に大きさの比較が成り立つ関係)であることが分かっています(ただし、証明には選択公理という公理が必要ですが)。したがいまして、タカハシさんの御質問の答えとしては、「どんな2つの無限をとってきても、大きさの比較は可能」ということになります。
このあたりの話は、「公理的集合論」という分野の話になります。ウェブ上の解説ですと、
http://www-mi.sci.ibaraki.ac.jp/~yamagami/set2005.pdf
あたりが比較的まとまっているかもしれません(高校の理系数学を履修したことを前提として書かれています)。私のエントリは、この文書の定理11.2にあたります。
タカハシさんの疑問は、非常に本質的です。ですが、きちんと答えようとすると、集合論の教科書ができあがってしまう、ということで、この程度の答えで勘弁してください。
タカハシさん宛てのエントリでも書きましたが、無限は数ではないので、1を足したり、2倍したり、という操作が有限の場合と同じようにはいかないのです。
具体的に言うと、自然数(1,2,3…)と、0以上の整数(0,1,2,3…)は、同じ個数です(正確には、1対1対応がとれます)。ですから、「1個増えたら、元の集合より個数が大きくなる」という常識は、ここでは通用しません。そればかりか、自然数(1,2,3,4,5,6…)と正の偶数(2,4,6…)は同じ個数です。したがって、「2倍になったら、元の集合より個数が大きくなる」という常識も通じません。
ですから、有限の場合のように、nと、2のn乗では、後者のほうが大きいに決まっている、というのは、当たり前ではないのです。
>http://www.emit.jp/note/olbers.html
>がありました。単位面積あたりのフォトン(光子)の数は、宇宙が有限でも無限でも変わりはない、という議論です。
あ、私が見たのもそこです。
>この議論は単純に、時間が無限大の宇宙では、恒星から無限に光子が生産される、ということを見落しているのだと思います。
そうでした。
時間が無限でも光子の寿命は有限じゃないかとちょっと考えてしまったのが失敗。
モデルでいうと、格子の中にあるのが点じゃなくて線分になったところで格子全体を塗りつぶすのは無理だろう、と敷衍したんですが、もちろん光の速度の光子の寿命は理論(特殊相対論)上無限、つまり線分じゃなくて直線な訳で、これなら塗りつぶすのは可能ですね。
>しかし、このへんの話は、本当に楽しいですよねえ。
まったく。
ウィキの「パラドックス」の小項目も思わず読みふけってしまいました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9#.E7.89.A9.E7.90.86.E3.83.BB.E6.95.B0.E5.AD.A6
>ウィキの「パラドックス」の小項目も思わず読みふけってしまいました。
おおっ、さすがです。すばらしいです。英語版のほうも恐るべき充実度なのでオススメなのです。こんなもの無料で読めるんだから、いい時代に生まれたものです。
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_paradoxes
あそこがトラップでよかったのですか? あそこで引っ掛けるためには「1号室には2人の客が入っていることになりますね? で、3人目の客は…」と単位を揃えないといけないはずだから、これは違うネタなのだろう、と思ったのですが…
では、宿泊客がわがままな連中であったと仮定します。
全員が「部屋が狭い。一人につき2部屋用意しろ」と言ったとします。
支配人はそれをクリアーできるでしょう。
しかし、もっとわがままな連中が泊ったとします。
その連中には位が決まっており、1号室が一番低く2号室がその次と順番に位の高い者が大きな部屋番号の部屋に泊っていました。
「1号室の奴が一部屋なら俺は二部屋だ」と2号室の客が叫びました。
すると3号室の客が「それなら俺は4部屋だ」と叫び4号室の客が8部屋を要求するという始末です。
さて、支配人はそのわがままに対応できるのでしょうか?
かえって新鮮かもしれませんね。
難しかったようです・・・
うれしい…。